第十七話 死別
某日、スウェードバーク刑務所。
シャルナ・エイジブルー率いるアルカナンの少数精鋭が強襲。
ローストン・ゴートウィストとの戦闘の余波は、監獄内部にも及んでいた。
「なんか揺れますね、先輩」
シャルナが乱発する蒼炎によって揺れる監獄内。
一人の人間が起こしたとは到底思えない振動に、廊下を巡回していたリスタルは呟く。
「地震か? 珍しいな」
同伴していたカルシュも、ぼんやりと頷く。
この時は誰しもが、監獄内の揺れもちょっとしたアクシデント程度にしか考えていなかった。
堅牢なスウェードバーク刑務所が、地震程度で崩れるはずもなし。
少し揺れたことなんて、午後にはすっかり忘れて、いつもの業務に戻っている。
そんな未来を思い描いていたのだ。
「まあ、そうですよね……」
リスタル・グリアントは気付かない。
己の胸を掠めた嫌な予感は、どうしようもなく正しいことに。
***
監獄中央塔。
高く聳える鉄の塔は、第六層を見回す監視塔でありながら、スウェードバーク刑務所の頭脳にも等しい部分である。
中央塔の最上階、ダラス・モノトローム看守長は、外の戦闘風景を凝視していた。
晴天に燃ゆる蒼炎の嵐。
シャルナ・エイジブルーの放つ爆炎が、ローストンが構成する鋼鉄に激突する。
監獄を襲撃したシャルナ・エイジブルーと偶然裁判所を訪れていたローストン・ゴートウィストの戦闘。
響く轟音と灼熱の余波が、監獄全体を揺らしていた。
「看守長! 外では一体何が!?」
「これだけの戦闘の余波! 監獄もタダでは済まないのでは!?」
「看守に避難指示を……いや、それでは危険な囚人をみすみす明け渡すことに……」
中央塔の最上階に集められているのは、看守の中でもとりわけ経験豊富で優秀な者達。
監獄の頭脳を担うに相応しいプレーン達でさえ、この異常事態に焦燥を隠せていなかった。
これまで、この監獄を襲う危機が無かったわけではない。
囚人解放を求める犯罪組織の強襲など、腐るほど経験してきた。
経験があるからこそ、分かる。
今回はレベルが違う、と。
「シャルナ・エイジブルー。……アルカナンの中枢メンバーだ。蝗害のように恐ろしく、おぞましい。ヘイズ・トラッシュの死刑執行前に攻めて来たらしい」
監視塔からでも、彼女の姿はよく見えた。
荒野を駆け、蒼炎の噴射で空中を飛びまわる長身。
風にたなびく青髪は、皮肉なまでに鮮やかな美しさを纏っていた。
(あの大火力と更地でやり合うのは自殺行為。監獄内に引き込んで、上手く翻弄するしかない。……それでも、一度接敵した者は十中八九死ぬ。大量の犠牲を前提とした持久戦になるだろう)
シャルナの火力は人間の域を出ている。
個としての戦闘能力は、異常なまでに突き抜けている。
ダラス達がそれに抗うには、監獄全体という組織で立ち向かうしかない。
何人もの看守を死なせ、築き上げた屍の山の頂上に、シャルナ・エイジブルーの死体を添える。
そんな悲劇的な戦いになることは間違いない。
(だから、その前に――――)
その未来を防ぐには、手立ては一つしかない。
組織ではなく個としてシャルナに抗える人間が、個対個の形が成立している内に屠る。
監獄が大打撃を受けずにこの危機を乗り切るには、最早それしかない。
(勝ってくれ、ローストン)
ダラスは祈るように、心中でのみ呟く。
中央の監視塔から、古い友の勝利を祈る。
ローストン・ゴートウィストであれば、シャルナにも勝利し得ると信じて。
「看守長、増援を向かわせますか?」
そう言ったのは、フォイル。
ローストンとシャルナの戦闘に、援軍を送るという提案だ。
確かに、一考の価値はある。
バーンドットを筆頭に、シャルナとローストンの戦闘でも役に立てる強者は、少数ながら監獄にも在籍している。
「……いや。監獄での訓練を受けていないローストンが、看守と上手く連携を取れるか分からない。半端に戦力の逐次投入を行い共倒れになれば、その後の戦況は枯れ木のように絶望的だ」
