表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キガナ戦記  作者: ひじり
3/5

【二章】「月と太陽」

「ぐっ、え、いやっ、……なにをっ」

「なにって、……ちゅー」

 小首を傾げ、佐屋が返事をする。

 戦いの最中にも関わらず、突然のキスにアルクスの思考が乱れていく。

「ななななにしてんのよばかあああああっ!!」

 黙っていないのはエリサだ。ズカズカと佐屋に駆け寄り、鼻息を鳴らす。

 一方で、トットルは目を丸くしていた。

「……だれ、この子供」

 怒り顔のエリサに、佐屋は冷たい目を向けた。

「あっ、……あー、えっと」

「近所の子供?」

「まあ、そういうもんかな」

「そう」

「子供じゃないし! エリサよ! わたしはアルクスの――……ッ」

 アルクスの、何なのだろうか。言葉に詰まり、エリサは勢いを失くす。

「わたしは転移者だから。貴女が入り込む余地はない」

「て、転移者……? って、なによ?」

 訳が分からず、エリサはアルクスの顔を見る。

 転移魔術師は、別の世界線に干渉することで、命ある者を肉体転移させることができる。

 今回の場合、該当するのが佐屋だ。

 時空干渉肉体転移魔術でウィタモルスに姿を現した者は、肉体を転移したが故に、転移者と呼ばれている。

 ただ、その全てを一から説明する暇は無い。敵兵は、オオミ村の内部に入り込んでいるのだ。

「佐屋、初めましてのところ悪いんだが」

「ん。……敵はアレ?」

 アレとは、セボ国とヒシガソノギ国の兵士のことだ。肉体転移したばかりだというのに、佐屋は瞬時に戦況を把握し、アルクス達が置かれた状況を頭の中に記憶した。

「ああ。……大丈夫か」

「ん。問題ない」

 真顔で敵を見据え、服に着いた埃を叩く。

「貴方のことは、わたしが守るから」

 そう言い、佐屋は細長い筒の蓋を開ける。中には、数本の矢が入っていた。

「佐屋は弓使いか」

「違う。弓道部だから」

 アルクスの問いかけに、淡々と答える。

 弓道部が何なのか、それすらもアルクスは理解できない。別の世界線の言葉の意味を、これから少しずつ学ぶ必要がありそうだ、と考えた。

 二回、三回と、その場で屈伸運動を行なうと、佐屋は標的を視認する。

「矢が足りない……けど」

 策を思いつき、一人で頷く。

「アルクス、敵が来ます」

「ッ、ああ!」

 トットルの声に、アルクスは視線を彷徨わせる。すぐ近くまで、敵兵が迫っていた。

 しかし次の瞬間、

「――ぎっ」

 一番近い場所にいたセボ国の兵士が、動きを止める。

 一瞬のうちに、額のど真ん中を矢で射抜かれていた。

「一人」

 呟き、弓を構える。かと思えば、あっという間に矢を放ち、二人目の脳天を貫く。

「次」

 冷静かつ確実に、一人、また一人と、敵を始末していく。

「四人目」

 弓を引き、矢を放つ。

 佐屋が行なう一連の動作は実に美しく、一つの流れとして完成されていた。

「す、凄い」

 アルクスだけではない。エリサは勿論、そばに立つトットルでさえも、佐屋の腕に見惚れていた。とはいえ、矢は有限だ。数に限りがある。

「……あ」

 そう。矢が尽きた。

 筒の中を手で探るが、中は空っぽだ。

「今が好機ッ、死ねえっ!」

 シニソノギ国の兵士が、二人掛かりで佐屋に襲い掛かる。無防備な状態を狙われては、転移者といえども一たまりもない。故に、トットルが腕を捲り杖の先を向けた。だが、

「それ、冗談?」

 佐屋は、アルクス達を守るかのように佇み、弓を手にしていた。

 そう、確かにそこにいた。

「つまらないから」

 一瞬、誰もが目を疑った。

 僅か一歩、地を踏みしめる。ただそれだけのことで、遠く離れた地に倒れるセボ国兵の許に辿り着く。躊躇せず、額から矢を引っこ抜くと、流れを断ち切ることなく、矢を放った。

「ががっ」

 佐屋に襲い掛かったヒシガソノギ国の兵士達は、二人まとめて頭部を射抜かれ、その場に倒れ込んでしまった。

「……え、あっ、……足が」

 呆気に取られたアルクスは、異常なまでに速い佐屋の足を見る。

 特に変わった形跡は見られないが、アルクスは佐屋が転移者であることを思い出す。

「二段階……いや、三段階以上、上げたのか」

 別の世界線から肉体転移した転移者は、生まれ育った世界の影響を受け、魔術師のように魔術を扱うことはできない。その代わり、己の体内を巡る血液を自在に操ることで、自身の意思で身体能力を高めることが可能だ。段階的に血流速度を上げ、二倍三倍四倍と、常人を遥かにしのぐ身体能力を手にすることができる。

 だからこそ、転移者は転移魔術師と同じく、貴重な存在であった。

 但し、同時に諸刃の剣でもある。体内に通う血液の流れを弄るのだから、副作用がある。

 負担は大きく、段階を通常に戻した後の反動として、それなりの苦痛を伴う。

 今し方、佐屋は異常な速度で走り、矢を手にした。しかしそれも、血流速度を上げたからこそ可能な行為であった。だが、冷静に考えれば、これはおかしなことだ。

 佐屋は、別の世界線の人間であり、ウィタモルスには肉体転移したばかりだ。

 それなのに何故、佐屋は血流速度の上げ方を熟知しているのか。

「一段階」

 と、佐屋が呟く。アルクスの疑問に答えたのだ。

「い、一段階で、そんなに速く動けるのか……」

 驚きに息を呑み、アルクスは佐屋に目を向ける。

 すると、佐屋は小さく頷き、一言。

「陸上部も、掛け持ちしてるから」

 と言葉を返した。

「……おや、ここにいたか」

 常人離れした佐屋の身体能力に驚くのも束の間、ここで聞き覚えのある声が響く。

「お前は確か、フォルミ=ド=マジェフだったか」

 ガサ国の部隊長フォルミと、部下達がオオミ村へと姿を現した。

「手負いとはいえ、転移魔術師の君を捕まえるのは容易くないだろう。だから、私が直々に足を運んだのだ」

 ダリノアとエレステの二人にニジガ城を任せ、フォルミはアルクスの行方を追ってきた。

 しかしながら、アルクスは捕まるわけにはいかない。

「くくっ、だが安心するといい。私は所用があるのでな。君のお相手は部下に任せよう」

 そう言い、フォルミはくつくつと笑う。

 己の部下に命を下し、自身はオオミ村の外へと出て行く。

「アルクス、あれがガサ国の部隊長ですね?」

「ああ。恐らくは、あいつが親玉だ」

 此度の(いくさ)を仕掛け、キガナ国に一杯食わせるだけでなく、転移魔術師のエレステとダリノアを部下に持つ男だ。ガサ国の部隊長は名ばかりではない。

「所用か、……気になりますね」

「追い掛けるか」

「いえ、今は目の前の敵を全て追い払い、オオミ村に安息をもたらすことが先決です」

 その上で、ニジガ城へと向かう。ディードの安否を確かめなければならないからだ。

「まあ、丁度良くガサ国の兵士達がいますからね。話を聞くことにしましょう」

 杖を腕に、トットルはほくそ笑む。

 標的を見つけ、腕を振ると、兵士のうちの一人が地べたに叩きつけられた。

「我が魔術、とくと味わえ」

 空気の塊を生み出し、兵士の頭上から勢いよく落とす。強襲を受けた兵士は、目に見えない攻撃に太刀打ちすることができない。

「佐屋さん、でしたか」

「なに」

 トットルは、佐屋の名を呼ぶ。

「私の名は、トットルです。憶えていただけると光栄ですね」

 目を合わせ、ニコリと微笑むと、指で敵の群れを示す。

「味方を傷付けず、援護しつつ戦いたいのですが、手を貸していただけますか?」

「……アルクス」

 トットルの申し出に、佐屋は視線を移す。アルクスに決断を委ねているのだ。

「頼んだ」

「ん」

 アルクスの言葉に、佐屋は力強く頷く。

 トットルと共に陣形を整え、敵と味方の位置を視認する。セボ国とヒシガソノギ国の兵士達に混ざり、フォルミの部下達がオオミ村の内部へと足を踏み入れていた。

 ガサ国の兵士の数は十にも満たないが、フォルミ直属の部隊なのだろう。腕は確かだ。ニジガ城とオオミ村の兵士と剣を交え、互角に渡り合っていた。

「では、行きましょう」

 腕を一振り、トットルの魔術が発動する。目に見えぬ攻撃に、ガサ国の兵士が一人、地に伏した。かと思えば、時間差で佐屋が動く。

 ふっ、と息を吐き、戦場を駆け抜けたかと思うと、ガサ国の兵士達の中心に移動した。

「貴様ッ、いつの間に――ッ」

 声を発し、すぐに意識を失う。矢で喉を貫かれたのだ。

 佐屋に気を取られた兵士達が剣を構え直すが、途端に動きが鈍くなる。トットルの魔術の効果だ。単体相手には空気の塊で圧力を掛け、複数相手には空気の範囲を制限し、部分的に重くする。そうすることで、トットルは敵兵の足を止めたのだ。

「再利用するから」

 喉を貫いた矢を引っこ抜き、別の兵士に突き刺す。

 もはや弓を引くこともなく、その動作を繰り返し、一人一人確実に息の根を止めていく。

「ちぃっ、せめてガキだけでも殺し……」

 オオミ村の内部には、セボ国とヒシガソノギ国に加え、ガサ国兵の死体が転がり、その数を増やし続けた。そんな中、セボ国兵の一人が焦り、エリサを視界に捉える。武器を手に走り、その距離を一気に詰めてきた。……が、

「ぐがっ」

 エリサのそばには、アルクスがいる。手負いとはいえ、ニジガ城の城主の腕は衰えない。ただ軽く剣を振り抜き、セボ国兵の足を斬り落とした。

「あ、アルクスぅ」

「隠れてろ」

「うんっ」

 言われた通り、エリサは村の奥へと駆けていく。その背を見送り、アルクスは息を整えた。

「オレも戦わないとな」

 ぎゅっ、と剣を握り直す。肩の痛みを気にする余裕はない。とにかく今を乗り切り、オオミ村に安息をもたらさなければならない。故に、アルクスは剣を振るう。一人でも多く殺す為に。


     ※


 開戦から、半日が経過した。

 キガナ国の本隊と増援部隊が、ウェンドック率いる本部と合流する頃には、既に勝敗は決しており、ダイエン草原には、キガナ国兵の死体の山が出来上がっていた。

 中立の立場を破棄し、セボ国に加担したシニソノギ国の兵士達は、ダイエン草原より先の地に進軍することなく、己の領土内へと戻っていった。

 己の陣地を放棄し、後方へと退却した本部は勿論、何も知らずに合流したキガナ国本隊と増援部隊への被害も深刻で、その数は数千にも上る。セボ国の勢いを止めることはできず、即時撤退となっていた。

 キガナ国の最大の誤算は、戦力の見誤り。

 セボ国は、ヒシガソノギ国とシニソノギ国、更にはガサ国を味方につけ、何も恐れずキガナ国の領土を奪いに姿を現した。四つの国からの攻めに遭い、逃げ場を失ったキガナ国は、後退の他に選択肢はない。

 結果的に、今回の(いくさ)でキガナ国は北の領土を失いつつある。その代表格でもあるニジガ城を筆頭に、ダイエン草原付近の町や村は敵の手に落ち、多くの命が失われることとなった。

