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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり

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第十三話 最高な人生の始まり

 黒い裁判所の中からは、しきりに戦闘音が聞こえてくる。

 ローストンとシャルナの戦闘。そこに割り込む勇気も無く、ロウリは呆然と裁判所を眺めていた。


「シャルナ……」


 ふと、彼女の名を口にする。

 初めて、父からロウリを守ってくれた人。

 圧死するような正義感の塊の前に立ち、ロウリの肩を持ってくれた彼女。

 その鮮烈な青色が、今もロウリの瞼の裏に張り付いていた。

 そんな時、突如として裁判所の一角が吹き飛んだ。青い炎が爆裂し、裁判所の屋根の壁を粉砕する。

 そこから飛び出て来たのは、鋼鉄の鎧を纏った男だった。

 吹き飛ばされるようにして、裁判所の外へと投げ出されたローストン。

 そこに追撃の蒼炎が重なり、ローストンはさらに天高くまで打ち上げられていく。


「フゥウウウウウウ――――――――ッ!」


 そこへ追従していくのは、青髪をたなびかせたシャルナ。

 蒼炎の爆風に乗って空を飛び、空中に打ち上げられたローストンを追っていく。

 ハイテンションな彼女の雄叫びは、地上のロウリにも届いていた。


「く、何故……っ!」


 空中で身動きの取れないローストンに、シャルナは一方的に蒼炎を浴びせ続ける。

 掌で蒼炎を爆裂させるシャルナは、その爆風に乗ることで空中機動を可能にしている。

 対してローストンは空中で身動きが取れない。できることといえば、鋼鉄の鎧で身を守るのみ。

 守りを固めるローストンに対して、シャルナは容赦無く火球を放ち続ける。

 絶え間無く襲い来る青い焔は、その爆風と衝撃を以て鋼鉄の騎士を上空へと打ち上げ続ける。

 それに追随するシャルナと共に、両者はぐんぐんと高度を上げていく。


(……っ、反撃の手立てが無い! 少しでも防御を緩めれば焼き貫かれる! 何か、何か無いのか……!)


