表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キガナ戦記  作者: ひじり
2/5

【一章】「アルクス=クレプスクルム」

 鈍く低い音が……。

 ――……擦れ合う。

 音を作り出すのは、背格好の異なる二人の剣士だ。

 何度も何度も積み重ね、不協和音をもたらす。求めずとも、鋼の音が頭の奥に鳴り響く。

「……終いですか」

 片方が、ぽつりと呟き問いかける。その表情には、余裕が窺えた。

 ――此処は、キガナ国領土内。

 城下町の一角に建築された、巨大な剣闘場の内部だ。

 彼等の姿を瞳に捉え、記憶に刻み込む為に、この場所は多くの人々で溢れ返っている。

 場内に入ることを許されず、外で声を荒げる者もいる。どんな手を使ってでも、その目で確かめたいのだろう。だが、その行為も当然のことと言えよう。

 今宵、行われているのは、キガナ国が主催する剣闘大会の準決勝戦。

 第一試合、キガナ国の一番隊隊長と、ニジガ城の城主の一戦だ。

 互いの地位、そして名誉を胸に抱き、戦いの舞台に上がり、勝利を目指している。

「ふん。戯れ言を……。貴様とじゃれ合うのは飽きた」

 蹴りをつけてやる、と言い捨て、一番隊隊長が構える。

 見据えるのは、ニジガ城の城主の姿だ。

 準決勝戦が開始し、既に一分が過ぎているが、その間、両者共に目立った動きは見せていない。互いの実力を理解しているからこそ、牽制し合っていたのだ。

 だが、動かなければ終わらない。戦わなければ倒せない。

「ゆくぞ!!」

 その言葉を合図に、一番隊隊長が仕掛ける。勝負を決めにかかったのだ。

 剣を振り抜けば、音が鳴る。何かを斬り捨てることもなく、互いが持つ剣にぶつかり合う。

「もっと全力で、どうぞ」

 一見すると、圧倒しているのは一番隊隊長のように思える。猛攻を仕掛けているのだから、それもそのはずだ。

 その実、ニジガ城の城主は、その場から一度も動いていない。

 ただただ剣を振るい、いなし続けていた。

「くっ、何故だ……。剣が何故当たらないッ!!」

「簡単です」

 残念ながら、至極単純で覆しようのない事実が、二人の間にはあった。

 倍ほども年が離れているが、彼らの実力は年の差の真逆を示している。

「それはですね」

 ふっ、と息を吐く。

 動きを止めずに地を蹴り、互いの距離を一瞬で詰める。そして、

「――貴方の腕じゃ、オレの首元には届かない」

 縦に一閃、長剣が振り下ろされる。一番隊隊長は、眼を細めた。

 剣筋に視界を奪われたかと思えば、それはいつの間にか消え去っていた。

「……ッ、どこに――ッ!?」

 どこに消えたのか、左右を確認する。だがいない。ニジガ城の城主の姿は、視界に映らない。

 とここで、振り下ろされた一撃は罠で、本当の目的が別にあったことを理解した。

 しかし、もう遅い。

 一番隊隊長が後ろを振り向く。そこには、ニジガ城の城主が剣先を向けて立っていた。

「ただ、それだけのことです」

 ――動けない。これ以上は戦えない。

 背後を取られた時、一番隊隊長は既に敗北していたのだ。

「……ま、参った」

 この瞬間、準決勝戦第一試合の勝者が決まった。

 ニジガ城の城主、アルクス=クレプスクルムが決勝戦へと駒を進めたのだ。


     ※


 キガナ地帯は、シュウク大陸の最も西に位置する。大小幾つもの山が連なり、平地部は全体の半分にも満たない。それ故、町から町を移動するのも一苦労だ。

 海沿いに作られた港町は漁業が盛んで、新鮮な海の幸を大量に仕入れ、キガナ城の城下町に卸している。

 キガナ地帯の出ではない者にとっては、住み着くにはそれなりの知恵や慣れが必要だが、人々は平和で長閑な暮らしを送っていた。

 そんなキガナ地帯には、二つの大国が存在する。

 北のセボ国と、南のキガナ国だ。

 両国は遙か昔から対立関係にあったが、今から十年以上前、一人の青年とその仲間達の手によって、勢力図が決まった。キガナ国は、キガナ地帯を拠点に陣地を増やし勢力を拡大していき、シュウク大陸統一を果たしたのだ。

 しかしながら、それも今は昔のこと。

 今現在、キガナ国は一万九千四百兵力を備えるが、人口は四万五千を割っていた。

 一方のセボ国は、推定人口が二万五千超え、兵力は一万六百ほど。全盛期には満たないが、盛り返しを見せている。勿論、数値から見ても両国の差は明らかだが、別地帯の大国と比べると、些か見劣りするのも確かだった。

「アルクスー、おつかれさまぁ~!!」

 剣闘大会出場者の控え室に戻ると、見知った顔がアルクスを出迎える。

 幼い顔立ちの女性が嬉しそうに微笑み、抱きついた。

「うわっ、エリサ!? なんだよ来てたのか?」

「来てたのか、じゃないでしょ! せっかく応援に来たのに、そんなこと言って酷いじゃん!」

 ぷくっと頬を膨らませ、上目遣いにアルクスを見る。しかしながら、表情は明らかににやけている。今こうしてアルクスのそばにいることが、この上なく嬉しいのだ。

「ごめんごめん、嬉しいよ。はいありがとな」

「返事が適当すぎるよ! もっと心を込めて言わないと、あたしの胸に響かないんだから!」

「胸に響くって……たとえば、どんな感じだよ」

「たとえば? うーんと。……ほら、えっと、あたしの顔を見た瞬間抱きしめるとか?」

「それ、エリサに先を越されたからできなかったんだよな」

「言い分けしないっ! だからやり直しね! あたしに抱きつくの~!」

 ほらほら、と両手を広げ、エリサは目を瞑る。アルクス自ら抱きつくのを待っているのだ。

 しかし、

「分かった分かった。疲れてるからまた今度な」

「ああっ、……もううううっ!!」

 ふらりとかわし、アルクスは椅子に腰掛ける。

 その姿を見て、エリサはまたもや頬を膨らませた。

「ねえ、アルクス。今日もかっこよかったよ」

「ああ。ありがとさん」

「一番隊の隊長でも、ぜんっぜん相手になってなかったよね」

「うーん。あれはまあ、過信が見え隠れしていたからな。たとえ相手がオレみたいなガキでも、油断は禁物なのに」

 ガキ、と自身を称したが、アルクスは今年で十八だ。

 既に成人を迎え、一人の剣士として、そして一城の主として、立派に成長していた。

 アルクスが治めるニジガ城は、とても小さなお城だ。キガナ国領土内での発言力は皆無に等しく、地位も限りなく低い。しかしながら、見くびられているわけではない。ヤガン山を背に築城されたニジガ城は、鉄壁の守りを誇っている。