 だがその一方で、オオミ村だけは被害を最小に抑えることができていた。

「小休止」

 ぽつりと呟くのは、佐屋だ。

 隣にはアルクスの姿があり、更にその隣にはエリサが座っていた。

「ねえ、アルクス。あたしの部屋に行こう? 二階にあるんだよ」

 腕を掴み、引っ張る。

 その逆側から、今度は佐屋が無言で服の袖をつまみ、離そうとしない。

「……なによ、なんか言いたいことあるの? ここはあたしの家なんですけど!」

 むう、と頬を膨らませ、エリサが佐屋を睨む。

 佐屋は素知らぬ顔で、机上の地図に視線を落としている。

「エリサ、少し黙っていてくださいね」

 見かねたトットルが口を開く。

「だって」

「エリサ」

「……うー」

 アルクスに名を呼ばれ、エリサは口を閉じる。だが、膨れっ面のままだ。

「さて、話を戻しましょう」

 此処は、エリサの住む家の中だ。アルクスとトットル、エリサ、佐屋が一同に顔を合わせ、キガナ地帯を示す地図に目を向けていた。

「見ていただければお分かりになるかと思いますが、キガナ地帯は実に歪な形をしています」

 腕に括り付けた杖を取り、先端部で地図を指し、一つ一つ口頭で説明していく。

 キガナ地帯は、ソダイ湾を中心に、南のキガナ国、東のソダイ国、西のサイカ国、そして北のセボ国、主に四つの大国が己の領土を持ち、均衡を保っていた。

 領土は南のキガナ国が最も大きく、次いでセボ国、サイカ国、ソダイ国の順になっている。

 東のソダイ国は、領土自体は狭く、人口も兵力も隣のヤハサ国に劣るのだが、地形が良いのが決め手となり、大国に名を連ねている。ヤハサ国の更に東には、トバル半島が存在するのだが、その地に向かうにはヤハサ国を通る必要があり、内部を知る者は多くない。

 西のサイカ国は、キガナ国と同盟を結び、良好な関係を築いていた。セボ国が不穏な動きを見せないか、常に見張り、不測の事態に備えている。何事かが起きた場合に、早急に対処可能とする為に、サイカ国は重要な役割を担っているといえるだろう。

 だが、セボ国は攻めてきた。西のサイカ国の領土を通過し、ダイエン草原へと姿を現した。

「つまり、サイカ国もセボ国の手に落ちた……と?」

「その通りです」

 サイカ国を通過しなければ、セボ国はダイエン草原に行くことができない。

 故に、サイカ国はセボ国の軍門に下ったことになる。

 元々、キガナ地帯の最北部は守りが薄い。それもそのはず、サイカ国に見張りを任せていたからだ。ダイエン草原付近にならなければ、人口も少ない。

 だからこそ、隙ができた。

「正確に言うならば、サイカ国はセボ国と手を組んだ、ということになるでしょう」

 サイカ国がセボ国と手を組むことで、セボ国は水面下で兵を動かし、キガナ国に攻め入ることが可能となる。

「それを実行に移したのが……」

「恐らくは、ガサ国かと」

 ガサ国の部隊長――フォルミ=ド=マジェフ。

 ダリノアと繋がることで、裏でセボ国を操っていた。全ては、あの男の企みによるものだ。

 捕縛したガサ国の兵士の口を割り、アルクス達はガサ国の狙いを知るところとなっていた。

 兵士の話をまとめると、要は転移魔術師の力を欲しているとのこと。更に深く言い表すと、時空干渉肉体転移魔術により、ウィタモルスに肉体転移する転移者を駒として扱いたい、と。

「アルクス。此度の(いくさ)は、貴方を巡る争いです」

「オレを巡る争い……」

 転移魔術師は、実に稀有だ。理由は言わずもがな。転移者を呼び出すことができるからだ。

「ガサ国は、シュウク大陸統一を果たすほどの力を欲しているのでしょう」

 アルクスの母ヘレナは、転移魔術師だった。

 そして父クロスは、ヘレナの時空干渉肉体転移魔術によって呼び出された存在、転移者だ。

 元英雄の四人は、一人が魔術師、一人が剣士、一人が転移魔術師、残る一人が転移者であった。ディードやトットルの力は当然のことながら、転移魔術師と転移者がいるだけで、キガナ国はシュウク大陸統一を果たすことができたのだ、と他国は考えた。

 故に、他国は喉から手が出るほど、転移魔術師と転移者を欲していた。

「……でも、奴らは既に見つけてるぞ」

「エレステと、ダリノアでしたか」

「ああ。エレステが転移魔術師なのは確認済みだ。ダリノアも異常な強さを見せていたから、オレの読みが間違っていなければ……」

 ちら、と佐屋を見た。目が合い、アルクスは視線を戻す。

「佐屋と同じだ」

 その言葉の意味は一つ。転移者ということだ。佐屋は、ウィタモルスの人間ではなく、転移者である。その佐屋と同じとはつまり、ダリノアが転移者であることを示している。

「ふむ、転移魔術師と転移者を相手に一人で戦うには、さすがのディードも不利ですね」

「ああ、それとオオミ村にフォルミが姿を見せたのも不安の種だ」

 ディードが無事ならば、フォルミはニジガ城を出てくることもなかっただろう。しかしながら、フォルミはニジガ城をエレステとダリノアに任せて、己の所用の為に動いていた。

「殿。オオミ村一帯は落ち着き、ここを知る者も少なくなりました。動くならば今かと」

「……そうだな、ディードの安否を確かめる必要がある」

 現在、敵側でオオミ村の場所を特定しているのは、エレステとダリノア、フォルミとその部下達だ。フォルミの部下達は、そのほとんどを返り討ちにし、敵の目から逃れ易くなっている。

「よし、兵士達には引き続き村を守ってもらう」

「アルクスはどうするの? あたし達と一緒にいないの?」

 とここで、口を閉じて我慢していたエリサが、ずいっと前に出る。

「仲間を助けに行く」

 ニジガ城には、ディードがいる。

 たとえ手負いの状態とはいえ、何もせずに隠れていることはできない。

「だ、だけど! ニジガ城は危ないんだよね? また怪我したら……」

「心配要りませんよ、エリサ。アルクスには私達がついています」

 そう言い、トットルが笑みを浮かべる。その表情を見て、エリサは視線を移す。

「……守ってよね」

 佐屋に向け、呟く。エリサは戦うことができない。剣術や魔術の腕がないのだ。

 だからこそ、頼むことしかできない。

「当り前」

 エリサの言葉に、佐屋が反応する。

 それが役目だと言わんばかりの表情で、エリサと目を合わせた。

「エリサ、オオミ村を頼む」

 そんなエリサの心中を察してか、アルクスが声を掛ける。

 すると、エリサは目を輝かせる。

「うん!」

 アルクスの言葉に元気を取り戻したエリサは、力強く頷くのであった。


     ※


 夜の帳が降り、虫の音がヤガン山に響き始めた頃、アルクスと佐屋、トットルの三人は、山頂へと移動し終えていた。

 ニジガ城は鉄壁の守りを誇るが、それは背にヤガン山があるが故だ。ヤガン山の裏手には細い山道が存在し、港町へと抜けることが可能だが、大勢が通るのは困難である。その為、前方からの攻めに集中し、(いくさ)に備えることができる。

 ただ、今回は話が違う。僅か三人、それもヤガン山の勝手を知る者が二人いる。ニジガ城の裏手に回り込み、城内へと入り込むのは、彼等にとって実に容易いことだ。

「如何でしたか?」

 ぼそりと、トットルがアルクスに向けて問い掛ける。しかしながら、トットルのそばにいるのは佐屋だけだ。アルクスの姿は何処にも見当たらない。

「ディードは……もう、いない」

 その時、声が聞こえた。ふっと、トットルの真横にアルクスが姿を現す。肉体転移を繰り返し、城内を転々と移動し続け、情報収集をしていたのだ。

「となると、彼は一人で何処かに逃げ……」

 言葉を切り、トットルはアルクスの顔を見る。言葉の意味に気付いたからだ。

「……アルクス、事実ですか」

 訊ねる。嘘偽りであればよい、と。

「ああ、事実だ」

 けれども、アルクスは頷く。ただただ事実を述べていた。

「ディード、貴方が……」

 目を閉じ、揺らぐ心を落ち着かせる。

 トットルは、ほんの僅かな時の中で、過去を思い返す。

「……では、敵の様子は?」

 瞼を開け、真っ直ぐにアルクスを見据える。

 動揺してはならないことを、トットルは知っていた。

「兵士達の会話を聞いたけど、まずいことになった」

「詳しく教えてください」

 トットルに促され、アルクスは息を吐く。

 見てきたこと、聞いてきたことを、話し始めた。

 現在、ニジガ城の城内には、セボ国とガサ国の兵士がのさばっている。その兵士達の会話によると、キガナ国相手の(いくさ)は一時的に手を緩め、明朝にはヤハサ国に攻め込み、更にはソダイ国をも支配下に置くつもりとのこと。

