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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり

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第十話 青

 ロウリが目を覚ました頃には、馬車はスウェードバーク刑務所に到着していた。

 馬車から下りて見れば、荒んだ大地に鉄製の監獄が鎮座している。

 広がる荒野に生命の気配は無く、そびえ立つ鉄にも暖かみなんてものは無い。

 監獄の構造は実に合理的だ。ドーナツ状に作られた六層の棟は、外側を向いた壁は純粋な鉄製だが、内側を向いた壁は鉄格子となっており、中央の鉄塔によって監視されている。

 中央の鉄塔からは三百六十度周囲を見渡すだけで、監獄の様子を一望できる。常に複数人の見張りが二十四時間体制で監獄全体を見渡しており、囚人に脱獄する隙を与えない。

 それに加え、各層間の空間に鉄塔は一定間隔で建てられており、三百六十五日二十四時間、どの層も鉄格子越しに監視の目が向けられている。

 六層の円形と、等間隔に並んだ鉄塔。加えて、併設された裁判所。

 それらが描く無機質な幾何学模様が、スウェードバーク刑務所の外観だ。

 収容した囚人を逃がさないためだけに造られた鉄の城。その温度の無い威容を見上げて、ロウリは溜息を吐いた。


(そうだ。アルカナンが大きな犯罪組織とはいえ、ゴートウィスト家のバックにいるのはエルグラン連邦本土。組織としての地力が違う)


 スウェードバーク刑務所は、エルグラン連邦本土の援助を下に建てられた施設。

 鉄の巨躯はロウリに、アルカナンが一犯罪組織に過ぎないと知らしめるには十分な威圧感を放っていた。


「アンタら、こんな所に何の用なんだい? ゴートウィスト家のご令嬢だっていうから乗せたけどさ……」


 馬車の側、監獄を見上げるロウリに向けて、御者台の老人が声をかけた。

 ロウリがゴートウィストの家紋を見せたことで、ここまで馬車を走らせてくれた老人だが、流石にその動向を訝しんでいるようだ。

 無理も無い。基本的にスウェードバークに用があるのは、犯罪者かそれを連行する騎士団程度のものだから。


「おいおーい、爺さん。それ訊いちゃう?」


 そんな老人と肩を組んだのは、御者台に乗り込んだシャルナ。

 馴れ馴れしいくらいにフレンドリーな笑顔で、シャルナは老人に絡む。

 彼女は肩を組んだ体勢から、自然に腕をスライドさせて、ゆっくりと老人の後頭部を掴んだ。

 老人の目に困惑の色が浮かぶ。

 それが老人の瞳に映った最期の光だった。


「爺さんもツイてねーな。何も訊かなきゃ、生きて帰れたのに」


 そう言って、シャルナは老人の顔面を勢いよく振り下ろす。

 シャルナの人外じみた腕力によって、老人は顔面から御者台の鉄柵に激突。一撃で頭部は粉砕した。

 シャルナはそのまま老人を放り投げる。荒れ地に捨てられた老人の死体は、土色の大地に赤い染みを作る。

 正面からかち割れた老人の頭は、高所から落下して中身を撒き散らした果実を思わせた。

 流れ出る果汁と晒された果肉は、鮮烈な赤となって漏れ出していく。


「っし、行くか! 監獄ってよく知らんけど、壁とかぶっ壊せば良いよな?」


 あっさりと老人を殺害してから、シャルナはぴょんと跳び、荒れた大地に降り立つ。

 そこから遅れて、馬車の中にいたツウィグとルーアも出て来た。

 直接的な戦闘能力の劣る二人は、シャルナの戦闘時は閉所に身を隠す癖がついている。

 それは周囲を顧みないシャルナの奔放さ故に身に着いた習慣。老人を殺害するだけのほんの僅かな戦闘であっても、ツウィグとルーアは迂闊にシャルナの戦闘テリトリーに立ち入らない。