 人口百九十ほどに、五十前後の兵力を備え、近隣のオオミ村と共に、アルクスの名の下に統治されていた。

 オオミ村の兵力を加えることで、総兵力は八十を超える。数の上では、キガナ国やセボ国に遠く及ばないが、一人一人の質が異なる。少数精鋭の兵士が集っているのだ。

「アルクスはガキじゃないよ? あたしから見たら、もう立派な大人だもん」

「そりゃ、エリサはまだ十三だからな。五つも離れていたら大人に見えてもおかしくないさ」

「むぅ、またあたしのことを子供扱いする! あたしだっていろんなところが大人になってるんだからね!」

「口だけは達者になってきたよな」

「そういう意味じゃないんだけどな~、もうぅ……」

 エリサの言葉の真意を理解することなく、アルクスは汗を拭う。

 腰に差した剣を机の上に置き、ひとときの休息を求めた。

「そういえば、決勝戦は半月後だったよね?」

 話題を変え、エリサが口を開く。すると、アルクスはゆっくりと息を吐いた。

「……ああ。やっと辿り着くことができたんだ」

 決勝戦の相手は、もう間もなく決まる。

 アルクスが控え室に戻ると同時に、準決勝戦第二試合が幕を開けたのだ。

「ねえっ、アルクスはどっちが勝つと思う?」

「ディードに決まってるだろ」

「あっ、即答ね」

「貴族のボンボンが相手だぞ? 開始五秒で決まるさ」

「ということは、もう試合は終わってるかも?」

 と、エリサが言ったところで、ドタドタと足音が近づいてきた。控え室の前で歩が止まり、ドアノブが回される。

 ノックもせずに扉を開き、中に入ってきたのは、アルクスがよく知る人物だ。

「おうっ、勝ったぞ!! 二秒で気絶させてやったぜ!!」

 豪快に笑い、勝利報告をするのは、話題に上がった人物――ディードだ。

 五秒どころか二秒で蹴りをつけ、足早に会いに来たのだろう。

「ディード、お疲れさん」

「ああん? なに言ってんだよ、俺は全く疲れてねえぞ? 今からすぐにでも決勝戦に出られるほどぴんぴんしてるぜ!」

「そうみたいだね」

 僅か二秒で貴族のボンボンを倒してしまった。だからか、ディードは力が有り余っているように見えた。しかしそれは、アルクスもほぼ同じだ。

 一番隊隊長の背後を取るまでは一歩も動かず、体力の消耗を避けながら戦っていた。互いに、今から決勝戦を行っても構わないのだろう。

「いやー、しかしまさか決勝でお前と戦うことになるとはなー! これも全ては俺の鍛え方が良かったってことかー? くかかっ」

 今年で四十五のディードは、ニジガ城の大隊長を務めている。アルクスの父とは好敵手の関係で、同時に友でもあった。そして、元英雄だ。

 アルクスの父――クロスは、ディード達と共にキガナ国を守り、シュウク大陸統一を果たしている。キガナ国の英雄の一人として、シュウク大陸では名を知らぬ者はいなかった。

 だが今から十四年ほど前、アルクスの母――ヘレナ、そしてクロスは、アルクスを一人残して消えてしまった。

 当時、まだ四歳のアルクスは、ディードともう一人の元英雄を親代わりに、ニジガ城の主として成長してきたのだ。

「決勝戦が待ち遠しいな」

「負けるのが決まってんのにか?」

 アルクスの台詞に、すかさずディードが言葉をかぶせる。

 挑発しているわけではない。ディードにとって、それは当たり前のことでしかないのだ。

「負ける気はないさ。ディードに勝つ為に、オレはここにいるんだからな」

 負けずと、アルクスも口を開く。

 己の実力を過信はしない。だがそれでも、アルクスは自信に満ち溢れている。

「言っとくがなー、あのクロスでさえ、この俺にゃ勝てなかったんだからな? 剣闘大会無敗のディード様には、これっぽっちも隙はねえぜ!」

 言葉の通り、ディードは第一回剣闘大会から無敗の王者として君臨している。

 第一回剣闘大会では、決勝戦でクロスをやぶり、優勝を果たしていた。

「アルクスに勝ったりなんてしたら、このあたしがぶっ飛ばしてやるんだもん!」

「おーおー、エリサは恐ろしい子に育ってんな? もうちっと女っ気を出した方がモテるぞー」

「えっ、モテ……アルクスにも……って、何言ってんのよバカディード!!」

 思案顔になるが、エリサはすぐに我に返り、ディードを罵った。

「さあて、試合も終わったことだしよー、さっさと城に戻ろうぜ」

「そうだな。腹も減ったし、帰るか」

「ええー、ねえねえっ、空腹街には寄らないの? せっかく城下町まで来たんだから、空腹街でご飯を食べるのもありじゃない?」

 空腹街とは、食事処が集う場所だ。キガナ城の城下町の一画に作られており、食を求める人々が日々通い詰めている。城下町に足を運ぶ機会は少なく、エリサは提案する。しかし、

「トットルが待ってるから、また今度な」

「もうぅ~!!」

 唇を尖らせ、不満を顔に出す。

 けれども、エリサの意見が通ることはなく、アルクスとディードは控え室を出る。そしてその後を、つまらなそうな顔つきでエリサがついていくのであった。


     ※


 ニジガ城には、城下町がない。

 お城が小さいからというわけではなく、単に立地の問題である。

 ヤガン山を背にしている為、後方からの襲撃はほぼ不可能だ。籠城するにしても、前方に目を光らせておけばいい。

 場所柄、見晴らしが良く、坂の下のダイエン草原を一望することができる。それ故、戦略が立てやすく、キガナ国領土内でも重要視されていた。

 ただ一つの問題点を挙げるとすれば、城下町を作る場所を取ることができず、全ての国民が城内に住んでいることだろうか。

 また、少し離れた坂の途中にはオオミ村があり、エリサの家はそこにある。

 とはいえ、エリサは朝起きる度に出かける準備を済ませ、ニジガ城へと足を運ぶ。一日の大半をニジガ城で過ごしていた。

「アルクス~! どこにいるの~!!」

 ニジガ城の廊下に、エリサの声と足音が響く。お目当ての人物を探し求め、城内を散策しているのだ。まるで我が家のように城内を彷徨い、次々と扉を開けていく。

「あっ、見つけた!」

 食事場に入ったところで、アルクスの姿を発見する。

 ぱあっ、と明るい表情になったエリサは、思い切り腕を掴んだ。

「食事中だからくっつくなって」

「やだ! 一緒に出掛けようよ!」

 まだ十三とはいえ、エリサは少しずつ異性を意識し始めるようになってきた。ここ最近はアルクスのことが気になり、何かにつけてそばにいようとしていた。

「おうっ、エリサか! なんだよ俺が一緒に遊んでやろーか?」

「別にいいし。ディードは一人でご飯食べててよ」

 寝癖をつけたディードが食事場に現れ、エリサに声をかけるが、一蹴されてしまう。

「今日もアルクスに会いに来たのか~? ったく、恋に恋する乙女だな~」

「ディードうるさいから!」

「ふう、ごちそうさま」

 食事を終え、アルクスは自ら食器を直し始める。

 給仕係はいるのだが、エリサの誘いから逃れるように席を立ち、急ぎ足で距離を取った。

 それに気づいたエリサが、背中を追いかける。

「ねえってば、出掛けないの?」

「朝食後の予定は知ってるだろ。トットルと勉強の時間だ」

「勉強なんてつまんないし、サボればいいのに」

「エリサ、今の言葉は心外ですね。一城の主には勉学も必要なことですよ」

「あっ、トットル……いたんだ?」

 アルクスとエリサのそばに、いつの間にか一人増えていた。

 その人物の名は、トットル。軍師であり、一流の魔術師でもある。

「魔術は一日にして成らず。日々の積み重ねが大切ですからね」

「四十路のおっさんは黙っててよ」

「むっ、私はまだ三十九ですよ? それとおっさん呼ばわりはいただけませんね。精神年齢はまだまだ若い者には負けませんから」

「その発言が既に年寄りくせーんだよ、トットル~」

 三人のそばにディードが歩み寄り、くかかと笑う。

 ニジガ城の城主がアルクスならば、その両腕が、ディードとトットルの二人だ。

 肉体派のディードに、頭脳派のトットル。この二人がいるからこそ、アルクスはより強く成長することができたといっても過言ではない。

「それはそうとアルクス、貴方にお客様ですよ」

「オレに……客が?」

「ええ。招かれざる客です。追い返しておきましょうか?」

 トットルの言葉に、アルクスは眉をしかめた。

 ニジガ城を訪ねる客は滅多にいない。オオミ村に住む人ならば、お客扱いされようと思う者はいない。つまりは、ニジガ城やオオミ村の人間ではない、部外者の訪問ということになる。

 この手の客は、ほぼ確実に厄介事を運んでくる。

 はぁ、と溜息を吐いたアルクスは、食器を置いた。

「いや、ちょっと見てくるよ」

「じゃあ、あたしも行く」

 食事場を出て、アルクスは城門へと向かう。

 隣を歩くのはエリサで、二人の後ろをトットルがついて行く。

「……あの顔は」

 城門が近づくと、見覚えのある顔を見つけた。

 それはトットルの言うとおり、確かに招かれざる客だ。

「遅いぞ、小童ッ!!」

 アルクスの姿を見つけ、その男は吐き捨てる。

 細身の黒服に身を包み、貴金属の装飾が施された剣を腰に差している。その見た目にして、この男あり。他者を見下すかのような目つきと口調が、男の印象や人物像を固めている。

「ただの小童がこの俺様を待たせるなど、言語道断だ! 己の遅さを恥じるがいい!!」

「あんなこと言ってる。ぶっ飛ばさなくていいの?」

「あれでも一応、王族だからな。キガナ国を敵に回すのは得策じゃないだろ」

「おい、聞こえているぞ!」

「空耳ですよ、きっと」

 男の名は、クルデリック=クレプスクルム。アルクスと同じ姓を持つ男だ。

 クルデリックは、キガナ国の第一王子であり、クレプスクルム家の正当な王位継承者だ。

 一方で、アルクスは王族でもなければ貴族でもない。キガナ国の民である。

「俺様の機嫌を損ねることは、死を意味するからな。心しておくように」

「ふんっ、未だに王子のくせに偉そうにしちゃってさ……」

 ぼそっとエリサが呟く。

 第一王子のクルデリックは、齢四十五になる。年齢的には、既に王位を継承してもおかしくはない。しかしながら、未だに王子のままであった。

 理由は、ただ一つ。だがそれは、クルデリックの前で口にするのは御法度だ。

「あの、何かオレに用事でも」

「無論だ。こんな辺境の地まで何も無しに俺様が来るはずがなかろうが」

 いちいち苛つかせる男だが、アルクスは小さく深呼吸を行い、息を整える。

 クルデリックと目を合わせ、続きを促した。

「今日ここに来たのは、他でもない。このニジガ城を俺様の拠点として活用してやろうと思ったのだ」

「……ほう、一体全体どのような理由でですかな?」

 ここで、トットルが口を挟む。クルデリックの台詞に疑問を抱いたのだろう。

「無知な貴様等に教えてやろう。間もなく戦争が始まるのだ」

「戦争が?」

 クルデリックの言葉に、その場にいる全員が耳を傾けた。

 いったい、どこの国と戦争するというのか。

「それは勿論、セボ国だ」

「セボ国と? でも確かキガナ国とセボ国はキガナ地帯の国同士ってことで同盟を結んだはずじゃない?」

「ふっ、小娘にしては中々物知りだな。だが同盟など名ばかりよ。野蛮人の奴らが大人しくしていると思うのか?」

「今もずっと大人しくしてるでしょ」

 先の大戦で、セボ国はキガナ国に大敗を喫していた。

 以降、キガナ地帯といえばキガナ国であり、セボ国は二番手に甘んじている。

 同盟を結んだ後も、キガナ国の半支配下に置かれたセボ国の民は、同盟を言葉通りの意味で捉えることはできなかった。

 だが、キガナ国には元英雄がいる。戦力差も歴然だ。

 だからこそ、反乱を起こすなどあり得ない。誰もがそう思っていた。

「ダイエン草原の遙か先の地に、セボ国の一個隊の姿を確認したのだ。恐らくは、明日明後日には互いの兵がぶつかり合うことだろう!」

 ダイエン草原といえば、ニジガ城からは目と鼻の先だ。

 オオミ村にも近く、アルクスやエリサにとっては他人事ではない。

 もし、戦争が始まるのであれば、それなりの準備をしなければならないだろう。

「ということはつまり、それはサイカ国からの情報ですかな?」

「ふふふ、勝手に想像しておけ。それよりも光栄に思うのだな。この俺様がニジガ城で指揮を執るのだ。勝利は盤石だぞ?」

「勝手に決められても困るんだけどな……」

 元英雄達がシュウク大陸統一を果たした際、大陸内での争いを禁止した。しかしながら既に十四年が過ぎている。元英雄は二人が消息を絶ち、残る二人もキガナ国に仕えてはいない。