「ヤハサ国とソダイ国が落とされては困りますね。キガナ国の南方は海に面していますから、逃げ場がなくなります」

 そう、南への侵攻を中断し、東の大国を抑えることで、キガナ国の逃げ場を失くす算段だ。

 しかしながら、当面の危機は、キガナ国やソダイ国、ヤハサ国、どの国にも当てはまらない。

 アルクスは、もう一つの国の名を挙げる。

「シニソノギ国が危険な状態にあるんだ」

 ツギト城とヨナガ城、二大国衆の領土が、内部崩壊の危機に瀕していた。

「両城主の暗殺は、どうやらガサ国の手によるものらしい」

 その言葉に、トットルは天を見上げる。己の予想が当たっていたことを、悲しんでいるのだ。

「明日にも、シニソノギ国を掌握できると言っていた。その指揮を執っているのが……」

「……フォルミですね?」

 問い、頷く。フォルミが言っていた所用とは、このことだったのだ。

「非常にまずい事態であることは確かなようですね……。ただ、逆の意味で捉えるならば、我々にもまだ勝機はあります」

「逆の意味?」

「ええ。シニソノギ国を味方につけることが可能かもしれない、ということです」

 セボ国とガサ国の兵士達は、明日にもシニソノギ国を掌握できると言っていた。

 つまりは、まだ完全には掌握し切ってはいないことになる。

「アルクス。現、両城主との面識は?」

「んー、確か幼い頃に一度会った気がするが……」

「十分です。直ちにシニソノギ国へ入りましょう」

 立ち上がり、辺りを確認する。佐屋はというと、ただ黙って二人の会話を聞いていた。

 ウィタモルスの現状を知ろうとしているのだろうか、とアルクスは考える。

「シニソノギ国か、……無事に入れるといいが」

「我々三人だけなら可能かと」

 現在、サイカ国がセボ国の手に落ち、ソダイ国とヤハサ国も標的となっている。

 だが、既に敵の手に落ちたと思われていたはずのシニソノギ国が、未だ掌握されていない事実は、全てが思い通りに運んでいるわけではない、ということでもある。

 このままでは、キガナ国が屈するのも時間の問題だが、打開案があるとすれば、まずはシニソノギ国を中立国に戻すか、または味方に引き入れるか。

「よし、ニジガ城の奪還は後に回し、まずはシニソノギ国を救おう」

 アルクスの決断に、二人は頷く。シニソノギ国を救うことが、結果的にキガナ国やソダイ国、ヤハサ国を救うことに繋がる。だが、そう簡単に事は運ばない。

「見つけたわ」

「――ッ!?」

 気配を感じた時には、既にそこにいた。

 視界に捉え、瞳が合った次の瞬間には、目の前に移動していたのだ。

「エレステッ」

 己の体を肉体転移したのだろう。

 音もなく空間を移動し、アルクスの前に姿を見せるエレステは、剣を振り下ろす。……が、

「っ」

 その腹を運動靴で蹴り飛ばし、距離を保つ女性が一人。転移者の佐屋だ。

「――助かった!」

「いい」

 首を振り、敵を見据える。

 ほんの僅かに血流速度を上げ、片足のみ、一段階上げたのだ。

「……貴女、何者かしら?」

 むくりと起き上がり、エレステは佐屋の姿を観察する。蹴り一つで吹っ飛ばされたことが不可解なのだろう。しかしながら、佐屋は状況を冷静に判断し、ぽつりと一言、

「知らなくていい」

 と言い捨て、弓を引く。

 流れるような動作に対応が遅れ、エレステは目を細めるが、寸でのところで転移魔術を行使する。放たれた矢は壁に突き刺さり、反動でしなった。

 かと思えば、佐屋の視界が真っ暗になる。エレステが間近に姿を現したのだ。

「じゃあ、死んでいいわ」

 ゼロの間合いから、エレステが剣を突き刺す。

 視界を阻み、佐屋の判断を鈍らせ、一撃で仕留めるつもりだった。

「――え」

 だが、エレステの剣は空を突く。一瞬にして、佐屋が姿を消したのだ。

「ここにいる」

「……ッ」

 とん、と肩を叩かれ、エレステは振り向く。

 と同時にトットルの魔術が動きを封じ、エレステの体を地に圧しつけた。

「無駄よ、私は転移魔術師だから、動きを止めることはできないわ」

 空気で圧し、身動きできないエレステは、瞬き一つ。別の場所に肉体転移し、難を逃れた。

「ふう、まるでイタチゴッコですね」

 敵の動きに、そして戦い方に、トットルは溜息を吐く。

「戦い慣れしてるな。転移魔術を自在に使いこなしてる」

「……当然よ。それが生きる為でしょう?」

 アルクスの言葉に、エレステが反応を示す。

 今ようやく、気配の主がエレステであることを理解する。転移魔術師と転移魔術師は、互いの存在が稀有であるが故に、肉体転移をしようとも気配を察することができた。

「ところで貴女、転移者ね?」

 距離を保ち、佐屋の姿を見据えるエレステは、問い掛ける。

 何故、それが分かったのか。それはエレステが転移魔術師だからだ。

「転移魔術師は、転移者の肉体を転移できる……だから、貴女は転移者よ」

 エレステの言うとおり、佐屋は剣で貫かれる前に肉体転移をしていた。アルクスが佐屋の命を救ったのだ。

「……よく、彼を信用できたわね」

 彼とは、アルクスのことだ。アルクスが佐屋の肉体を転移しなければ、佐屋は命を落としていたかもしれない。それほど危険な状況下に、佐屋は置かれていた。

「出会って間もないのに、魅了の魔術でも使ったのかしら」

 少しずつ言葉数が増え、エレステは問い続ける。同じ存在と似た存在、二人を相手取り、言葉を交わさずにはいられなくなったのだ。

「魅了? そんな魔術は使ってなー―」

「使われた」

 アルクスの言葉を遮り、佐屋が言う。

「佐屋?」

「ずっと……、魅了されていた」

 そう言い、佐屋は再び弓を構える。その仕草を見やり、トットルも腕を向けた。

「勇敢なことね」

 エレステが視線を逸らす。と、次の瞬間には姿を消し、アルクス達の後方へと移動していた。

 だが、そこにいたのはエレステ一人ではない。もう一人、見覚えのある人物が増えていた。

「先日振りだな、ニジガ城の元城主」

 何処からか、ダリノアを肉体転移させてきたのだろう。エレステと共に姿を現した転移者は、目を向け状況を把握する。

「負け犬が何をしに戻ってきた。……ああ、城を取り戻しにか? いや待て、それともあの老害が死んだかどうか確かめに……」

「ッ、ダリノアッ!!」

 怒りに任せ、剣を横に一閃。だが、ダリノアは一歩退く。

「アルクス=クレプスクルム、貴様の剣技は研究済みだ。剣闘大会で見ていたからな」

 何度もキガナ国内部に忍び込み、エレステとダリノアはキガナ国の戦力を調査していた。

 剣闘大会は、その最たるものだ。

「決勝の相手が死んで悲しいか? 殺したのは、この俺だぞ」

 からかい、手に持った剣をクルクルと振り回す。

「――死ね!」

 黙っていられるはずもなく、アルクスは肉体転移を実行に移す。

 ダリノアの後方へと姿を移し、その体を真っ二つに斬る。

「無駄だ、貴様の力では斬れないぞ」

 ところが、ダリノアは平然としている。頭から斬り裂くかに思えたが、剣が先に進まない。

「ぐっ、何故だッ」

「何故だと? 俺が転移者だからに決まってるだろ」

 ダリノアの台詞が耳に残り、アルクスの腹部に激痛がはしった。

「――か、はっ」

 眩む視界の中、何が起きたかを求める。左手で一発、腹を殴られただけ。ただそれだけだ。

「転移魔術師の端くれならば理解しろ。この世界では、転移者が頂点に立つということをな」

 ダリノアは、ウィタモルスの人間ではない。別世界の住人だ。転移者特有の力で血流速度を上げ、身体能力を向上させることが可能だった。

「二段階上げるだけで、俺の体は鋼にも勝る。つまり、貴様の剣は通用しないということだ」

 エレステは転移魔術師としての腕を磨き、その一方で、ダリノアは転移者としての力を最大限発揮できるように研究してきた。

 アルクスは、圧倒的な差があることを再認識させられた。

「むっ」

 但し、ニジガ城に忍び込んだのはアルクス一人ではない。

「地に伏すがいい」

 トットルの魔術に、ダリノアが膝をつく。その隙を見逃さず、佐屋が矢を放った。

「――ふん、無駄だ」

 しかし矢は弾かれる。

 先ほどと同じように、ダリノアは血流速度を上げ、体を硬くしたのだ。

「鋼の肉体か、厄介なものです」

 そう言いつつ、トットルは更に腕を振る。視界の端でエレステが動く姿を捉えていたのだ。

 トットルの攻撃を避け、エレステは肉体転移を繰り返す。姿を現しては消し、消しては現す。

「これでは埒があきませんね。……アルクス、逃げますよ」

「え、逃げるだと!?」

 アルクスの許に駆け寄り、トットルは声を掛ける。

「全力を出さずに勝てる相手だとお思いですか」

「くっ」

 アルクスは理解している。怪我が無くとも、今のままではエレステとダリノアには勝てない。

 今よりも更に転移魔術の精度を高め、強くなる必要があった。

「……あいつは、ディードの仇だ」

「分かっています」

 憎しみは消えない。トットルもまた、友を失った悲しみにより、ダリノアの命を欲している。

 けれども、その時は今ではない。

「必ず殺す」

 言い切り、アルクスは頷く。

 すると、トットルが我先にと窓縁に足を掛け、城外へと身を投げた。

「……何を」

 エレステが呟き、ダリノアはゆっくりと立ち上がりながらも眉をしかめる。

 二人の姿を瞳に捉え、アルクスは口を動かす。

「トットルは一流の魔術師だ。空を飛ぶのも朝飯前なものでな」

 と言って、窓の外に視線を向ける。すると、今度は佐屋の姿が消え去った。

「……貴様、二度も逃げるつもりか」

 意図を察したダリノアが、剣を構えながらも言葉をぶつける。転移魔術師は、己の肉体を転移することで、自在に移動することができる。故に、単独での行動、撤退に適していた。

 ふう、と息を吐き、アルクスは否定する。

「三度目は逃げない。その時こそ、お前達を殺してみせる」

 そう言い放ち、アルクスは肉体転移を実行に移す。

 瞬き一つで目に見える範囲に移動したアルクスは、ニジガ城を瞳に映しながら、瞼を閉じた。

「よく我慢しましたね、アルクス」

「我慢しないと、死んでたからな」

 アルクスのそばには、佐屋とトットルがいた。予め、合流地点を決めていたのだ。

 まずはトットルを逃がし、次いで佐屋の肉体を転移する。最後に己の肉体を転移させることで、無事に撤退することを可能としていた。

「さっきはありがとう」

「ん? ……ああ、どうってことないさ」

 佐屋が礼を言う。エレステの剣技から救われたことを言っているのだ。

「やっぱり、アルクスは優しい」

 ぼそっと唇を動かし、佐屋は下を向く。頬は朱色に染まっていた。

「さて、シニソノギ国に急ぎましょう。いつまでもここにいては危険ですからね」

 目に映る範囲に逃げたことは、エレステとダリノアも理解している。転移魔術師と転移者であれば、アルクス達を追いかけることも不可能ではない。

「まずはシニソノギ国に入り、両城主にお会いしましょう」

「シニソノギ国か。……新しい城主は、まだ子供だったよな」

「その通りです。確か名は、ソールとルーナだったかと」

 ツギト城とヨナガ城、両城主の名は、ソールとルーナ。

 ツギト城の城主がソールで、ヨナガ城の城主がルーナである。

 年の頃は十四と十三で、エリサと同年代だが、前城主を暗殺によって亡くし、内部が乱れつつあった二大国衆をまとめ上げる為に、否応なく担ぎ上げられることとなっていた。

「シニソノギ国の両城主、どちらに転ぶか……」

 急ぎ足でヤガン山を下り、三人はシニソノギ国へと急ぐ。


     ※


「あーもう、どうなってんだよー」

 煌びやかな装飾が施された部屋に、若い女の声が響く。

 フカフカの椅子に腰掛け、苛々を隠そうともせず、両足をパタパタとさせていた。

「あいつらいつまでいるわけ? 戦いが終わったら帰るんじゃないのかよ!」

 荒っぽい口調で、次々と愚痴を溢す。彼女の名はソール。ツギト城の女城主だ。

 何者かの手によって父が暗殺され、血を受け継ぐソールが自動的に城主となったのだが、当の本人は面倒事を押し付けられたと考えているらしい。

 ツギト城が置かれた立場に何度も溜息を漏らし、地団太を踏む。

「怒らないでよ、ソール」

 そして別の声が響く。室内には、ソールの他にもう一人いた。向かいの椅子に腰を下ろし、不安気な顔でソールの様子を窺う女の子――ルーナは、ヨナガ城の女城主だ。

「ボク達でなんとかしようよ、ね?」

 駄々っ子を宥める要領で、年下のルーナが声を掛けるが、ソールは舌を出す。

「なんとかしなくてもなんとかなるって言われたから、あいつらと手を組んだんだぞっ、今更あたし達だけでどうするってんだよっ」

 ソールの怒りの矛先は、すぐそばにいる。

 部屋の扉を開ければ、その姿を見ることができる。

「見ろよ! あーんなにたくさん、敵の兵士が見張ってんだぞ? あたし達だけじゃどうにもできないじゃんか!」

 ソールとルーナがいるのは、ツギト城の城主の間だ。ツギト城はソールの家であり、城下町は庭のようなものだった。

 けれども今は違う。扉の外にはセボ国とヒシガソノギ国の兵士が見張りに付き、シニソノギ国の内部には大勢の敵国兵が入り込んでいた。

「ううっ、なんでこんなことになっちゃったんだよぉ……」

「……泣かないで、ソール」

「泣いてないし! ううっ」

 両城主のソールとルーナは、昔から仲が良い。幼い頃から共に遊び、共に育ってきた。

 二大国衆の娘同士、将来的には立派な女城主になろう、と互いに高め合っていたのだ。

 だが、災難は音もなく忍び寄る。

「パパがいたら……」

 我が身に起きた不幸をぼやく。ソールとルーナは、二人が思っていたよりもずっと速く、二大国衆の城主となってしまった。あろうことか、前城主暗殺という最悪の形で。

「ね、ねえ。今からでも追い払えないかな?」

「無理無理無理っ、あたし達が捕まってる限り、みんなは自由に動けないんだぞっ」

 打開策を考えるルーナと、否定するソール。

 何故、この二人が己の城で囚われの身となっているのか。それは至って単純な理由だ。

「ああもうー、口車に乗せられなければなあ……」

 前城主が暗殺されて間もなく、ツギト城とヨナガ城の民は、疑心暗鬼に陥っていた。

 ツギト城の者がヨナガ城の城主を暗殺し、逆にヨナガ城の者がツギト城の城主を暗殺したとの噂が広まったからだ。それを機に、動く者がいた。

 元々仲が良かったはずのツギト城とヨナガ城だが、ほんの僅かでも亀裂が入れば、懐に入るのは容易い行為だ。

 今から一月ほど前の話になる。ガサ国の部隊長フォルミが二人の前に姿を現し、セボ国と共に(いくさ)を仕掛け、シニソノギ国を滅ぼす、と宣戦布告をする。

 今のままで(いくさ)が始まれば、シニソノギ国はなす術もなく敵の手に落ちるだろう。

 それが嫌ならば、と。フォルミは、ソールとルーナに二つの条件を提示した。

 一つは、二人が次の城主になること。

 そしてもう一つは、二人の身柄を拘束すること。

 これには、フォルミの思惑が隠されている。だが、ソールとルーナには選択肢が残されていなかったので、フォルミの条件を呑まずにはいられなかった。。

 その結果、現状へと繋がる。

「あたし達は、ただの操り人形じゃんか……」

 二人が新たな城主へと名乗りを上げたことで、ツギト城とヨナガ城の睨み合いは無くなり、また互いに手を取り合うこととなった。と同時に、新たな城主への信頼は前城主以上に増し、一つの国として団結し、強みを手にしたかに思われた。

