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キガナ戦記  作者: ひじり
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【三章】「転移魔術師と転移者」

 ヤハサ国への侵攻中断が耳に入ったのは、シニソノギ国を発って半日が過ぎた頃だった。

 トットルの予想通り、セボ国はダイエン草原に根を下ろし、シニソノギ国の動向に目を光らせるようになっていた。

 多勢に無勢、侵攻を止め、全兵力でシニソノギ国に攻め入ることができれば、ソールやルーナは一たまりもないだろう。しかしセボ国には、それを実行に移せない理由があった。

「フォルミの死は、ガサ国とセボ国にとっては想定外の事態でしょう」

 セボ国の部隊長ダリノアを従え、三国の兵士達をまとめ上げ、一息にニジガ城を占領したまでは計画通りだった。

 だが、フォルミは死んだ。アルクスに喉を斬られ、処刑台の上で倒れた。

 ニジガ城を任されたダリノアには、他国の兵士をまとめ上げる権限は無い。全てはフォルミの手の平の上で駒が動かされていたのだ。

 故に、ガサ国の部隊長が死した今、キガナ国領土内の敵兵達は、導き手を失い途方にくれている。新たな指揮官に名乗りを上げる者が出てこない限りは、膠着状態が続くことになる。

「おかげさまで、オレ達も無事に辿り着くことができたな」

 三人は長い道のりを黙々と進み、キガナ城へと着いていた。

「……此処が、キガナ城?」

 佐屋が小首を傾げる。その姿を見やり、アルクスが頷いた。

「ああ、キガナ地帯の支配者が住む城だ」

 広大な地に巨大な城を築きあげ、周囲を壁で取り囲み、壁の内部に城下町を作る独特さに、初めて訪れた者の目を驚かせる。

 此処は、シニソノギ国とは比べ物にならないほど、活気に満ち溢れていた。

「身分の提示を」

 壁門に、キガナ国の兵士が立っていた。通り抜ける前に声を掛け、アルクス達を足止めする。

「顔を見れば分かるだろ」

「……はっ、失礼いたしました」

 返事をし、アルクスは兵士の目を見る。すると、兵士は目を見開き、その場に片膝をついた。

「ご苦労です」

 トットルが兵士に一言、その後に佐屋が続く。壁門をくぐり、城下町へと向かう。

「平和そうだな」

 ダイエン草原での(いくさ)で大敗したとは思えない。

 城下町の人々は、普段通りの生活を送っているように見えた。

 そんな中でも、やはり兵士達の動向には注目すべき点がある。壁の外の兵士の数は増えており、城下町の至る所に兵士の姿を確認することができた。

「城に急ぎましょう」

 城下町の様子をのんびりと眺めている暇は無い。

 トットルの声に頷き、アルクスと佐屋はキガナ城へと急いだ。


     ※


 本来、キガナ城への入城には許可が必要だ。緊急事態だとしても、許可なく立ち入ることは不可能とされている。

 けれども、それを許された者がいる。王族と、王族に位を与えられた貴族である。

 門番は、その全てを把握し、門を開く。この厳重さは、アロガン国王の指示によるものだ。

 但し、その全てに当て嵌まることのない、例外中の例外が一件だけ。

「どうぞ、お通り下さい」

 門番が、頭を垂れる。アルクスとトットルの顔を見ただけで察したのだ。

 壁門の兵士と同様に、許しは得ていない。それでもアルクス達は入城できる。それもそのはず、アルクスはシュウク大陸統一を果たした英雄の息子なのだ。そして、トットルはその英雄の一人である。彼等に対し、入城の許可を出すという行為は、無礼に当たる行為であった。