 それはあまりに一方的な光景だった。

 爆風に乗って飛び回るシャルナは、ローストンに絶え間無い爆撃を浴びせ続ける。

 ローストンはせめてもの反撃とばかりに、鋼鉄の剣を撃ち出すが、空中を高速で移動し続けるシャルナに当たるはずもない。

 ただひたすらに、爆炎のみがローストンを襲う。

 熱と衝撃だけが小さなダメージとして積み重なっていく。

 その光景をロウリは食い入るように見つめていた。

 それはあまりに爽快で、痛快で、心に溜まった澱が晴れるような奇跡だったから。

 灰色の瞳に光が灯る。

 ロウリの視界に映るのは、反撃の暇も手立ても与えられないまま、蒼炎によって遥か上空まで連れていかれる父の姿。

 そして、スウェードバーク刑務所を一望できるほどの上空で、ついにその時は来た。

 鋼鉄の鎧が砕けたのだ。


「オーケー! 破壊完了!」


 それは蒼炎の火力によって砕かれたというより、鋼鉄の鎧を維持する魔力を供給できなくなった方が主な原因である。

 有り体に言えば魔力切れ。魔術を維持できるほどの魔力さえ使い果たし、ローストンは生身で天空を舞う。


「何故、お前なんぞに……ッ!?」


 ローストンは怒りと悔しさを滲ませて吐く。

 その灰色の瞳は血走り、悠然と舞うシャルナを睨んでいた。


「そりゃそうだろ。私はゴリゴリのアタッカー。サポートタイプのお前にタイマンで負けっかよ」


 サポートタイプ。

 それは言い得て妙。ローストンの魔術適性を正しく言い当てた言葉だった。

 ローストンの鋼鉄魔術は教会の魔術特性を組み込むことにより、鎧を着る者の生命力を活性化させられる。

 シャルナは伺い知らぬことではあるが、この効果は剣や盾といった装備でも適応できる。味方に武器や装備を配るだけで、ローストンは味方の生存率をグッと高められる。

 そうでなくても、鋼鉄魔術の広範囲展開は味方を守ることに向いている。

 ローストンの最適解はサポーター。味方と力を合わせることで彼の魔術は真価を発揮する。

 鋼鉄魔術とは、守るための魔術なのだから。

 単騎でシャルナに挑んだ時点で、ローストンは負けていた。


「ほら。魔力振り絞れ、おっさん。ちゃんと防御しねーと、ミンチになっちまうぞ」


 シャルナはローストンの頭上に回り込み、その脳天に強烈な踵落としを叩き込む。

 身動きのできない空中。ローストンに回避の選択肢は無く、シャルナの一撃を甘んじて受ける。

 振り下ろす蹴撃はローストンの頭蓋を捉え、彼を遥か下、地上へと一気に叩き落とす。

 想像を絶する高さから撃ち落とされたローストン。

 地面に衝突した彼の肉体がまだ生きていたのは、ローストンが最後の気力で振り絞った魔力防御によるもの。

 今度こそ一切の魔力を使い果たし、地面に這いつくばることしかできない。

 そんな彼の前に立っていたのは――――


「父さん」


 彼岸花のような少女。

 赤みを帯びた黒髪を風になびかせる、彼の一人娘。


「ロウリ……」


 彼は知らない。

 その言葉がロウリに届くことはないと。

 その言葉が意味あるものとして理解されることはないと。

 既に対話の機会は永遠に失われているのだと。


「死んじゃえ」


 大人びた風貌には似合わない、あどけない言葉で、ロウリは父親の死を願う。

 次の瞬間には、ロウリは父の顔面を蹴り飛ばしていた。

 鎖から解き放たれた鳥のように、彼女は笑っていた。


     ***


 それは唐突に訪れた。

 妻が持ち込んだというらしい薬は、私の病魔を綺麗さっぱり取り除いた。

 奇跡としか言いようの無い回復。

 私は妻の下へと向かった。

 胸が高鳴った。涙が溢れそうだった。妻と未来を望めるのだというだけで、私にはこれ以上無い幸福だった。

 そうして、長きに渡る寝たきり生活でなまった体を無理に走らせ、向かった妻の邸宅には――――


 ――――遅かったね、ローストン


 銀髪の悪魔が立っていた。

 女性にしては高い上背。肌に刻まれたタトゥーと古傷は、彼女がアウトローの人間であると物語っている。

 底の無い暗闇のような瞳は、深淵を覗いているように昏かった。


 ――――いいや、むしろ早い方か。寝たきりの体を引きずって、ここまで来たんだろう? 随分と頑張ったらしい。そんなに奥さんに会いたかったか?


 飄々と語る彼女の隣には、かつて妻だった何かが立っていた。

 毒々しい色の植物が妻の顔に寄生している。

 目と口から生えた茎と幹。茂る葉と花は緑と赤を中心とした毒々しい色調。様々な色をした果実が実っていて、そのカラフルな有り様が逆に不気味だった。

 体内に張り巡らされた根が、血管のように肌から浮き出ていた。


 ――――お前は……!

 ――――まあ、落ち着けよ。今は気分が良いんだ。色々喋ってやっても良い。例えば……この子がどうやって君の特効薬を用意したのか


 変わり果てた妻の隣で、女は滔々と語る。

 楽しむような、嗤うような、悪趣味な改造人間のような笑みを浮かべて、女は妻の背を撫でた。


 ――――呪詛魔術……呪術と言った方が通りが良いか。病っていうのは呪いなんだ。治す方面は教会が優れているが、他は専ら呪術の領分。病気をどうこうしようって時は、案外医者より呪術師が役に立つ


 女は呪術師だった。

 初めて目の当たりにする呪術師という人間は、とても人間であるとは思えない。

 自分と同じ種の生物が、ここまで悪辣に成れるのか。


 ――――こいつは病を蒐集するための呪術。病を体内に取り込んでから、果実の形に保存してくれる。君の病気もこいつの中だ。君の奥さんが君に渡した薬は、呪術的なマーキングを施すためのものだよ


 そう言って、呪術師は果実を一つもぎる。

 妻から生えた植物から収穫された果実。呪術師の手に収まったそれは、鮮やかな紫色をしていた。


 ――――ただ、植物っていうのが厄介な所でね。花に水をあげないと枯れてしまうように、こいつにも餌をあげなきゃいけない。水や日光なら楽だったんだが、呪術っていうのは難儀なものだ。人肉、それも若い女の肉しか食べない偏食家なんだ。食べるといっても、食虫植物みたいに丸かじりするわけじゃない。こういう風に寄生して、生きたまま血肉を根っこから吸い上げるんだ。それも大抵の人間は三日かそこらで食べ尽くしてしまう。だから、こいつを育てるには、たくさんの女を用意しなきゃならない


 呪術師は語る。

 最低な術技の詳細と最悪な精神性の発露を。

 したり顔で呪いの仔細を語る女は、心底上機嫌そうな顔をしていた。


 ――――その点、君の奥さんには助けられたよ。ほら、私はこんなナリだろう? 声をかけても怖がられてしまうことが多くてね。教会のシスターっていうのは良い。修道院から女の子を連れ出しても、周りの大人には微笑ましい散歩にしか見えないんだから


 私は戦慄した。

 目の前の呪術師の悪意に。そして、妻が犯した禁忌に。


 ――――妻がそんなことを……

 ――――するはずないと思うか?