 だが、もう一つの条件が、それを阻む。二人がツギト城の一室に引きこもり、姿を見せなくなった頃、シニソノギ国の内部にフォルミが姿を現すようになった。

 そして一言「彼女達の身柄を拘束した」と告げた。

 慌てふためいたのは、シニソノギ国の民達だ。前城主の暗殺に続き、現城主の二人まで殺されてしまっては、もはや国として死んだも同然だ。

 その後、海を渡り続々と上陸するヒシガソノギ国の兵士達と剣を交えることはなく、シニソノギ国の民達は、ただ黙って見ていることしかできなかった。

 シニソノギ国の内部は、セボ国とヒシガソノギ国の兵士達で溢れ返り、(いくさ)支度を整え始めた。そして、彼等はシニソノギ国の兵士達を引き連れ、ダイエン草原へと向かったのだ。

「ボク達の魔術でなんとかならないかな? 二人で逃げ出して……」

「城内にはあいつらがうじゃうじゃいるっての。だから無理だって言ってるじゃん」

 ルーナは、どうにかして抜け出し、シニソノギ国の民に無事を知らせたかった。一方のソールは、諦めきっている。逃げる手段はない、と降伏しているのだ。

「はあー、こんな時に白馬の王子様が来てくれたらなー」

 深い溜息を吐き、ソールが椅子に座ったまま背伸びをする。その姿を見ながら、ルーナは悲しそうに視線を下げた。と、その時、

「……んあ?」

 トントン、と扉がノックされる。

「こんな遅くに何の用だよ、ったくもう」

 既に日を跨ぎ、城外は暗闇に包まれていた。食事時を除けば、扉が開くことは一度もなかったのだが、何故こんな時間にノックするのか。

「……そ、ソール。なんか危ない気が」

 袖を掴み、行くのを止める。それを振りきり、ソールは鼻息を鳴らした。

「もうとっくに危険な目に遭ってるし。ほら、開けるよ」

「ああっ」

 忠告を聞かず、ソールは扉を開ける。すると、扉の向こう側には誰もいなかった。

「……気のせい?」

 と言ったところで、ソールは廊下へと顔を覗かせる。

 そこらじゅうに敵国の兵士が立ち、二人が抜け出さないようにと見張っていた。

「なんだ、勝手に扉を開けるなと言ったはずだぞ」

「へんっ、分かってるし」

 扉のそばに立つ兵士が、怒気を含む声でソールを睨む。

 怯むことなく睨み返し、ソールは思い切り扉を閉めた。

「ソール、誰かいる」

「えっ」

 そして気付いた。室内に、何者かが入り込んでいることに。

「ふう、成功して一安心ってところか」

「……あ、あんただれ?」

 突如、室内に姿を現したのは、若い男だ。

「えっと、一応久し振りになるのかな? キガナ国領土内ニジガ城の城主、アルクスだ」

 そう言って、アルクスは二人に笑い掛ける。その笑みを瞳に映し、ソールとルーナは互いの顔を見合わせたかと思えば、すぐに視線を戻した。

「あ、……アルクスって、あの?」

「あの、の意味が分からないが、たぶんそのアルクスだ」

 そう答えると、途端にソールは顔を明るくする。

「小っちゃい頃に会った! あのアルクス!!」

 今もまだ小さいが、それよりも更に幼い頃のことを思い出したのだろう。

 ソールは嬉しそうに両手を広げ、アルクスを見た。

「えっ、えっ、えっ、なんでっ? っていうかどうやってここに来たんだっ!? 周りにはあいつらがいっぱいいたのにさ!」

 この部屋は、ソールとルーナの監禁部屋だ。他の誰も入室することを許されていない。それなのに何故、アルクスは部屋に入ることができたのかと、ソールは疑問をぶつける。

「あっ、っていうか、部屋をノックしたのってアルクスなのかっ?」

「ああ」

「すっごい! あいつらうじゃうじゃいるのに、どうやったんだよっ!?」

「まあ、それは追々話す」

「じゃ、じゃあさじゃあさ、アルクスはどうやって部屋の中に入ったんだ? あたし達、アルクスが部屋に入るとこを見てないぞ!」

 アルクスの登場に盛り上がるソールと、不安気な表情を浮かべるルーナ。二人の姿と言動を観察し、アルクスは思考を巡らせる。

「それについてだが……まずは、オレが此処に来た理由を説明した方がいいな」

 ルーナはともかく、ソールの親しげな態度に望みがあると感じたアルクスは、これまでに起きた出来事を話すことにした。

「おうっ、話聞かせてくれよっ!」

 対極的な二人は、椅子に腰掛け直し、アルクスの話を聞くことにした。

「結論から先に言うが、ガサ国の手によって、ニジガ城が落とされた」

「へっ? ……っと、嘘だろ?」

「事実だ」

 ツギト城とヨナガ城の両城主が驚くのも無理はない。

 何者も寄せ付けない、鉄壁の守りを誇るニジガ城が落城したと言われたのだ。

「ガサ国の目的は、ただ一つ。転移魔術の力を持つ、このオレだ。その目的を達する為だけにセボ国と手を組み、キガナ国に(いくさ)を仕掛けてきたんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、転移魔術って……あれだろ? めちゃんこ稀有な魔術師しか使えないっていう……」

「転移魔術師な」

「そうそれな! ……それ、ホントか?」

「ああ」

 と言って、アルクスは瞬き一つ。

 その場から姿を消し、ソールとルーナの背後に肉体を転移させた。

「へっ、――うぎゃっ!? いいいいつの間にあたしの後ろにっ!?」

「転移魔術を使ったんだ」

「……す、すごい」

 驚くソールと、感嘆するルーナ。二人は、アルクスが転移魔術師であることを理解した。

「それで話の続きだが……」

 ニジガ城の落城の次は、ガサ国の目的について話す。できることならば、転移魔術師については語りたくなかったのだが、しかしそうも言っていられない。

 今此処で、ソールとルーナを味方につけておかなければ、キガナ国は確実に滅ぶだろう。

 だからこそ、アルクスは己の秘密を打ち明けた。

「……す、」

「す?」

「すっげえな! まるで夢物語じゃんか!!」

 すると、ソールは満面に笑みを浮かべ、何度も何度も頷く。話を聞き終えた後、ソールはようやく実感したのだ。目の前に佇む男が、転移魔術師だということに。

「転移魔術師って、ウィタモルスに十人もいないんだろっ? そのうちの一人がアルクスだなんてよー、しかも今あたし達の目の前にいるってのがビックリだよ!!」

「ソール、落ち着いてよ」

「ルーナは落ち着きすぎだってば!」

 二人の姿を見やり、アルクスは苦笑する。

「あっ! それじゃあさ、この部屋に入れたのって、もしかして!」

 期待のこもった瞳で、ソールがアルクスを顔を見る。

「その通り。転移魔術で肉体転移したんだ」

 一瞬で扉の前に肉体転移し、ノックする。その後、すぐに扉の前から肉体転移し、見張りの目を欺く。暫くして扉が開き、室内に二人の姿を確認したアルクスは、三度(みたび)転移魔術を行使することで、室内へと入り込んだ。

「すっ、ごい!!」

「落ち着いてよぉ、ソール」

 憧れの存在に出会ったかのように、ソールはその場で飛び跳ねた。

「……で、ここに来た理由についてだが」

 単刀直入に言った方が分かりやすい。

 アルクスは、余計なことは言わずに、己の願いを二人に伝える。

「ガサ国とセボ国を裏切り、キガナ国側についてほしい」

「へっ? キガナ国側に……?」

「キガナ国はダイエン草原での(いくさ)で大敗した。その結果、四竦みの均衡が崩れつつある」

 キガナ国、セボ国、ソダイ国、サイカ国。キガナ地帯は、四つの大国が東西南北に領土を持ち、均衡を保っていたのだが、まずはサイカ国がセボ国の軍門に下った。

 次いで、キガナ国が北側の領土を失いつつある。このままでは、キガナ国はおろか、ヤハサ国からソダイ国へと侵略地を拡大し、キガナ地帯の全てをセボ国に支配されることになる。

 そして、裏でセボ国を操るのがガサ国だ。

 仮にセボ国がキガナ地帯を征服したとして、その後はどうなるのか。ガサ国が手を出してこないとは思えない。一つの(いくさ)から、数え切れないほどの(いくさ)が生まれる可能性も否定できない。

「あたし達に助けてほしいってのは分かったけどさー」

 現状を話し終えると、ソールは難しそうな顔付きになる。

 ルーナと顔を見合わせ、目を泳がせながら、視線を戻した。

「今、ボク達、捕まってるんです」

「……は?」

 キガナ国が滅亡の危機に瀕していることは分かった。

 だが、シニソノギ国にはシニソノギ国の事情がある。

「あたし達はさ、中立国を止めたわけじゃないんだよ。ちょっとした事情があって、セボ国に加担してるわけであってよ……その、えっとな……」

 言いよどみながらも、ソールはシニソノギ国の置かれた立場を伝えていく。

 まずは、前城主が暗殺されたこと。

 ガサ国の部隊長フォルミが二人の前に現れたこと。

 条件を提示されたこと。

 二人が新たな城主となったこと。

 同時に人質となり、ガサ国の言われるがままになっていること。

 シニソノギ国の兵士は少なくないが、敵を追い出すことができないのには、それなりのわけがある。その最たるが、両城主の存在だ。更には、ガサ国、セボ国、ヒシガソノギ国の兵士達が領土内をうろつき、シニソノギ国の民を人質に捕っている。両城主が囚われの身であるだけではなく、民までもが囚われの身となっているのだ。

 隣国に助けを求めることもできただろう。だが、誰一人実行に移さなかったのは、元中立国であるが故か。他国の手を借りず、シニソノギ国は繁栄してきた。そのちっぽけな自尊心に誰もが憑りつかれ、助けを求めることができなかった。

「なあっ、頼むからあたし達を助けてくれよ!」

「ボクからもお願いします。シニソノギ国を助けてください」

 キガナ国を救う為に、協力を求めに来たはずが、逆に助けを乞われてしまった。

 アベコベな事態にアルクスは、ゆっくりと息を吸い、吐く。

「二人も……いや、シニソノギ国も、大変な目に遭っていたんだな」

 シニソノギ国は、中立の立場からセボ国と同盟を結び、ダイエン草原へと狩り出された。両国間で、何らかの密約が交わされたのだろう、と想像していた。だがそれは間違いだ。

 シニソノギ国もまた、キガナ国と同様に、深刻な事態に陥っている。

「手を取り合おう。互いの国を救うんだ」

 このまま、ジッとしているわけにはいかない。手段を考え、戦況を覆す必要があった。

「おう! まず、何から始めればいいんだ?」

「手始めに、ここを抜け出すか」

 部屋を訪ねた時と同じく、転移魔術で移動可能であれば、苦はない。しかしながら、それを可能とするのは、転移魔術師のアルクスと、転移者の佐屋のみ。ソールとルーナの肉体を転移することはできない。自分自身で足を動かし、抜け出すしかなかった。