「いつ来ても心が落ち着きませんね、ここは」

 愚痴を溢すのはトットルだ。キガナ城には、良い思い出がない。

「ん? あれは……」

 カツカツカツ、と足音が鳴る。同時に、怒鳴り声が響く。

 長い廊下の端から姿を現し、共に歩く兵士達に愚痴を吐く男の姿に、アルクスは目を細めた。

「クルデリック王子? 何故此処に」

 その男は、クルデリックだ。

 ニジガ城に拠点を構えた後、エレステとダリノアの手によって捕らえられたはずだ。

「うぐっ、小童ッ! 何故此処にいる!?」

 アルクスの姿に気付き、クルデリックが声を張り上げる。同じ問いを返されてしまう。

「アロガン国王に御目通りをと思いまして」

「親父にだと? くっ、痛みが……ッ」

 よく見ると、クルデリックは右頬を腫らしていた。

「何かあったのですか」

「何かもクソもあるか! ニジガ城を奪われたせいで、親父に殴られたのだ! 一目見て気付けっ、この間抜け共がっ!」

 それは無理な話だった。

「クルデリック王子、無事に逃げ出すことができたのですか」

「ああん? ……ああ、まあな。……ディードが敵を引き付け、この俺様を逃がしたのだ……」

 声が小さくなる。クルデリックは、命を救われたことを理解しているのだ。

「貴様等、ディードには会ったのか?」

「え、……まあ、そうですね」

「奴は無事か? 敵を殺すことはできたのか?」

 クルデリックは知らないのだろう。

 アルクスとクルデリックがニジガ城を去った後、死に至ったことを。

「キガナ国の英雄として立派に戦いましたよ」

 横から、トットルが声を出す。その台詞が、含みを持たせていることに気付くか否か。

「お、おおっ、よしよしよし! よくやったぞ! それでこそ我が国の英雄だ!」

 何も気づかず、クルデリックは喜ぶ。

 己を痛めつけ、捕虜にしようと試みた敵達を、殺すことができたと思っているのだ。

「よし! 親父に会いたいなら、俺様についてこい!」

 殴られたことも忘れたのか、クルデリックは上機嫌だ。そんな男の背中を追い、アルクス達は城内を進む。そして、王の間の扉の前で止まった。

「親父! アルクスとトットルを連れてきたぞ!」

 勢いよく扉を開け、クルデリックは中に入る。王の間にいるのは、アロガン国王ただ一人。

「――黙れ」

「うっ、……すまない、親父」

 重く、低い声が、王の間に響く。玉座に腰掛けたアロガンが、喉を鳴らしたのだ。

「お久しぶりです、アロガン国王」

 頭を垂れ、トットルが口を開く。横に立つアルクスも同じく。

「お、おいっ、貴様も頭を下げろっ」

「嫌」

 クルデリックの焦る声と、頑なな佐屋の声が交差する。

 佐屋は、アロガン国王の目をじっと見ていた。

「っていうか、そもそもお前は誰なんだ! アルクスの女かっ!」

「そう」

「いや違うからな」

 肯定と否定が混ざり、クルデリックは顔をしかめる。

 とその時、咳払いが響く。

「用件はなんじゃ」

 御年(おんとし)七十五、キガナ国の王――アロガン=クレプスクルムは、三人の姿を瞳に映し出し、先を促す。王の間を訪ねたわけを知ろうとしているのだ。

「手短にお話いたします」

 口を開くのは、アルクスだ。佐屋と共にアロガンの目を見て、これまでの経緯を話し始める。

 北部の情勢のこと。

 ガサ国が関わっていたこと。

 敵側に転移魔術師と転移者が存在すること。

 シニソノギ国と同盟を結んだこと。

 北部の領土を取り戻し、ニジガ城を奪還する為に、力を貸してほしいこと。

 ほぼ全てを伝える。その過程で、クルデリックはディードがこの世を去ったことを知り、表情を見せずに王の間を出て行った。

「……以上になります」

 伝えるべきことは、アロガンに話した。あとは、アロガンの出方を待つのみ。しかし、

「……余は、王じゃ」

 低く、また呟く。アロガンの瞳が、アルクスを見据え逃さない。

「存ぜぬか、余が(ぬし)を嫌うておることを」

「……ええ、知っています」

 アロガン国王は、アルクスの両親との間に修復不可能な溝を持つ。その溝が埋まることは決してないことを、アルクスは理解していた。しかしそれを承知の上で頼みに来たのだ。

 このままでは、キガナ国は滅んでしまう。そうなってしまっては、どうすることもできない。

「ですがどうか、兵力をお貸しください。北部の平穏を取り戻し、セボ国の侵攻を防ぐ為にも」

「ならぬわ」

 聞く耳はない。話すだけ話させて、追い返すつもりであった。

「我が国は、余の思うがままじゃ。挟む口は持とうとは思わぬことよ」

 これ以上、話すことはないのだろう。アロガン国王は瞼を閉じ、視線を外す。ゆっくりと呼吸を繰り返し、時の流れを肌で感じ取っていく。

「行きましょう、アルクス」

 トットルが、アルクスの肩に手を置く。

「……ああ、臆病者の助けなんて必要ないからな」

 その言葉を残し、アルクス達は王の間から退室する。


     ※


「無駄足だったな」

 キガナ城を出た後、三人は壁門から城下町の外に出て、来た道を戻り始めていた。

「いえ、十分でしょう。北部の戦況よりも何よりも、シニソノギ国との同盟を結んだことを伝えることができましたからね」

 そう、それこそが最優先すべき問題だった。

 (くだん)の対話により、アロガン国王は、シニソノギ国が同盟国となったことを知る。一度は中立国を破棄し、セボ国に加担した身ではあるが、キガナ国が危機を脱した後、手出しし難くすることができたはずである。

 また、これにより、アルクスはニジガ城奪還に集中することができる。

「日も暮れました。今宵は途中の村で疲れを癒し、明日に備えましょう」

 トットルが指差す方角に、小さな村があった。

「シスか……」

 村の名はシス。この地には、まだセボ国の手が伸びていない。

 体力の回復を図るには都合がいい。

「馴染みの宿がありますので、ご安心を」

 トットルに連れられて、アルクスと佐屋は村の入口まで歩く。オオミ村に比べると大きな村だが、(いくさ)が始まったことを知っているのだろう。村人の顔色はよくない。

「あの宿です」

 案内され、アルクスは看板を見る。キロ亭と書かれてあった。

「お邪魔しますよ」

 キロ亭の扉を開け、主人と思われる老人の姿を見つけると、トットルは言葉を交わす。

 暫くすると、トットルはキロ亭の中に入るよう、手招きをした。

「行こう、佐屋」

「ん」

 キロ亭内に入り、老人と挨拶を交わし、階段を上り二階へと向かった。

「三人部屋になります」

「三人部屋? 佐屋は女性だから、別の部屋を用意した方が……」

「いい」

 アルクスの提案に、佐屋が首を振る。

 本人が構わないと言っている以上、アルクスは何も言うことができない。

「う、うーん……」

「何か不測の事態が起きた時、同じ部屋にいた方が無難ですからね」

 更にトットルにも指摘されてしまい、アルクスは頷くしかなかった。

「ベッドは一つですので、アルクスと佐屋さんがお使いください。私は床で……」

「待ってくれ、床でって……いやその前になんでオレと佐屋が二人で一つのベッドを……」

「転移魔術師と転移者は一心同体ですよ、アルクス? 衣食住の全てを共にしてこそ、意思の疎通を図り、連携を取ることが可能となります」

 もっともらしいことを口にしているが、トットルの口元は緩んでいる。内心、楽しんでいた。

「それがいい」

 ベッドに腰を下ろし、佐屋が背伸びをする。その仕草にアルクスは目を泳がせ、頭を振る。

「トットル、恨むぞ」

「ご自由に」

 くつくつと喉を鳴らし、床に荷物を置く。

 長い長い夜の始まりである。


     ※


「外の様子を見てきます。お二人はごゆっくりと」

 と言ってトットルが室外に出てから、どの程度の時を刻んだだろうか。

 アルクスはベッドに寝転がり、天井を見つめたまま、トットルの帰りを待ち続けている。

 片や、佐屋。

「アルクス」

 隣に寝転がり、耳元で何度も名前を呼ぶ。

 なんだ、何か話があるのか、とアルクスが聞くと、佐屋は口元を緩め、微笑むだけ。

 その繰り返しだ。

 未だかつて経験したことのない事態に、アルクスは胸の鼓動が速まるのを実感していた。

「アルクス」

 また、佐屋が呼ぶ。横目に確認すると、アルクスは佐屋と目が合った。

「ん」

 喉を鳴らし、柔らかく微笑む。

 その笑顔を瞳に映し、堪らずアルクスは視線を天井へと戻す。

「アルクス」

 もう、どうすればいいのか分からない。

 何か言えばいいのだろうか、誰か助けてほしい、と。アルクスの頭の中は混乱している。

「教えて」

 とここで、ようやく別の言葉が紡がれた。

 アルクスが佐屋の顔を見ると、変わらず微笑み、目を合わせている。

「何を……知りたいんだ」

「アルクスのこと」

「オレのこと?」

「ん」

 佐屋は、アルクスのことを知りたいと言った。

 その言葉の意味と捉え方は様々だが、アルクスは己の中で思考を巡らせ、思いつく。

「そうだよな、佐屋にはまだオレのことを何も話してなかったな。……というか、佐屋のこともまだ何も知らないんだよな」

 二人は、転移魔術師と転移者であり、切っても切れない縁で結ばれている。互いが互いを助け合い、共に生きていかなければならない。だが、アルクスは佐屋のことを何も知らない。佐屋もまた、アルクスがどのような生き方をしてきたのか知らない。