「ロウリはさー、なんか知ってる? 監獄の構造とか」


 気楽な質問を投げつつ、シャルナは歩き出す。

 向かう先は黒い門。何となしにシャルナが足を向けたのは、裁判所の正面口だった。

 黒を基調とした裁判所は、黒鉄で出来た門を構え、闖入者を見下ろしている。

 裁判所へと歩き出すシャルナに、ロウリも追随していった。

 ロウリは僅かに考える。シャルナの質問に正直に答えるべきか否か。


(とりあえずぼかしておこう)


 監獄落としに対して、さらに言えばアルカナン加入に対してのスタンスが定まらないロウリは、シャルナへの答えを上手く誤魔化すことを決めた。

 十八年間善人を演じ切ったロウリにとって、質問の答えに曖昧な幅を持たせる程度の話術は朝飯前。


「あんまり覚えてないかも。どっかで見たとは思う、け、ど――――」


 ロウリの言葉が途切れる。

 すらすらと吐き出せたはずの言葉が、不意に喉の奥に詰まる。

 彼女の体は言葉どころか呼吸すら忘れて、黒い裁判所の前に立ち尽くす。

 灰色の瞳が焦点の定まらないレンズのように揺れていた。


「ん? ロウリ? 急にどーしたよ?」


 急に立ち止まったロウリに、シャルナは声をかける。

 しかし、彼女からの返答は無く、ただ冷や汗を掻いて突っ立っているだけ。

 不思議に思ったシャルナは、ロウリの視線の先へと、自らの視線をも移した。

 そこには立っていた。

 ロウリの視線を釘付けにするだけの人物が。

 彼女を抑圧してきた善という観念の体現者とでも言える男が。


「父、さん……」


 裁判所から出て来たのは、筋肉質な長身の男。

 鋭い目つきには威圧感が滲む。眉間に刻まれた皺は、彼の激情家な性質の証拠。

 纏う服装は貴族然としていながら、どこか軍服じみた機能美も併せ持つ。

 見る者を竦ませるような貫録を漂わせて、男は裁判所の扉から現れた。

 その視線がロウリの視線と重なる。


「ロウリ……?」


 実に一日ぶり、奇しくもロウリは父と邂逅した。

 父子の視線が交錯する。

 瞳の色は互いに同じ灰色。

 怒りと不理解の滲んだ男の灰色。恐怖に一滴の悪意を混ぜた少女の灰色。

 交わり合った灰色の視線には、互いの姿だけが映っていた。


     ***


 私にとって、その邂逅は全くの想定外だった。

 いや、想定しておくべきだったのに、目を背け続けた現実。

 黒い裁判所を背にして、強面の男が立っている。十数メートルの距離を置いて向き合う父は、私を見下ろしているように見えた。

 微動だにしない父の表情は、相も変わらずの仏頂面。その鉄面皮の下に隠れた、怒りと激情を私は何度も目の当たりにしてきた。


「父さん、私はっ……」


 何か。何か言わなければ。

 何か言わなければいけないと分かっているのに、言葉が喉につっかえて出てこない。

 状況は最悪。

 アルカナンの構成員と帯同しているだけでなく、すぐ側に老人の死体が転がっている。

 今の私には犯罪組織に与しているというだけでなく、御者の老人を殺害した罪科までもが乗っかっている。


■■■(ロウリ)


 静かに父が言う。

 絶望的なまでに、私は父の言葉を理解できなかった。異国の言語か、あるいは動物の鳴き声のように、理解不能な音の羅列としか聞き取れない。

 それでも、何か言わなければと思った。

 いくつもの発現候補が頭に浮かんでは、流れ星のように消えていく。

 弁明のための言葉は、どれも保身じみた言い訳にしか聞こえなくて、私はそれを口にできない。

 半端な言い訳は父の怒りに油を注ぐだけだと、今までの経験から知っていたから。

 責められないための弁明を。攻撃されないために正しい釈明を。父の正義感が私を打ちのめす前に、私の正当性を証明できる言葉を。

 頭の中でどれだけ探せど、それは見つからなかった。

 口を開きかけては閉じ、閉じてはまた開き、けれど声を発することはできず、ただ時間だけが過ぎていく。


■■■■■■(一つだけ訊く)


