式典って眠いよね
新しいクラスの絶望感に浸る暇もなく、入学式の時間がやってきた。
学校内の端っこに位置する、正門をくぐってすぐ隣の体育館へと足を運ぶ。
体育館の中には静寂やどよめき、そして緊張感が入り混じったような空気が漂っている。
「皆さんはこれから、数々の困難が―――」
壇上には綺麗で壮麗な花束がツボの中に飾られており、その横では我が校の校長が立ち、新入生へ向けて祝辞を述べているところだった。
初めのうちは真剣に聞くつもりでいたのだが、聞き飽きたような言葉をつらつらと並べている校長先生の話に、俺の体はだんだん耐えることができなくなってきている。
言葉は耳に入ってくるのだが、その内容は理解することがなく、そのまま反対の耳へと通り抜けているようだ。
眠気を覚ますべく自然風を装い周りを見渡してみると、感心な事に真面目に聞いている生徒もいれば、俺と同じように早くも集中力が切れており、うとうとしている生徒もいる。挙句の果てには、すでに気持ちよさそうに睡眠している生徒もいた。
俺はというと、もちろん後者だ。
「―――それでは皆さん、この壺は満たされたと思いますか?」
確かに校長先生はためになる話をしている。しかし、この壺の話は自分の短い人生をもってしてもすでに3回以上は聞いている話で、この話の流れもわかっていれば、次の応答、結論まで全て熟知している。
(長すぎる…)
入学式なんて、どこの高校も同じだ。ましてや小学校や中学校から大して変わらないだろう。
この校長先生のつまらない長話を聞いた後は、やれ生徒会長が挨拶をしたり、やれ新入生代表が挨拶をしたり、国歌斉唱をしてみたり、次から次へと形式的な儀式が執り行われていくのだろう。
そのように考えてしまった途端に、突如として先ほどとは比べ物にならない程の睡魔が襲ってきた。
さすがに入学式早々から爆睡を決めるわけにはいかないので、何とか欠伸を噛み殺し、暇つぶしを兼ね
再び周囲を見渡すことにした。
ふと右斜め前の席を見ると、あまりの睡魔のせいで気づかなかったが七瀬が座っていた。
彼女は俺と違ってしっかりと背筋を伸ばし、校長先生の方を期待のまなざしで見つめていた。
そして時には、隣の生徒と小声で言葉を交わし、柔らかい表情で微笑んでいた。
「初めまして」とか、「どこの中学校だったの?」とか、「どこの部活に入る?」とかごく普通の話。
少し盗み聞きをしてしまったのだが、先ほど自己紹介をしていた辺りお互い初対面のはずなのにここまで会話を自然と続けることができるのは素直に感心してしまう。
自分自身は口下手で、内気な性格をしていると自覚しており、当然のことながら会話は苦手なはずだったのだが、今朝は初対面のはずなのに存外すらすらと話すことができていた。
おそらくだが、相手から言葉を引き出す能力が高いのだろう。
変に彼女の性格や能力について考察をしている間にますます意識が遠のく。
周りの小声も、校長先生の祝辞でさえぼんやりと、まるで水の中にいるように聞こえていた。
(少し目をつぶって休憩するくらいなら許されるよな...)
そのように考えた瞬間、俺の両瞼は固定されていたねじがはじけ飛んだごとく、一気に下まで落ちる。
そして俺の頭は重力に抗うことができず、ついに背中を丸めるように下へと落ちて行ってしまった。
―――
「―――これからの三年間を、ぜひ充実させていただけたらと思います。」
校長先生の話が終わり周りが一斉に拍手をし始めていた。
その音にびっくりし、はっと目を開けると同時に体が条件反射的にビクついてしまった。
(やべ......)