「少し、昔話をするよ」

 一つのベッドに二人で寝転がったまま、アルクスは昔を思い出す。

 幼い頃の記憶を引き出して、佐屋へと伝えていく。

 父クロスが転移者で、母ヘレナが転移魔術師であること。

 今のアルクス達と同じように、戦渦を切り抜ける為に時空干渉肉体転移魔術を行使したこと。

 ある日、両親がヤガン山で行方不明になったこと。

 それ以降、ディードとトットルが親代わりとなり、共にニジガ城を守り続けていたこと。

 十四年の月日が流れ、剣闘大会の決勝へと駒を進めたこと。

 ディードとの決着を目前に、セボ国が攻めてきたこと。

 ニジガ城を占拠されたこと。

 ディードが死んだこと。

 一つ一つ、長い夜の闇に同化させるかのように、佐屋に語り続けた。そして、

「……寂しい?」

 話を聞き終えた後、佐屋が問う。

 両親が行方不明になり、更にはディードが死に、ニジガ城も敵の手に落ちている。

「んー」

 再度、思い返す。けれども寂しさや悲しさといった感情は表に出てこない。

「約束したんだ」

「約束?」

「ああ、いつかきっと父さんを超えてみせるってさ」

 アルクスの両親は偉大な英雄だ。超えることは不可能に等しい。けれども、ただの息子として終わるわけにはいかない。英雄の息子として恥じぬ生き方を、そしてその英雄を超えてこそ、アルクスは本当の自分を見つけることができると信じている。だからこそ、ディードの言葉に従い、ニジガ城を離れた。

 人にはそれぞれ役割がある。その役目を、アルクスはまだ果たしていないと考える。

「どっちかと言うと、今は楽しいかもしれないな」

「どうして?」

「トットルはいつでもオレのことを助けてくれるし、ニジガ城やオオミ村の皆はオレを慕ってくれるだろ。それにシニソノギ国の人達とも同盟を結ぶことができたし……」

 次から次に人々の顔が思い浮かび、(いくさ)が始まってからのことをじっくりと考える。

 その中に登場する人物は、すぐ隣にもいた。

「佐屋、お前もそばにいてくれるからな」

「……う」

 毛布で顔を隠し、佐屋は目を瞑る。

 だが、ゆっくりと顔を出し、アルクスと目を合わせた。

「……彼女は」

「彼女? いないいない、できたこともない」

 アルクスがいないと答えると、佐屋は嬉しそうに頬を緩める。

「わたしも」

 毛布に包まり、恥ずかしそうに視線を逸らし、すぐにまた戻す。

 それから一言、

「できたことない」

 そう言って、佐屋は笑った。

「……そっか、そうなんだな」

 結局、話の筋が元に戻ったような気がして、アルクスはモヤモヤする。とはいえ、佐屋に己のことを話すことができた。この機会を与えてくれたトットルに、アルクスは感謝した。

「アルクス」

 ここでまた、佐屋が名前を口にする。今度は何だ、とアルクスが佐屋の顔を見た。

「すき」

「えっ」

 突然、その二文字をぶつけられ、アルクスは言葉に詰まる。まさかこの流れで言われるとは思わなかったのだろう。

「あ、……っと、えーっと」

 返す言葉が思い浮かばず、頭の中が真っ白になるアルクスだが、そんなことはお構いなしに、佐屋は更に続ける。

「気をつけて」

「……へっ?」

 今度は、気をつけてと言われた。想いを伝えたかと思えば、気をつけて、と。

 アルクスは意味が分からない。

 しかし、佐屋は真面目な顔付きで頷き、言葉を繋げた。

「隙があるから、ちゅーされる」

「……あ? 隙?」

「ん、隙」

 ようやく、理解する。佐屋が言ったのは、好きではなくて隙だった。

 気をつけてとは、ソールにキスをされたことを言っているのだ。

「あ、……ああ、そういうことか」

 勘違いに安堵し、アルクスは天井を見る。

「でもなー、隙があるって言われても……どうすりゃいいんだよ」

 アルクスの周囲には、同年代の女性はいない。唯一、軽口を叩き合えるエリサも、アルクスに比べて歳が若かった。勿論、ソールもエリサと歳が変わらない。同じように接していれば何も面倒事は起こらないだろうとふんでいた。

 しかしながら、ソールはエリサよりも積極的だ。アルクスを旦那様と呼び、シニソノギ国の人々の前でお嫁さんになるとまで宣言した。これは、隙があったからこそと言えるだろう。

「ん」

 お手上げ状態のアルクスに、佐屋は喉を鳴らす。

 少し顎の位置を上げて、そのまま目を瞑った。

「……ん?」

 眠くなったのか、とアルクスは思った。当然だが、そんな間抜けなことはない。

 意図を理解できないアルクスは、何もしない。視線を天井に戻し、ふう、と溜息を吐く。

「――ッ」

 とここで、時間切れになる。

 トントン、と扉がノックされた。

「そろそろ良い頃合いかと思いましたが……ううむ」

 扉を開け、顔を覗かせるのはトットルだ。

 まだ早すぎたか、と苦笑しつつも、室内へと入ってきた。

「外の様子はどうだった?」

「異常はありません。予定通り、明朝に此処を発ちましょう」

 現在、セボ国の兵士達は、ダイエン草原から少し南に移動したところに陣を張っている。

 ヤハサ国に攻め入る予定だったが、シニソノギ国が反乱を起こし、フォルミが死亡したのが原因だ。キガナ国だけでなく、セボ国もまた混乱の最中にあった。

「ミシキの里を越え、ヤガン山の裏から回り込み、オオミ村へと向かいましょう」

「オオミ村へ?」

 問うと、トットルが頷く。

「我々がシニソノギ国と同盟を結んだ今、オオミ村は重要な拠点と成り得ます。シニソノギ国に援軍を頼み、今こそニジガ城へと攻め入る時です」

「シニソノギ国に援軍か、しかし動いてくれるか?」

 三人が共に机を囲み、明日に向けて軍議を開く。

 その駒となるであろう存在は、何もニジガ国の兵士だけではない。

「アルクス、貴方はシニソノギ国を救った英雄なのですよ」

「英雄……オレが?」

 ええ、と言い、トットルは笑う。

 確かに、アルクスはソールとルーナを救い出し、更にはガサ国の部隊長フォルミの喉を斬り、シニソノギ国の領土内から敵兵を全て追い出すことができた。反乱を起こす為の切っ掛けを与えただけとも言えるが、その功績は大きい。ソールだけでなく、シニソノギ国の人々は、皆がニジガ城との同盟を快諾し、ソールとは既に夫婦関係であるとまで錯覚している。