 私はその時、確かな答えを返せなかった。

 分からなかったのだ。

 妻が悪事に手を染めるはずがないと信じたかったし、彼女の善性を最後まで妄信したかった。

 それでも、いつかの言葉が頭にこびりついて離れない。

 自らを悪人だと語った妻の言葉が、いつまでも頭蓋の中で反響している。


 ――――目ぼしい果実は全部収穫した。こいつはもう用済みだ。私は放置して帰るよ。というか、これ以上は育てられない。吸い上げた養分が一定の量を超えると、こいつは自らの意思で寄生先を探し始めるんだ。根っこをうじゃうじゃ広げて、そこら中の人間を挿しまくる。一度見たことあるけどね、あれは災害だよ。とても付き合ってられない


 そうとだけ言うと、呪術師はさっと踵を翻した。

 あまりの状況に絶句する私を置いて、どこかへと去っていく。


 ――――待て!

 ――――宿主を殺す以外無い。それが嫌なら、この街の全てをコイツに食わせてやると良い


 私の言葉を先読みして、呪術師は残酷な現実を告げる。

 その残酷な現実の全てが、悪辣な呪いによって引き起こされたものだと分かっていながら。

 その時の私には呪術師を追うだけの勇気も、呪術師とやり合えるだけの力も無かった。

 ただ、私の前には、呪いに寄生された妻だけが取り残された。


 ――――私は……


 その時の選択を悔やんではいない。

 私は妻を殺した。

 何人もの罪無き人を呪った妻を、私は鋼鉄の剣で刺し殺した。


 ――――裁くよ


 安らかに死んでいけるはずだった私を救うために、無辜の子供の命を奪った大罪人を、この手で裁いたのだ。

 私は死んでも良かった。

 妻に看取られて最期を迎えられるなら、私はそれで良かったのだ。

 妻を悪の道に落としてまで、生き長らえたくなどなかった。

 ただ、妻には正しい世界で生きてほしかった。優しい世界で、誰を傷付けることもない彼女のまま、穏やかな人生を遂げてほしかった。

 叶いそうだった願いなのに、たった一人の呪術師の悪意で、全てが捻じ曲げられた。

 悔しくて、悲しくて、苛立たしくて、どうしようもなくやるせない。


 そうして、肉体だけが健康になった私は数日の時を死んだように過ごした。

 数日の後、騎士団から入ったのは驚愕の連絡。

 妻の死体から、一人の赤子が発見された。

 延命行為は無為に終わるかと思われたが、なんと奇跡的に一命を取り留める。

 地獄のような結末のエピローグと言わんばかりに、私には一人娘が残された。

 覚えはある。私の娘で間違いない。十八年の間、ロウリが私と血の繋がった娘だと疑ったことはない。あの呪術師が妻の胎に細工をするメリットも思い浮かばない。

 それでも、時折感じるのだ。

 娘の灰色の瞳に映る、かの呪術師の面影を。

 人を呪いの植物に食わせておきながら、楽しげに笑う悪意の残滓を。

 この子はあの呪術師が残した最悪の置き土産なのではないかという、恐ろしい疑念が頭にへばり付いて消えないのだ。

 偶然だと、自分自身に言い聞かせた。

 あの特殊な状況での出自も偶然。魔術に関しては私を凌駕する天才でありながら、教会の魔術はからっきしなのも偶然。異様なまでに高い呪術への適性も偶然。

 全て偶然だと分かっていても、私は――――


 ロウリが恐ろしくて仕方なかった。


     ***


 ずっと、息苦しかった。

 正しさとか善性とか神の教えとか。

 誰も傷付けない優しさを演じて、神を尊ぶ敬虔を嘯いた。

 謙虚で、温厚で、勤勉で、無欲で、小食で、純潔で、誠実で、正しい私。

 誰かに決められた、誰かにそうであれと望まれた、私を演じることに疲れていたのだ。

 そんな、息苦しい生活が壊れていく。

 頭上、燃ゆる蒼炎は鮮やかに。

 天空、砕ける鋼鉄は星屑みたい。

 シャルナが父さんを一方的に叩きのめす光景に、私はどうしようもなく魅入られて、瞼が千切れそうなくらい目を見開いて、上空の蒼を見つめていたのだ。


「フゥウウウウウウ――――――――ッ!」


 シャルナの雄叫びが聞こえる。

 快哉を叫ぶ大声が、私には勝利のファンファーレみたいに聞こえた。

 そして、どうしようもなく憧れたのだ。

 私もあんな風に、自由に魔術を使ってみたい。誰に縛られることもなく、この才能が赴くままに、私の呪術を謳歌したい。

