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通学路

桜並木を並んで歩きながらも、俺たちの間には妙な空気が流れていた。


春の風がふわりと吹き抜け、満開の桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。朝のやわらかな陽射しが、淡いピンク色のトンネルを透かしていた。歩道に敷かれた薄桃色の絨毯を踏みしめるたび、かすかな音が響く。


「一応言っておくけど、あなたと一緒がいいからっていう理由ではないですからね。」


彼女は、少し頬を赤らめながら言った。


わざわざ釈明しなくても、そんなこと冗談に決まっているのに、彼女はどうやら本気で気にしていたらしい。言葉の端々に、彼女なりの気遣いが滲んでいるのがわかる。天然なのか、それとも単にポンコツなだけなのか——そんなことを考えながら、俺は思わず苦笑してしまった。


「そこは何も言わない方が可愛げがあったのになぁ。」


「何か言いましたか?」


「いいえ、何も。」


短く、穏やかに放たれた疑問形の言葉。その声にはどこか柔らかさがあるのに、不思議な圧があった。


俺は反射的に「冗談です」と付け足したくなったが、妙に負けた気がするので、そっと口を閉じることにした。


彼女の横顔を見ると、桜の花びらが黒髪にふわりと舞い落ちていた。繊細な指先でそっと払い落とす仕草すら、どこか上品で整っている。


再び訪れる沈黙。


出会いが少し特殊だったせいで忘れていたが、俺たちは実質初対面だ。


本来なら、昨日何をしていたかとか、今日の授業の話とか、そういう取るに足らない雑談で時間を埋めることができるのに、今の俺には何を話せばいいのか分からなかった。


初対面の相手と何を話すべきか。

どこまで踏み込んでいいのか。


そんなことを考え始めると、思った以上に緊張してしまって、次の言葉がうまく浮かんでこない。


「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね。私の名前は七瀬鈴奈といいます。あなたは?」


彼女の方が先に沈黙を破った。


そうだ、普通なら最初に名前を聞くはずなのに、なぜかそれを忘れていた。


「いい名前ですね。長谷川奏斗。奏でるに、人じゃない方の『と』って書きます。」


「名前を褒めるなんて、長谷川君は少しだけ珍しい人なんですね。」


桜並木を吹き抜ける春風が、七瀬の髪をやわらかく揺らす。褒められることに慣れていないのか、彼女は少し頬を赤らめて俯いてしまった。


「もしかして、褒められて照れてしまいましたか?」


「もう、すぐに人を茶化すのはやめてください。」


ちょっと冗談交じりにいじってみたら、分かりやすく機嫌を損ねたような態度を取り始め、そっぽを向いてしまった。


どうやら感情が表情や態度に出やすいようで、一挙手一投足に彼女の感情が表れていた。

そうして再び静寂な時間が訪れ、お互いに様子を伺いつつ通学路を歩んでいく。


桜並木が途切れ、学校へ続く道が見え始めた頃、七瀬がふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、長谷川君はどこ出身なのですか?」


「ん?」


「電車通学ですよね? ということは、このあたりではないと思うのですが。」


七瀬は少し首を傾げながら、当然のように言った。その仕草が妙に整っていて、俺は一瞬目を奪われる。


「まあ、ここから6、7駅くらい離れたところですよ。」


「なるほど、思ったより遠いですね。」


「そんなに遠くはないよ。電車に乗ってる間は寝てればいいし。」


「電車は不思議くらい眠くなってしまいますよね。長谷川君もいつか乗り過ごしてしまうのではないですか?」


電車に揺られていると無条件に眠くなってしまうのは全国民共通なのだろうと奏斗は再認識した。

彼女も非常に共感できたのだろうか、それとも心当たりがあったのだろうか、何かを思い出しているかのように深く頷きながら言葉を返してくれた。


「僕は優等生ですので、今のところ遅刻はしてないですよ。褒めてください。」


「そんなこと言って、まだ入学初日じゃないですか。」


冗談交じりに適当な返事をすると、七瀬はわずかに微笑んだ。


「七瀬さんは?」


「私はこのあたり、といっても少しだけ離れていますが。今日は徒歩通学ですが、次からは自転車で通学しようと考えています。でも、雨が降ってる日は電車で贅沢に通学しようと」