俺は慌ててばれないように周りに合わせて拍手をした。
左右を見てみれば、どうやら俺がビクついてしまった音は聞こえていないようだった。これだけの人数が同時に拍手をしているので当然かもしれないが、俺が発生させた音は自分にとっては大きな音だったのだが、周りにとっては取るに足らない音だったのだろう。
俺は内心勝ち誇ったように堂々と前を向き、少しドヤ顔を交えあたかも最初から起きている風に拍手を続けたのだが、先ほどまでの淡い期待はなくなってしまった。
斜め前から視線を感じてしまったのだ。
もちろんその視線の先にいたのは七瀬だ。周りの生徒が前を向き校長先生に対して拍手をしている中、彼女だけはこちらを向いていたのだ。どうやら俺がビクついて起きて、慌てて拍手をする。そしてバレてないと安心する一連の様子を見られていたのだ。
彼女は意味ありげに笑みを浮かべた後に、再び前を向き始めた。
(これ、絶対に後に何か言われるやつだ)
内心で後々いじられるだろうなと察してしまい、思わず苦笑いをしてしまった。
それと同時に入学初日からこれ以上情けない行動をしないように気を引き締めて前を向き姿勢を正す。
といっても無論、前に立っている人の話など聞くはずはないが。
あくまでも真面目に聞いているフリを徹底することにした。
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「以上で入学式を終わります。新入生の方々はこの後、各クラスに向かうようにしてください。」
適度に頷き、タイミングよく拍手する作業をただ無心に行っていたら入学式が終わってしまった。
あまり話を聞いていなかったが、周りがガヤガヤし始め椅子を立ち始め、体育館から退場する様子を見るに、各々自由にクラスに向かっていいようだ。
前までであればこのような時に一緒に行動する奴が数人いたのだが、今日からはそうはいかない。
自分と同じようにまだ友人というか、話す奴が誰もいなく、周りから浮かないようにするためだけに形成された集団に混ざって、こっそり教室に向かおうと思っていた矢先のことだった。
「入学式の最中に、しかも校長先生の話の時に眠ってしまうなんて、自称優等生さんはどのようなことを考えてそのような行動をしたのですか?」
七瀬が突然後ろから話しかけてきたのだ。少し驚いて体がはねてしまったが、ゆっくりと振り返って目を合わせた。
俺が居眠りしたことをからかいに来たのだろう。しかも、今朝言った冗談も覚えていたようで、そのことを交えての高度ないじりだ。
「七瀬さんには眠ったように見てたんですね。実は校長先生の話を真剣に考察してたんですよ。」
「考察ですか...。では、校長先生が話された2つ目の話、少しマイナーな話でしたが、どのように考えますか?」
「そうですね、自分の人生に非常にためになる話でした。」
「そうですよね。実は2つ目の話なんてなかったんですけど。くだらない冗談はやめて早く目を覚まして教室に向かわないと、おいて行かれてしまいますよ。」
「はい、すみません。」
ぐうの音も出ない程見事に策にはまってしまったので、おとなしく荷物をまとめて体育館を後にした。
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体育館を抜けると、外の空気が思った以上に心地よく感じた。
先ほどまでの退屈な入学式の影響か、それとも半分眠っていたからか、軽く体を伸ばすだけでも妙にスッキリした気分になる。
周囲を見渡すと、新入生たちは三々五々に分かれて、それぞれの教室へと向かっていた。
中にはすでに打ち解けたのか、楽しげに談笑しながら歩いている者もいる。
「ほら、のんびりしてないで行きますよ。」
俺が周りの様子をぼんやり伺っていると、七瀬が行動を促すように話しかけてきた。
「分かりました。」
「しかし、本当に寝ていたんですね。」
並んで歩いていると七瀬がふと呆れたような声を出した。
「実はやっぱり考察していたかもしれません。」
「なるほど、では先程の”存在しない話”についての考察を詳しく聞かせていただいても?」
「...今後気を付けようと思います。」
俺が諦めて白旗を上げると、七瀬は少しだけ笑った。
「まぁ、眠くなる気持ちもわからなくはないですけどね。」
「あれ、以外にも共感してくれるんですね。」
「決して共感などではありませんが、ただ、あまりに形式的な話は耳に残りにくいですからね。」
俺の淡い期待をバッサリと切り捨てつつ、七瀬は淡々とした口調で話しつつ、前を歩く生徒たちを追うように歩調を合わせる。
どこか含みがあるような気がするが、それにしても―――
「にしても、七瀬さんは話しやすいですよね。」
「...突然ですね。」
「いや、今朝も、てかさっきも思ったんだけど、自然と会話が続くっていうかな。」
俺は適切な言葉を探しつつ、七瀬の表情を盗み見る。
彼女は特に表情を変えることなく、前を向いたまま小さく頷いた。
「話すことが好きだからでしょうか。」
「好き?」
「はい、会話って情報の交換だけではなく、相手のことを詳しく知るためのものでもあるでしょう?」
彼女の言葉には説得力があった。
確かに、七瀬は相手の話を引き出すことが上手だ。
俺が今朝、というか今も自然と会話ができているのも彼女が適切に話を回してくれているからだろう。
「なるほどな。じゃあ、七瀬さんは俺のことを知るために会話をしてくれているんですね。」
「そうですね、長谷川君がどれほど怠惰な方なのか、興味がありますからね。」
「怠惰なんて、ひどい言い方ですね。」
「冗談ですよ。」
そう言っていたのだが、どこまで本気かはわからなかった。
そんな軽いやり取りを交わしているうちに、俺たちは校舎へと到着した。
入口のガラス扉をくぐり、指定された教室のある所へ向かうと、すでに数人の生徒が集まっていた。
「どうやら遅れずに済んだようですね。」
七瀬が含みのある表情でこちらを見て言った。
「いつまでいじるつもりですか。」
彼女は小さく笑いつつすぐに前方に目を向ける。
俺もつられて視線を向けると、すでに新しいクラスメイト達が会話を交わしていた。
「さて、ここからが本番ですよ。」
「そんなこと言わずに、さっきも言いましたけど、会話って大切ですよ?」
「そもそも、俺はそこまで会話が得意じゃ―――」
「じゃあ、少しずつ慣れていけばいいんです。」
七瀬はそう言いつつ、俺の横をすり抜けるように教室へと歩いて行った。
俺は彼女の後ろ姿を目で追う。
自然な装いで机の間を縫って席へ着いた途端、すぐに隣の生徒と会話を始めていた。
(少しずつか...)
どこか挑むような七瀬の言葉に、俺はため息交じりに肩をすくめた。
そして、意を決して教室へと足を踏み入れるのだった。