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満ちない夜の月

作者: いちの

満月なので満月のお話を

二人分の足音が夜の中に響いていた。


足音と同じリズムで胸のなかを転がっていくのは、さっき聞いたばかりのピアノの音だ。

その音はシャボン玉みたいに、まるくてこわれやすくて、それからとても優しい。


僕は振り返って、出てきたばかりの小さなコンサートホールを眺める。蔦の絡まるレンガづくりの壁には、ライム色の街灯に照らされて、家路を急ぐ人達の影法師が楽しそうに踊っていた。

何気なく見上げた空には、街灯とお揃いの色をした月。

胸の中を転がる、まるいピアノの音と同じように、まあるい月が浮かんでいる。


「今夜は満月かぁ」

そうつぶやいたら、僕の後ろから聞こえていた足音がピタリと止まった。



「あのね、今夜ピアノコンサートに行かない?チケットが二枚あるの」


空がオレンジ色に染まりだした学校帰りの道、少し硬い声で香夜(かや)がそう言った。わざわざ僕のサッカーの部活が終わるのを待ってたのは、それが言いたかったからなんだなと思ってなんとなく香夜の顔を見たら、苦手なプールの授業で、無理やり飛び込み台の前に立たされた小学生みたいな思いつめた表情をしてたから言葉につまった。香夜とは幼馴染みで、お隣さんを何年もずっとやってるけど、そんな表情はほとんど見たことがない。


「…駄目?」

返事をしない僕に、震える声で香夜が聞く。慌てて首を横にふってから

「駄目じゃない。急だったからびっくりしただけで。今夜は別に用もないから行く!」

と必要以上に意気込んで返事をしたら、香夜はほっとしたみたいにほんのちょっとだけ口元を緩めて笑った。

僕も照れ隠しみたいに笑い返して、後はなんとなく無言のまま家まで歩く。

コンサートの誘いを受けたら、目を輝かせてすぐに「行く!!」と言っただろうもう一人の「幼馴染み」のことは、お互いに口にしなかった。



「凄い凄い凄い!俺、アメリカに行けるんだって!!

何か交換留学生に選ばれたんだって!凄くない?」

高校二年目の夏

そう言って、卓人(タクト)は僕と香夜の手を握りしめてブンブン振り回した。香夜が握りしめられた右手を、僕が左手を

指揮棒(タクト)じゃないんだから、振り回さない!!」

と言って取り返した後は、自分の両手をめちゃくちゃに振り回して、めちゃくちゃに笑ってた。その時の嬉しくて嬉しくてしかたない顔は今でもはっきり覚えてる。

そうして、もう一人の幼馴染みは夏の終わりに何の迷いもなく飛んでいった。憧れのアメリカにの地に。


小さい頃から音楽が好きで、歌うのが好きで、

「ウエストサイドストーリー」の映画は初めて見た日からずっと一番のお気に入り。一年生の時の文化祭ではミュージカルの激しいダンスと同じ熱量そのままに「アメリカ」のあの掛け合いを一人で歌いきった。もちろん英語で。舞台には卓人しかいなかったけど、映画で踊っていた何人ものダンサーの踏み鳴らす足音が聞こえそうだった。歌い終った瞬間に、沸き上がった地鳴りみたいな拍手。それを聞いたあの時から、卓人がどこかに飛んでいくのはわかってた気がする。

いつ、どこへ飛んでいくのかはわからなかったけど。

見送ることしか出来ない、残される人間がどんな気分になのかもその時はわからなかったけど。


手を振って搭乗口に駆け込んでいく卓人の背中を見つめていた香夜の、置いてきぼりの子供みたいに不安をやどした顔も、僕ははっきりと覚えている。




香夜とコンサートホールまで、ゆっくり歩いて行って

会場で配られたパンフレットを見て、はじめて「映画音楽をピアノで」という内容なんだって知った。

知っている曲も知らない曲のもあって、曲名を目で追っているうちに、ゆっくりと会場が暗くなっていく。ただピアノがぽつんとひとつ置かれた舞台だけが世界の全てみたいに明るい光の中にある。

ピアニストが現れて、優雅なお辞儀の後、演奏をはじめた。


香夜は身動ぎひとつしないで、まっすぐにピアノを見つめて座っている。びっくりするほど真剣な瞳をして。

隣に座っているのにひどく遠いところにいるようで、僕もつられてまっすぐ舞台を見つめる。

ピアノの音は静かな会場の空間を震わせながら、さざ波のように広がっていく。知らない旋律(メロディ)はどこかよそいきの顔で通りすぎ、知っている旋律は久しぶりと言うみたいに軽く肩を叩いていく。

その間、何度か香夜の横顔を見た。謎かけするスフィンクスみたいに、何も読み取らせない顔をして、香夜はただ舞台のピアノをじっと見つめていた。


最後の曲は

ウエストサイドストーリーの「トゥナイト」だった

ジャズ風にアレンジされていて、ぽろぽろと溢れる音は僕の知っている、卓人や香夜と一緒に聞いた映画のなかの「トゥナイト」よりほんのり苦味が効いてる。


Tonigh tonigh (今夜、今夜)

There's only you tonigh (今夜はあなただけ)


卓人がつぶやいてるみたいに小さな声で歌っているのを何度か聞いた時も、甘いラブソングには聞こえなかった。なんか音楽自体に思いを捧げてるみたいな歌い方だった。そんなことをなんとなく思い出していたら、隣の空気がふっ…と揺れた。

いつの間にかうつむいていた香夜の、肩が小さく震えている。


Good night good night   (おやすみ、おやすみ)

Sleep well and when you dream (よく眠って夢をみて)


Dream of me  (私の夢を)


僕は何も気づかなかった顔をして舞台に向き直り、ただ魔術師のように動くピアニストの指先を見つめていた。

静かに曲が終わって、会場が再び明るくなるまでずっと。

「…帰ろうか」

半分くらいが空になった会場を見つめながら、そろそろと椅子から立ち上がった僕を見る香夜の唇が「ありがとう」の形に動いたのも、気がつかないふりをした。





「満月にかける願いごとって叶わないって言われてるの。知ってる?」

満月を見上げたまま立ち止まった僕と同じように月を見上げて香夜は言った。

会場を出る時の泣きそうな気配は消えていて、かわりに不思議な強さみたいなものを纏っている。


「何でも、叶いそうな気がするのにな」


満月はそれだけで誰かの思いの姿のようだ

誰かの祈りの形のようだ


だけど誰の思い、誰の祈りなんだろう?


「何か…お願いごとってある?」


僕の目を覗き込むようにして、香夜が聞く。一瞬考えてから僕は答える


「無いよ」


欲しいと思ってる新しい携帯電話や、サッカーのレギュラーポジション。そんなものが頭をよぎった。

だけど、僕には無い。

願いを叶えることがないと言われている満月を見上げて、それでも叶えたいと何度も何度も繰り返しかけるような、そんな切ない願いごとは…

僕には無い。


卓人や香夜にはあるんだな…


二人分のチケット、本当は誰を誘うつもりだったのか僕は聞かない。

満月を見上げた香夜が、何を願っているのかも僕にはわからない。


だけど…


揺るぎない瞳でまっすぐに満月を見上げて、諦めることなく何度も何度もかけられるような願いごとが、いつか僕にも見つかるといい。


そう、思った。


「カフェでなんか奢る。コンサートのお礼」

そう言って歩きだすと、胸の奥をピアノの音がまた転がりはじめる。



二人分の足音を

月が照らしていた。





















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