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君の不在証明  作者: 讀茸
第二章 監獄落とし

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第十九話 元天才

 ロウリから逃走したリスタルは、カルシュを抱えたまま監獄の廊下を走っていた。

 乱れた息を整える暇も無く、鉄色の廊下をひた走る。

 カルシュの肩には今も刃が刺さったままで、傷口からは絶え間なく血がこぼれていた。

 ドバドバと溢れる血液は、リスタルの足跡を示すように、床に血痕となって残される。


(どうしようどうしようどうしよう! このままじゃ先輩が死んじゃう! どこかで手当てしないと! でも、さっきの人に追いつかれたら間違いなく殺される! 逃げなきゃ! でも、その間にカルシュ先輩の傷が手遅れになるかも! そもそも、私傷の手当てなんてできないし! どうしよう! 私のせいで、先輩が――――)


 焦りはリスタルの思考を圧迫し、冷静さを取り払っていく。

 カルシュの傷口から血が止めどなく溢れる様子も、リスタルの焦燥に拍車をかけていた。

 立ち止まって止血をするべきか。このまま安全な場所まで逃げるのが先か。そもそも、安全な場所ってどこなのか。

 考えれば考えるほどに、何も考えられなくなっていく。

 錯乱した思考はまともな答えを導き出せず、リスタルはひたすらに疾走を続ける。


「リスタル。おい、止まれ」


 焦燥感に取り憑かれていたリスタルの耳を聞き慣れた声が叩く。

 訳も分からず走り続けていたリスタルの肩を、ローゴンが強く掴んでいた。


「ローゴンニキ……?」

「担いでいるのはカルシュ先輩か。一体何があった?」


 ローゴンに呼び止められて初めて、リスタルは足を止める。

 見れば、ローゴンとウーズの二人がすぐ近くに立っていた。

 至近距離にいたはずの彼らが目に入らないほど、リスタルは混乱していた。


「とりあえず、カルシュを下ろそう。まずは傷の手当てだ」


 目に涙を浮かべるリスタルとは対照的に、ウーズは落ち着いて指示を出す。

 ウーズに言われるまま、リスタルは肩に刃が刺さったままのカルシュをゆっくりと床に寝かせる。

 仰向けに寝かされたカルシュのすぐ側で、ウーズは傷口を観察し始めた。


「刃物を引き抜く。ちょっと痛むけど、堪えろよ。カルシュ」


 傷の様子を確認したウーズは、肩口に刺さっていた赤黒い刃を引っこ抜く。

 刃はびっくりするほど滑らかに、カルシュの肩から引き抜かれた。

 刃物を摘出したことで露わになる傷口。露出した肉は凄惨な色を放ち、溢れ出る血液は堰を切ったみたいに勢いが強い。

 