 シュウク大陸内の各国が、水面下で動き始めていても何らおかしくはなかった。

「トットル、どう思う?」

「ダイエン草原の様子を確認させております。今しばらくお待ちを」

 トットルは行動が早い。既に配下の者が足を動かしていた。

「……ふう。クルデリック王子、貴方とその配下がここに居座るにしても、狭すぎて持て成すことはできませんよ」

「構わん。戦争が終わるまでの間、貴様等は別の場所に移るのだからな」

「別の場所?」

「近場に小さな村があっただろう? そこに行け」

 オオミ村のことを言っているのだろう。しかしながら、人口百九十を超える人々が、オオミ村の厄介になるのは、さすがに無理がある。

「ニジガ城に住む全員が……ですか」

「ああ、そうだ。キガナ国が勝つ為にも、速やかに行動に移すがいい」

 クルデリックには、大義名分がある。これは王族の命令であり、更には戦争の始まりでもある。急なこととはいえ、断ることは難しい。

「……仕方ない。オオミ村の周囲に防壁を作って、簡易的な寝床を設けるか」

 オオミ村は、ニジガ城とダイエン草原の間にあり、隠れ里のような地形に作られている。

 足を踏み入れたことがある者でなければ、その場所を特定することは難しいだろう。

「アルクス、本当にそれでよいのですか? クルデリックの狙いは別にあるかと」

「ああ、分かってる。でも今はセボ国の動向も気になるからな」

 二人は気づいている。クルデリックの本当の狙いに。

 此度の戦争を機に、アルクス達をオオミ村へと追いやり、ニジガ城を占拠するつもりなのだ。

 キガナ国は、喉から手が出るほどニジガ城を欲している。それは十四年前からずっと変わらない。故に、この戦争は切っ掛けに過ぎないのだ。

「恐らくは、アロガン国王の命によるものでしょう」

「セボ国との戦争で、オレ達が死ぬようなことになれば、一石二鳥ってわけか」

「その点は、ご安心を。アルクスにはこの私とディードがついていますので」

 その台詞は、何物にも勝る。

 心強さを胸に、アルクスは小さく頷いた。

「アルクスがオオミ村に来るの? じゃあさ、あたしの家に泊まればいいよ!」

「それもありかもな」

「えっ、あ、……ッ」

 断られると思ってたのか、エリサは口ごもる。頬は赤くなっていた。

 とここで、トットルの配下の者が帰還する。足音もなく近づき耳打ちし、背後へと回った。

「……アルクス、どうやら事実のようですね」

「そっか、……となると、今すぐにでも行動した方がいいか」

 クルデリックの話に偽りはなかった。もう間もなく、セボ国との戦争が始まるのだ。

「エリサ、オオミ村に移ることを皆に伝えてくれ」

「わかった! アルクスはどうするの」

「野暮用がある」

 クルデリックと配下の者達は、キガナ国に戻るつもりはない。食料も持参している。

 一旦、アルクスは自室に戻ることにした。

「トットル、エリサと一緒に皆をオオミ村まで連れて行ってくれるか」

「お安いご用です」

 二人と別れ、アルクスは城内を進む。

 自室の前に着き、ドアノブを触りながら小声で何事かを呟いた。

「……よし。これでいい」

 今のは、転移魔術の応用呪文だ。

 ニジガ城の主は、剣士でもなければ魔術師でもない。

 空間を自在に操り、転移することのできる、転移魔術師なのだ。

「あの間抜けには分からないだろうな」

 ドアノブに、少しばかしの小細工を施す。アルクスではない別の何者かがドアノブを回し、室内に入ろうとした時、転移魔術が即座に発動するように仕掛けたのだ。

 これにより、たとえばクルデリックが部屋に入ろうとすると、別の空間へと繋がってしまう。

 偽の部屋を用意し、侵入者を騙してしまうのだ。

「さて、皆のところに戻らないと」

 転移魔術をかけ終えると、アルクスは来た道を戻る。

 それからすぐに、ディード達と合流するのであった。


     ※


 その日のうちに、ニジガ城の人々はオオミ村への移動を済ませた。これは、アルクスやトットル、そしてエリサによる的確な指示があったからこそだ。

 オオミは小さな村だ。ニジガ城の人々全員を迎え入れるのは非常に難しく、困難であると言えるだろう。しかし僅かな時間と人力を用いることで、アルクス達は簡易的な住まいを作り上げることに成功した。

 一方で、ディードも己の役割を全うしていた。部下の兵士達と共に、ニジガ城に備えておいた武具を持ち運んだのだ。

 セボ国を相手に開戦し、ダイエン草原が戦の舞台となった場合、オオミ村への被害をゼロに抑えることは難しい。今ある戦力で、いかに効率よく戦い、被害を最小限に抑えるか、戦況を見極める必要があった。

「ディード、トットル。おかげで助かった」

 日が沈み、辺りが暗闇に包まれた頃、オオミ村はいつも以上の賑わいをみせていた。それもそのはず、人の数が増えているのだから当然だ。

 村の広場には明かりが灯され、談笑に花を咲かせる村人達は、皆一様に笑みを浮かべ幸せそうな表情をしていた。ただ、その輪から少しばかし距離を取り、目と鼻の先のダイエン草原を見据える者の姿がある。ニジガ城の城主アルクスと、元英雄達だ。

「甘えぞ、アルクス。まだ何も終わっちゃいねえからな? セボ国なんて相手にもなんねえが、問題はクルデリックの野郎だ」

 労いの言葉に、ディードが鼻息を荒くする。戦場では右に出る者はいないが、戦況を見通すのはトットルの役目だ。本来、ディードの出る幕ではないのだが、クルデリックの企みをトットルから知らされたのだろう。苦々しげな顔つきで、ニジガ城の方角へと目を向けている。

「俺達を追い出して、ニジガ城を占拠しようだなんて考えてるみてえだが、一人じゃ何もできねえ腰抜け野郎だ。大人しくアロガンの機嫌でも伺ってろってんだ」

 一国の王子を腰抜け呼ばわりするディードだが、アルクスとトットルは、ただ頷く。

 元々、国民からの信頼など皆無に等しく、王族としての権利を乱用しているだけの輩なので、意見することはないのだろう。だがここで、トットルが口を開く。

「その国王の命によって、今件は実行に移されていますからね。彼一人の判断であれば、ニジガ城から追い出すことも容易ですが、さて」

「国王が絡むとややこしくなるな」

 キガナ国の国王――アロガン=クレプスクルムは、一癖も二癖もある人物である。過去には、アルクスの両親と敵対したこともあった。

「まあ、俺がいるからな。力尽くで取り戻せばいいってこった」

 ディードの台詞に、トットルは肩を竦める。しかしながら、口を挟むことはない。ディードの強さは自他共に認めるものだ。剣闘大会の控室での発言と同じく、決して過信しているわけではない。その事実を、アルクスやトットルは理解している。

「ニジガ城の内部には、数多の仕掛けを張り巡らせております。我々の手で自在に発動することができますから、今は目の前の敵に集中いたしましょう」

「ああ。そうさせてもらうよ」

 目の前の敵とは、セボ国の一個隊のことだ。斥候隊の報告では、ダイエン草原に辿り着いてから数刻が過ぎている。恐らく、明朝には開戦することになる。

「手筈通りに頼む、二人とも」

「任せとけー」

「御意に」

 夜は更けていく。もう間もなく、戦いの狼煙が上がるのだ。

 小競り合いをするつもりか否かは不明だが、セボ国側は一個隊の他に姿を見せない。

 対するキガナ国は、既に千を越える兵力がダイエン草原に集結している。

 キガナ地帯での領土の違いや、過去の戦歴、加えて同盟国の差を比べてみても、キガナ国は全てにおいてセボ国を圧倒している。故に、セボ国がキガナ国に牙を向けたとしても、万に一つも勝つ可能性は無い。

 アロガン国王やクルデリック王子は当然のことながら、キガナ国に住む人々は、シュウク大陸統一を果たしたことが誇りであり、自信へと繋がっているのだ。

「殿、ダイエン草原より帰還いたしました」

 とここで、別の斥候隊の一人がオオミ村に戻った。アルクスを殿と呼び、息を整える。

「無事で何よりだ。動きに変化はあったか」

「はっ。セボ国側は一個隊を先陣に五千の兵を後方に配置しております」

「……五千だと?」

 いったいどこに、それほど多くの兵隊を隠していたのか。

 斥候兵の報告に、アルクスとトットルの表情が険しくなる。

「暗闇に乗じたとしても、五千もの兵を隠すことはできないはずだ」

 そもそも、北のセボ国がダイエン草原に兵を進めるには、西のサイカ国を通過しなければならない。サイカ国とキガナ国は良好な関係を築き上げ、裏切るようなことはないと思われていた。故に、それほどの兵を動かしておきながら、今に至るまで情報が洩れなかったのは、おかしな話である。もしや、サイカ国が裏切ったのだろうか、とアルクスは思考する。だが、

「……いえ、不可能ではないでしょう」

 そう言って、トットルが上を見る。

「陸地の警戒ばかりで、空からの進軍に気づくことができなかっただけのこと」

 灯りに頼らず、暗闇を進軍したとしても、多少の変化が起きてしまう。だが、もしそれが空からの進軍であったとしたら、見逃すこともある。

 空の進軍には、魔術師の協力が必要不可欠だ。五千を超える兵の数を運ぶとなると、最低でも百、可能であれば五百を超える魔術師が必要だ。

 一般兵よりも強大な力を持つ魔術師を利用し、五千の兵を動かすのだ。敵ながら勿体ないと言わざるを得ない。だが同時に、奇襲にはもってこいの戦法であった。

 魔術師を戦力とせず、完全支援部隊とすることで、セボ国はこれを実現したのだ。

「空の進軍ってよー、俺は嫌いなんだよな。下向いたら漏らしそうだし」

「その言葉、私に向けていますよね、ディード?」

「あったりめえだろ、てめえが昔考えた戦い方じゃねえか」

 言葉の通り、空の進軍はトットルが編み出した策だ。一見すると格好の標的となり得るが、暗闇の中での移動には最適であり、見つかり難い移動手段と言えよう。

「他に伝えることは?」

 続きを促す。すると、斥候兵は頭を垂れ、口を開いた。

 空を進路に後方部隊が集い、ダイエン草原へと降り始めたこと。

 一個隊を先陣に戦型を整え、五千の兵を首尾よく配置したこと。

 現段階にて、キガナ国の兵力を大幅に上回り、キガナ国の本隊、並びに増援部隊の到着を待たずに開戦する見通しであること。

「しっかしまあ、五千の兵隊か。セボ国も大きく出たもんだぜ」

「如何いたします、アルクス」

「……今、やらなければならないことは、一つだけだ」

 トットルの問いかけに、アルクスは即答する。

 良好とは言えない仲だが、ニジガ城の領地はキガナ地帯の南に位置する。つまりは、キガナ国の領土内ということだ。更に言えば、今現在、ニジガ城はクルデリックの手中にあった。