「でも、兵士がたくさんいます」

 ルーナの台詞に、アルクスは思い出す。部屋の外には数え切れないほどの敵兵の姿がある。

「闇夜に紛れ、空中散歩と洒落込むか」

「空中散歩?」

 聞き返され、アルクスは頷く。セボ国が空の進軍を成功させたように、アルクスとトットルも空中から敵の動きを探った。それとほぼ同じことを実行に移す。

「二人は魔術師か?」

 問う。それが脱出の手助けになるかもしれない。

 すると、ソールとルーナは顔を見合わせ、ソールは大きく、ルーナは小さく頷く。

「できるぞ!」

 そう言って、ソールは右の手の平を広げてみせる。

 と同時に、手の平の上に小さな火の玉が生まれた。

「あたしは火炎魔術師。遠くに飛ばしたりすると威力が半減するから、身にまといながら戦うんだ! 接近戦ならお手の物だぞ!」

 炎を身に纏い、敵と戦う。

 己の身を焼くことはないのだろうか、と一瞬考えたが、アルクスはすぐに認識を改める。

「ほら、どうだ?」

 火の玉が手の平から動き始めたかと思えば、そのまま右腕を覆い尽くしてしまう。

「……熱くないのか」

「ぜんっぜん! だってあたし、火炎魔術師だからなっ」

 先ほど言ったことを、もう一度口にする。ソールは、己を火炎魔術師だと告げた。

「すごいんだな、さすがツギト城の城主だ」

「そーだろ! 一対一ならアルクスにだって負けないぜ!」

「ぼ、ボクは……これです」

 とここで、もう一人の女の子が呟く。

 アルクスが視線を移すと、ルーナは俯きながらも何事かを呟き、両手を前に向けた。

「……これは?」

「闇、です」

 ルーナが作り出したのは闇だ。明かりに包まれた室内に、真っ暗な闇が生み出された。

「ボク、黒魔術師なんです」

 黒魔術師。それは、闇属性の魔術を扱う者の総称だ。禁忌に触れる魔術が多く、扱うだけでも法で罰せられてしまう。その点はアルクスと似ている。

「攻撃性は無いです。……目晦ましぐらいしか」

 ぼそぼそと言い、両手を下ろす。動作に比例して、闇が消えていく。

「あ、でも、……魔力付与はできる……けど」

「魔力付与か、いい魔術師じゃないか」

 ソールが生み出した闇は、闇属性の魔力として、武具に付与することが可能だった。

 単純にいえば、通常時よりも戦力を増強させることができるということになる。

「だけどさー、あたし達の魔術じゃ、ここから抜け出せないんだよ」

 ソールの言葉に、ルーナは俯く。確かに、二人だけでは抜け出すことは難しかったかもしれない。だが、此処にいるのはソールとルーナの二人だけではない。

「案ずるな、オレがいる」

 部屋に入ることができたのだから、抜け出すことも不可能ではないとアルクスは考えている。

「窓は見張られているのか」

「窓? さすがにそれはないぞ。だってここ、めちゃくちゃ高いし」

 室内を歩き、ソールは窓際に移動する。

 木窓を開け、外の景色を確認するが、空や遠くは暗くてよく見えない。だが、地上には松明の火が揺ら揺らと燃え動いている。大勢の敵兵に囲まれているのは誰の目にも明らかだ。

「こっちを見ている奴は、さすがにいないよな」

 と言いつつ、念には念を入れなければならない。

「少し消える。またすぐに来るから、窓は開けておいてくれ」

「え? あっ」

「……消えた?」

 言うや否や、アルクスの姿が消えた。窓から外に、肉体を転移したのだ。

「て、転移魔術師かー、かっこいいなあ」

 いなくなったアルクスの姿を思い返しながら、ソールは頬を緩める。

 その表情は、恋する乙女のようになっていた。


     ※


「ただいま」

 数十分が過ぎただろうか。

 部屋の窓を開けたまま、ソールとルーナは、アルクスが戻るのを待っていた。

「ッ、アルクス! 戻ってきてくれたんだ!」

「? いや、すぐに来るって言っただろ」

 と言ったところで、アルクスはソールに抱き着かれる。

 両腕を背に回され、ぎゅうっとされた。

「おっ、ソール? どうした?」

「なんでもないぞー、にひひ」

 急に懐かれたことに、アルクスは動揺する。しかしながら、そばにはルーナもいる。誤解を受けては困るので、優しく肩を押し、距離を作った。

「窓の外を見てくれ」

「外を? ……あれっ、なんか光ってるぞ?」

 言われるがまま、ソールとルーナは窓の外に目を向けた。遠くに、小さな光を見つけた。

「あの場所に、トットルがいる。空気の塊で透明な道を作ったから、空を歩いて脱出だ」

 窓の外に手を伸ばし、何も無い空間を、コンッ、と叩く。

 透明だが、確かに何かがある。見えない道が作られていた。

「トットルって……あの英雄眼鏡のっ!?」

 またもや驚き、ソールが声を上げる。英雄の名が出てきたのだから当然だ。

「英雄眼鏡って……まあ、そうだな」

「へえー、すっげえな! 英雄眼鏡も仲間なのかよっ!」

 英雄眼鏡と呼ばれているとは、さすがのトットルも知らなかったことだろう。

 笑いを堪え、アルクスは行動を促す。

「さあ、時間が無いから急ごう。……と、その前に」

 窓の縁に足を掛け、空中散歩を始める前に、念には念を入れておかなければならない。

「ルーナ、きみの力を借りたい」

「……ボクの?」

「ああ。空中を歩いて逃げ出す間、見つからないように闇を作り出してほしい」

 たとえ闇夜でも、下には大勢の敵兵がうろついている。松明の火が揺らめき、何か異常は無いかと目を光らせているのだ。だが、ルーナが生み出す闇の力を借りることで、完璧に暗闇と同化することが可能となる。そうすることで、安全に抜け出すことができるのだ。

「わかりました」

 ソールの顔を確認し、ルーナは決意する。

 二度、深呼吸を済ませ、両手を前に出すと、小声で呟き始めた。

「――闇、これでいいの?」

「助かる」

 闇が、三人の姿を覆い隠す。互いの姿が見えなくなるほどに真っ暗だ。

「さあ、足を踏み外さないように、気をつけてくれ」

 先頭はアルクスだ。闇に紛れて空中に立ち、手を伸ばす。その手を掴むのは、ルーナだ。おずおずとしていたが、ソールに背中を押されて、勢いよく木窓の外に出た。

「こ、こわ、……い」

「大丈夫だ、トットルの魔術を信じろ」

「じゃあ、次はあたしだな」

 そう言って、ソールは木窓から手を伸ばし、ルーナの手を掴む。……だが、

「ほう、これは何事かな」

「――ッ!?」

 突然、部屋の扉が開かれた。室内に入って来たのは、三人共に見知った顔だ。

「お前は……」

 闇に身を隠しながら、アルクスはその人物の目を見る。

 姿を現したのは、ガサ国の部隊長フォルミだった。

「ん? 聞き覚えのある声がするがもしや、そこにいるのか」

 闇のおかげか、フォルミからアルクス達の姿を視認することはできない。

 とはいえ、そこに何かがいるのは明白だ。

「逃がすわけにはいかないものでね」

 そう言い、フォルミは手を上げる。ガサ国の兵士がぞくぞくと部屋に入り込み、闇に近づく。

「ちっ、まずいな」

 足場は不安定だ。更にいえば、空中を歩いている間は、格好の標的と成り得る。逃げることだけに専念するのは困難と言えた。しかし、

「行って」

 力強い言葉で、ソールが言う。

「一人でも逃げれば十分だよな? ここはあたしが食い止めるし」

「だ、ダメだから! ソールも一緒じゃないと、ボク!」

 ソールの言うことはもっともだ。どちらか片方でも逃げ出すことができれば、シニソノギ国の兵士達は勢いを増すだろう。民を解放し、国を取り戻し、必ずキガナ国の力になるはずだ。

 しかしながら、ただ黙って見過ごすわけにはいかない。

「ルーナ、足場に気を付けろ。光を頼りに、真っ直ぐに歩いて行け」

 アルクスは、ルーナを先頭に入れ替わる。

 そのまま木窓から室内へと戻り、ソールと共に闇から抜け出す。

「なんで来てんだよー、もうっ」

 膨れっ面のソールだが、内心では嬉しかった。

 心細い中、妹分のルーナだけは守らなければならない。そう思っていたが、ここには仲間がいたのだ。ニジガ城の城主アルクスが、二人のそばにいる。

「微力ながら、お供させてもらう」

 剣を抜き、息を吐く。敵の数を見やり、肩の痛みを再認識する。

「……よし」

 大丈夫、問題ない。これしきの痛みであれば、難なく動ける。

 そう考えたアルクスは、フォルミに殺気をぶつけた。

「エレステから聞いたぞ? ニジガ城まで仲間の死を見に来たのだろう?」

 口の端を曲げ、フォルミが喉を鳴らす。

「元英雄の死に様は如何だったかな? 感想を聞かせてくれたまえ」

「っ、ふう」

 怒りに我を忘れてはならない。

 心を落ち着かせろ、とアルクスは自分自身に言い聞かせる。

「――ぬうっ」

 と、アルクスが心の揺らぎを静めると同時に、一本の矢がガサ国兵の脳天を貫く。

 思わぬ場所からの奇襲に、フォルミは木窓へと目を向けた。

「待ちくたびれた」

 暗闇の中から姿を見せるのは、セーラー服姿の佐屋だ。

 光の先から透明な道を走り、アルクスの許へと迎えに来たのだ。

「佐屋、お前には追っ手を射抜く役目が……」

「嫌。そばにいる」

 首を振り、アルクスの隣に降り立つ。

 真ん中にアルクス、両隣に佐屋とソールが立ち、敵と対峙する。

「ほほう、君が噂の転移者か」

「えっ、転移者? この女が?」

 フォルミの台詞に、ソールが目を丸くする。

 突如現れた女性に対し、ソールは言いようのない何かを感じた。

「ルーナは無事か」

「そこにいる」

「えっ」

 言われて、アルクスは後ろを振り向く。

 闇の中から顔をひょっこりと覗かせ、室内の様子を窺うのは、ルーナだ。

「逃げろって言ったのに……」

「ボク、やっぱりソールと一緒にいたい……」

 アルクスのそばには三人の女性がいるが、誰一人として、アルクスの言うことを聞かない。

 佐屋はアルクスのそばにいる為に。

 ソールは囮になる為に。

 ルーナはソールのそばにいる為に。

「はあ、大変だ」

 と言いつつ、アルクスは肩を竦める。

 現状は良いとは言い切れないが、幸いなことに、目の前に立ちはだかるのは、ただの兵士だ。

「行くぞ」

 その言葉を合図に全員が動き出す。地を蹴り、剣を手に、アルクスは一直線に距離を詰める。

「行け」

 フォルミの命に従い、ガサ国の兵士達が行く手を阻む。

 二人が大盾を構え、アルクスの剣技を弾いた。

「佐屋ッ」

「ん」

 だが、アルクスは目に見える囮だ。本命は既に真横へと移動している。

「ぐあっ」

 大盾を横に構え直すことはできない。後方のフォルミを守る為には、目の前の敵であるアルクスの攻撃を防ぐ必要があるからだ。しかしそれが隙となり、佐屋の矢の恰好の餌食となる。

「一人」

 大盾役が一人倒れ、フォルミは片眉を吊り上げた。

 別の兵士が剣を振り上げ、佐屋に襲い掛かるが、闇が兵士の顔を覆い尽くす。

「なっ、何も見えな――ッ」

「……や、闇ですっ」

 後方から闇を生み出し、敵の視界を奪うのは、ルーナだ。

 目に見えるものを失くすことが可能なルーナは、対転移魔術師戦では驚異的な強さを見せることになるだろう。視界を奪うことで、転移魔術師は転移魔術を行使できなくなるからだ。

