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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり

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第十二話 いつかの誓い

 いつかの記憶だ。

 私がまだ二十歳そこらだった時の記憶。


 ――――ねえ、ローストン


 病床に伏す私の側で、椅子に座った妻が語りかける。

 病で霞む視界の中でも、その美貌は鮮明に映った。


 ――――神様って意地悪ね


 彼女の言わんとすることは分かる。

 私は生まれつき体が弱く、重い持病を患っていた。

 二十代前半で死ぬだろう、というのが医者の見解。

 私は二十歳までのほとんどの人生を、寝台の上で過ごすこととなった。

 そんな病人でも利用してやろう、というのが当時のゴートウィスト家の性質。

 私にも家同士の関係を保つための縁談が組まれた。

 そして宛がわれたのが妻。ゴートウィスト家と関係を持ちたい小さな家が差し出した、生贄のような女だった。


 ――――ローストンは本当に凄いのに。病気ってだけで、ずっとベッドの上にいなきゃいけないなんて


 美しい女だった。外見だけでなく、その心根までもが。

 私には勿体ないほどの妻だったが、不思議と私を慕ってくれた。


 ――――優しくて。真面目で。魔術の才能もあって


 彼女は教会の信徒だった。

 病に伏せる私の苦しみを少しでも和らげようと、治癒の魔術をかけてくれるような、心優しい妻だった。

 彼女の歌うような詠唱が、今も耳に残っている。

 今になって思うと、彼女の治癒魔術は決して高度なものではなかった。私の病を和らげていたはずもない。

 けれど、その優しさが私の肉体に巣食った病魔を取り除いてくれるような気がした。


 ――――ローストンがずっと生きていてくれたら良いのに。行きたい所も、一緒にしたいことも、たくさんあるのよ


 いつか手慰みに作った鉄の鳥。

 それを彼女に贈ると、ひどく嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。

 ずっと大事にする、と彼女は言った。

 私は、魔術で作ったものだから三日も保たず霧散する、と伝えた。

 すると彼女は、いつか似たものを二人で買いに行こうと言ったのだ。

 その約束がついぞ果たされることはなかったが。


 ――――ねえ、ローストン


 これはいつかの記憶。


 ――――私はすごく悪い人だから


 今も鮮明に覚えている妻との記憶。


 ――――いつか貴方が裁きに来てね


 まだ妻が生きていた頃の記憶である。


     ***


 青い炎に包まれた法廷。

 証言台に叩きつけられた男は、まだ何とか人の形を維持していた。

 眼前には高らかに笑う青髪の竜人。その傍若無人な強さの前に斃れ、男は焼け爛れた敗残兵と化している。


「あー、殺しちまったか? ロウリの前に転がすつもりだったけど……まあ、いっか。仕方ねーよな」


 シャルナはあっけらかんと言い放ち、法廷を後にしようとする。

 今しがた自身で空けた壁の穴を通り、外で待つロウリ達の元へと向かおうとするシャルナ。

 その背中に立ち上がった男は声をかけた。


「おい、どこへ行く」


 顔面を蒼炎で焼き焦がされ、全身を燃やされたはずの男。

 いくら彼が魔力強化に優れているとはいえ、戦闘続行が可能なはずは無い。

 確実に再起不能に追い込んだはずの男の直立に、シャルナは訝しむ。


「ちょっと、それは人間じゃねーだろ」


 振り返ったシャルナが目にしたのは、不死者を思わせる様相の男。

 焼け爛れた顔面が、焦げ落ちた皮膚が、少しずつ再生していく男の姿。

 まるでアンデッドのように、ゾンビを想起させるような再生力で、男は少しずつ蘇っていく。


「それ……治癒魔術か?」


 シャルナの推測は正解。

 ローストンは治癒魔術により自らの身体を治療。再起不能なはずの肉体を回復させていた。

 ゴートウィスト家によってソルノットに持ち込まれた教会。ローストン自身も信徒である以上、教会の治癒魔術を使える可能性は十分にある。


「ああ、妻に教わった」


 ローストンに治癒魔術を教えたのは、他でもない彼の妻。

 彼がまだ病床に伏していた頃、妻がかけてくれた治癒魔術を、ローストンは自らで習得するにまで至った。

 皮肉だったのは、妻よりも彼自身の方が教会の魔術を使いこなす才に恵まれていたこと。

 ローストンは治癒魔術を無詠唱かつ高性能で扱える。


「で、詰んでんだろ。それ」


 シャルナは無造作に火球を撃ち放つ。

 人間が同時に使える魔術は一種類まで。

 治癒魔術を使用している間は、ローストンは鋼鉄魔術で身を守れない。

 シャルナが刻んだ傷は深い。少し治癒魔術をかけた程度で完治はしない。

 身を守るためには鋼鉄魔術が、傷を癒すためには治癒魔術が必要となる。

 迫り来る蒼炎を前に、ローストンの状況は詰んでいるように見えた。


「ライフネス・イン・インゴット」


 炸裂する蒼炎。

 青い火球に呑まれる寸前、ローストンは何らかの詠唱を行った。


(ワンフレーズチャント? 今までずっと無詠唱だったろ。一体何しやがった……?)