 つまりは、キガナ国の敗北はニジガ城を占拠されることにも繋がる。

「何も知らずに進軍中の本隊が到着するまで、オレ達が手を貸すしかない」

 持ち堪えるのが、アルクス達の役目だ。

 ダイエン草原の変化が、クルデリックの耳に入るのは、数時間先のこととなるだろう。

 アルクス達が伝えれば済む話ではあるのだが、悠長にしている暇はない。

「ニジガの兵を三十に、オオミの兵を二十、総兵力五十を動かす。残りの兵力には、オオミを守ってもらう」

 決断は早い。アルクスの台詞にディードが雄叫びを上げ、身を震わせる。

 トットルは長い髪を掻き上げ、ゆっくりと深呼吸をした。

 そんな二人の姿を視界に捉え、ニジガ城の城主は、斥候兵に命を出す。

「皆に伝えてくれ。ダイエン草原へ向かうと」


     ※


 オオミ村の入口に、アルクス率いるニジガの兵とオオミの兵が集う。

 数としては少なめだが、敵に気付かれないように行動するには都合がいい。

「アルクスッ」

 全ての準備を整え、いよいよダイエン草原へと歩を進めよう。

 その思考を遮る声が、アルクスの耳に届いた。

「……これ、お守り」

 不安気な表情でアルクスを見上げるのは、エリサだ。兵士ではないので、共に肩を並べて戦地へ赴くことはできない。オオミ村に残り、アルクスの帰りを待つのだ。

「死なないでね」

「死ぬわけない」

 不安を与えぬように言葉を返し、アルクスは口元を緩める。

 そのおかげか、エリサの瞳から揺らぎが消えていく。

「アルクス、皆が貴方の命を待っていますよ」

「ああ、今行く」

 背に声を掛けられ、アルクスは頷く。

 ここにいる全ての人々が、アルクスに視線を向けていた。

「面倒なことは口にしない。オレが告げるのは二つだけ」

 息を吸い、長く吐く。やるべきことは決まっているから、それを伝えるだけだ。

 目を閉じ、瞼の裏を見る。それから、アルクスは目を開けた。

「――勝て! そして必ず生き残れ!!」

「「「「「うおおおおおーっ!!」」」」」

 総勢五十を超える兵士の声と、ニジガとオオミの人々の声が、暗闇に響き渡る。

 全てが整った。躊躇する意味はない。決断は既にできている。目の前に立ちはだかる敵を倒すのみ。ただそれだけだ。

 夜明けを前に、開戦する。その時は、刻一刻と迫っていた。


     ※


 アルクスの隊がオオミ村を発ち、既に二時間が過ぎていた。

 ダイエン草原に到着し、まだ少しばかしの余裕が残されていることを理解したのだろう。アルクスは兵士達を休ませる。その間、トットルとディードを護衛に、アルクスはキガナ国の本陣に足を運び、顔を見せていた。

「――とにかくだ。貴様等の助けなど必要無い。我々の命に従い、即刻来た道を戻れ」

 声を荒げるのは、キガナ国の一番隊隊長――ウェンドックだ。

 この男は、先日行われた剣闘大会の準決勝戦で、アルクスを相手に敗北を喫している。

 原因がそこにあるのか否かは不明だが、アルクスの顔を見た瞬間から、ウェンドックは厄介者が来たと言わんばかりの態度を取り続けていた。

「おいおい、冷静になって考えてみろよ。俺達が力を貸すってのが、どんだけ心強いことか分かってんだろーが」

「元英雄は口を閉じるがいい。貴様に意見を求めてはいない」

 加勢に来たまではよかったのだが、キガナ国の総指揮を任された人物がウェンドックであることまでは調べさせていなかった。

 仮にも味方側に敵意を持つ者がいることは、アルクスも想定の範囲内ではあったが、まさかその者が総指揮を執るとは、さすがに予想していなかった。

「はあ? アルクスに負けたのがそんなに悔しいのか? 懐のちっちぇー男だな、おい?」

「あれはあくまでも遊戯だ。死と隣り合わせではない時点で、剣闘大会には何の意味もない」

「今の台詞、アロガンに告げ口してやろーか?」

「国王が貴様如きの為に時間を作るとでも? 能天気を通り越して脳みそが腐ったか」

「そんじゃあよー、その腐った脳みそを持つ俺と、死と隣り合わせの勝負をしてみるか? てめーなんかすぐに殺してやるぜ?」

「……ッ」

 剣の柄を握り、ニヤリと笑う。

 ディードの仕草にウェンドックの肩が揺れ、周囲に緊張が走る。

「止めておきなさい。私達は仲間割れの為に顔を合わせたのではありませんよ」

 ここでようやく、トットルが口を開いた。ディードが舌を打ち、剣から手を放す。

 空気の流れが変わったことで、今度はアルクスがウェンドックに話し掛ける。

「ウェンドック隊長、貴方の意見はごもっともかもしれません。ですがこちらにも大義名分がありますから、ご容赦を」

「大義名分だと?」

「ええ。クルデリック王子直々の命により、俺達は戦地に参りました」

 クルデリックの名を口にした途端、ウェンドックが眉をしかめる。己よりも地位の高い存在は、両方の指で数えるだけで事足りるのだが、残念なことに、クルデリックの名はその中に含まれていた。

「俺達を追い返すということはつまり、クルデリック王子に盾突くことと同義です」

「ぐっ」

 拳を握り締め、苦々しげな顔でアルクスを睨む。だが、舌は動かない。アルクスの言葉を前に、もはやウェンドックは何も言い返すことができなくなっていた。


     ※


「敵国と戦うのに許可を貰う必要があるのは面倒だな」

「その点は、中立国の自由さが羨ましくもありますね」

 互いに言葉を交わし、アルクスとトットルは肩を竦める。二人はキガナ国の本部を離れ、仲間達の許に戻っていた。

 ダイエン草原を挟んで、敵の姿を確認することができる状況下にあるというのに、加勢を拒むのは愚の骨頂だ。とはいえ、アルクス達が勝手に戦い始めては国交問題に発展しかねない。

「いっその事、シニソノギ国と中立同盟でも結ぶか? くかかっ」

「中立国とはいっても、心変わりすることがないとも限りません。現に城主が代わってしまいましたからね」

 中立国とは、どの国にも属さず中立の立場を主張する国を示す。キガナ地帯でいえば、シニソノギ国がそれに当て嵌まる。

 シニソノギ国とは、ツギト城とヨナガ城の二大国衆統治の中立国だ。単体ではそれほどの力を持たずとも、互いに手を取り合い、キガナ地帯での地位を盤石としていた。総兵力は二千七百にも達し、独自の生き方で栄え続けている。

 だが近年、両城主が何者かの手によって暗殺された。

「シニソノギは内紛があるかもしれないからな。今は身内のことで手一杯のはずだ」

 同時期に両城主が暗殺されたことで、これまで良好であったはずのツギトとヨナガは、疑心暗鬼に陥っている。その打開策として、一つの案が実行に移された。

 シニソノギ国をまとめ上げ、求心力を得る為に、すぐさま新たな城主を据えたのだ。

「オレ達も、今は目の前の敵に集中しよう」

「御意に」

 暗闇が薄まり、徐々に空が明るさを取り戻す。

 ここまでくれば、キガナ国とセボ国、互いの兵力の差を捉えることも容易い。

「五千の兵力に対し、私達は五十兵力ですので、単純に百倍差があります」

「キガナ国は頭数に入れねえのかよ、トットル」

「あれは味方であって味方ではありません」

 トットルの台詞に、ディードは高笑いする。

 二人の会話に耳を傾けつつ、アルクスは兵の状態を再確認してみた。

「一人頭、百人倒せばいいだけか……。全く、言うは易しだ」

 第一増援部隊が到着したことで、キガナ国の兵力は二千を超えていた。ウェンドックの情報に信じるとすれば、更に後方から八千兵力が動き始めているらしい。到着までにそれなりの時間を要するが、セボ国の総兵力を圧倒することが可能である。

 遅れがあるとはいえ、ウェンドックが余裕を持っていられるのも納得だ。

「先頭部隊の小競り合いが始まったか」

 兵が騒ぐ。総指揮を執るウェンドックの命を待たずに、キガナ国の兵士達は勝手に動き始めていた。各隊の隊長の指示を仰ぐしかないのだが、現状を見るに、まとまりは皆無だ。

「もう、止まらねえな」

「止まらなくていいさ」

 そう。今更止まる必要はない。仕掛けてきたのはセボ国で、領土を侵されまいとするのがキガナ国だ。ダイエン草原が戦場に選ばれた時点で、ニジガ城の民に選択権はない。戦わずに傍観する道は残されてはいないのだ。

「皆はディードの指示に従ってくれ。オレとトットルは別行動を取る」

「おっしゃあ! 行くぞてめえらっ!!」

 ディードの雄叫びに釣られて、兵士達が武器を手に吠える。

 ニジガとオオミの兵士達が、ダイエン草原を駆け始めた。

「……よし。トットル頼む」

「お任せを」

 彼等の姿を見送った後、アルクスはトットルと向き合う。既に左手を前へと伸ばし、準備をしていた。トットルは、二十センチ程度の長さの杖を両手首に括り付けている。これは、両方の手を空けたまま、魔術を自在に操る為の策だ。空いた手で剣を持ち、杖から魔力を転換することで、剣に魔力を与え戦うことも可能としている。