「ヒール・フォー・グリーン」


 ウーズはカルシュの傷口に手をかざし、治癒魔術をかける。

 彼の掌から発せられた光が、じんわりとカルシュの傷に浸透していく。


「治癒魔術……」

「先輩、昔は教会にいたらしい。治癒魔術もそこで覚えたそうだ」


 リスタルが零した呟きには、ローゴンが答えた。

 ウーズ・ルーム。元は教会で司祭を目指していたが、故あってスウェードバーク刑務所へと転向してきた。

 教会にいた頃は、治癒魔術や傷の鑑識に長けた少年だった。


「何があった? リスタル」


 改めて、ローゴンはリスタルにことの経緯を訊く。


「……襲われた。多分、ロウリって人。刃物投げられて、先輩っ、私をかばって――――」


 リスタルの言葉は拙かったが、状況を把握するには十分だった。

 カルシュの治療が本格的に始まったことで少し落ち着いたのか、リスタルも少しずつ息を整えていた。

 息を吸って、吐いて、飲み込む。

 一時はひどい錯乱状態にまで陥っていたリスタルだったが、ローゴンらとの合流によって落ち着きを取り戻しつつあった。


「よし」


 しばらくして、ウーズがカルシュの側から立ち上がった。


「あっ、あのカルシュ先輩は――――」

「とりあえず心配要らない。呪術でやられたせいで出血がひどかったけど、解呪した上で治癒魔術をかけた。少ししたら目を覚ますよ」


 さらっと言ってのけたウーズだが、解呪も治癒もそう簡単な魔術ではない。

 この一連のやり取りだけで、ウーズのプリーストとしてのレベルの高さが伺える。

 何より、彼の優秀さが表れているのは、傷の容態を見ただけで呪術による傷だと看破した点。

 呪術は通常の魔術系統に属さないため、見分けるのが非常に難しい。

 それに難なく対応して見せたウーズは、豊富な知識を持っていると言える。


「それより、気になる点がある」

「気になる点ですか?」

「カルシュには二種類の傷があった。一つは肩に受けた呪術による傷。これは良いとして、もう一つ。左足首の肉が腐敗していた。リスタル、何か覚えはないかい?」

「いや、肩以外には何も……あ、でも―――――」


 リスタルは一つの可能性に思い当たる。

 それは彼女の優れた視覚故に、僅かに捉えていた要素。

 何も訊かれなければ、ただの違和感として忘れ去っていただろうこと。


「扉の影から、誰かが見てたような……」

「やっぱりだ」

「何か分かったんですか?」


 ローゴンの問いに、ウーズは真剣な顔をして答える。


「恐らく、その人影は魔眼の持ち主だ。扉の影から魔眼で援護していたんだろう。種別は十中八九腐敗の魔眼。見た物を腐らせる魔眼だ」


 ウーズは限られた情報から、そこまでの推測を立てる。

 豊富な知識量と優れた思考力から導かれた結論は、ツウィグの魔眼を言い当てていた。


「収穫ですね。その手の魔眼は対策もしやすい。魔力で体を守っていれば、そうそう効果を受けることはない。隠れていたのも頷ける」


 ローゴンが語ったのは、対魔眼のセオリー。

 魔眼に様々な種類があるが、見たものに働きかけるタイプの魔眼には、明確な攻略法がある。

 それは魔力による身体防御。

 見る、という非常に簡単なアクションで発動できる魔眼だが、その分消耗も激しく、魔力で簡単に防御することができる。

 明確な攻略法があるからこそ、敵の魔眼持ちも姿を隠していたのだと、ローゴンは推測した。


「いや、問題はそこじゃない」


 しかし、ウーズは要点が他にあると指摘する。


「出力にもよるが、腐敗の魔眼は石材や鉄であっても腐らせることができる。この監獄の鉄格子や罪人の石環も、腐敗によって破壊することができるだろう」


 そこまで聞いて、リスタルとローゴンもウーズの言わんとすることを理解する。

 それはあまりにも恐ろしく、絶望的な惨劇の予兆。


「ヤツらは第六層の死刑囚を開放する気だ」


 刻一刻と近付く崩壊の足音。

 すぐ後ろまで迫った悪魔に背筋を撫でられたような寒気。

 リスタルは思わず身震いした。


     ***


 かつて、俺は自分が天才だと思っていた。

 剣で勝負するなら、誰にも負けない。剣でなら一番になれる。

 それは、何も無かった俺が持っている唯一の誇りだった。


 ――――うちでは引き取れないよ。今いる子だけでいっぱいいっぱいなんだ。新しいガキなんざ面倒見切れないよ

 ――――お願いします! もう頼れる場所が無いんです! 住まわせてもらえるだけで良いですから……!

 ――――しつこいな。いい加減にしてくれ。あんたが勝手に産んだんだろ。自分で面倒見切れないのに、ガキなんてこさえるからこうなるんだ。良いから早く帰ってくれ


 母さんはいつも俺を手放したがっていた。

 俺を預けられる場所を探して、色々な所を旅した。

 遠縁の親戚らしい家に押しかけては、俺を引き取ってくれと頼み込むのだ。教会なんかにもよく声をかけた。

 けれど、いつも上手くいかなくて、俺達は旅を続けた。

 長い旅だった。

 旅の道中、俺はずっと怖かった。

 次の家、次の教会で、相手が首を縦に振ってしまったら、俺は母さんに捨てられてしまう。

 今の生活の何がダメなのか。貧乏でも良いから、俺は母さんと一緒にいたい。捨てられたくない。

 そんな俺の思いとは裏腹に、母さんは俺の預け先を必死に探していた。

 その時の俺は子供で、馬鹿で、人を一人生かすためにどれだけの金が要るかも、その金を作るために母さんが体を売っていることも知らなかった。

 結局、俺と母さんはソルノットに辿り着き、俺はゴートウィストの訓練施設に預けられた。

 俺を訓練施設に預けると、母さんは嬉しそうな顔をして去っていった。


 ――――ふふふ、あははっ。これで……これでやっと、解放される……!