 これを利用しない手はない。

「騙してるような気がしないでもないが」

「英雄とは、その全てを一人で成す者のことではありません。慕う者達を導き、共に手を取り合い、豊かな未来を手にする者のことです」

 アルクスの父クロスも、一人ではシュウク大陸統一を果たすことはできなかった。

 母ヘレナ、剣士ディード、軍師トットル。

 頼れる仲間がいたからこそ、共に英雄として名を遺すことができた。

「まずは、ソールに相談だな」

「お任せしますよ、アルクス」

 先行き不安だが、やるしかない。

 アルクスが決断し、トットルは後押しする。その一方で、佐屋は不満げな表情を見せていた。

 先ほど、ベッドの上での行為が失敗に終わったのが原因だ。

「しかしまあ、この宿とこの部屋、実に懐かしいものですね」

「トットルは泊まったことがあるのか」

「勿論。あの時は四人で泊まりましたが」

 此処、シス村は、アルクスの母ヘレナが育った場所だ。

 旅や(いくさ)に疲れた時、四人はいつも此処に戻り、一時(ひととき)の休息を求めていた。

「キロ亭には、私達の思い出がたくさん詰まっています」

 昔を懐かしみ、トットルは室内を見回す。

 古くはなったが、何度も何度もこの部屋に集まり、談笑したものだ。

「それも今は昔のお話ですがね」

 話は終わりだ、と両手を挙げ、トットルは壁に寄り掛かる。

 佐屋はベッドの上に戻り、アルクスは外の空気を吸いに部屋の外へと出て行った。

「……ところで、佐屋さん」

 アルクスの姿が見えなくなったのを確認し、壁に背をつけたまま、トットルが声を掛ける。

「初めて貴女を見た時から感じていたことですが、もしや……」

「間違ってない」

 言い切る前に、佐屋が言葉を返す。深く息を吐き、観念したかのように声を出す。

「わたしとアルクスは、兄妹」

 ――兄妹、と佐屋は口にする。それは、トットルの予想通りであった。

「やはり、……では、貴女はクロスとヘレナの子なのですね?」

「ん」

 アルクスが今の話を聞けば、驚愕することだろう。

 だが、佐屋はまだ打ち明けていない。実の妹であることを伝えていない。

「わたしは、地球という場所で産まれて、パパとママに育てられた」

「地球……クロスが生きていた世界の名ですね」

 トットル達が住む世界の名は、ウィタモルス。魔術が生きた場所だ。

 そしてクロスが生きていた世界の名が、地球。魔術の無い場所だった。

 昔、クロス達と旅をしていた時に、トットルは地球の話を聞いたことがある。もう一度戻ることができたならば、家族に会いたいと言っていた。

「クロスとヘレナは、今も御健在で?」

「勿論」

 肯定する。その一言だけで、長年抱えていた不安が消え去っていく。

「そう、でしたか。……ふふ、生きていてくれたのですね」

 二人がヤガン山で行方不明になった時、トットルはもう二度と会えないことを悟り、永久の別れを惜しんだ。転移魔術師が時空干渉肉体転移魔術を扱い、地球から転移者を呼び出した時から、それは確定事項として彼等のそばに付きまとっていたのだ。