ダラスの判断が正しかったのかどうか、それは誰にも分からない。
ただ、ローストン敗北を想定した戦力の温存。或いは、ローストン勝利を想定した無駄死にの防止。
この戦略が監獄の未来を大きく左右したことは間違いない。
「通信を開け、フォイル。全看守に現状を通達する。裁判所から第一層への侵入を想定し、看守の配置を変更。ローストン敗北後の戦闘に備え、スウェードバーク刑務所はこれより臨戦体制に入る」
心中ではローストンの勝利を願いつつも、敗北後も想定して動く。
ダラスがスウェードバーク刑務所の看守長として認められたのも、この私情を排した冷静な意思決定によるもの。
「それは危険です。看守長」
しかし、その案はファイルによって否定される。
緊急時に際して、通信魔道具で連携を取る。
監獄での基礎対応とも呼べる動きに異を唱えられ、ダラスは僅かに目を見開いた。
「何故だ?」
「敵方の控えにロウリ様の姿が見えます。状況は不明瞭ですが、もし寝返っていた場合……」
フォイルの言葉に、ダラスは寒気がした。
それは、あまりにも信じ難く、あまりにも恐ろしい状況。
ロウリ・ゴートウィスト。
ローストンの一人娘であり、ゴートウィスト家次期当主。
ローストン同様、優れた鋼鉄魔術の使い手であり、武芸百般にも秀でている。
十代にして連邦騎士団のライセンスを取得。ソルノット支部では主力の一人に数えられる天才令嬢。
個人の戦闘能力もさながら、真に恐ろしきは、彼女が寝返ったという状況そのもの。
ロウリはゴートウィスト家次期当主という立場上、ゴートウィストと強い繋がりを持つスウェードバーク刑務所の内情にも詳しい。
監獄の構造は無論、管理者専用の直通路の位置や罪人の石環を解除するための鍵の保管場所。果ては、看守の大まかな配置についても知っている。
さらに致命的なのは、監獄で使われている通信魔道具が彼女にも与えられていること。
この状況で通信を開けば、中央塔からの指示が、ロウリにも筒抜けになる恐れがある。
「裏切ったのか……? ローストンの、娘が……」
何より、ロウリがゴートウィストに背いたということ自体が、ダラスには信じられなかった。
立場上、ダラスはロウリと何度か会ったことがある。
あの絵に描いたような善性の持ち主が、犯罪に与するとはとても思えなかった。
ローストンの娘が、あの正義の化身のような男の血を引き継いだ少女が、敵に回ることなどあるのだろうか。
「今の所、ローストン様に加勢する様子はありません」
信じられないとばかりに呟くダラスに、フォイルは事実だけを返す。
あくまで状況は不明瞭。
ただ、ロウリほどの実力者であれば、シャルナとローストンの戦いに割って入るには十分。
揃えられた状況証拠が、監視塔から見下ろす現実が、全てを物語っている。
「傍受覚悟で現在の状況だけを通信で流す。詳しい作戦行動は口伝……最悪、看守それぞれの自己判断に任せるしかない」
苦虫を噛み潰したように、ダラスは指示を出した。
組織戦闘において、通信魔道具を潰されたというのは、あまりにも痛い。
それでも、緊急時に際してのマニュアルも用意されている。
看守達も中央塔からの指令が無くとも、ある程度は連携を取って動けるだろう。
監獄襲撃に対する一定の方針が決まった所で、外で行われている戦闘にも決着がついた。
「看守長」
監視塔から地上の戦況を見下ろして、フォイルが真剣な声音で言う。
「ローストン様の死亡が確認されました。ロウリ様の手によって、顔を刃で貫かれています。既に、状況は――――」
「ああ、分かっている」
その瞬間、全てが確定した。
ローストンの敗北。ロウリの裏切り。これから始まる地獄のような防衛戦。
確定した全てを飲み込んで、ダラスは低く呟く。
旧友の死。
正しさの化身と信じて疑わなかった、友との死別をダラスは数刻の沈黙を以て飲み込んだ。
