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第十五話 第六層

 スウェードバーク刑務所の看守は基本的に住み込み。

 監獄とは別の棟に、看守用の寮が用意されている。

 初日の訓練を終えたリスタル達新人看守は、訓練場で解散してそれぞれ帰寮しようという所だった。


「ねえねえ、ディセイバー君」


 こういう時、機を逃さないのがリスタルという女だ。

 イケメンな同期がいるのに、声をかけないという選択肢がどこにあろうか。

 訓練の休憩時間で他の同期とはかなり仲良くなった。まだ話していない人物といえば、ディセイバー一人に絞れるくらいには、リスタルは陽気な性格をしていた。

 訓練場を出てすぐの廊下で、リスタルはディセイバーの背を叩く。


「何ですか?」

「何っていうほどでもないけど、声かけてみただけ」


 ディセイバーはやや愛想が悪いが、リスタルは気にする様子は無い。

 仏頂面の少年に、リスタルは果敢に話しかけていく。


「聞いたよ~。ここの採用試験成績一位だったんでしょ? どうしたら、そんなに強くなれるのか教えてほしいよー」

「…………別に」


 フレンドリーに声をかけるリスタル。

 それとは対照的に、ディセイバーの応対は無愛想そのもの。

 にこりともしない少年に対して、リスタルは不思議そうに顔を覗き込んだ。

 背丈の低いリスタルは、下から見上げるような形で、ディセイバーの瞳をじっと覗き込む。

 子供が好奇心のままに質問攻めするようなリスタルの奇妙なプレッシャーに、ディセイバーは思わず目を逸らす。

 そして、バツが悪そうな口調で言った。


「グリアントさんも一位だったでしょ」

「ふふーん。まあね、近接戦闘だけだけど」


 ディセイバーの返答に、リスタルはドヤ顔で応じる。

 総合的には自分よりもずっと好成績であろうディセイバーに対しても、自分の長所を惜しげもなく自慢できる。

 リスタルの調子乗りな性格故の態度だったが、ディセイバーは少し表情を和らげた。

 少し。ほんの少しだけではあるが、微かに穏やかな顔をしたのだ。


「あと、リスタルで良いよ。同期なんだし。私の方が年上だけど、多分ディセイバー君の方がしっかりしてるから」


 そう言って、リスタルは胸を張る。

 何一つ胸を張れることではないのだが。


「じゃあ、リスタルさんで」

「ふむ、よろしい」


 名前で呼ばれたことに対し、リスタルは満足げに頷く。

 その子供のような表情を、ディセイバーはぼんやりと見下ろしていた。

 自分よりも年上なのに、まるで子供みたいに無邪気なリスタルを、ディセイバーは如何なる視線で見つめているのか。

 それを読み取れるほど、ディセイバーの目はお喋りではなかったし、リスタルもそれを敢えて読もうとするような性格の持ち主ではなかった。


「じゃあ、俺こっちなんで」


 少し歩いてから、ディセイバーが切り出す。


「あ、男子寮ってそっちか。そんじゃまたね」


 軽く手を振って、リスタルはディセイバーと別れた。

 彼の背中を見送ってから、女子寮へと続く廊下を歩き出す。

 意外と話しやすかったなー、なんてことを考えながら歩いていると、突如として耳の裏に冷たい感触が走った。


「びゃあっ!」


 不意に訪れた不思議な感覚に、リスタルは思わず叫ぶ。

 バっと後ろを振り向けば、二人の同期が立っていた。


「どっきり成功」


 一人は薄桃色の髪をした少女。

 ボーっとした無表情で立つ彼女の名は、ナウリア・ロバスボム。

 少女と形容するに相応しいあどけない顔立ちだが、彼女の実年齢は二十五歳である。


「リスタル、お前年下趣味か?」


 もう一人は褐色の肌をした短髪の女性。

 ナウリアやリスタルと並ぶと、かなりの長身に見える。

 彼女の名はコニア。姓は無い。


「ナウリア! コニア! 何~? ずっと見てたのー?」


 突如として声をかけてきた同期二人に、リスタルは嬉しそうな声を上げる。

 彼女らとは会って間も無いリスタルだったが、既に名前で呼び合える程度には打ち解けていた。

 リスタルとしては、とっくに友達になった気でいる。


「もち」

「オルティクスと話し込んでるもんだから、声かけにくかったんだよ」


 ぐっと親指を立てるナウリアと肩をすくめるコニア。

 友達になった、というのは何もリスタルの一方的な認識ではない。

 比較的歳の近い同性の同期ということで、彼女らは相当友好を深めていた。


「やるね、リスタル。イケメン相手にも怯んでない。このままいっちゃいなよ」

「ナウリア!? 別にそこまで下心出してないよ! 私!」

「まさかリスタルの好みが年下だったとはな」

「コニアまで!? これもしかして私が詰められる流れ!?」


 他愛のない会話に花を咲かせながら、三人は寮に戻っていく。

