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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり
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第一話 轟音

正しいって退屈だ

 小さな教会の正面には、やや狭い小道が通っている。何かの金属片やゴミが散乱する路傍は少し薄汚い印象を受けるが、これでもこの街では相当綺麗な方なのだ。

 灰色の砂利道に立ち、私は皮肉なくらいに澄み渡る青空を仰ぐ。

 雲一つ無い晴天を見上げたのは、うんざりするような現実を直視しないため。

 この最悪な現状から少しでも目を逸らすためだ。


「だからさぁ~、俺は何も盗ってないって。何? 証拠でもあんの? 俺がここのモンを盗ったって証拠でもあるんですかぁ~?」


 目の前にいるのは若い男。若いといっても未だ十八歳の私よりは年上だろうが。

 如何にもチンピラといった風体に、如何にもチンピラといった喋り方。

 彼に被せられた疑いも、教会の金品を盗んだという如何にもチンピラらしい罪状。

 この世間を舐め腐っているような馬鹿に、私は理性的かつ道徳的に対話し、自らの罪を認め改心できるように促さなければならない。


「貴方が教会の金品を持ち歩く様子が、何人かの住民に目撃されています。それに加えて、普段はミサに参加しない貴方が教会に出入りする様子がシスターにも確認されて――――」

「はぁあ? こっちは信仰心に目覚めて教会に入ったんですぅ~。俺ら庶民には信仰の自由も無いんですかぁ? てか、証拠出せよ証拠。誰が見たとか、そんなんいくらでも嘘つけんじゃん。そうやって、俺らのことハメようとしてんだろ? うーわ、サイテー」


 唾を飛ばしながら男は喋る。

 ぺちゃくちゃと中身の無い言葉を繰り返す痴態は、見ているだけで殺したくなる。

 明らかに人を小馬鹿にした態度も、程度の低い下品な言葉遣いも、不潔という言葉が具現化したような身なりも、何もかもが不愉快だ。

 そして何よりも不愉快なのが、私にこの男をぶちのめす権利が与えられていないこと。

 これだけの汚物を前にして、私はあくまで善の側に立ち、慈愛に満ちた対応をしてやらなければならないのだ。


「汝、盗むことなかれ」


 それでも、私が発した言葉には鋭利な空気が滲んでいた。

 目の前の男に対する嫌悪が隠し切れず、言葉の端から漏れ出ていたのだ。


「信仰心に目覚めたのなら、知っているはずですが」


 僅かな攻撃性を孕んだ私の言葉。

 それを聞いて、男はニィっと口元を吊り上げ、下卑た笑いを浮かべた。


「何々? お説教? ゴートウィストのお嬢様は勤勉でちゅね~。よく暗記できましたねぇ~。パパに褒めてもらえて嬉しいでちゅかぁ~?」


 クソが。こっちが手出しできないからって、好き勝手言いやがって。気持ち悪いんだよ、チンピラ風情が。

 金も無い。力も無い。地位も無い。おまけに顔もブス。誇れるものが何も無い底辺だから、こんなしょうもない方法でストレスを吐き出してるんだろう。

 どうして私がこんな社会の底辺を構ってやらなきゃいけないんだ。

 私は魔術師だ。攻撃魔術を無詠唱で撃てる。私がその気になれば、いつだってこいつの胸に風穴を空けられる。

 これだけの実力差があるというのに、私はこいつの苛立たしい煽り文句を黙って聞いていなければいけない。

 ただ、私が善人で、こいつが悪人だから。私が賢く、こいつが愚かだから。私が正しく、こいつが間違っているから。

 そういう風に生きるべきだから。

 そう、定められているから。


「つーか、お前引き留めすぎ。何? 欲求不満? ヤリたいなら、とっとと――――」

「……うるさいよ、お前」


 けれど、今この瞬間は私の怒りが凌駕した。

 目の前の男に対する嫌悪が、幼少の頃より叩き込まれてきた道徳を上回る。

 無詠唱で生成した金属の槌。赤黒い光沢を纏う金属は、鋼鉄魔術に私が独自の改良を加えて生成物。

 衝動のままに打ち放った槌は、ノーガードの男に直撃する。

 不細工な横っ面に叩き込まれた赤黒い槌。骨の砕ける音を響かせて、男の全身がぶっ飛んだ。

 ドサッと音を立てて、砂利道に落ちた男。赤黒い槌の一撃により、男の右下顎部はべっこりと凹み、口元からは血が流れている。男には立ち上がる余力も無いようで、這いつくばったまま、助けを求めるように右腕を伸ばしていた。