「魔術には魔術を……空の進軍には、空の進軍をいたしましょう」

 軍師兼、魔術師のトットルは、呪文を唱える。杖の先が輝き始め、アルクスの姿を取り込み始めた。すると驚くことに、その肉体が宙へと浮き出す。

「ふわりと舞い上がります故に、ご安心を」

 ――空術。それがアルクスの肉体を浮かせた魔術の名だ。

 対象範囲の重力を操り、常識とされた法則を捻じ曲げてしまう。

「さて、それでは私も……」

 空術を扱い、己の肉体をも宙に浮かせる。アルクスとトットルは、二人揃って空へ空へと舞い上がっていく。その勢いは止まらず、ダイエン草原を中心に遥か上空に移動した。

「アルクス、見えますか?」

「ああ。よく見える」

 上昇を止め、大地を見下ろす。豆粒よりも小さな人の群れを余すところなく見ることができた。随分と遠くまで視認することができるが、キガナ国の増援部隊は、まだ姿を見せていない。

 一方のセボ国は、五千の兵力を分断させることなく、律儀に前進させている。真っ向勝負の形を取るつもりだ。しかし、

「……おかしいな」

 ぽつりと呟き、アルクスは目を細める。視線の先に映るのは、シニソノギ国だ。

 ダイエン草原の北東に位置するシニソノギ国は、キガナ国の味方でもなく、だからといってセボ国側についているわけでもない。どこにも属さぬ中立国だ。

 だが、アルクスは気付いた。シニソノギ国の領土内に、何やら不穏な動きが見られる。

「トットル、どういうことか分かるか」

「……いやはや参りましたね。まさかセボ国がここまで用意周到だとは思いませんでしたよ」

 現状を把握し、トットルは溜息を吐く。シニソノギ国を指し示し、更に指先を奥へと向ける。

「あれは……」

「ええ。ヒシガソノギ国の兵士です。海を渡り領土内に入り込んでいたのでしょう」

 ――ヒシガソノギ国。内海を挟んだ先の小国であり、同時にセボ国の同盟国でもある。キガナ国とセボ国が遥か昔から対立しているように、シニソノギ国とヒシガソノギ国もまた、対立関係にあった。それが何故、ヒシガソノギ国の兵士を領土内に迎え入れることになったのか。

「まさか、シニソノギ国がセボ国と同盟を結んだのか」

「妥当な線でしょうね」

 ヒシガソノギの総兵力は千二百にも満たないが、二千七百兵力にも達するシニソノギが加わるとなれば話は別だ。セボ国の総兵力は、五千から八千に増える。

 それでも数の上ではキガナ国が優位に立つことができるが、未だに増援部隊の姿が見えない上に、中立国と思われていたはずのシニソノギ国がセボ国に加担している。キガナ国は、北と東の二方向からの攻めに対抗する手段を考える必要が出てきた。

「まずいな、ウェンドックに伝えに行くか」

 と言い、アルクスは考えを改める。

 ろくに指揮を執れないウェンドックに戦況を伝えたとしても、何も変わらない。

 では誰に伝えるべきか。ニジガ城に陣取るクルデリックに報告するのか。

「国王に直接伝えた方が確実でしょうね。ですが、それは悪手です」

 トットルの台詞に、小さく頷く。たとえ伝えることができたとしても、好転するとも思えない。キガナ国の兵士達は、挟み撃ちの形でシニソノギ国とヒシガソノギ国の襲撃を受けることになる。増援部隊が到着する頃には、壊滅状態になっていたとしても不思議ではない。

「今、私達にできることは一つしかありません」

「ただひたすらに持ちこたえること、か」

 キガナ国の大勝で幕を下ろすかに思われていたが、蓋を開けてみれば驚くことばかりであった。前線へと向かったディード達に伝えることを第一に、二人は空術を解く。

 地に足をつけた後、アルクスとトットルは二手に別れることにした。

「ウェンドックに伝える役目は任せるよ。オレの顔は見たくないだろうからな」

「無難かと」

 微笑み、互いに拳をぶつけ合う。

 それからトットルが走り去る背を確認し、アルクスはダイエン草原に目を向ける。

 二大大国の戦は、既に始まった。アルクスの役目は、ディード達に戦況を伝え、兵を引かせることだ。キガナ国が敗北する目が出たわけではないが、深手を負うことは確実だ。

 己の兵を動かし、無駄に戦力を損なう意味は無い。オオミ村に陣地を張り、降り掛かる火の粉だけを払い落とし、守りに徹することが生き延びる道だ。

 とはいえ、一度戦い始めると、ディードは止まらない。

 素直に退かせることができるのだろうか、とアルクスは頭を悩ませるのであった。


     ※


「貴様の首ッ、貰ったああああっ!」

「退け、邪魔だ」

「――がふっ」

 左足を軸に体を捻り、同時に剣を振るう。

 たったそれだけ、二つの動作だけで、セボ国の兵士の腹がぱっくりと割れた。

 大量の血を流しその場に倒れ込むが、死にゆく姿を律儀に見届けるようなことはしない。

 ただただ前へ、急ぎ足で歩を進める。ディード達と合流する為に、戦地を彷徨い続ける。

「キガナ国の人間は全員死ねえええっ」

「失敬な。オレはニジガの民だ」

「いぎゃあっ」

 別の兵士が、アルクスの首を狙う。しかし剣先は届かず、逆に右足を斬り落とされた。

「ったく、どこにいるんだ」

 ディードは優秀な剣士であり兵士だ。元英雄の力は未だ健在であり、ニジガとオオミの兵を率い、怒涛の快進撃を続けていた。キガナ国の兵の誰よりも敵を薙ぎ倒し、真っ二つにし、懐近くまで進軍している可能性も否定できない。

「……ん? 見つけたか」

 セボ国の兵士達が、少し離れた場所で次々と宙に舞っている。それは空術を扱っているわけではなく、単に何者かの手によって蹴散らされているだけだ。当然だが、セボ国兵が周囲を固めた状況下で、そんなことができる人物を、アルクスは一人しか知らない。

「んおうっ、アルクスッ! おめえもやっと来たかー!」

 元英雄ディード、その人である。

「ここは天国だぜ! 久々に暴れまくることができるからなー!」

「楽しそうなところ悪いけど、オオミ村に戻る。兵を退くから手伝ってほしい」

「なっ、なんでだよアルクスッ!? そんな殺生なことを俺に言うんじゃねえよぉ……」

 途端に、ディードは悲しげな表情を浮かべる。

 とはいえ心は正直だ。表情とは裏腹に手足が動き、大剣がセボ国兵の体を串刺しにする。

「シニソノギ国が中立の立場を破棄したんだ。この戦は荒れる」

「何だって? 今のは本当か、アルクス?」

 さすがのディードも、攻撃の手を緩めた。

 シニソノギ国は、北と南の中間に位置している。ダイエン草原にも駆けつけることが容易で、中立の立場でなくなることは、戦局がひっくり返ることにもなりかねない。

「ちっ、いいところだってのに……」

 また一人、襲い掛かるセボ国兵を斬り捨てた。しかしその表情は曇っている。目前の敵を放置し、後退するのだから当然と言えよう。

 だが、ニジガ城の城主はディードではない。全ての決定権はアルクスが持つ。

「仕方ねえな」

 シニソノギ国が中立ではなくなった今、現状を維持し(いくさ)を続けるのは得策ではない。

 戦況を把握し、ディードはゆっくりと頷いた。

「よし、てめえら! オオミ村に戻るぞ!」

 現在、アルクス達がいるのは最前線だ。これ以上、ここに残る意味はない。いずれはキガナ国の増援部隊、そして本隊が到着する。それまでの辛抱であった。

「敵の動きに翻弄されんじゃねえぞ! 陣形を崩さず後退だ!」

 ディードの声に引き寄せられ、兵士達が二人の許に集う。

 戦いの場を前へ前へと進めていたが、進軍は中止だ。あえなく後退を始める。だが、

「――……気のせいか」

 遠くに、何やら強い気配を感じた。これまでに感じたことの無い、不思議な感覚だ。

「……いや、違うな」

 思考を巡らせる。それは、殺気ではない。この感覚は、過去に経験し続けたものだ。

 常にそばにあり、日常と化していたからこそ、気付くことができなかったのだろう。

 眉根を寄せ、アルクスはセボ国兵の後衛部隊を見据える。

「おい、アルクス? 行くんだろ!」

「ん? ……ああ。すまない」

 意識が元に戻る。アルクスは、己の思考を奥に押し込み、息を吐く。

 ディード達と共に、ダイエン草原をあとにするのであった。


     ※


 最前線にいたから、気がつかなかった。セボ国の兵士達は、相打ち覚悟で進軍を続け、先の部隊はダイエン草原を抜けており、キガナ国の本陣にも被害が及んでいる。

「くそっ、使えない奴らめ!」

 悪態を吐き、周囲の兵をビクつかせるのは、ウェンドックだ。

 思い通りに行かず、苛々が募っているのだろう。

「何故、私の言うことを素直に聞かないのだ! 指揮官は、この私だぞ!」

 思わぬ伏兵の登場も相まって、キガナ国の前線は崩れている。

 総指揮を執るウェンドックは、本部を一時的に後退し、陣地の再配置を余儀なくされていた。

「求心力の差、でしょうねぇ」

 ぽつりと、トットルが呟く。本陣を敷いていた地は、既に両軍入り乱れて混戦と化している。

 全てを伝え、本陣を引かせることで、トットルは被害を最小限に抑えることができていた。

「シニソノギ国め、奴らが中立破棄しなければこんなことには……ッ」

 恨みの先を、二大国衆へと向ける。けれどもそれは意味の無いことだ。戦場では何が起こるか分からない。現段階において、シニソノギ国が敵対したことに気付けただけでも恩恵は大きいのだ。故に、ウェンドックはトットルに頭が上がらない。