「一応地元の方なんですね。じゃあ、この道にも詳しいわけだ。」


「ええ。……と言いたいところでしたが、さっき迷ってしまいましたけどね。」


「自分で言うんですね。」


先ほどの光景を思い出して少しカマをかけてみたが、すごく簡単に引っかかってくれた。


彼女の顔を見ると少し驚いた表情をしており、七瀬はバツが悪そうに視線を逸らし、口元に手を当てた。


「ええと……その、少し考えごとをしていて。」


「へえ、道を間違えるほどの考え事ってどんなのなんですか?」


「それは、それは...秘密です!」


ピシッとした口調で言われて、俺は肩をすくめた。


「というか、普通は考え事をしていてもあんな道間違えないと思いますよ。」


「……それもそうですね。」


七瀬は苦笑して、何か言い訳を探すように目を泳がせた。


「まあ、でも、これで覚えましたから!」


「そりゃ、よかったですね。」


俺が適当に返すと、彼女はなぜか得意げに胸を張った。


春の匂いが漂う朝の通学路。


桜の花びらが舞う中で、清楚な見た目とは裏腹に、どこか抜けている彼女の一面を知った気がした。


そうこうやり取りしているうちに、新たな学校——蒼浜高校に到着した。


門をくぐると、正面には見事な桜並木が広がっていた。まるで桃色のトンネルのように枝が重なり、吹き抜ける風とともに舞い散る花びらが陽光を浴びてきらめいている。


春の匂いが鼻腔をくすぐる中、俺たちは並んで校内を歩き続けた。

周囲には新入生らしき生徒たちがあちこちで談笑している。


「すごいですね……こんなに桜が綺麗だなんて。」


七瀬が小さく感嘆の声を漏らし、ふと足を止めた。


彼女の目は、舞い落ちる花びらを追うようにわずかに揺れている。

その横顔にはどこか柔らかさがあって、そして同時に幼さも感じる。


「まあ、入学シーズンに桜が咲いてるのは定番だからな。」


適当な相槌を打ちながらも、俺自身も目の前の景色に少しだけ見惚れていた。

この桜並木をくぐるのは、今日から始まる高校生活の象徴のようにも思えた。


やがて俺たちは、校舎の前の掲示板の前にたどり着いた。


入学式、もしくは新学期の恒例行事であるクラス発表。


これから1年間、共に学び、共に高めあっていく仲間が、一枚の板に掲示されている。


既に多くの生徒が掲示板の前に群がっていて、歓喜の声や落胆の声が入り混じっていた。


「やった! お前と一緒のクラスだ!」

「最悪……アイツと同じクラスじゃん……」

「え、マジで? 俺、知り合い誰もいねぇ……」


そんな声が飛び交う中、俺は人ごみをかき分けるようにして、クラス分けの紙に近づいた。


(どうかお願いします神様、一人だけでいいからクラスに話したことがある人がいますように)


心の中で強く祈りながら、強く閉じていた目をゆっくりと開く。


そして、血眼になって自分の名前を探し始めた。


苗字的には最後の方だから、おそらく名簿の後半。

五組まであるらしいから、四組か五組あたりか?


そう思いながら、焦る気持ちを抑えて目を滑らせていく。


しかし——。


(……あれ?)


見つからない。


確実にあるはずなのに、なぜか自分の名前だけが見つからない。

周りでは知り合いと同じクラスになって喜んでいるやつや、友達と離れたことを嘆いているやつがいるというのに。


俺はじわじわと謎の焦燥感に駆られ始めていた。


「……あっ!」


隣から、小さく弾むような声が聞こえた。


「私たち、同じクラスでしたね。ほら、一年五組。これから一年間、末永くよろしくお願いしますね!」


掲示板を指差しながら、七瀬鈴奈が俺を見上げる。


「本当だ。」


彼女が指差したところに、確かに俺の名前があった。

どうやら、自分で探すよりも先に彼女に見つけられてしまったらしい。


「一年間、よろしくな。」


俺がそう返すと、七瀬は満足げに微笑んだ。

しかし、俺の安堵も束の間だった。


よくよくクラスの名簿を見てみると——。


(……待てよ)


見覚えのある名前が、ひとつもない。


本当に、ひとつも。


俺と同じ中学のやつは、いない。


(冗談じゃない)


先ほど神様に祈ったことが、妙な形で叶ってしまったようだった。


七瀬という、今日出会ったばかりの女子とは同じクラスになれたが、

それ以外は、完全に知らないやつばかり。


俺は掲示板を睨みながら、心の中で静かに天を仰いだ。


(……頼むよ、神様)


春のそよ風が、俺の肩をぽん、と叩いた気がした。











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