「通信を開け。何としても監獄は死守する」
死者を悼む暇も無く、監獄防衛戦は幕を開ける。
悪夢のような襲撃者との戦いの火蓋は、静かに切って落とされた。
***
監獄第二層、廊下。
カルシュと共に牢獄を巡回していたリスタルは、太腿の辺りに振動を感じた。
「あ、先輩。通信ですよね? これ」
ポケットから通信用な魔道具を取り出すリスタル。
直方体の魔道具が、掌の中で振動していた。
「ああ。この時間に通信は、あまり無いんだがな。何か連絡か?」
リスタルとカルシュは、通信用の魔道具を耳に当てる。
鼓膜近くで震える魔道具。
そこから流れる音声は、ダラス看守長本人のものだった。
『スウェードバーク刑務所の全看守に通達する。現在、スウェードバーク刑務者は四名の犯罪者による襲撃を受けている。青髪、長身の女。赤みがかった黒髪の少女。名前をシャルナ・エイジブルーとロウリ・ゴートウィスト。この二名に加え、小柄な少年と細身の少女も襲撃者勢力として確認されている。襲撃者に対する戦闘と殺害を許可する。この通信が傍受されている可能性を考え、具体的な作戦は伝えられない。襲撃者がアルカナンの主力に相応しい戦闘能力の持ち主であることを踏まえ、各自の判断で戦闘を行なってほしい』
一瞬、何を言っているか理解できなかった。
四名の犯罪者による監獄襲撃。通信が傍受されている可能性。襲撃者への戦闘及び殺害の許可。
それだけでも異常事態であるのに、襲撃者の中にゴートウィストの名前が連ねられていることが、ことの異常性に拍車をかけていた。
「え? どういうことですか……? ゴートウィストって、あのゴートウィストですよね? 先輩、これ、私の魔道具だけ壊れてるわけじゃないですよね……?」
「あ、ああ。ロウリ・ゴートウィストと言えば、ゴートウィスト家の次期当主のはずだ。それが襲撃者になっているわけが――――」
バタン。
響く、転倒音。
「……先輩」
リスタルとカルシュが立っている廊下。
二人は同時に、十数メートル先の扉に目を向ける。
監獄第二層。
第一層と第二層を繋ぐ渡り廊下は、全部で八箇所。
その一つに繋がる扉の奥から、足音が聞こえた。
「先輩、あそこ、血が……」
扉の下部。
床と扉の間にできた僅かな隙間から、流れ出る赤。
扉の隙間から流れ出た鮮血は、大河のように広がって、鉄色の床に赤い池を作っている。
カチャリ。
音を立ててドアノブが回る。
音も無く開いた扉の内側には、看守服を着た死体がもたれかかっていた。
その胸には赤黒い刃が突き刺さっている。
「あ、また看守いた」
死体の前を通り過ぎて、彼女は廊下に歩み出た。
仄かな赤色を帯びた黒髪を靡かせて、ゆったりと死体の前を歩く。
その手には、死体の胸に突き刺さっていた物と同様、赤黒い刃が握られている。
「ま、殺しとこうかな」
それは唐突に訪れた日常の終わり。
彼岸花のような少女との邂逅を以て、リスタル・グリアントの平穏な日々は終幕を告げる。
「逃げろ! リスタル!」
死神が投擲する刃。
あまりにも滑らかなモーションで、寸分の違い無く投げられた赤黒い刃は、リスタルの首筋に迫る。
そこへリスタルを庇うように躍り出たカルシュ。
赤黒い刃は、彼女の右肩に突き刺さった。
グジュリ、と肉を抉る音。刃の刺さった部分から、赤い噴水が吹き出す。
「先、輩……?」
バケツいっぱいに入れた水をぶちまけたみたいに、大量の血が宙を舞う。
宙空を舞い踊る大量の赤を、その一滴一滴を、リスタルはターコイズの瞳で直視する。
結晶のように綺麗な瞳に映ったのは、視界いっぱいの赤。苦悶に歪むカルシュの表情。そして――――
「とりあえず一人。サクサクいこう」
まるで遊戯に興じるかのように、微かに嗤う赤黒い死神の姿だった。
カルシュ・フォビア。フォビア家の末っ子。家族構成は、父、母、兄、兄、カルシュ。そのせいか、妹がほしかったらしいです。