「……トットル。貴様の策を話せ。一意見として参考にしてやろう」

 その姿勢は、あくまでも上官としてのものだったが、軍師として名高いトットルに、ウェンドックは助けを乞う。このままでは、一番隊隊長の名に傷が付いてしまうと考えたのだ。

 更に言えば、仮にこの(いくさ)に敗北でもしようものならば、総指揮を執るウェンドックの首が飛ぶのは想像するに容易い。わらにもすがる思いになったとしても、仕方のないことであった。

「恥を恐れては被害が拡大しましょう。北部の領土を捨て、速やかに総軍撤退が良案かと」

 しかしながら、ウェンドックは運がいい。幸いにもセボ国とシニソノギ国が手を組むことを知らせに来たのは、トットルだ。わらどころか、シュウク大陸随一の頭脳を持つ人物である。

「……総軍撤退だと?」

 何を馬鹿なことを、とウェンドックは目を見開く。

「出鼻は挫かれたが、後方からはもう間もなく本隊が到着するのだ。故にこれは負け(いくさ)ではない! ここで退くなど、断じてあってはならないことだぞ!」

「だから貴方は、その程度なのです」

「なに?」

「ツギト城とヨナガ城の城主が揃って暗殺されたのは、今より日を重ねます。加えて、中立破棄の意図を考えてみるといい」

「……何が言いたいんだ、貴様は」

「両城主の暗殺には、セボ国が関与していることは明白、それはつまり、その時点よりシニソノギ国はセボ国の手に落ちていたとみて、間違いありません」

 その意味が、ウェンドックには理解できるか。間を開けず、トットルは更に続ける。

「セボ国は五千兵力と言いましたが、恐らくそれは偽りでしょう」

 正確には正しいのだが、それはあくまでキガナ国側が把握しているものに限られている。

「内部からシニソノギ国を操り、水面下で行動していることが発覚した今、セボ国の兵士達をシニソノギ国に潜ませておくことも容易です」

 それは、戦況を更に悪化させるものだ。

 聞きたくはなかったが、もはやウェンドックには止める術がない。

「此度の(いくさ)、セボ国は本気でキガナ国を落とすおつもりです。兵力で勝ると思い込み、撤退をせずに胡坐を掻いたままならば、確実に命を落とすでしょう」

「……くっ」

 全ては、セボ国の思惑通りに事が運んでいる。ただの一手だけはなく、二手も三手も先を見越して(いくさ)支度をしていたのだ。この(いくさ)は、ただの小競り合いではない。大国同士の(いくさ)である。初めから、侮ってはならなかったのだ。

 ダイエン草原で迎え撃つようなことをせず、本隊到着が間に合うであろう場所に本陣を敷くべきだったのだが、今となっては悔やむことしかできない。

「……ふむ。聞こえますか、ウェンドック隊長? セボ国とシニソノギ国、ヒシガソノギ国、三国による攻めが、勢いを増す声を……。耐え抜くことは不可能だ」

 だからこそ、決断を迫る。トットルの助言を受け、ウェンドックは目を瞑った。

「我々の被害は……」

「はっ、五百を超えております」

 背後の兵が、口を開く。

 既に、キガナ国は五百の兵を失っている。このままでは、更に被害は拡大するであろう。

「……各隊に伝えろ。これより、我々は全軍撤退を始めると」

 その決定に、ウェンドックのそばについていた兵士達が動き始める。各隊の隊長に、ウェンドックの命を伝えるのだろう。

「英断です、ウェンドック隊長」

「ふんっ。兵を退く為に貴様も手を貸せ」

「勿論です」

 口角を上げ、トットルは頭を垂れる。早速、本部の外に出るのであった。


     ※


 事は、上手く運ばない。

 トットルが予想した通り、シニソノギ国の兵士の数は、当初の想定を大幅に上回っていた。

 理由は、シニソノギ国の兵士に混ざり、ヒシガソノギ国とセボ国の兵士が潜んでいたからだ。

 セボ国は、同盟国のヒシガソノギ国を密かに呼び寄せ、海を渡りシニソノギ国内部に潜ませるだけでなく、自国の兵士も行動を共にしていた。

 その結果、当初はセボ国五千兵力との情報であったが、そこにシニソノギ国とヒシガソノギ国の三千九百兵力が加わり、更には自国の兵を含め、一万四千兵力を目前としていた。つまり、セボ国がダイエン草原に送り込んだのは、ほぼ全ての戦力となる、一万兵力だったのだ。

 本来、セボ国は(いくさ)に出ることは不可能な状況下に置かれている。それには、北のガサ国の存在が大きく関わっていた。

 南のキガナ国とのいざこざだけならばともかく、セボ国の北にはガサ国が存在する。セボ国は、北のガサ国との睨み合いを続けていたのだ。故に、北と南の両国に目を向ける必要があり、どちらか片方に戦力を寄らせるわけにはいかなかった。

 だが今回、セボ国はほぼ全ての兵力を南に配置した。その背景に、セボ国とガサ国との間で何らかの密約が交わされたことは言うまでもない。

「敵側に、相当頭の切れる人物がいるか……」

 ウェンドック率いる本陣が後方への撤退を始め、トットルは別行動を取る。

 周囲の国々の情勢を予測し、一つの仮説を立てていた。セボ国とガサ国が停戦協定を結んだのではないだろうか、ということだ。それは、セボ国かガサ国、どちらかの国に、トットルをも欺く知恵の持ち主がいることだ。

「何事もなく終わればいいが、さて」

 戦いの火ぶたが切って落とされた今、セボ国の北の大地まで目と耳を向けることは難しい。

 今はただ、己の目的を果たすのみ。

 ウェンドックに情報を伝え終え、トットルはアルクスとの合流を急ぐ。


     ※


「――ッ」

 また、同じ気配を感じた。オオミ村へと向かうアルクスは、後方を振り向く。何者かは分からないが、確実に意識が向けられていた。気配の主は、アルクスの存在に気がついていることだろう。少しずつではあるが、距離を縮めている。

「アルクスッ、ぼさっとすんな!」

 そばで怒声がする。

 意識を戻すと、ディードが大剣を振るい、セボ国の兵士の首を斬り落としていた。

「さっきから動きがかてーぞ!」

「悪い、考え事をしてた」

 戦場では、ほんの些細な事が命取りになる。神経を研ぎ澄まし、武器を手に足を動かさなければならない。別の何かに意識を持っていくことは、死に直結する行為であった。

 だが、気配は近づく。アルクスの視線の先に見えるであろう距離に、歩を進めていた。

「殿ッ、オオミ村は無事ですっ」

 とここで、単独で走らせていた兵士が隊列に戻る。

 数は少ないが、オオミ村には兵を残していた。また、入り組んだ地形に隠れるように作られているが故に、その地に詳しくない者がオオミ村を発見するのは困難であった。

 現に、オオミ村への被害は無く、村の人々は無事との報告を受ける。但し、

「……ただ、ニジガ城が……」

 言いよどみ、兵士は視線を逸らす。アルクスは表情を和らげ、兵士の肩を軽く叩く。

「続きを言え」

「……はっ」

 兵士は、口を開く。

「セボ国兵の猛攻に遭い、ニジガ城は……落城寸前に追い込まれております」

「落城か」

 鉄壁の守りを誇る城が、落城の危機に瀕している。事実は受け止めなくてはならないが、明らかにおかしい。攻め込まれるにしても時が速すぎる。現ニジガ城は、クルデリックの部隊が拠点としている。そう簡単にセボ国の手に落ちるとは考え難い。

「いかがいたしますか、殿ッ」

 歩みを止め、息を吐く。考える時間は少ない。すぐに結論を出す必要があった。

「……まずはオオミ村に向かう。全兵力を村の守りに費やす」

 その上で、アルクスは事実を視認しに行かなければならない。

 気配はするが、気を向ける余裕はない。今すぐにでもニジガ城の状況を把握したかった。

「おい、トットルはどうすんだ?」

「オオミ村で落ち合うことになってる。問題ない」

 ディードの問いに返事をし、再び歩み始める。

 隊列を崩さず、アルクス達はオオミ村へと向かった。


     ※


「アルクス~ッ!!」

 オオミ村に戻ると、泣き顔のエリサが出迎えた。

「死んでなかった……よかったよぉ……」

「死ぬか、……ったく。オレには皆を守る役目があるんだからな」

 ニジガ城とオオミ村の民の命は、城主アルクスが握っている。両親が行方不明になって以降、ただただがむしゃらに、そして必死に生きてきた。そう簡単に死ぬわけにはいかないのだ。

「被害は無しか」

 村に身を潜め、見つかるまでは兵士達も動かず隠れることで、オオミ村は難を逃れていた。

 トットルを除いて、一人も欠けずに戻ることができたのは運がいい。それもこれも、全てはディードのおかげと言えるだろう。先陣を切り、ディードが敵の注意を引きつけ、他の兵士達が戦いやすい環境を整えていたのだ。己の欲のままに戦っているわけではなく、ディードは周囲に気を配りながら戦型を作り上げることができる。

「ねえっ、アルクス。(いくさ)はもう終わったの?」

「まだ始まったばかりだ」

 それどころか、ニジガ城は落城しつつある。急がなければ手遅れになるだろう。

「引き続き、皆は村の中に隠れていてくれ」

 指示を出し、兵士達を動かす。

「えっ、アルクスもここに残るんだよね?」

 エリサも例外ではなく、兵士に腕を掴まれ、引っ張られていく。

 それでも、アルクスに問いかけた。

「オレには別の仕事がある」

 言って、ディードへと視線をぶつける。

 元英雄が一人。ディードがそばにいるだけで、アルクスの頭から恐れが消えていた。

「ディードは、オレと共にニジガ城へと向かう」

「その言葉、待ってたぜ!」

 大剣を掲げ、ディードは鼻息を荒くする。戦いの場から撤退を余儀なくされていただけに、まだまだ戦い足りないようであった。しかし、エリサが食い下がる。

「もういいじゃん! ここで隠れてれば安全なんでしょ!」

「今はな」

 今後、何が起こるかは分からない。

 最悪の事態を避ける為には、今動かなければならなかった。

「すぐに戻るから、待ってろ」

「嫌だよ……アルクスが行くなら、わたしも行くから!」

 駄々を捏ねるエリサだが、兵士に引っ張られ、村の中へと姿を消す。

 声が消えるまでその場で待ち続け、アルクスはゆっくりと深呼吸をした。

「……さあ、行こう」

 オオミ村でトットルとの合流を予定していたが、まだ姿が見えない。到着までに、暫く掛かりそうであった。トットルが戻り、三人で偵察に行くことも考えていたが、時間は有限だ。刻一刻と、ニジガ城は落城への道を歩んでいる。