 だからこそ、トットルは救われる。

 クロスとヘレナが無事に生き延び、地球という世界で暮らし、佐屋を授かったことを。

「……アルクスには言わないのですか?」

「無理」

 ここでも、佐屋は即答する。顔を赤らめ、視線を逸らし、口をモゴモゴとさせている。

「……ああ、なるほど。そうでしたね」

 その仕草を見ただけで、トットルは微笑む。

「恋をしてしまったのですね」

 トットルが問い掛ける。けれども佐屋は、毛布を頭まで被ってしまう。

「安心してください、アルクスには言いませんよ」

 微笑ましいものを見たかのように、トットルは優しげな表情を浮かべている。

 クロスとヘレナの子供達は、互いが足りないところを支え合い、立派に生きている。その姿を見せてあげたい、とトットルは思った。

「……う」

 暫くすると、佐屋が毛布から顔を出す。

 まだ恥ずかしいのか、瞼を何度もパチパチとさせている。

「初めは、言おうと思ってた。……でも、」

 地球にいた頃、佐屋はずっと聞かされていた。

 此処とは違う別の世界のお話と、その世界には三歳年上の兄がいることを。

 どんな人なのだろうか、と。

 勉強はできるのかな。

 かけっこは速いのかな。

 パパよりも力持ちになるのかな。

 ママよりも凄い転移魔術師になるのかな。

 早くわたしを呼び出してくれないかな、と。

「想いが伝わって、いざウィタモルスに行ってみると、すぐそばにいて、……その、」

 積み重ねてきた想いが爆発した。

 我慢できずに歩み寄り、気付いた時、佐屋はアルクスと唇を重ね合わせていた。

「もう、止められない……」

 初めて出会い、口づけを交わした瞬間から、佐屋は心に決めた。

 アルクスには正体を明かさない、と。

「兄妹って分かったら、好きになってくれないかも」

「悩ましいところですね、いやはや……」

 兄妹同士では、確かに問題だ。その点でいえば、佐屋の判断は正しいと言えるだろう。

「うん? 二人で何を話してたんだ?」

 扉が開き、ようやくアルクスが戻る。何も知らず、呑気な顔をしていた。

「軍議の続きです。アルクスも加わりますか」

「そういうことか」

 すっかり騙されたアルクスは、ベッドの上に腰掛け、さあ何を話そうか、と袖を捲った。

「寝る」

「えっ」

 しかし佐屋は顔を背け、毛布を被る。次いで、トットルが部屋の灯りを消してしまう。

「な、なんなんだ?」

 アルクスには、何が何やらサッパリであった。


     ※


 翌朝、アルクス達はオオミ村へと入った。

 ニジガ城とオオミ村の人々が三人を出迎え、被害が無いことを報告する。

「お帰りアルクス~、やっと帰ってきてくれた!」

 村の内部に入ると同時に、容赦なくエリサに突進され、アルクスは喉を詰まらせていた。

 それとは別に、驚くべきことが一つ。

「なんで此処に二人がいるんだ」

 オオミ村には、見知った顔が増えていた。ソールとルーナの二人だ。

「なんでって、そりゃあたしの旦那様に会いに――」

「トットルおじさんの遣いに呼ばれただけだよ」

「もうっ、ルーナ! まだ喋ってるとちゅーだろ!」

 騒がしいのが増えてしまい、アルクスは一歩後ずさる。

 が、何かにぶつかり後ろを振り向くと、佐屋が服の裾を掴んでいた。

「ソールさん、頼んでいた件についてですが」

「あー、問題ないよ! 同盟国を救う為に力を貸してって言ったらさ、みんな揃って(いくさ)の準備を始めたからね!」

 予め、トットルはシニソノギ国に使者を送り、加勢を要請していた。

 これは、三人がキガナ国に向かう途中、もしもの時の為にと、トットルが動いた結果だ。

「昨晩の軍議って、初めからその通りになるって分かってたのか」

「シニソノギ国も、国を建て直すために忙しい時期ですので、確信はありませんでしたがね」

 そうは言うが、さすがはトットルと言ったところである。ただ、それもこれも全てはアルクスがシニソノギ国を救ったが故だ。トットルは失敗の無い道を選択し、実行に移したまでだ。

 とここで、ソールがシニソノギ国の方角に目を向け、肩を竦める。

「なーんかみんなさ、妙に興奮状態なんだよなー。なんでだろ?」

 皆とは、シニソノギ国の兵士と民のことだ。

「ソールのせいだよ、もうぅ……」

 その隣で呟くルーナは、呆れ顔だった。

 シニソノギ国の本領安堵の為に、何を優先すべきか。

 ソールとルーナは、アルクス達の力になることを決めた。志は、シニソノギ国の人々も同じだ。多少、異なる点が含まれるが、アルクスがシニソノギ国に救いの手を差し伸べ、ソールの夫となったことで、彼等の士気が高まったのは事実だ。更には元英雄の息子でもある。

 無駄に興奮状態となっていたとしても、仕方のないことと言えよう。

 一方で、ソールを取られやしないかと冷や冷やしているのは、ルーナだ。邪魔者が現れたと感じているのだろう。佐屋も同じであり、両者の目がジトッとアルクスに向けられている。

「さあ、長く話してはいられませんよ」

「そうだな。敵側の混乱が収まる前に、ニジガ城を奪還しよう」

 暫くすれば、シニソノギ国から援軍が来る。その数は二千を超え、ダイエン草原を突っ切り、ニジガ城を奪還するには十分な兵力だ。皆の注目がアルクスに集まり、士気を更に高めていく。

「……ニジガ城はオレ達の城だ」

 頷き、兵士が武器を掲げる。ニジガ城の旗印が揺らめき、人々の勢いが増す。

「奪われたものは、奪い返す」

 そうだ、そうだ、と声を上げ、戦いの狼煙が上がる。

 もう、隠れる必要はない。己の領土を取り返す為に、戦うのだ。

「さあ、行こう」

 国と国との戦いに、アルクス達は向かう。

 例え敵が強大であろうとも、もう絶対に逃げ出したりはしない。

「――……城取りの始まりだ」

 その言葉を合図に、兵士達が一斉に叫び出す。

 オオミ村の外へと走り出し、ニジガ城へと続く道を駆け始めるのであった。


     ※


 ニジガ城奪還に向かうアルクス一行は、二手に別れた。表から堂々と攻め入るのが兵士達の役目であり、その隙を突き、裏のヤガン山から奇襲を掛けるのが、アルクス達だ。

 何度目の闇が訪れたか。太陽が沈み、月が顔を覗かせる頃合いに、アルクスと佐屋、トットル、ソール、ルーナの五名は、闇に紛れながらもヤガン山を登っていく。

 そのまま、ニジガ城へと入った。

「表が騒がしくなってきたな」

「シニソノギ国の兵士達が到着した頃でしょう」

 ダイエン草原を抜け、オオミ村を経由したシニソノギ国の兵士達は、わき目も振らずにニジガ城へと歩を進めていた。ニジガ城の精鋭部隊との合流を果たし、いよいよ攻め入るのだ。

「旦那様、あたし達も動いた方がいいのか?」

「表だって暴れるつもりはない。狙いはただ一つ、エレステとダリノアを殺すことだからな」

 あと、その呼び方は止めてくれ、と付け加えた。ソールは頬を膨らませていたが、アルクスは背後に感じる佐屋の気を落ち着かせることを優先した。

「フォルミに続き、ダリノアの死が伝われば、セボ国が撤退するのは時間の問題かと」

 現在、実質的にニジガ城を支配しているのは、ダリノアだ。

 ダリノアは、セボ国の部隊長を務めている。ダイエン草原での開戦時も、ディードと同様に先陣を切り、キガナ国の兵士達を斬り殺していったのだ。

 しかし、フォルミの部下ということはつまり、元々はガサ国側の人間である可能性が高い。

 セボ国の陣営に入り込み、時を掛けて確実に地盤を固め、その全てがフォルミの策だったと考えれば、辻褄が合う。

 ガサ国の手の平の上で踊らされたことに気がついた時、セボ国はどう出るのか。それは、実際にエレステとダリノアを倒してみなければ分からない。

「ん? あいつは……」

 抜け道を通り、エレステとダリノアの居場所を探す。

 とその時、アルクスは目を疑う。ガサ国の部隊長フォルミが、早足で城内を歩いていた。

「……傷が浅かったか」

 よく見ると、フォルミは喉元に包帯を巻いている。アルクスの一撃は、致命傷とまではいかなかったらしい。あの騒ぎの中、一人抜け出し、此処まで逃げ戻ってきたということだ。