 父の声が聞こえただけで、私の身は震え上がった。

 その無機質な声の奥に滲む静かな怒りは、長く父と過ごした私にだけ分かるものだったから。

 一秒後か、二秒後か、父の怒号が私の全身に降り注ぐだろう。

 その未来を考えるだけで、頭が恐怖以外の全てを忘れ去ってしまう。


■■■■■(そこの老人)■■■■■(の殺害に、)■■■■■(お前は関わ)■■■■■■■(っているのか?)


 答えなければいけないと、頭では分かっている。

 あの場でシャルナに敵意を見せるわけにはなかったと、見殺しにするしかない状況だったのだと。

 今の私は父さんの言っていることを言語として理解できないのだと。

 そう言わなければならないのに、竦み上がった体は言うことを聞いてくれない。

 怖くて動けない。


■■■■■■■■■(沈黙は肯定ととるぞ)


 ダメだ。何か言わないと。

 何か言わないといけないけれど、そもそも父さんが何を言っているか分からない。

 対話の手段さえ奪われている今の状況では、この老人の死体について説明することも、アルカナンの構成員と帯同していることも弁明できない。

 考えれば考えるほどに、八方塞がりな現実に絶望する。

 絶望して恐怖に曇った脳味噌は、さらに思考を鈍らせていく。

 もう何も考えたくない。何もしたくない。藻掻きたくない。怒鳴られたくない。殴られたくない。


■■■■■■(そこまで堕ち)■■■■■(たか……!)


 父親の言葉は相も変わらず理解不能で、ただそこに滲んだ激情だけが私の心臓を刺す。

 私を罰する父の怒りが、攻撃意思が、純粋な音声の羅列としてぶつかってくる。

 善と悪。罰する側と罰せられる側。私は攻撃されるべくして攻撃される立場なのだと、その善悪的な構造だけが重くのしかかる。

 ただ、私を責める声が痛い。

 意味が分からずとも、父の声は鋭い言の刃となって、容易く私を傷付ける。

 辛い。苦しい。もう耳を塞いで蹲ってしまいたい。早くここから逃げ出したい。誰か、助けて――――


「ロウリ、お前ってホントに変なヤツだな」


 意味の分からない音声記号の雨。土砂降りの豪雨に耐える私の肩に手を置いたのは、青い髪をした長身の彼女。


「ボスにも私にもビビんなかったのに、あんなのが怖えーのかよ」


 私を見下ろして、シャルナは屈託無く笑う。

 それは友達の下らないジョークを笑い飛ばすような、何気無い笑みだった。

 思わず、私は彼女を見上げる。

 涙で僅かに滲む視界の中、彼女の青はよく映えた。


「まーまー、見とけって。あんなおっさん、すぐにボコして転がしてやっから」


 シャルナは何でも無いことのように言うと、指をポキポキ鳴らしながら私の前に出る。

 父さんから私を庇うような形で、シャルナはゴートウィスト家現当主の前に立ちはだかった。

 彼女の高い後ろ姿を見ていると、何故だか心が安らいでいった。

 この感情を安心感と呼ぶのだろうか。


「そしたら、ロウリも蹴っ飛ばしてやれよ!」


 一度だけこちらを振り返って、シャルナはにかっと笑う。

 鮮烈な青を湛えた笑みは、青空にも負けないくらい澄んでいる。

 少し、ルーアの気持ちが分かる気がした。

 青髪をたなびかせて父へと向かって行く彼女に、私も目を奪われていたのだから。

◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️(感想待ってます)

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