「味方でよかったよ」

 ぼそりと呟き、アルクスはその場に屈む。腕を横に振り抜き、大盾役の兵士の足を斬った。

「邪魔邪魔あああっ」

 と、ここで別方向から若い声が響いた。

 炎を身にまとったソールが、兵士達に体当たりをかましたのだ。

「火だるまになっちゃえ!」

 我が身を燃やし、敵兵を火だるまにする。捨て身の戦法にも見えるが、ソールには全く影響がないのが利点であった。だが、欠点が一つ。

「ソール、やりすぎは禁物だ。城が燃えるぞ」

「あっ、確かに!」

 現時点で、絨毯に火が燃え移っていた。火炎魔術師のソールは、室内戦に難ありだ。

「たかが四人、何をモタモタしている」

 劣勢に、フォルミが声を上げた。数名の兵士が反応し、アルクスへと斬り掛かる。

「ちっ」

 一旦、後方へと退避し、陣形を整えた。一人倒しては別の兵士が室内に姿を現し、また一人倒しては増え、このままでは切りがない。

「やっぱ窓から逃げるしかないか」

 フォルミを倒し、突っ切る道もなくはない。ただ、フォルミはガサ国の部隊長を務めるほどの人物だ。従えるのはただの兵士だけではなく、転移魔術師のエレステと、セボ国部隊長でもあり転移者でもあるダリノアが含まれる。不気味な存在と言えよう。

「ま、窓の外、騒がしくなってるよ」

 暗闇から顔を出したり引っ込めたりしつつ、ルーナが声を出す。

 城中の兵士が集い始めていた。

「時間は有限だ。疲弊する前に退却するぞ」

 手で合図し、ソールを後方へと移動させる。アルクスと佐屋が前衛に立ち、敵兵を返り討ちにする間に、ソールは闇の中に入り込み、ルーナと共に透明な道を歩き始めた。

 暗闇も共に動き、城外をうろつく敵兵には気付かれていない。

「よし、次はオレ達の番だ」

 木窓を背に、室内を一瞥する。倒した敵の数は二十を超えていた。

「アルクス君、逃げられては困るのだがな」

「悪いな、逃げるが勝ちだ」

 先に佐屋が木窓から外に出る。次いで、アルクスが外に出ようとした。その時、

「あ、アルクスー」

 ソールの声が、暗闇に響く。

 真っ暗な中にも、確かにその声は聞こえた。しかしながら、それは震えている。

「……エレステか」

 空中に立つ人物が一人増えていた。エレステだ。

 トットルが待つ場所へと続く道の先に、エレステが立ちはだかっている。

「退け」

「無理よ、捕まえるから」

 エレステは、剣を抜いている。

 闇に紛れて認識することができなかったが、エレステはソールの首筋に剣を当てていた。

「動いたら、この子は死ぬかもね」

 室内にはフォルミとその部下達が、そして窓の外にはエレステがいる。

 アルクス達は挟み撃ちされていた。

「……あ、あたしのことはいいから……だから、だから……」

 震えながらも声を絞り出し、ソールは闇の中で下を向く。

「ルーナを……助けてくれよ……ッ」

「ッ、まさか……」

 言われて気付く。下の騒ぎが大きくなっていた。

「エレステッ、ルーナは……」

「下に落ちたわ」

 淡々と告げ、エレステはアルクスと佐屋の姿を瞳に捕らえる。

 やがて、闇が消える。ルーナの闇が効果を失ったのだ。

「貴方達、言ってたでしょう。一人でも逃げれば十分だって」

 エレステは、ずっと聞いていたのだ。

 もしかすると、事の始まりから室内に潜んでいたのかもしれない。

 もしそれが事実であれば、フォルミが部屋に現れたのも納得であった。

「確かにその通りね。二人もいたら面倒なだけだもの」

 人質は一人で十分だ、とエレステは言っている。

「この子まで死んだら、困るでしょう」

「それはお前達も同じだろ」

 言葉を返しつつも、アルクスは下の状況を確認する。

 この高さから落ちては、無事では済まない。今はとにかくこの場を抜け出すのが先決だった。

「ふっ、詰みかな」

 室内へと視線を戻すと、フォルミが笑っていた。アルクスは初めから罠に掛かっていたのだ。

「くく、今此処ではっきりと言っておくが、シニソノギ国がどうなろうとも、私達には関係ないことだ。ガサ国の目的は、あくまでも転移魔術師と転移者、つまりは君達なのだからな」

 言葉の通り、ガサ国の本当の狙いはキガナ国を占領することでもシニソノギ国を滅ぼすことでもない。アルクスと佐屋の身柄の確保であった。

 その目的が達せられるのであれば、セボ国に手を貸す必要もなくなる。また同時に、シニソノギ国の両城主が死に、国が滅びようとも、全く関係ないのだ。

「彼女達には条件を提示した。それが破滅に繋がると知りながらも、受け入れてくれたな」

 くつくつと笑い、一歩ずつ距離を詰めていく。アルクスは剣を構え、敵の動きを捉える。

「だから今度は君達に条件を提示しよう」

「条件だと」

「うむ。私達の仲間となれ。受け入れれば、ニジガ城を引き渡すことを誓おう」

 仲間になれ、とフォルミは言った。

 その意味は、転移魔術師と転移者として、ガサ国の一兵力となれ、ということだ。

「どうだ、悪い話ではないはずだ。キガナ国はいずれ滅びる。シニソノギ国も、そしてヤハサ国やソダイ国も然り。その前に、我がガサ国に乗り換えるべきだとは思わないかな?」

 後ろ盾を得たセボ国の勢いは留まるところを知らない。明朝にはヤハサ国とソダイ国が襲撃に遭うだろう。もし、ヤハサ国とソダイ国が敵側の手に落ちれば、いよいよキガナ国はあとがなくなる。しかし、

「断る」

「ほう、……理由は?」

「オレは一城の主だ。誰の下にもつかない」

 見栄や奢りではない。誇りだ。

 父から引き継いだニジガ城の城主の地位は、決して揺るがしてはならない。

「だから逃げる」

 そう言って、瞬き一つ。

 佐屋の姿が消え、エレステの真後ろに移動する。

「――つっ」

 気を取られた隙に、アルクスもまた透明な道を駆け抜ける。

 血流速度を上げた渾身の蹴りがエレステの脇腹を直撃し、透明な道から足を踏み外した。

「あっ、ああっ」

 反動で、ソールも同じく真下へと落ちそうになるが、アルクスの手がそれを阻む。

「安心しろ」

 ぐいっと引っ張り上げ、ソールを佐屋に託し、アルクスは下を見る。

「エレステは転移魔術師だ。落ちる直前に肉体転移すれば死なない」

「……行くの?」

「ああ、ルーナを助ける」

 視線を彷徨わせると、端にフォルミの姿が映る。

 窓の縁から身を乗り出し、今にも透明な道へ足を踏み出そうとしていた。

「絶対に戻る。だから先に行け」

「ん。待ってる」

 今度は言うことを聞き、佐屋はソールの手を引く。光の先へ向け、全速力で駆けて行った。

「……足、速いな」

 血流速度を上げなくとも、佐屋の足は速い。此処ではない別の世界でも、佐屋は体を鍛えていたのだろうか、と。アルクスは考える。

「弓道部と、りく……なんだったっけな」

 何かを言っていた。それは、別世界の術の名か何かなのかもしれない。

「……ふう、集中するか」

 まあいいや、と思考を戻す。

「ガサ国の部隊長さん、窓の外に出てきたところ悪いんだが……」

 ほんの僅かな差に、フォルミの姿があった。透明な道に堂々と立ち、剣を構えている。

「この足場、もうすぐ消えるぞ」

「なに?」

 言い切ると同時に、ふっと足場の感覚が無くなった。トットルが透明な道を解除したのだ。

「き、貴様ッ!」

 すぐに察し、フォルミは窓の縁に手を掛けるが、剣を落としてしまう。

「アルクス=クレプスクルム! 貴様は絶対に捕まえる! 絶対に逃がさんぞ!!」

「言ってろ、間抜け」

 と言いながら、アルクスは落下する。足場を失い、重力に逆らうことなく地に落ちていく。

「ここでいいか」

 瞬き一つ。地面擦れ擦れのところでアルクスは転移魔術を行使する。

 肉体を転移させることに成功し、一切の衝撃を受けず、地に足をつけた。

「――な、何者だ!?」

 途端に、野太い声が響く。城外の見張り兵だ。気にすることもなく、アルクスは立ち上がり、少し離れた場所に佇む人物へと視線をぶつけた。

「エレステ」

 周囲を確認するが、ルーナの姿が見当たらない。身柄を拘束されたか、それとも隠れたか。

 いずれにせよ、目の前の敵から聞き出す必要があった。

「三度目は逃げないのかしら」

「ルーナはどこだ」

「言葉、通じないのね」

「どこに連れて行った」

「残念ね、同じ転移魔術師なのに」

「エレステッ!!」

 肉体転移し、エレステの眼前に現れる。

 背後に姿を現すであろうとふんでいたのか、エレステの反応が一拍ほど遅れる。

「あ――ぐっ」

 その隙を見逃さず、アルクスは頭突きをかます。

 これまた予想だにしない攻撃手段に、エレステは数歩後ずさった。

「……っ、戦い方、慣れてきたみたいね」

 転移、そしてまた転移。肉体を転移し続け、エレステはアルクスの目を翻弄する。

「お前の戦い方を見て学んだ。もう絶対に負けない!」

 同じく、アルクスも転移する。しかしどこにも姿を現さない。

「何処に――」

 と、エレステが転移を止めて辺りを確認するが、暗闇に影が重なる。

「上だっ」

 剣を逆手に持ち、全体重を重力に乗せ、エレステの頭頂部に狙いを定める。

 が、寸でのところでかわされた。

「ちいぃっ」

「ふうっ、……ふう、……今のは、貴方の肩を斬った時の……」

 そう、今の戦い方も、エレステの見様見真似だ。ただ単に肉体を転移するだけではない。敵の意識を別の場所へと惹きつけて、確実に仕留めるやり方だ。

 エレステと出会い、対峙する以前から、アルクスはこの戦い方を実践してきたつもりだったが、命を懸けて初めて理解することができた。

 敵と己との間合いを肌で感じ取り、生きるか死ぬかの瀬戸際で剣を振るうことを学んだのだ。

「言え、ルーナは何処にいる」

「……は、……ふぅ、ふー」

 エレステの息が荒い。

 顔には見せていなかったが、エレステはディードの剣に貫かれている。癒しの魔術で傷口を塞ぐことはできたが、アルクスの肩の傷と同じく、完全には治っていなかった。

「予想外……ね。まさかこんなに速く……強くなるなんて」

 誤算に唾を呑み、エレステは周囲を確認する。仲間の兵が二人を取り囲んでいるが、それは全く意味の無い行為だ。神出鬼没な転移魔術師は、いついかなる時でも姿を晦ますことができる。取り囲んだとしても、決して捕まえることはできない。

 だからこそ、ルーナという人質が駒として役に立つ。

「あの子、まだ死んでないから」

「っ、ルーナか」

「でも、すぐに死ぬことになるわ。見せしめで」

 見せしめ、とエレステは口にする。

 シニソノギ国が置かれた状況に、アルクスは思考を巡らせる。

「そんなことをすれば、シニソノギ国の民が黙っていないぞ」

「言ったでしょう? もう一人いれば十分だって」

 もう一人。それはソールのことだ。

 ソールが生きていれば、ルーナは必要無い。エレステはそう言っているのだ。しかしながら、ソールは佐屋と共に無事に逃げることができた。現状、ルーナを殺してしまえば、後がないのはガサ国の方である。当然、それはエレステも理解している。故に本当の狙いは別にある。

「私達の狙いは、貴方達なの。だから別にシニソノギ国がどうなろうが知らないわ」

 言っていることが矛盾しているが、関係ない。そもそもガサ国は、セボ国の侵略が成功しようがしまいが我関せずなのだ。今、エレステが最も優先すべきは、目の前の男を捉えることだけだ。その目的を達する為ならば、何であろうとも犠牲にする覚悟がある。

「あの子を殺したくなければ、もう一人の子を連れてきて。そして貴方も大人しく捕まって」

 むちゃくちゃな要求だが、命が懸っている。そばにいない今、助け出すことも難しい。

「くっ、……ッ」

 答えが見つからない。ルーナを救うには、他の犠牲を払う必要があるが、かと言ってルーナを見殺ししてしまえば意味がない。その過程で、キガナ国の人間がルーナを見殺しにしたことシニソノギ国の民が知れば、状況は更に悪化する。