「フォルミが生きていると知れば、敵側が勢いを取り戻すでしょう。……アルクス」

「ああ、分かってる」

 今すぐ叩く。潜むのを止め、アルクスはフォルミの背を追った。

 足音が増えたことに気付き、フォルミが後ろを振り向き、声を上げた。

「――なっ、貴様ッ!!」

「悪運が強い男だ」

 剣を抜き、肉体転移する。一瞬で距離を詰め、今度こそ確実に殺す。

 心臓を一突きし、一切の抵抗を許さず、フォルミの動きを止めた。

「ぐ、ぐ、……おの、れぇ」

 剣を振り、ついた血を飛ばす。しぶとい男だが、もう間もなく死を迎えることになる。だが、

「――何度目だ、貴様の顔を見るのは」

「ッ」

 廊下の角から、ダリノアが姿を現した。その背後にはセボ国の兵士達がついている。

「見つけたぞ、ダリノア」

「それは俺の台詞だ、アルクス=クレプスクルム」

 互いが互いを標的とし、今此処に再会を果たした。

「ダッ、リ……ァ、たすっ、……け、ろ……っ」

 床に倒れ、助けを求めるのはフォルミだ。

 震えながらも手を伸ばし、ダリノアの姿を瞳に映し込む。しかし、それもすぐに終わる。

「――耳障りね」

「がふっ」

 突然、エレステが姿を現す。音もなく、フォルミの許に肉体転移し、頭部に剣を突き刺した。

 時間差でアルクス達の後方から別の敵兵達が姿を見せる。エレステが連れてきたのだ。

「……お前達の上官だろ。いいのか」

「いいわ。どうせ死にぞこないだもの」

 再び、エレステの姿が消える。かと思えば、一瞬にしてダリノアの真横に佇んでいた。

「元々、俺は貴様を殺したかったんだ。転移魔術師と転移者は一人ずついれば十分だからな」

 フォルミの命により、殺さずに身柄を拘束しようとしていた。

 ただ、命を出した者は、もうこの世にはいない。部下に止めを刺されてしまった。

「そもそも考えてみろ、転移魔術を扱う転移魔術師をどうやって捕まえる? この男とガサ国の王族は間抜けばかりだ」

 エレステがアルクスにしてみせたように、目を隠せば可能かもしれない。

 しかしながら、その状態に持ち込むまでが非常に困難だ。

「だから殺す。それが唯一無二の策だ。……貴様もそう思うだろう」

「同意はしかねる……が」

 血は、まだ取れない。その全てを拭うことはできない。

 これからまたすぐに、敵の血を吸うことになるからだ。

「今此処で、お前達を殺さなければならないことだけは理解できる」

 だが、恐れることはない。

 あの時、ディードがそばにいたように、アルクスのそばには仲間がいる。

「貴様等が寄こした兵士達も目障りだが、まずは眼前のゴミを処理してやろう」

 既に、ニジガ城の表では敵味方がぶつかり始めていた。アルクスも、のんびりと口を動かしている場合ではない。

「さあ、来るがいい。元英雄の息子の力を見せてみろ」

「言われなくとも、すぐに見せてやるよ」

 二人の言葉が重なり、同時に地を駆ける。戦いの合図だ。

 前と後ろ、通路を敵兵に囲まれたアルクス達だが、怯むことはない。

 前方にはアルクスと佐屋が、後方にはトットルとソール、ルーナの三人が対応する。

「転移者の女ッ、貴様の腕を確かめさせてもらうぞ!」

 血流速度を上げ、ダリノアは佐屋に斬り掛かる。その動きを確実に捉え、佐屋は矢を放つ。

「遅い!」

 瞬時に判断し、距離を詰めながらも矢を避ける。

 しかし佐屋の狙いはダリノアではない。その背後から迫るエレステが本命であった。

「――くっ」

 影を重ねアルクスと佐屋に斬り掛かるつもりが、エレステはその場から姿を消す。

 一人斬り掛かるダリノアの剣を受け止め、アルクスが佐屋を守る。

「退けっ、貴様は後で殺す! 先ずは転移者同士の力比べだ!」

「断る」

 言葉が耳に残り、ダリノアは更に血流速度を上げていく。

 腕の力が増し、剣もろともアルクスと佐屋を地面目掛けて斬り倒す。

「……むっ」

 だが、いない。

 ダリノアが斬ったのは床の一部であり、アルクスと佐屋は肉体転移をし終えていた。

「此処だ」

「――貴様ッ」

 アルクスの声に反応し、ダリノアが振り向く。

 と、その動きに合わせて剣を横一閃、振り抜いた。

 すぐに一歩退き、ダリノアは直撃を免れるが、隙ができたのを見逃さない。

「佐屋ッ」

 名を、呼んだ。

 アルクスの合図を受ける前に、佐屋は既に弓を引き、三本同時に矢を放っていた。

「――何っ」

 瞬間、今度はダリノアの姿が消える。エレステが肉体転移させたのだ。

 しかし、佐屋が放った矢はダリノアがいた場所ではなく、空に向けられていた。エレステがダリノアの肉体を転移させると読み、空いた場所を絞り込んでいたのだ。

「ぐあっ」

「ダリノアッ!?」

 転移場所を読まれたエレステは、矢の餌食となったダリノアの名を口にする。

 三本のうち、二本は受け流すことができたが、残る一本が腹部に刺さったのだ。

「エレステ、もっと上手くやれ!」

「ッ」

 反撃に遭い、息を吐く。エレステの読みの甘さを責め、ダリノアは矢を引き抜いた。

「……ぐぅ」

 痛みはあるが、問題無い。

 再度、血流速度を上げていく。次は剣も矢も通さないようにすればいい、と。

「そんなに上げて大丈夫か」

「ふん、問題無い。転移者の力を甘くみないことだな」

 言葉を交わし、剣を構え直す。エレステが己の体を転移し、佐屋の背後へと現れた。

「貴女は許さない!」

 杖の先を向け、魔術を扱う。だが、

「同じ意見」

 瞬時にその場から二歩移動し、エレステの腕に手刀をかました。

「――ッ」

 思わぬ攻撃に反応が遅れ、エレステは杖を落とす。

 手を離れた杖は魔力の供給が不可となり、魔術は不発する。

「死んで」

 血流速度を一段階上げ、佐屋は蹴りを放つ。

 堪らずエレステは肉体を転移させ、アルクスと佐屋から距離を保つ。

「……彼等、強いわ」

「黙れ! いいから俺の為に命を削り続けろ!」

 エレステの声に、ダリノアが怒りを表す。

 ダリノアは、転移者としての生活が長く、生き死にと隣り合わせの日々を送ってきた。故に、転移者に成り立ての佐屋よりも、一枚も二枚も上手のはずだった。

 だが、蓋を開けてみれば差はほとんどない。それもそのはず、佐屋はウィタモルスのことを初めから知っており、転移者になった時の戦い方を学んでいたのだ。

 父クロスの、英雄仕込みの戦い方を前にして、ダリノアとエレステは実感する。今までに己と戦ってきた者達も、同じ思いをしていたに違いない、と。転移魔術師と転移者を、二人同時に相手にしては危険だということを、今更ながらに理解した。