 爆炎が晴れ、ローストンの姿が露わになる。

 そこに立っていたのは鋼の騎士。全身を鋼鉄の鎧に包んだローストンが、槍を携えて立っていた。


「カッケー鎧じゃんよ。で……そいつで何ができんだ!?」


 シャルナは遠距離からの爆撃では仕留め切れないと判断し、床を蹴ってローストンへの距離を詰めに行く。

 右手には蒼炎を凝縮し、その熱を高める。

 至近距離から叩きつける高濃度の焔は、鋼鉄だろうと溶かし貫く高温に至っていた。


「お前を殺せる」


 シャルナにとって誤算だったのは、ローストンが見せたあまりに軽快な動き。

 傷を負う前よりも遥かに鋭いステップで、ローストンはシャルナの掌を躱す。

 そして、翻す槍の一撃で、シャルナの脇腹を捉えた。


(速ぇ! どうなってやがる!? 治癒魔術で回復したっつっても、瀕死にゃ変わりねーだろーがよ!)


 シャルナの脇腹を浅く抉る鋼鉄。

 鉄の槍による一撃が軽傷で済んだのは、狙いが逸れたというより、シャルナの身体強度の高さ故。

 竜人であるシャルナはその皮膚でさえ、人間離れした硬度を誇る。竜種の鱗を思えば、彼女の耐久性能も規格外であることが想像できる。

 槍の一撃を軽傷で受けたシャルナは、右手でローストンの槍を掴む。


(掴んだ。近接はこっちの領域――――)


 ローストンをホールドしたと思ったシャルナ。

 しかし、ローストンは咄嗟に槍を手放し、バックステップで距離を取る。

 その足捌きは淀みなく、一瞬でシャルナとの距離を大きく離した。

 そして、槍を持ったシャルナへ向けて放つ、鋼鉄の弾丸。

 発動速度に重きを置いて放った鉄の弾は、虚を突かれたシャルナの額にクリーンヒット。

 彼女を大きくノックバックさせ、傍聴席と法廷を区切る柵に背をぶつけさせた。

 一瞬、柵に背をもたれかからせるように倒れ込んだシャルナ。


「痛っ……てぇなァ! おい!」


 しかし、すぐに起き上がる。

 額からは血が流れているが、深い外傷に発展している様子は無い。


(やはり威力が足りないか。どうにかして大技を当てないことには、有効打にならないな)

(なんだぁ、こいつ。あの鎧着てから動きが格段に良くなってる。なんかのバフでもかかってるらしいな)


 互いに思考を巡らせつつ、七歩ほどの距離を置いて向かい合う。

 魔術に疎いシャルナがローストンが使った魔術の正体に気付くことはない。

 この場にドゥミゼルがいたなら、思い当たりもしただろう。

 ローストンが使う魔術。それは鋼鉄魔術に教会の魔術の術式を組み込んだ特製の魔術であるということに。

 本来、教会の魔術と一般的な魔術の術式構造は大きく異なる。

 特に教会の魔術は術式構造が特殊であり、これを一般の魔術に組み込むには、努力以上に高いセンスが必要となる。

 奇しくも、ロウリが同じことを呪術で行っている。

 娘と異なるのは、その魔術によって及ぼされる効果。

 ロウリが鋼鉄の武器に、傷の悪化という呪詛を付与したのに対し、ローストンは鋼鉄の鎧に生命力の向上という祝福を付与する。

 鎧の装着者には生命力が溢れ返り、身体能力は大きく向上。溢れ返る生命力が傷さえも自然に癒していく。

 自在に構築、流動、組み換え可能な鋼鉄の装備は、使用者に生命力という万能のバフさえも与えるのだ。


「おっさん。何してっか知らねーけど、この勝負は私の勝ちだぜ」


 額から流れる血を手で拭いつつ、シャルナは勝利を宣言する。

 鉄の鎧を纏う男に対して、シャルナには確実な勝ち筋が見えていた。


「お前は殺す。お前のような人間を。お前のような悪人を、私は裁く。そう誓ったのだ」


 鋼鉄の甲冑に覆われたローストン。

 その表情をシャルナが読み取ることはできない。

 ただ、その声音だけで彼の燃えるような激情が伝わってきた。

 正義に囚われ、善に呪われた男の激情は、鉄の刃となって表出する。

 ローストンは剣を構えた。


「そーかよ」


 男に対して、シャルナは一言。

 憐れみとも侮蔑ともとれぬ一言を以て、竜人は男への決別とする。


「じゃあな! そこそこ楽しめたぜ!」


 直後、裁判所が蒼炎に包まれる。

 鼓膜を破るほどに強烈な爆発音を伴って、黒い裁判所の一角が爆裂した。


誓いというのは、自分自身にかける呪いのようなものなのです

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