「朝、答えを聞くから」

 アルクスが思考を巡らせていると、エレステは転移する。残されたのは、大勢の兵士達だ。

「くそっ」

 一瞬の間を置いて、一斉に飛び掛かるが、アルクスもすぐに転移した。合流地点に肉体転移し終え、アルクスが地を踏む。そばには、佐屋とソール、そしてトットルの姿があった。

「アルクスッ、ルーナは無事かっ! 教えてくれ!!」

「まだ生きてる」

「よかっ、……まだ?」

「朝までにオレ達が投降しなければ、ルーナは見せしめで死ぬことになる」

「見せしめって……っ」

 ツギト城とヨナガ城の城下町は繋がっており、中央広場には、何百人も集まることができる。

 そこで、公開処刑をするのだろう。ソールの顔が見る見るうちに青ざめていく。

「ど、どうすんだよぉ……」

「トットル、策はあるか」

 声を掛け、打開策を求める。トットルは瞼を閉じ、暫く黙りこむ。

「ルーナさんの力を借りましょう」

「……ルーナの?」

 言うと、トットルは頷いた。囚われの身のルーナに、一体何ができるというのか。

「ソールさんとルーナさん、貴方達は実に素晴らしいものをお持ちです」

「え、あたしとルーナが?」

 元英雄のトットルに褒められるとは思わなかったのだろう。

 思わぬ台詞に、ソールは眉根を寄せた。

「はい。貴方達は杖を介さない。その意味がお分かりですか」

「杖を……あっ」

 アルクスが気付く。ソールとルーナは、魔術を行使する時、杖を介していなかった。

 その行為は、トットルでさえも不可能であった。

「本来、我々魔術師は、己の体に魔力を蓄え、杖を介することで、魔術として形を変え、放出することができます。ですが、貴方とルーナさんは、杖を必要としていない」

 ソールは火炎を、ルーナは闇を、それぞれ杖を介さず生み出していた。

「つまり、たとえ囚われの身となり、手元に杖が無かったとしても、魔術を扱うことが可能だということです」

 抗うことは不可能ではない。

 ルーナの意識さえはっきりしていれば、闇を生み出すこともできるのだ。

「闇に紛れ、救い出すってことか」

「その通りです」

 ただ、問題はルーナだ。

 透明な道から下に落ち、意識が無いとも限らない。それどころか、既に致命傷を受けているかもしれない。ルーナ頼りの策では、不安が付きまとう。

 だが、やるしかない。少しでも可能性があるならば、実行に移す他に道は無いのだ。

「成功を祈ろう」

 すっくと立ち上がり、アルクスは拳を握り締める。その姿を見上げ、トットルが口を開く。

「もう一つ案があります。但しそれにはシニソノギ国の兵士達の協力が不可欠ですが……」

 ちら、とソールの顔を見る。

「ルーナが助かるなら……シニソノギ国を取り戻せるなら、なんだってする!」

 力強く、ソールが言う。トットルは頬を緩め、二つ目の案を口にする。

 アルクスと佐屋、ソール、そしてトットルの四人は、朝に向けて動き始める。


     ※


 早朝、シニソノギ国の兵士達が広場に呼び出された。一体何事かと口々に交わしていたが、広場についた者から順に目を奪われていく。

 広場の中央には、首吊り台が設置されていた。それだけであれば、まだ救われたことだろう。

 けれども、台の上には兵士達が慕う人物が繋がれていた。

「ル、ルーナ様……? そ、そんな……なんてことだっ」

 一人の兵士が声を漏らし、その場に尻餅を突く。首吊りの刑によって公開処刑されるのは、ヨナガ城の女城主ルーナだ。傷だらけのルーナは、今にも死んでしまいそうに見えた。

「くく、これは実に絶景だ。崇め慕う者が死する時、彼等の表情は絶望に支配されるのだろう」

 処刑台の上には、フォルミの姿もあった。刑を実行に移す役を自ら引き受けたのだ。

 囚われの身の彼女が何故、公開処刑されるのか。兵士達は何が何やらさっぱりな状態だ。

「シニソノギ国の兵士諸君! 君達に伝えなくてはならないことがある!」

 声も高らかに叫び、シニソノギ国の兵士達に向け、一切隠さずに伝えていく。

 キガナ国領土内のニジガ城の城主が、仲間を引き連れ、ソールとルーナの身柄の奪還を試みたこと。ソールを逃がすことには成功したが、ルーナに重傷を負わせたこと。大人しく捕まらなければ、ルーナを公開処刑すること。

 全ては、ニジガ城の城主の責任だ、とシニソノギ国の兵士達の意識に刷り込ませていく。

「もう間もなく、君達の城主は死ぬことになる。首を吊られ、苦しみにもがきながらな」

 フォルミの声が、兵士達を追い詰めていく。

 このまま事が運べば、取り返しのつかない事態に陥ることだろう。

「……いいや、死なないね」

 当然、そんなことはさせない。

 ドヨッ、と辺りが静まり返り、声の主を探す。その主はアルクスだ。

「そっ、ソール様! 御無事だったのですか!」

 そばには、佐屋とソール、トットルの姿もある。ソールの姿を見た兵士の中には、嬉しさと安堵から涙を流す者もいた。

 周囲を見やり、処刑台へと戻す。ルーナの意識が無いことを知り、別の手を実行に移す。

「くく、何故死なないと? 君達が捕まるからかな?」

 フォルミの問いかけに、アルクスは首を振る。違う、それは違うぞ、と。

「今此処で、オレは宣言する」

 シニソノギ国の民に、伝えなければならないことがある。

 すう、っと息を吸い込み、喉の奥から声を絞り出す。

「我はニジガ城の城主アルクス! シニソノギ国の両城主との間に同盟を結んだ!!」

 同盟、とアルクスは告げる。その言葉には、大きな力が備わっていた。

「……同盟だと? ふん、戯言か」

 鼻で笑うのはフォルミだ。それもそのはず、シニソノギ国は中立国の立場を破棄し、セボ国に加担済みだ。キガナ国が大敗した直接の原因は、シニソノギ国の寝返りにあった。

 今更、キガナ国領土内の一城主が同盟を結んだからといって、キガナ国との関係が修復されるはずもない。(いくさ)が終わると同時に、シニソノギ国が報復を受けるのは目に見えていた。

「既に、アロガン国王の許しは得た! 故に案ずるな、何も恐れることはない!!」

 だがもう一声、兵士達に届ける。それが音となり、耳に届き、兵士達の頭を悩ませる。

「アロガン国王の許しを……」

 勿論、問題は山積みだ。今此処には、人質がいる。処刑台の上のルーナを筆頭に、シニソノギ国に住む全ての民が囚われているのだ。それがあったからこそ、兵士達はただただガサ国に従い、セボ国とヒシガソノギ国の侵入を許したのだ。

「アルクス君、正気かな? 君はシニソノギ国の民を見殺しにすると言ったようなものだぞ」

「それなら問題ない」

 そう言って、瞬き一つ。一瞬にして処刑台の上に転移し、アルクスは剣を振るう。

「指揮を執る者を殺せば丸く収まるからな」

「ぐっ」

 剣が、空を斬る。ギリギリのところでかわし、フォルミもまた剣を抜いた。

「交渉は決裂した! 見せしめに民を半分殺せ!!」

「――それは困りますね」

 フォルミの命に従い、大勢の兵士が動き始めるが、トットルも黙ってはいない。

 民が囚われた場所へと続く道に、空気の壁を生み出していた。

「なっ、なんだこれは? 前に進めねえぞ!」

 敵兵達は、広場から出られない。その光景を目に映し、シニソノギ国の兵士達が一人、また一人と動き始める。先頭に立つのは、全身を真っ赤に燃やした火炎魔術師だ。

「敵はみんな燃えちまえーっ」

 もう、後には引けない。ツギト城の女城主ソールの声に引き寄せられるかのように、シニソノギ国の兵士達が武器を手に声を張り上げる。

「あいつを殺せ! 空気を操る男だ!」

 処刑台の上でアルクスと剣を交えながらも、フォルミは元英雄の行方を目で追う。すると、近くにいたセボ国とヒシガソノギ国の兵士達が、トットルの首を獲ろうと一斉に斬り掛かる。