 スウェードバーク刑務所がまだ平和だった頃の、些細な日常の一幕である。


     ***


 スウェードバーク刑務所に配属された新人看守は、基本的に先輩看守のお付きとなって仕事を学ぶ。

 先輩看守一人に対し新人看守が一人。マンツーマンの形で監獄での業務を習得していくのだ。

 リスタルもその例に倣い、先輩の看守に教育を受けることとなっていた。

 監獄第一層の廊下。

 リスタルは自分の担当となった先輩の看守と対面していた。


「貴様がリスタル・グリアントだな!」

「そうです!」


 リスタルの前に立つのは、看守服に身を包んだ金髪の女性。

 上背が高く、体格もしっかりしている。

 看守服の上からでも、彼女の鍛え上げられた筋肉が見て取れた。


「良い返事だ」

「あいざいまぁす!」

 

 リスタル・グリアント。

 苦手なことは数多くあるが、敬語やマナーといった礼節はとことん苦手だ。

 今まで、無意識に数々の失礼を働き、色んな人に怒られてきた。

 そんな彼女にとって、先輩と付きっきりで仕事をするこの状況は窮地。

 リスタルは苦肉の策として、とにかくでかい声を出して、元気だけで乗り切る作戦に出た。

 

「私はカルシュ・フォビアだ。……さっきは結構凄んだつもりだったんだが、貴様はあまり委縮しないのだな。まあ、よろしく頼む」


 カルシュは少しバツが悪そうに言う。

 監獄の労働環境は苛烈だ。暴力と欲望に頭を支配された犯罪者達を管理するのは、生易しいメンタルでは務まらない。

 そういった厳しい世界からの洗礼として、リスタルにプレッシャーをかけたカルシュだったが、リスタルの「とにかくでかい声を出す」という謎の作戦によって挫かれた。


「まずは監獄全体を一周し、設備やシステムについて説明する。細かい業務はまた後で教えるから、まずは監獄の全体像を掴んでくれ。第一層から行くぞ」


 気を取り直して、カルシュはリスタルに監獄を案内する。

 毅然とした空気を取り戻したつもりでいるカルシュだったが、言葉の節々からは丁寧さが抜けていない。


(なんか良い人みたいで良かったぁ)


 カルシュの狙いとは裏腹に、リスタルは少しリラックスして、彼女の背中についていく。

 二人の看守が歩くのは、薄暗い廊下。

 左手には鉄の壁。右手には鉄格子。

 右手に見える鉄格子の向こう側に広がるのは、囚人達の暮らす雑居房。

 最低限のベッドとトイレ。そして簡素なテーブルと椅子だけが備え付けられた牢屋は、一面灰色で彩りというものが一切無い。

 灰色の牢屋。廊下に面した壁は鉄格子だが、その反対側の壁も鉄格子。

 廊下を歩くリスタルからも、二枚の鉄格子を隔てた先に広がる外の景色――――鉄壁と監視塔のみで構成された外界を見ることができた。


「第一層から第三層は基本的に雑居房。私達が廊下を巡回する他に、監視塔から二十四時間体制で受刑者は監視されている。あとは……受刑者の首を見ろ。石製の首輪が見えるか?」


 廊下を巡回しながら、カルシュは監獄の構造を解説する。

 彼女の言葉に従って、リスタルは牢屋の中にいる囚人に目を向ける。

 彼らの様子は千差万別。囚人同士の会話に興じる者もいれば、死んだ魚のような目をしてベッドに寝転がる者もいる。

 一様に白と黒のボーダー柄の囚人服を着せられた彼らの首には、何らかの石材で出来た首輪が装着されていた。


「あれは罪人の石環という魔道具だ。装着者の魔力を吸収し大気中に霧散することで、対象の魔力を一定量以下に保つ。魔力強化を用いた脱獄への対策だな。専用の鍵を用いなければ、外すことはできない。外部からの破壊も理論上不可能ではないが……あれを破壊する威力を保ちつつ、接触する受刑者の首を折らない、というのは余程の達人でないと無理だろう」


 罪人の石環。

 大陸中の刑務所や牢屋で用いられている魔道具。

 平たく言えば、対象の魔力を限りなくゼロに近い状態で保つ魔道具だ。

 魔力による身体強化や魔術の行使を封じるというのは、脱獄防止において非常に重要な観点だ。

 たとえ魔力を使えたとして、スウェードバーク刑務所の鉄格子を破壊できる手練れはそうそういないだろうが。


「ああ、そうだ。これを忘れていたな」


 案内の途中、カルシュが思い出したように呟く。

 そして、懐から取り出した魔道具をリスタルに手渡した。


「なんですか? これ」


 リスタルが受け取ったのは、掌サイズの直方体みたいなもの。

 金属で出来ているようで、表面は鈍い光沢を放っている。

 表面の中央。鈍い光沢の表皮の中心は、ごくきめ細かい網目状の格子になっていて、内部の構造がうっすらと透けていた。


「通信用の魔道具だ。通信は中央塔からの一方通行で、こちらからの返答はできない。効果範囲も監獄内にのみ限定されるが、緊急時の連絡には役立つ。これが振動を起こしたら、耳に当てろ。そうすれば中央塔からの指令が聞こえる」