「やっちゃった」


 男を見下ろして、私は呟く。

 見るも無残な惨状にも関わらず、私の心は霧が晴れたように愉快だった。

 それは、私が人生で初めて堪能する、甘く愛しい悪の味。


     ***


 エルグラン連邦。冒険者ギルドシステムを始めて導入したことで知られる、自由と冒険の国。

 ウィゼルトン公国、ノルギア共和国と並ぶ三大国家の一つであるそれは、夢とロマンに満ちた大国である。

 しかし、エルグランの全土が明るい希望に満ち溢れているわけではない。

 冒険者として地位と名声を手に入れる成功者の影には、どうしようもない闇が潜んでいる。

 その代表例とも呼べるものが、北西部のソルノット自治領である。

 ソルノット自治領はエルグラン連邦の本土とは他国を隔てた場所に位置しており、ある種の半独立状態にある。

 そのエルグラン本土と離れている性質上、本土のような治安維持や法整備がままならず、ソルノット自治領は三大国家の統治下にありながら、大陸でも有数の無法地帯として知られている。

 元々、個人主義の根強いエルグランは三大国家の中では治安維持や福祉が軽視されがちな傾向にある。

 自分のことは自分でどうにかする、というのがエルグランの伝統的な価値観だ。

 その価値観だけはソルノットにも浸透しており、国家や法律といった他者の力に頼らない考えが、ソルノットでの犯罪率に拍車をかけている。

 ソルノットを統治しているのは、エルグラン本土から派遣されたゴートウィスト家。

 宗教の普及によって住民の生活改善に努めているが、目立った成果は挙げられていない。

 終わりの見えない犯罪組織との戦いの合間、地道な宣教活動に精を出す。

 そんな、いつ報われるとも知らぬ善行を積み上げる、道徳と善性の家系。


 そこが私の生まれた家だった。

 ロウリ・ゴートウィスト。ゴートウィスト家の長女。優れた魔術の適性を持ちながら、武芸にも秀でた才女。

 若くして騎士の資格を取得し、ソルノットの治安維持に努める優等生。

 強くとも驕らず。弱くとも蔑まず。悪しきとも見捨てない。ゴートウィストの善性を教えられて育った、ソルノットの未来を担うに相応しい善人。

 誰もがそう思っていた。

 昨日までは。


「ロウリ。申し開きはあるか?」


 ゴートウィスト家本邸、最上階。

 父の書斎に呼び出された私は、机に着く父と向き合うように立っていた。


「無いです」


 チンピラを魔術でぶちのめした私は、父に呼び出しを食らった。

 あの男を魔術で殴打してすぐ、私はゴートウィスト家の医療班に連絡した。

 殺さない程度には加減したつもりだったが、男の傷は想像以上に深かったようで、医療班の人達は相当慌てていた。

 いや、彼らが慌てていた理由は、必ずしも男の傷だけではないだろう。

 あのロウリ・ゴートウィストが攻撃魔術を民間人に向けたという事実の方が、より強く彼らの心を掻き乱しているようだった。

 私が先刻のことを想起している間にも、父は私の目を見て話している。


「あると言え。理由も無しに民間人を傷付けたなど、ゴートウィスト家の……いや、人間として許されざる行為だ」


 父の声音は努めて冷静に保たれているが、その奥に滲む怒りまでは隠しきれていない。

 烈火の如く燃え盛る義憤の色が、その瞳にありありと浮かんでいる。

 昔から、父はこういう人だった。

 絵に描いたような正義の人。社会のために自分を犠牲にすることを厭わない、献身と善性の体現者。

 エルグラン連邦でそれなりの地位を持つゴートウィスト家がこんな辺境で暮らしているのも、父が自らソルノット自治領の統治を引き受けたからだ。

 この最悪な土地の未来を少しでもより良いものにしたいと、彼が自ら名乗り出た。

 進んで貧乏くじを引いてくれるのだ。エルグランのお偉方も、止めはしなかっただろう。

 父がそんな馬鹿をしなければ、私も豊かなエルグランで暮らしていたのに。なんて愚痴をこぼしたことは一度も無い。

 私もそういう風に生きてきた。生きてきたつもりだった。


「大変……反省してます。もうしません」


 吐き出した言葉に嘘は無い。

 ヤバいことはやったという自覚はある。これから、同じことを繰り返そうだなんて思わない。

 ただ、そういった理屈が頭の中にあるだけ。

 人を傷付けた罪悪感も、心から湧き出る反省の気持ちも、私にはこれっぽっちも無い。

 何となく、今は反省すべき場面なのだろうと、頭が理解している。


「私は理由を言えと言ったんだ。薄っぺらい謝罪を聞きたいんじゃない」


 高圧的な言葉。威圧的な台詞。

 耳にタコができるほど聞いた、説教じみた音声記号。

 思えば、小さい頃からこうだった。

 盗むな。殺すな。姦淫するな。謙虚であれ。清貧であれ。善人であれ。魔術に打ち込め。だが、習得した魔術を人に向かって撃つな。正しいことのみに使え。

 反論の余地も無い正論が、私の心身を縛っている。


「分かってるのか? お前はこの家を継ぐ立場なんだ。ソルノットの現状を変えるには、長い時間がかかる。私の代だけでは到達できない。地道に宗教意識を浸透させて、犯罪組織の勢力を削いでいく必要が――――」