「心配はいらねえぞ。アルクスには、この俺がついてるからな」

 何度も耳にする言葉だ。だがその度に、アルクスは心強さを感じる。敵の数が多くとも、負ける気がしないのは、或いは気の緩みだったのかもしれない。

 そう、元英雄に勝てる者はいない、と思い込んでいたが故の……。


     ※


 炎が、頬を掠めた。

 すぐさま木の陰に身を潜め、周囲に目を向ける。

「ちっ、魔術師か」

 大剣を手に、ディードは相手との距離を測る。

 敵は姿を隠しながら辺りを警戒していたのだろう。アルクスとディードが近づくと同時に、魔術による攻撃を仕掛け、近付けさせまいとしていた。

「何人見えた?」

「一瞬だったが、五人はいたぜ」

「よし、同じだな」

 厄介なことこの上ない。ただの兵士とは雲泥の差である。

 魔術師は、その身一つで十以上の兵力に匹敵する。腕の立つ魔術師であれば、更に十倍の力を持つといっても過言ではない。

「空の進軍で魔術師は使い切ったと思っていたんだけどな」

 ニジガ城を攻めるセボ国兵の中に、まさか魔術師が含まれているとは思わなかった。

 魔術師が相手では、迂闊には手を出せない。攻めあぐねることは必然だ。だが、

「……ディード、十秒くれ」

「あいよ、了解」

 敵が誰であろうとも、アルクスは立ち止まらない。

「一度に一秒……」

 ふっ、と息を吐く。視線の先に映る景色を、アルクスは網膜に焼き付ける。

 ――瞬間、その場からアルクスが姿を消していた。

「えっ、……なにっ!?」

 声を上げたのは、セボ国の魔術師だ。その表情は驚きに満ちていた。

 それもそのはず、音もなく真横に敵が立っていたのだから当然だ。

「死ね」

 躊躇はしない。殺さなければ殺される。

 魔術師の喉元に狙いを定め、アルクスは剣を突く。

「がっ、……ッ」

 それ以上、声を上げることなく、魔術師は白目を剥く。

 と同時に、見える範囲に陣取っていた別の魔術師が異変に気づき、杖を構える。しかし、

「――いっ、消え……ッ」

 いない。どこにもいない。アルクスの姿がどこにも見当たらない。つい先ほどまで、そこにいたはずなのに、瞬き一つする間もなく、こつ然と姿を消したではないか。

「ぎっ」

 と、すぐ横で呻き声が聞こえた。

 魔術師は横を振り向く。そこにいたのは、地に伏した仲間と、アルクスの姿だ。

「な……なんだ? なんなんだお前はッ!?」

 言い切った時には、またもやアルクスの姿は消えていた。

 一人ずつ、確実に、仲間が死していく。

 もはや何が起こっているのか分からず、魔術師の脳内は恐怖に支配されつつあった。

「くっ、くそっ」

 いてもたってもいられなくなり、魔術師は持ち場を離れて走り出す。

 だが残念なことに、この魔術師は敵が一人ではないことを忘れていた。

「あの世で仲間に会いな」

「――ッ」

 アルクスに気を取られた魔術師は、ディードが振るう大剣の餌食となり、真っ二つにされる。

「これで終わりだな」

 全ての魔術師を始末し終え、アルクスはディードの許に歩み寄る。

「ぎ、ぎざ……ま、なに……もの……だっ」

 体が半分になっても、意識を保ち、魔術師は声も絶え絶えに絞り出す。

 その姿を見下ろし、アルクスは冷たく言い放つ。

「オレの名は、アルクス=クレプスクルム。ニジガ城の城主であり……」

 そこまで言い、剣を突き立てる。

 顔面を砕かれ、魔術師は息絶えた。その最期を見届け、更に呟く。

「ただの転移魔術師だ」

 周囲に敵の気配は感じない。このまま進めば、ニジガ城の城門へと辿り着く。

「……アルクス、裏から行くか?」

「いや、表がどうなっているのか知りたい。このままでいい」

 もしもの話だが、クルデリックが裏で糸を引いていた場合、ニジガ城は敵の策略の最重要拠点となる。反乱を起こす動機が無いとも言い切れず、今更ながらに不安が身を包み始めていた。

「オオミ村に移って正解だった」

 ニジガ城の民は、一人残らずオオミ村に移っている。人命被害が膨れ上がることはない。

 ただ、クルデリックの企みの結果が、現状に繋がっているならば、オオミ村も無事では済まない。村の場所は知られているのだ。早急に対処する必要があった。

「見えたぞ」

 思考しつつ、歩を刻んでいると、ディードが口を開く。

 いつの間にか、二人はニジガ城へと辿り着いていた。

「これは、考えを改める必要がありそうだ」

 今し方、アルクスが巡らせたことは、全てが無に帰す。

 眼前に映る景色は、まさに想像を絶するものだ。

「クルデリックの部隊兵だな」

 地に転がり、血を流す兵士は、既に息絶えていた。クルデリックが率いていた部隊兵だ。

 そこらじゅうに兵士が倒れており、そのどれもがクルデリックの部隊兵であった。

「どうやら、一癖ありそうだな」

「腕がなるぜ」

 クルデリックの部隊兵は、キガナ国の兵隊の中でも選りすぐりの精鋭達だが、恐らくは手も足も出ずに倒されたのだろう。敵の強さは、想定を遙かに上回っている。

「アルクス、まだ正面から行くか?」

「当然だ。この城はオレ達のものなんだから」

 ニジガ城は、城主の帰還を待つ。

 だからこそ、アルクスは正面からニジガ城へと足を踏み入れた。

「……気配が」

 と、呟く。あの気配が、ニジガ城内部にあった。

 オオミ村に立ち寄っている間に、気配の主はニジガ城へと向かっていたのだろう。

「できれば会いたくはないが……」

 戦うことになるか、と頭の中で続け、城門をくぐる。そこでようやく、敵の姿を見つけた。

「なんだ貴様、生き残りか?」

 と同時に、縄で縛られたクルデリックの姿を発見する。

「……反乱を起こしたわけじゃなさそうで安心したよ」

 涙目のクルデリックは、アルクスとディードの姿を視界に捉えると、大声で助けを乞う。

「小童ッ、いいところに来たぞ、今すぐこいつ等を殺せ! そしてこの俺様を助けろ!!」

 クルデリックのそばには、セボ国の兵士が二人。他には見当たらない。

「くくくっ、貴様等はもう終わりだぞ。こいつ等が何者か分かるか? 元英雄ディードと、英雄の息子アルクスだぞ! 貴様等が命乞いしても俺様は決して許さんからな!!」

「元英雄だと? ……へえ、こいつ等がね」

 驚く様子はなく、セボ国の兵士達はニヤニヤと笑う。

 一人が持ち場を離れ、城内へと入っていく。残る一人は、腰に差す剣を引き抜いた。

「じゃあ、手合せ願うぜ」

 明らかに侮っているが、それは自信の表れか。それとも、英雄の力を理解していないか。

 力の差を理解できないのであれば、実際に見せて証明するだけである。

「どこからでも掛かってこいよ、元英雄さ――んがっ」

 喋り切る前に、兵士の首は飛んでいた。

 ディードが持つ大剣には、兵士の血がべっとりとこびり付いていた。

「……あ、死んだか? 期待外れだぜ」

 呆気なく、セボ国兵を始末し、ディードは拍子抜けの表情を見せている。

 アルクスはクルデリックの許へと歩み寄り、縄を解いた。

「よくやったぞ、貴様等。褒美に勲章を授け……」

「要りません」

 あっさりと断り、クルデリックに肩を貸す。

 フラフラと立ち上がり、背後を振り返ると、クルデリックは憎々しそうな顔で悪態を吐く。

「奴らめ、この俺様の部隊を全滅させるとは……この恨み、今すぐに晴らしてやる」

「クルデリック王子、ここで起きたことをお話ください」

 長くは話せないだろう。城内へと向かった兵士が、仲間を引き連れてくるはずだ。その前に、敵の戦力を確認する必要があった。だが、クルデリックが口を開く前に、敵が姿を現す。