 リスタルは手の中の魔道具をじっくりと見下ろした。


「なんか凄いですね。離れてても声が届くなんて」

「なんでも、ノルギアでは最新鋭の魔道具らしい。元々、遠隔通信自体は一部の魔術師には可能だったらしいが」

「へえ~、物知りなんですね。カルシュ先輩」

「……ただの雑学だ。褒めても何も出んぞ」


 最新鋭の魔道具をポケットにしまい、リスタルとカルシュは再び歩き出す。

 第一層の巡回を終え、彼女らは監獄のさらに奥まった部分へと足を伸ばしていた。


     ***


「よし、ここからが第六層だ」


 監獄の巡回も大詰め。

 スウェードバーク刑務所の最奥、第六層へとリスタル達は足を踏み入れようとしていた。

 第五層と第六層を繋ぐ渡り廊下には、二人の足音だけが響いている。


(なんか、静かだな……)


 第六層を目前にして、リスタルが感じたのは静寂。

 渡り廊下から見る第六層の外壁は、一言で言えば鉄の円柱。冷たいばかりの鉄は、あらゆる音を遮断しているように思えた。

 左右にそれぞれ見える監視塔も、今までに増して無機質に感じる。

 静かで、厳かで、冷たくて。

 張り詰めた糸のような緊張感が、リスタルの背筋を撫でていた。

 カツカツ、と足音が響く。

 目前にそそり立つ鉄の監獄最奥部。

 それはまるで、リスタル達という闖入者を拒むかのように、静謐なプレッシャーを放っていた。

 

「行くぞ」


 カルシュが扉を開ける。

 彼女に付き従って、リスタルも第六層へと足を踏み入れる。

 そこに入った瞬間、嫌でも理解させられる。

 明らかに異質な空気。大気の中に舞う埃の一粒一粒にまで染み付いた、目眩のするような暴力の臭い。

 暗い廊下。鉄製の床と天井は、先程までいた第五層とほとんど同じ構造。

 同じだというのに、感じる圧迫感が先程までの比では無い。


「第六層は全室独房だ。人として根本的に共同生活が不可能な人間しかいないからな」


 鉄格子の向こうには、一部屋につき一人の囚人がいる。

 鉄色の格子越しに見る犯罪者の姿は、やはり千差万別で一様には言えない。

 ただ、その瞳だけが同じだった。

 全員、常識の通じない獣の目をしている。

 それはひどく原始的で、単純が故に鋭くて、檻に入れられた猛獣を思わせた。

 リスタルは何も言わない。

 言葉を口することさえ憚られるような、目に見えない圧力が彼女を覆っていた。

 その中でも、一際彼女の心臓を掴んだのは、とある独房だった。


「先輩、あの部屋――――」


 鈍色の鉄格子。

 その奥にいたのは老人だった。

 彼は罪人の石環を首に付けられただけでなく、両手首を後ろ手に縛られていた。

 彼の両手を縛る鎖は、牢屋の天井に固定されている。

 両足にもそれぞれ重りが括り付けられており、老人のみすぼらしい肉体を完膚なきまでに拘束している。

 伸び放題の髭。ボサボサの髪は白髪混じり。

 浮浪者のような風体でありながら、老人は他のどの囚人よりも厳重に縛られていた。


「ヘイズ・トラッシュ。元アルカナン中枢メンバーだ。……安心しろ。来週には死刑が執行される」


 カルシュが簡潔に説明する。

 アルカナン、というのは元々ソルノット以外の土地で暮らしていたリスタルにも聞き覚えがあった。 曰く、大陸最悪の犯罪組織。

 ソルノット自治領を無法地帯たらしめている、悪意と暴力の坩堝。


「なんで、ここだけこんな厳重に……」

「こいつは罪人の石環を付けた状態で、看守を一人殺している。不意をついて喉笛を食いちぎったらしい」


 魔力を使わずに、装備を整えた看守を殺す。

 それがどれだけの異常事態かは語るまでも無い。

 アルカナン中枢メンバーとは、それほどに強大な巨悪であり、そんな人間の集まりがこの街の半分を支配している。

 ソルノットの外から来たリスタルにとって、それは何よりも恐ろしく思えた。


「稀だが、そういう例もある。受刑者を相手にする時は、くれぐれも気を付けろ」


 カルシュの言葉は、リスタルの胸に重く響いた。 この監獄にどれだけの危険が潜んでいるか。

 それは、牢屋に鎮座する囚人が放つ死臭が、どんな言葉よりも雄弁に語っていたから。


 

監獄編ってなんだ?

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― 新着の感想 ―
罪人の石環は石製?金属製? 看守の言葉と地の文で別れてるけれど石と金属は別なので、石製なら天然物の切削などで作られて、金属製なら溶かしたり加工で作られる別物になるはずのような気がします
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