 ああ、分かっている。分かっているとも。

 聞き飽きた理想論だ。長い時間をかけて宗教を根付かせ、住民の意識を改革する。

 そうすれば犯罪率は低下し、犯罪組織に加入する人間も減る。すると自然、犯罪組織の勢力も弱まっていく。

 その理想が叶うまでに一体どれだけの年月がかかるというのか。

 どれだけの時間、そんな苦行を積み重ねなくてはならないのか。


「お前にはソルノットを救う義務があるんだ。常に自らを律し、他者に施すことがお前には求められる。魔術の腕だけではソルノットの改革なんて夢のまた夢だぞ。歴史書に載るような大魔術師になれと言っているんじゃない。私が言っているのは神の教えを忠実に守る信徒であること。悪しきを正し、常に優しさと感謝を忘れないことが――――」


 分かってる。分かってるよ。

 それが正しさだって、私はちゃんと分かっている。

 今日は少し魔が差しただけなんだ。ほんの少し、イラついただけなんだよ。父さん。


「お前は自分が恵まれている自覚はあるのか? ここの住民とお前では生まれ育った環境が違う。ここの住民が犯罪や暴力行為に手を染めるのは、状況に迫られて行ったことであって、お前のそれとは同列に語れない。お前が今回行ったことは――――」


 許してほしいだなんて言わない。

 少し、少しの間だけで良いから黙ってくれ。

 その冷たい正論を私の耳に浴びせないでくれ。

 私だって人間なんだ。毎日頭のおかしい犯罪者を相手していれば、疲れ切って思考が鈍るのも仕方ないじゃないか。

 あんな奴らに慈愛を持って接するなんて、私には無理なんだよ。

 普段はそれらしく振舞っているけど、本当はあんな人間を救いたいだなんて少しも思えていないんだ。

 そう思うことが正しいから、そういう仮面を被っているだけなんだよ。

 頼む。お願いだ。分かってくれ。

 私に善人であることを強要しないでほしいんだ。ありのままの私を――――


「おい、ロウリ」


 ありのままの私を認めてほしいだなんて。

 そんな願いを口にすれば、何かが変わるのだろうか。

 父は私をゴートウィスト家の次期当主ではなく、一人の娘として扱ってくれるだろうか。

 愛してくれるだろうか。


「ロウリ、話を――――」

「父さん」


 さっき、チンピラに魔術を撃った時と同じ。

 少しだけ、魔が差した。


「私、疲れたんだ。毎日毎日身勝手な住民に神の教えを説いて。犯罪者を取り締まって……終わりが見えない。ずっと……死ぬまでずっと、こんなことを続けるなんて……私には耐えられない」


 瞬間、時が止まった。

 父と目が合う。

 時間にして二秒半の沈黙。

 三秒にも満たない静寂の内に、私はどれだけのことを思っただろう。

 言葉にはできないほど、色々なことが頭の中で渦を巻いていた。

 それは喜びであったり、恐怖であったり、解放感であったり、不安であったり。

 その中には確かに在った。父が本当の私を認めてくれるのではないかという期待が。

 そんな未来への期待が、確かに在ったのに。


「■ざ■■なッ!」


 響き渡る男の怒号が、全てを吹き飛ばした。


「■■■! ■■■■■■■■■■■! ■■■■の■■■として■■■■■■■■■■■■! ■■は■■■■■■■■■■の◾️!? ■■なに■■■■■■■■■■■■ッ!」


 机を叩いて立ち上がった男が何か叫び散らしている。

 鼓膜を破らんばかりの爆音で、口元から唾が飛び散るのも気にせず。

 ただひたすらに私を責め立てる絶叫を、絶え間無く浴びせかける。

 男の叫び声に全身が押し潰されそうだ。獣の咆哮じみた説教の嵐が、私の心身を磨り潰していく。

 竦み上がった体は声も出ない。

 ただ、目の前にいる何者かの激情が、正義が、私という存在を圧殺していく。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 耳が壊れるほどの爆声音。

 なのに、どうしてだろう。

 私は目の前の男は発する言葉の内容が理解できなかった。

 異国の言語を聞いているように、音声だけが鼓膜を透過して、体の奥にすり抜けていく。

 身の竦むような大音量だけが、頭上から降り注いでいた。




怒鳴るというのは、最も手軽な攻撃手段だと思うのです。




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