 呪術は禁忌の技術だと。決して使ってはならないと。

 抑圧された十八年間。

 十八年分の鎖を引きちぎって、私の魂が叫び出す。

 だって、それはきっと、私にもできるはずだから。

 星空を見上げる子供みたいに、私は遥か上空の戦闘風景に視線を釘付けにされている。

 そんな折、シャルナが父さんを地上に叩き落とした。


「父さん」


 砂埃を立てて、地面に落下した父さん。私のすぐ目の前に落ちた父さんは、一目見て分かるほどにボロボロだった。もう魔力だって少しも残っていないだろう。


■■■■■(ロウリ……)


 今度は、父さんの言っていることが何となく分かった。

 多分、私の名前を呼んだのだろう。

 叩きのめされた這いつくばる父の声は、笑ってしまいそうなほど弱々しくて、私はそれがおかしくて、自然と口角が上がっていた。


■■■■■■(すまなかった)


 最後、父さんが掠れた声で何かを言った。

 どこか憐れむような瞳で、縋るような声色で、何かを言っていた。

 命乞いか。恨み言か。

 どちらにせよ、私にとっては聞こえないのと同じだ。


「ロウリ!」


 少し離れた所に、シャルナが着地する。

 派手な空中戦を終えたシャルナは、こちらに向けて拳を突き出している。


「やっちまえ!」


 笑顔で拳を突き出すシャルナ。

 鮮烈な青髪をたなびかせて笑う彼女を見ていると、何だってできるような気がしてくる。

 シャルナと一緒なら何だってできる。

 どこへだって行ける。

 こんな退屈な家なんて抜け出して、ムカつくヤツらは全員ぶっ殺そう。

 私達にはきっと、それができる。


「死んじゃえ」


 私は思い切り、父さんの顔面を蹴り上げた。

 十八年の鬱憤を込めた一撃。

 いや、一撃などで終わらせるものか。

 今まで散々殴られてきたんだ。この機会に心ゆくまでボコボコにしてやる。

 私は何度も何度も、満身創痍の父さんに蹴りを叩き込んだ。

 一撃、私の靴先が父の体躯に刺さる度、今まで心に溜まっていた霧が晴れていくようだった。

 それが気持ち良くて、叫び出したいくらいに爽快で、私は無抵抗の父を幾度も蹴り転がした。

 あまりに楽しいものだから、思わず大声で笑ってしまった。

 痛快な光景を高らかに笑って、一方的な蹂躙を謳歌する。

 まるで鎖から解き放たれたよう。人生にはこんなに楽しいことがあるなんて、私は知らなかった。

 どれだけ経っただろうか。

 気付けば、父さんは動かなくなっていた。

 気絶したのか。死んだのか。

 まあ、どっちでも良い。とりあえず、頭に刃物でもぶっ刺しておこう。

 私は魔術で赤黒いナイフを構築し、倒れ伏す父の頭部に突き刺した。

 刃に貫かれ、頭を地面に縫い付けられた男の死体は、どこか芸術的な魅力さえある。

 私にはアーティストの才能もあったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、隣まで歩いてきたシャルナに肩を叩かれた。


「どうよ? 気分は」


 きっと、答えるまでも無い。

 でも、あえて口に出してしまいたいほど、私の精神は高揚していた。


「最高」

「くぅ~! お前はイケるヤツだと思ってたぜ! ロウリ!」


 シャルナも中々テンションが上がっているようで、バンバンと私の背中を叩いてくる。

 ちょっと痛いけれど、私のテンションも上がっていたので、細かいことは気にしなかった。


「じゃ、行こっか」

「ん? 当てでもあんの?」

「するんでしょ、監獄落とし。私、管理者専用の直通路知ってるよ」

「おいおい、最高かよ」


 頭を差し貫いた死体は置き去りにして、私は監獄へと向かって行く。

 善も正義も神の教えも、もう私を縛るものは何一つ無い。

 私の人生はきっと、今日この瞬間から始まったのだ。

子育てで一番大事なのは、子供を信じることだと思うのです

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― 新着の感想 ―
やってる事は悪だし親殺しだけど…ロウリが幸せそうならok!
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