「――無駄」

 だが、トットルのそばにはもう一人いる。

 血流速度を自在に操り、何者をも圧倒する転移者が、トットルの護衛役を担っていた。

 一斉に斬り掛かろうが、関係ない。佐屋は敵兵を返り討ちにしていく。

「エレステは不在か」

「ふんっ、女を所望かっ」

 縦に斬り付け、地を蹴る。

 距離を詰めたかと思えば、アルクスは姿を消し、別の場所に現れる。

「あいつには借りがあるからな」

「残念だが、借りを返す前に貴様は捕らえられるのだ」

 この私にな、と付け加え、フォルミが左腕を背に回す。

「――杖かっ」

「御名答!」

 左腕を前に戻すと、手には杖が握られていた。フォルミは魔術師でもあったのだ。

「痺れるがいい!」

 杖を振り、小さな光を放つ。直撃するのは危険だ。アルクスは身を翻し、またもや転移する。

「逃げてばかりでは終わらんぞ!」

「逃げてないさ。ほら、見ろよ」

 少し離れた位置に、アルクスが立っている。

 手にした剣で縄を斬り、ルーナの体を抱えていた。

「きっ、貴様っ」

 処刑台から飛び降り、アルクスは広場を駆け抜ける。

 途中、敵兵が斬り掛かるが、一切剣を振るわない。最小限の動きで敵の攻撃をかわし続け、真っ直ぐに走り、佐屋とトットルの許へと辿り着く。

「任せる」

「御意に」

 もう片方、トットルは別の杖を腕に、ルーナの体に癒しの魔術を掛け始めた。

「アルクスは?」

「あいつを殺す」

 佐屋の声に、目を向ける。その先に映るのは、処刑台の上に立つフォルミだ。

「あいつが死ねば、シニソノギ国は力を取り戻すだろう」

「ん」

 掛け合う言葉は、それだけで十分だった。

 一つの瞬きで姿を消し、アルクスはまたもや処刑台の上へと転移する。

「ほう、戻ってきたか! 命知らずの間抜けな転移魔術師め!」

「ああ、戻ってきたさ。お前を殺す為にな」

 再度、互いの剣が重なり合う。力と力で剣を押し合い、足で踏ん張る。

「もはや手加減はせん! 両足を斬り落としてでも捕まえてやろう!」

「できるものならやってみな」

 低い位置から剣を横に振り、アルクスの足を奪いに行く。その場で軽く飛び上がったアルクスは、剣先で足場を刺し、それを軸に両足でフォルミの体を蹴飛ばした。

「ぐがっ、おのれちょこまかと……っ」

 乱れた髪を掻き毟り、フォルミは杖の先を向ける。瞬間、光が飛ぶ。

「――っと」

 その場から横にずれ、直撃を回避する。光は、処刑台の下で戦うセボ国の兵士に当たった。

「へえ、動けなくなりそうだな」

 体を震わせながら、その場に倒れ込む兵士の姿を見下ろし、アルクスは息を吐く。

「貴様を捕らえるには丁度いい魔術と言えるだろう? くくっ」

 もう一度、更に二発、光が飛ぶ。掠ることも許されないが、アルクスは攻撃の流れをしっかりとその目に刻み込み、一つ一つ確実に避けていく。

「なるほどな、今気付いたよ」

 剣を握り直し、アルクスはフォルミに語り掛ける。

「ガサ国の部隊長ってのは、大したことないんだな」

 指揮を執る腕は一流なのかもしれない。だが、戦闘力に関して言えば、エレステやダリノアの方が圧倒的に上だ、とアルクスは感じた。

「――お、おの……れええええええっ!!」

 杖を持ったまま剣を振りかざし、アルクスに斬り掛かる。しかしフォルミの戦い方を見切ったのか、アルクスは足を動かし、右に左に避けていく。

「転移魔術は要らないな」

「この私を愚弄するか!」

 その時、シニソノギ国の処刑台の上には、二人の男がいた。

 ガサ国の部隊長フォルミ=ド=マジェフと、ニジガ城の城主アルクスだ。

 圧倒的な勢力の差で優位に立っていたはずのフォルミだったが、アルクスが発した言葉により、その土台を失い、挙句には……。

「もう、何も言うな」

「――カッ」

 喉を斬られ、アルクスの足元に崩れ落ちるのであった。


     ※


 処刑台の上でフォルミが敗れ去る光景を見た者は少なくない。

 ガサ国、セボ国、ヒシガソノギ国の兵士が、指揮を執る者の敗北を知り、一斉に崩れ始めた。

 シニソノギ国の兵士達の勢いも凄まじく、領土内にいた敵兵達は、我先にと逃げ出していた。

「空が明るくなってきたな」

 そして今、シニソノギ国の広場には兵士や民が集い、両城主の帰還を祝っていた。

「みんなー、勝ったぞーっ」

 ソールが声を上げれば、反応を示す。ルーナの傷も癒え、意識も戻った。体力が完全に戻るには時間が掛かるが、一安心といったところである。

「シニソノギ国が領土を取り戻したことで、傾いた(いくさ)の流れを止めることができましょう」

 勝ちどきに沸く人々の隅で、アルクスと佐屋、トットルは言葉を交わしていた。

 内部からシニソノギ国を救い出し、結果的に同盟を結ぶことには成功したのだが、時間はあまり残されていない。

「ヤハサ国への侵攻はどうなると思う」

「セボ国にとって、シニソノギ国の反乱は想定外の事態です。兵を進め、背を見せるよりも、その場に(とど)まり牽制することでしょう」

 だとすれば、今こそ会いに行くべきだ。アルクスは決断する。

「アロガン国王に会いに行こう」

 少しばかしの猶予ができた今、冷静に戦況を把握し、北部を取り戻さなければならない。

 その為にも、撤退したキガナ国の兵士達を前線にも戻す必要がある。

「よいのですか、アルクス? アロガン国王は……」

「ニジガ城を奪還する為には、避けては通れない道だ」

 思うところがあるのだろう。トットルは、アルクスの心中を見透かしているのかもしれない。

 ただ、止めはしない。ニジガ城の城主の命は絶対なのだ。

「オオミ村には立ち寄らず、真っ直ぐに南へと向かう」

 と、ここまで言ったところで、ソールがアルクスの許に駆け寄ってきた。

「ほらっ、アルクス! こっち来なって!」

「ん? なんだよ」

 腕を引っ張り、広場の中心部にアルクスを連れて行く。

 シニソノギ国の人々が二人に注目し、何が起こるのかと目を輝かせているではないか。

「みんなに発表するぞ! この人はニジガ城の城主アルクスで、さっき言った通り、シニソノギ国はニジガ城と同盟を結んだんだっ」

 おおーっ、と声が上がる。

 ソールは、民の心を掴むのが上手い。沈む心を盛り上げ、明かりを照らす力を持っているかのように思えた。だが、今回はそれが行き過ぎた行為へと発展する。

「それでな! あたしはこの人のお嫁さんになることを決めたぞ!!」

「……え」

 一瞬の静寂、そして歓喜の声。シニソノギ国の人々が沸く、沸く、沸く。

 目を丸くするのはアルクスだ。寝耳に水であり、何を言っているのかさっぱりだった。

「ソール、どういうことだよ」

「え? 結婚するんだよ、あたし達? 最高だろ?」

「いやいやいやいや何故ッ!?」

 話の筋が見えないが、否定する時を逃したことを理解する。

 既に、シニソノギ国の人々はお祭り騒ぎだ。今更否定してしまえば、同盟破棄に繋がるかもしれない。とはいえ、アルクスは誰かと結ばれるようなことは考えたことがない。

「どういうこと」

「おわっ、……さ、佐屋、いつの間に?」

 転移魔術を扱うことはできないが、血流速度を上げて中心部に来たのだろう。アルクスの隣には佐屋が佇み、目を細めていた。

「ちっ、違うぞ、オレも初耳なんだっ」

「じゃあ、その女の独断……」

 その女とは、ソールのことだ。浮かれた顔で喋り続け、シニソノギ国の人々を乗せている。

「……隙が多いのが原因」

「えっ、隙が?」

「そう」

 ふっ、と息を吐く。

 佐屋はアルクスの耳元で囁き、促す。ここを脱出し、キガナ国に向かおうと。

「ソール」

「うん? どーした旦那様?」

「だっ」

 アルクスが声を掛けると、頬を染めたソールが「旦那様」と言う。

 と同時に、佐屋の肩が揺れた。

「……はあ、落ち着け」

 心を落ち着かせろ、と自分自身に言い聞かせる。アルクスは口を開く。

「今からオレは、キガナ国に向かう」

「キガナ国に?」

「ああ。アロガン国王に拝顔し、北部を取り戻すのが狙いだ」

 西のサイカ国の隣接地帯、ダイエン草原、ニジガ城、更には多くの町や村が奪われた。

 その全てを取り戻すのは、アルクス達だけでは不可能だ。キガナ国の協力が必要であった。

「だから、ここで一先ずソールとはお別れだ」

「えっ、嫌だぞ?」

 ぶんぶんっ、と首を横に振り、ソールは即断る。更に一言、

「じゃあさ、あたしもついてってやるよ!」

「いって!?」

 アルクスの腕に、鈍い痛みがはしる。目を向けると、佐屋が腕を掴んでいた。

「ちょ、佐屋? あの、……痛いんだが」

「知ってる」

「いててっ」

 何故だろうか、佐屋に言葉が通じない。

 アルクスは天を仰ぎ、ソールの我がままと腕の痛みとの狭間で嘆く。

「あたしさ、役に立つぞ? 英雄眼鏡も認めてくれたじゃん? それにあたしとアルクスは夫婦なんだからよ、一緒にいなくちゃダメだし!」

 ニカッと笑い、アルクスに抱き着く。その光景に、またもやシニソノギ国の人々が沸いた。

「……殺していい?」

「ダメダメダメッ」

「むぅ」

 耳元で、ぼそりと呟くのは佐屋だ。低い声色で問いかけ、殺気が漏れている。ダメだと言われて、頬を膨らませている。

「アルクス、あたしを置いていこーとか考えたらダメだからな? 何処だろーとついてくぞ」

「はあ、……前途多難だ」

 もはや、ソールを止める手段は無い。断る行為は、シニソノギ国との同盟破棄と同義だ。互いに協力し合わなければならないからこそ、アルクスは頭を悩ませ、ソールは調子を上げる。

「トットル、助けてくれ……」

 隅でアルクス達の様子を眺めているであろう元英雄に助けを求めるが、当然のことながら、その声は届いていなかった。


     ※


「行ったらダメだよ」

 城下町で手荷物を揃え、シニソノギ国を出る準備をしていると、ルーナが姿を見せた。

 ソールが、アルクス達と共に旅に出ることを聞いたのだ。

「動いて大丈夫なのか、まだ万全じゃないだろ」

 傷口が塞がったとはいえ、体力は戻っていない。今は安静にするべきなのだ。だが、

「うるさいです」

「いてっ」

 気のせいか、ルーナの言葉に棘がある。

 アルクスに肩をぶつけ、よろよろとソールのそばに寄る。

「ソール、この人には女がいるよ。お嫁さんになっても浮気されるんだよ」

「女? って、あの人のこと?」

 そう言い、ソールは佐屋に視線を移す。

 佐屋は、弓と矢の手入れをしながらも、ソールと目を合わせた。いつの間にか、セーラー服からジャージ姿に着替えていた。

「あー、だいじょーぶじゃん? だってつまんなそうだし」

 ピクッと体を震わせ、佐屋は腕に力が入る。手入れ中の矢が折れた。

「その点、あたしはこの通り明るくて元気だし? 一国一城の女城主だし? なんて言ったって若いし? あんな年増に付け入る隙なんてないじゃん?」

「あのー、佐屋? 殺気が……」

 アルクスが声を掛けるが、別の矢が折れた。

 手入れをしているはずが、一本、また一本と、使い物にならなくなっていく。

「……この矢、折れて使い物にならない」

「そ、そうだな、うん」

「要らないから、あの女に刺してきてもいい?」

「頼むから止めてくれ」

 真顔で問いかける佐屋に、アルクスが顔を引きつらせる。

「なあなあっ、アルクスもあたしの方がいいよなー?」

 と言いながらアルクスの腕を取り、顔を近付ける。

「あ、そうそう! これはお礼だぞ! あたし達を救ってくれてありがとう、旦那様ッ」

 ソールの唇が、アルクスの頬に触れる。

 と同時に、すっくと立ち上がり、弓を引くのは佐屋だ。

「佐屋待て! 待てって! 危ない危ないっ!」

 有無を言わさず矢を放ち掛けるが、寸でのところでトットルに止められる。

 無言のまま、佐屋はアルクスの腕を引っ張り、二人を引き離した。

「あー、なにすんだよ」

 ソールが抗議するが、佐屋は何も言い返さない。ただただ目で女の敵を認識し、近寄るなと訴えている。だが勿論、このままでは終わらない。

「ううっ、うーっ」

 地団太を踏み、両こぶしを握り締めるのはルーナだ。

 アルクスの足を踏み付け、怒りをぶつけた後、ソールの許に駆け寄る。

「ソールはボクのものだよ、誰にも譲らないから」

 と、今度はルーナがソールの唇に口づけを交わす。

「ちょっと、ルーナ? ダメだってばー」

「嫌です、ソールはボクのです」

 引っぺがそうと腕に力を入れるが、ルーナは離れない。

 ソールの体を抱き締め、頬で頬を擦り、何度も唇を奪う。

「むぅっ、んー、んぐっ、……ぷはっ、もうー」

 息苦しげな声を出し、ソールが眉を潜めるが、ルーナはお構いなしだ。

 そんな二人の行為を見ながら、アルクスは溜息を吐く。

「ルーナの言うとおり、ソールは此処に残った方がいい」

「えっ、なんでだよ?」

 今日(こんにち)に至るまで、前城主が暗殺され、ガサ国に付け入られ、新たな城主と民を人質に捕られ、挙句には領土内を荒らされた。一難去って、混乱が収まったとはいえ、一つの国としての力を取り戻すには、ソールとルーナの存在は必要不可欠だ。

「シニソノギ国の人達には、ソールとルーナの支えが要る」

 それに加えて、佐屋との問題もある。アルクスには分からなかったが、ソールがいると佐屋の機嫌が悪くなっていく。二人の関係が良好とは言えないので、共に旅をするのは難しかった。

「でもあたしとアルクスは夫婦だし……」

「ソールさん。その話は(いくさ)が終わってからでも遅くはありませんよ」

 すると、トットルが口を挟む。

「今は、平穏を取り戻すことが先決ですからね」

「うーん」

 同盟を結んだとはいえ、未だニジガ城は敵の手に落ちたままだ。

 このまま放っておけば、敵国の領土となったニジガ城と同盟を結んだのかと、キガナ国に勘違いをされてしまうかもしれない。疑いを持たれる前に、ニジガ城の城主が自らアロガン国王に伝え、シニソノギ国が同盟国となったことを証明し、その上で北部を取り戻す必要がある。

「……逃げたらダメだぞ? あたし、絶対お嫁さんになるんだからな?」

 約束するとは言えず、アルクスは苦笑いする。

 ソールはまだ子供だ。もう少し時を重ねれば、熱が冷めるかもしれない。勿論、そう簡単にはいかないのだが、今はとにかく佐屋を落ち着かせたかった。

「では、支度も整いましたので、向かいましょうか」

「ああ。キガナ国に向けて出発だ」

「気をつけてな、旦那様!!」

 最後まで棘を残し、ソールは佐屋の心を乱す。

 ここで一旦、シニソノギ国の女城主ソールとルーナの二人とは別行動を取ることになる。

 アルクスは、佐屋とトットルと共に、キガナ国へと向かうのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