「エレステッ、削れ!」

 声を掛け、同時にダリノアの姿が消える。背後ではない。かといって上でもない。

 アルクスの真横に姿を現したダリノアは、血流速度を限界まで上げる。

「ぬうううっ」

 転移する間を与えず、ダリノアはアルクスの右足に剣先を突き刺す。

「がっ、あがぁっ」

 ぐらりと傾く体に、追撃を仕掛ける。剣は背を掠め、肉を裂く。

「っ、なんて動きだ……」

 攻撃を受けながらも意識を保ち、佐屋と共に肉体を転移する。その先は、敵兵のど真ん中だ。

「貴様等邪魔だっ、退けいいいっ」

 敵兵を隠れ蓑に、二人は体勢を整える。一方で、ダリノアとエレステは短期決着を狙っているのか、味方の兵士を押し退け、アルクス達の姿を探す。

 しかし、またもや転移する。

 兵士達の中にいたはずのアルクスと佐屋は、先ほどと同じ場所に移動していた。

「アルクス=クレプスクルム、そして転移者の女め、俺に恐れをなしたか!」

「いいや、違うな」

 剣を交えることで、アルクスは理解する。一人では立ち向かうことさえ躊躇ってしまうかもしれない。エレステとダリノアは、それほどの強さを持ち合わせている。

 けれどもそれは、アルクスも同じだ。

 アルクスのそばには、佐屋がいる。切っても切れぬ縁を持つ存在が、常にそばにいる。

「……転移魔術師は、一人では力を出し切ることができないだろう」

 一歩、前に出る。

 それに伴い、エレステとダリノアが身構えた。

「だが……転移者がいれば、話は別だ」

 転移魔術師は、転移者がいることで、持ち得る全ての力を最大限発揮する。

 己の肉体を転移し、転移者の肉体をも転移しながら戦うことができるのだ。

「――だから、今のオレは一切の恐れを持たずに、お前達を殺す。今此処で、佐屋と共に……」

「ふんっ。残念だが、それは不可能だ。……何故ならば」

 空気が震え、ニジガ城が揺れるかのような錯覚を覚える。

 血流速度の限界点を越え、足に力を込め、ダリノアは大きく息を吐く。そして、

「アルクス=クレプスクルムッ、俺が貴様の相手だからだ!!」

 再び、転移魔術師と転移者が、互いの剣をぶつけ合う。

 余力を残すつもりなど毛頭ないと言わんばかりのでたらめさで、ダリノアは全力でアルクスの命をもぎ取りに掛かる。

 エレステと佐屋もまた同じく、弓を引き、剣を抜く。どちらか二人の命が完全に削り取られる時が来るまで、誰にも止めることはできない。

「佐屋ッ」

 名を呼ぶ。瞬間、アルクスと佐屋の場所が入れ替わる。

 ただ肉体を転移するだけでなく、場所を入れ替え、敵の目に戸惑いを受け付けた。しかし、

「小細工など無意味だ! 今此処で貴様等は死ぬのだからなあっ」

 ぶんっ、と空気を凪ぎ、剣を縦に振り切る。ダリノアと対峙した佐屋は、両足の血流速度を上げ、一瞬にしてダリノアの背後に回り込む。

 血流速度を自在に操り、部分的に強化する姿に、ダリノアは舌を打つ。常に全力で、常に全身の血流速度を上げるダリノアには受け入れがたい戦い方であった。しかし、効果は抜群だ。

「ちょこまかと」

「陸上部だから」

 その台詞に、ダリノアの眉が上がる。

 ダリノアも元々は地球の人間だ。聞き覚えのある言葉に反応を示してしまったのだ。

 言葉で動きを止め、勢いよく跳躍する。天井に手をつき、両足で踏み込み、佐屋は重力に従い下へと飛び跳ねた。

「無駄だ! 貴様の考えなど全てお見通しだ!」

 右手に剣を握り、飛び掛かる佐屋に剣先を向ける。が、佐屋の姿がまたしても消えた。

「ここ」

「――ッ!!」

 真横から声が聞こえ、足に鈍い痛みがはしる。

 ダリノアは己の足に目を向けた。矢が突き刺さっているではないか。

「アルクスの分」

「女ああああっ」

 同じ個所を矢で抉り、佐屋は距離を取る。

 一方のアルクスは、エレステの姿を目で追い、敵兵の位置を確認し、転移場所を絞り込む。

 佐屋の攻撃に合わせて肉体を転移し、己はその場でエレステの攻撃を受け流しているのだ。

「早く死んで!」

「それは無理な話だ」

 杖を失くしたエレステは、転移しては剣を振るい、また別の場所に転移してはアルクスの隙を突こうとする。しかし攻撃が当たらない。アルクスは攻撃をせず、完全に守りの体勢に入り、エレステの出方を窺い続けている。