 去り際、母さんはそんなことを言っていた。

 その時は、母さんの言っていることの意味がよく分からなくて、何となく俺が母さんにとって不必要なものなんだと感じることしかできなかった。

 言葉の意味を真に理解したのは、十年後。

 ソルノット南東部の市場で、母さんを見つけた時。

 そこにいたのは、露天商の妻として夫の手伝いをする母さんの姿だった。

 新しい夫は良い人そうで、母さんとも楽しそうに話していた。

 少なくとも、俺の父親よりかはずっとまともな人なんだろうと思った。

 俺はその露天商で、小さな買い物をした。何を買ったかは覚えていない。

 ただ、その時、母さんが俺に声をかけることはなかった。気付かなかったのか。気付いていないフリをしたのか。

 俺にとっては、どっちでも良いことだった。

 そう、どっちでも良い。どっちでも良いんだ。母さんが俺をどう思ってたか、なんて。

 少なくとも、母さんは俺を道端に捨てたりせず、預け先が見つかるまで探してくれた。

 俺の衣食住を保証してくれたのだ。必要なのはそれだけ。愛情だとか、家族の絆だとか、そんなのはどうでも良い。

 どうでも良いんだ。

 だって、俺には剣がある。

 母親がいなくたって、誰にも愛されていなくたって、構わない。

 剣一本さえあれば、俺はどこまでもいける。何にだってなれる。剣を持った俺は、誰よりも価値ある存在だ。

 チンケな露天商と結婚した母さんなんかとは違う。

 傭兵として稼ぐことも、冒険者として名を上げることも、連邦騎士団に入ることもできる。

 剣士としての俺は天才だ。強い。誰にも負けない。

 それが幻想だと思い知らされたのは、十八歳の夏。


 ――――勝負あり。勝者、ロウリ・ゴートウィスト


 俺は一人の少女に、完膚なきまで叩きのめされた。

 訓練施設の視察に来たという令嬢に、俺は模擬戦で完敗した。

 挑んだのは俺の方。彼女が連邦騎士団のライセンスを持っていると知って、自分の力を試したくなった。

 いや、試したくなったなんて欺瞞だ。

 証明したかったのだ。俺は騎士にも劣らない実力者なのだと、勝って証明したかった。

 訓練用の剣を用いた一対一の模擬試合。

 俺の攻撃は完璧にいなされ、彼女の攻めは俺の防御を易々と崩した。

 何より、彼女の灰色の瞳が雄弁に語っていた。自分はまだ実力の半分も出していないと。

 聞いたところによれば、ロウリ・ゴートウィストの本分は魔術師らしい。

 同世代随一なんて呼ばれて天狗になっていた俺は、一つ年下の魔術師に剣で勝負を挑んで負けたのだ。

 上に上がいる。

 そんな当たり前のことに気付くのに、俺は十八年もの歳月をかけた。

 十八年の歳月をかけて得たのは、自分が凡人であるという、ひどく残酷な現実だけだったのだ。


     ***


 監獄第四層には、看守用の広間が用意されている。

 監獄での業務に必要な装備の在庫や設備が一通り整っているそこは、緊急時の集合先としても指定されている。

 中央塔からの通信を聞いた看守のほとんどはここに向かっており、ディセイバーもその一人だった。

 監獄の巡回用通路を、駆け足で走っていく。


「やっぱ四層の広間行くよな。同じこと考えてるヤツがいて助かったぜ」


 彼の隣を並走するのは、コニア。

 褐色の肌をした彼女は、腰に二振りの短刀を提げている。

 走りながらも、右手でその柄に触れている所から、彼女が非常時に際して気を引き締めているのが伺える。


「二人がいて良かった。私魔術師だから、前衛いると安心」


 さらに隣、ナウリアが薄桃色の髪をなびかせて走る。

 魔術師でありながら、前衛であるディセイバーとコニアのペースに難無くついてくる。


「ロウリ・ゴートウィストが本当に来てるなら、俺やコニアさんじゃ一分も保ちませんよ」

「そんなにヤバいのかよ? ロウリってヤツ」

「昔、コテンパンにされました」

「ディセイバー君が?」


 たった四名での監獄襲撃。

 一見して馬鹿げているが、全員がロウリ・ゴートウィスト並みの戦力であれば、成し得るかもしれないとディセイバーは考えていた。

 あれだけの猛者に対抗するには、大勢の看守で連携を取って戦う必要がある。

 そのためにも、まずは広間に人数を集めて作戦を練る。

 そんな勝ち筋を思い浮かべながら、ディセイバーは広間へと走る。

 そして、辿り着いた第四層の広間。

 廊下を走る勢いのままに開け放った扉の先には――――


「嘘だろ……?」


 死体の海が広がっていた。

 何十人という看守が死体となって散乱し、床は彼らの血で真っ赤に染め上げられている。

 その中心に立っていたのは、彼岸花を思わせる黒髪の少女。

 赤黒い武器を携えた姿は、まるで死神。

 ディセイバー・オルティクスにとっての絶望そのものが、死体の海に立っていた。

ナンバーワンになれないという現実に苦しむのは、オンリーワンになれなかった人間だと思うのです

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