 一方、後方で敵兵と交戦中のトットル等も、アルクスと佐屋に負けじと全力を出していた。

 ルーナが闇を作り、敵兵の視界を奪ったかと思えば、トットルは空気を操り、動きを制する。

 その身に炎をまとい、混乱状態に陥った敵兵達に突撃を仕掛けるのは、ソールの役目だ。

「燃えちゃええええっ」

 ただ、突進するだけ。それだけの行為だが、敵兵は次々に倒れていく。三人が協力し合えば、敵は反撃をすることも逃げ出すことも適わない。

「燃やし過ぎは禁物ですよ、ソールさん」

「はいはーい! わかってるよ、英雄眼鏡!!」

 と言いつつ、ソールは暴れまくる。

 魔術を行使しながらも、トットルとルーナの二人は、互いに溜息を吐く。

「私達の……ッ」

 トットル達とは少し離れた位置で、エレステが声を上げた。肉体転移をし終え、姿を現した先で、アルクスに向けて気持ちをぶつける。

「ダリノアと私の邪魔を……しないでっ」

 再度、転移する。アルクスの頭上に移り、剣と共に落ちる。

「見えてるぞ」

 だが、アルクスは読んでいる。

 エレステが肉体転移をし、影が差した瞬間、その場から一歩横に移動した。

「くっ」

 剣が床を刺し、攻撃が外れる。先の戦いではエレステが優位に立っていたはずだ。それなのに何故、アルクスはエレステと対等以上に戦えるのか。

「あの子、……の為なの?」

 強くなったのは、何故か。エレステは、アルクスが自分と同じであることを理解する。

 佐屋がアルクスの許に寄り、エレステはダリノアのそばに戻る。

「大丈夫か、佐屋」

「ん。心配ない」

 ダリノアの攻撃は、その一つ一つが強烈だ。血流速度の限界を超え、人の領域を踏み外しつつある今、一撃でも喰らえばあとがない。

「アルクスを信じてるから」

 それでも佐屋は、恐れない。危険な時はアルクスが守ってくれると信じているのだ。

「強がりだな、ったく」

 ダリノアの咆哮が、此処にいる全員の意識を向けさせる。

 肌の色が赤黒く変わり、血の巡りが止まらなくなっていく。

「ぐ、がっ、が……ッ、こ、殺すっ」

 口の端から涎を垂らし、目の焦点が定まらない。血流速度の段階を上げすぎたのが原因だ。

「止めないのか、エレステ」

 問う。すると、エレステはダリノアに目を向け、口元を緩める。

「私は、彼を止めないわ。彼がしたいようにするだけよ」

 何度も何度も転移魔術を扱い、時空干渉肉体転移魔術でダリノアの肉体を転移し続け、言われるがままに命を削り続けた。

 今更、エレステは引き返すことはできない。ダリノアと共に生きる他に道はないのだ。

「だから……」

 死んで、と呟く前に、ダリノアが剣を振るう。真横に立つエレステの体が引き裂かれた。

「なっ」

 敵と味方の区別もつかなくなったか。ダリノアは、地に伏したエレステの体を踏み付ける。

「ッ、ううっ」

「え、レス、て……ッ」

 息も絶え絶えになりながら、ダリノアは必死に口を開き、言葉を紡ぐ。

 共に生きた女性に向けて。

「……もう、貴様の……い、のちは、……必よ、う、……無いッ」

 何を伝えようとしているのか。

 アルクス達に背を向け、もはや攻撃を仕掛ける気もなくなっているように見えた。

「い、嫌よ」

 ダリノアの想いが伝わったのか、エレステは首を振り断る。とここで、佐屋が感付く。

「……アルクス」

「ああ、分かった」

 顔を見合わせ、互いに頷く。佐屋は、ダリノアに止めを刺すつもりだった。しかし、あくまでつもりであり、最期まで実行に移す気はない。敵とはいえ、エレステとダリノアは同じ存在だ。転移魔術師と転移者の最期を、アルクスは己の手で導き出すつもりだ。

「行くぞ、佐屋」

「ん」

 声を掛け、共に駆ける。

 その姿に気付き、地に伏したエレステが立ち上がろうとするが、ダリノアの足に阻まれた。

「――ダリノア」

 目の前に転移し、ダリノアの胴体目掛けて剣を突き刺す。が、血流速度を上げた状態の体はビクともしない。しかし、それで十分だった。ほんの僅かでもダリノアの気を逸らすことができれば、それは可能となる。

「こっちに」

「うっ、……何故ッ」

 佐屋が、エレステの腕を引く。ダリノアの許から救い出し、肩を貸す。

「言うとおりにした方がいい」

 そう言って、佐屋はダリノアへと視線を向ける。

 それは、ダリノアがエレステに告げたことを言っているのだ。

「命を削るのが、私の役目なの……。彼が、この世界でのし上がる為には、私の命が……絶対に必要なのよ……ッ」

「そうかもしれない。でもそれはもう叶わない」

 佐屋は理解している。ダリノアが告げたことを、そしてエレステがそれを拒む理由を。

「ぐっ、がっ、……ガッ」

 見境なく剣を振るうダリノアは、敵味方関係無く攻撃をし続けている。佐屋とエレステがその標的とならないように、アルクスが囮となり、相手をしている。

 その二人の姿は、実に対照的だ。

 長い間を共に過ごし、互いのことが分かり合えるはずのエレステとダリノアは、アルクスと佐屋の二人と戦う事で、その部分が足りなかったことに気付いた。

 戦う時の間合いや、意思の疎通が上手く伝わらず、結果的にダリノアは限界を超え、エレステをも傷つけてしまった。

 一方で、出会ってからまだ日の浅いアルクスと佐屋だが、二人の呼吸がずれることはなく、互いのことを信頼し合いながら戦っている。

 その姿を瞳に映し込み、エレステは心の奥底で羨ましさを感じていた。

「今が決断の時」

 決断、と佐屋が言う。エレステが何かを決断しなければ、ダリノアは本当に死ぬ。

「……もう、終わりなのね」

 頬を伝うのは、大粒の涙だ。

 滲む視界の先に映るのは、血流速度を上げ過ぎた代償に自我を失い、その身を滅ぼす男の姿だ。やがて動きが鈍り、屈強なはずの体はボロボロになり、遂にアルクスの剣が突き刺さる。

「そうね、死ぬ姿を見るくらいなら……」

 これ以上、苦しい思いはさせたくない。

 エレステは、ゆっくりと頷く。

「いっその事、私が止めを刺すわ」

 胴体を突き刺され、ダリノアは力無くその場に倒れ込んだ。

「……ダリノア」

 歩み寄るのは、佐屋とエレステだ。

 ダリノアが暴走を始めてから、敵兵達は我先にと逃げ出し、いつしか敵の姿は見えなくなっていた。そんな中、アルクス達はエレステが近づくのを止めようとしない。

 唇を震わせ、愛しい男の名を呼ぶ。その表情は悲しみに濡れていた。

「……ェ、レステェ……」

 息を吐き、必死に呼吸を繰り返す。エレステの声が聞こえたのだろう。苦痛に瞼を閉じ、何も映し出さない瞳には頼らず、その存在を認識する。

「ごめん……なさいね。私では、貴方の夢を叶えることが……できなかったわ……」

 涙が零れ、ダリノアの顔に落ちていく。

 その言葉を耳にしたダリノアは、頬が動き、口を開き、必死に声を紡ぐ。

「……お、まえ、は……っ、く、……くび、だ……ッ」

 最期まで、ダリノアは己の態度を変えない。だが、だからこそエレステには伝わる。

 もういい、と。

 命を削る必要はない、と。

「……さようなら、ダリノア」

 死が、ダリノアを迎える前に……。

 エレステは何事かを呟く。すると、

「消え……た」

 ゆっくりと、ダリノアの体が光に包まれていく。たくさんの光が集束し、小さな粒となっていくではないか。やがて光が消えると、ダリノアの姿もなくなっていた。

 エレステが肉体転移をさせたわけではない。何処にもいないのだ。

「……解除したわ」

 言葉の通り。

 エレステは、時空干渉肉体転移魔術を解いた。

 死ぬ姿を見るくらいなら、と。生き別れる道を選択したのだ。

「貴女、名前は?」

「佐屋」

 エレステの問いに、佐屋が答える。

 力なく微笑むエレステは、もう一言、

「……彼、地球に戻った頃かしらね」

 それだけ呟き、剣を逆手に握り直す。

 己の体を突き刺し、自害するつもりだ。しかし、

「もう一度、会う方法があるから」

「え」

 ぽつりと、佐屋が言う。

 耳を疑い、手から剣が滑り落ち、枯れたはずの涙がまた溢れ出す。

「だから、死に急がないで」

 それ以上、何も言わない。

 佐屋の台詞に、エレステは僅かな希望を残したまま、降伏を宣言する。

 こうして、アルクス達はニジガ城の奪還を果たしたのであった。


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