「……ほう、あれが英雄の息子か」

 一人、また一人と、城内から出てくる。その数、二十ほど。しかしながら奇妙な点が一つ。

「あの軍服は……ガサ国か?」

 彼等の中心に立つ人物は、アルクスの姿を瞳に捉えている。

 その人物は、ガサ国の軍服を着用していた。

「初めまして、かな? 私の名はフォルミ=ド=マジェフ。ガサ国の部隊長を務めている」

 礼儀正しく頭を垂れ、ニンマリと笑う。フォルミと名乗る男は、ガサ国の部隊長であった。

「何故、ガサ国の人間がここにいるのかと。疑問に感じることだろう。くくっ、それは至って自然なことだから、何も恥じることはない」

 この場にトットルがいれば、ガサ国との関係についても把握することが可能であったかもしれないが、今はいない。敵からの情報のみが頼りだ。

「我々の目的は、ただ一つ。それだけを教えておこう」

 言い終わり、フォルミは視線を外す。少し遅れて城内から出てきたのは、アルクスと歳の近そうな男と女、二人組だ。どちらもセボ国の軍服を着ている。

「ダリノア、エレステ」

 フォルミが、二人の名を呼ぶ。つまらなそうな顔つきのダリノアと、無表情のエレステは、フォルミのそばに立った。そして、

「標的を発見した」

 その言葉を合図に、二人の目がアルクスへと向けられた。

「……気を付けろ、アルクス。あいつ等つええぞ」

「ああ、分かってる」

 気配の主は、この二人のどちらかだった。しかし今はどうでもいい。ニジガ城を占拠し、我が物顔で城内をうろつく敵兵達を、自由にさせておくわけにはいかなかった。

「英雄の息子アルクス、君の身柄を拘束する。それが我々の目的だ。……ゆけ」

 フォルミの命を受け、ダリノアが剣を抜く。

「俺はセボ国部隊長ダリノア。己の目的の為に、貴様等に苦痛を与える」

 眉をしかめたのはアルクスとディードだ。長年睨み合いを続ける国同士の部隊長が何故、手を取り合い、ニジガ城を占拠したのか。

 ダリノアの隣に立つエレステは、両方の手に杖を構えた。

「剣士と魔術師か。……ディード、剣士の方を頼む」

「おう、任せとけ」

 言うや否や、ディードは思い切り地を駆ける。

 ダリノアとの距離をゼロにし、勢い任せに斬り掛かった。

「――ふんっ」

 その一撃を、斜めに受け流す。

 剣の腹の部分で攻撃の角度を変え、軸をずらしたのだ。

「……っと。やるじゃねえか、若いの」

「老害は死ね」

 間を置かず、真っ直ぐに突く。一歩後退し、ディードは剣先擦れ擦れの距離を保った。

「お、おいっ、俺様を守るのを忘れるなよ!?」

「……はぁ」

 一方、アルクスはというと、クルデリックのお守りをしながら戦う羽目になっていた。

「安心していい。それも交渉の材料だから殺さないわ」

 それとは、クルデリックのことだ。声の強弱を付けずに、エレステは淡々と告げる。

「それもってことは、オレも生け捕りか」

「そうね」

 頷き、右の杖を振る。極細の火柱がアルクスの足元から現れた。

「あっつ」

 その場を離れる。クルデリックの首根っこを引っ張り、共に行動することも忘れてはいない。

「ぐがっ、……こ、小童ッ、どこを掴んでがが……ッ」

「少し黙っててください。目障りなんで」

 敵の言葉を信じるならば、クルデリックを守りながら戦う必要はない。現に、ダリノアとエレステを除く他の兵士達は、一切手を出してこない。フォルミは、ガサ国の部隊長ダリノアと、エレステの力を買っているのだ。

 つまり、アルクスとクルデリックを生け捕りにする自信がある、ということだ。

「悪いけど、遊んでる暇はないんでな」

 クルデリックを置き去りに、アルクスはエレステとの距離を詰めていく。

「――っ、ふっ」

 エレステが杖を振る。その度に、足元から極細の火柱が立つが、ギリギリのところでかわす。

 すると今度は、左手に持った杖を上空へと向けた。

「危なっ」

 一瞬、空が光ったかと思えば、雷撃がアルクスを襲う。横に避け直撃を免れたが、先ほどまで立っていた地は黒く焦げていた。とはいえ、攻撃の頻度は遅く、熟練者とは言い難い。避けるのも難しくはない。

「中々の魔術師だが、その程度ではオレには勝てないぞ」

 ついには、アルクスはエレステの前へと辿り着く。だがしかし、エレステは慌てない。表情を変えずに、ゆっくりと口を開く。

「理解しているわ」

 そして次に、小声で何事かを呟く。

「……ッ!?」

 エレステが呟き終えると、手に持っていたはずの杖が、剣に姿を変えていた。

「私は剣士よ」

 そう言うと、二つの剣を自在に操り、アルクスへと斬り掛かる。

「なるほど、そっちか」

 魔術師ではあるが、エレステは剣士として生きてきた。その点は、アルクスと似ている。

「両刀使いは戦い難いが……」

 相手が女であろうとも、手加減するつもりはない。アルクスは、ほんの僅かな隙を突く。

「――ッ」

 気のせいか。アルクスの剣先は、確かにエレステの体を貫いた。

 そのはずだった。しかし、

「はずれ」

 攻撃が当たらない。エレステの体を貫くことなく、空を突く。

「っ、……これでどうだ」

 今度こそ、と腕をしならせ、体を半回転させる。

 その勢いに力を乗せ、エレステの首を斬り落とす。

「――それもはずれね」

 だが、当たらない。何度やっても当たらない。

「……まさか、お前」

 剣を構え、アルクスは敵の姿を瞳に映す。己の腕が鈍ったわけではない。確実にエレステの姿を捉えていたはずだ。だというのに、エレステは傷一つ負っていない。

「当たりよ」

 と言い、エレステの姿がぶれる。

 気付いた時には、エレステはその場から姿を消していた。

「――くっ、そ!」

 瞬時に判断し、アルクスは剣で背後を突く。

 そこには誰もいないはずが、何故かエレステの姿があった。

「ぎりぎりね」

 間合いを取っていたのだろう。

 背後を突くアルクスの剣先は、エレステの体を貫くことができなかった。

「……お前も、転移魔術師か」

 ここで、アルクスは問う。分かり切った問いかけに、エレステは力強く頷いた。

「貴方だけが特別だとは思わないことね」

 そう言い、エレステはまたもや姿を消す。

 四方に気配がなくなったかと思えば、今度は上空に姿を現した。

「殺しはしないわ。けど、腕は邪魔ね」

「――っ、なんて奴だ」

 エレステは、両刀で両方の腕を同時に斬り落とそうと試みた。気配に気づき、地を転がり難を逃れるが、己と同じ戦い方の敵を前に、アルクスは脈が大きく波打つ。

「貴方は、残念な人よ」

 すう、と息を吸い、エレステは再び構える。

「自分よりも強い人間と、命懸けで戦ったことがないのね」

 その台詞は、アルクスの胸に刺さる。これまでに、幾度となくディードやトットルと剣を交えてきたが、確かに命を懸けたことはなかったからだ。

「だから、私に負けるわ」

 言い切り、エレステは腕を振る。片方の剣を、アルクス目掛けて投げ付けたのだ。

「なっ」

 虚を突かれたが、単純な攻撃だ。更には武器を捨てる行為でもある。

 アルクスは半歩横に避け、攻撃をかわす。が、

「……ほら、余所見してるわ」

 剣に気を取られ、エレステの姿を確認していなかった。

「――ッ!!」

 剣を避けた次の瞬間、背後からエレステの声が聞こえた。投げ付けられた剣を掴み取り、エレステはそのまま斬り掛かる。

 よろめきながらも攻撃をかわし、アルクスは反撃に転じようと試みるが、またもや気付く。

「剣が」

 エレステは、剣を一つしか持っていない。もう一つの剣は、どこに消えたのか。

「もう、遅いわ」

 言葉の通り、気付いた時には手遅れだった。

「ッ」

 上空から、アルクスの右肩に剣が突き刺さる。予想もしていない場所からの攻撃に、アルクスは目を見開く。エレステが投げた剣は、一つではなかったのだ。

「転移魔術は、無生物を自在に転移することが可能。貴方なら、理解していたはずよ」

 一つ目の剣を投げ、己の体をアルクスの背後へと転移させ、意識を向けさせる。その一つ前に、全てを計算し、時間差で剣が突き刺さる高さへと、二つ目の剣を転移させていたのだ。

「……いっ、てぇ」

 よろめき、その場に膝をつく。

 敵の強さを見誤ったが故の事態に、アルクスは己の愚かさを呪う。

「エレステ……だったか? お前も躊躇なく使うんだな……」

「当然よ。それが私の武器だもの」

 言葉を返し、エレステは地を蹴り、砂埃を起こす。

 アルクスは目を瞑り、その行為が己の立場を危うくすることに気付く。

「目を瞑った。もう貴方は転移できない」

 エレステの手により、アルクスは目隠しされる。更には腕を後ろ手に縛られてしまい、身動き取れない状態に置かれてしまった。

「転移魔術師は、その目に映る全ての場所に転移することが可能」

 エレステもまた、アルクスと同じく転移魔術師だからこそ、互いのことを理解している。

「基本的には生物の転移は不可能。でも、術者だけは例外」

 転移魔術師は、無生物を自在に転移することができるが、命ある者を転移させることはできない。だが例外的に、己の肉体だけは転移することが可能だ。故に、エレステはアルクスの目を奪う。身動き取れなくするだけでは意味がないことを知っているからだ。

「これから貴方は、捕虜となる。逃げることはできないから、期待しないでね」

 視覚を奪われ、何が起こっているのかも判断がつかなかった。肩の怪我も軽くはない。剣を持つのは、暫くは諦めなければならないだろう。

 そんな中、アルクスの頼みの綱は、ただ一つ。誰にも負ける姿を見せたことのない男がいる。

 その男は、両親が行方不明になって以降、常にアルクスのそばにいた。

「アルクスッ、情けねえぞおらあああっ!!」

 声が響く。それは元英雄ディードの声だ。

「ディード! 目隠しを取れ!」

 声だけを頼りに、アルクスは命を出す。

 ただ忠実に、けれども力ずくで、ディードはアルクスの許へと駆けた。

「老害。貴様の相手は、この俺だ」

 だが、邪魔が入る。ディードの前に立ちはだかるのは、セボ国の部隊長ダリノアだ。圧倒的な強さを誇るディードの猛攻をいなし続け、互角の腕を見せていた。

「退けってんだ、ごらあっ!」

「っく」

 二つの剣が重なり合い、力比べを行なう。ギギギと音を鳴らし、刃を溢し、震える。

 元英雄と対等に渡り合う者は、十年以上現れてはいなかった。それほどに、ディードの腕は他者を圧倒する。だが、ダリノアは一歩も引かない。負けるつもりがないと言いたげな態度だ。

「貴様の時代は、既に幕を閉じた。大人しく死ね」

 行く手を阻み、ダリノアが腕の力を抜く。剣と剣で力比べをしていたディードは、脱力に体勢を崩し掛けるが、立ち直すようなことはしない。

 追撃を仕掛けるダリノアの剣先を視認し、むしろそのままの勢いで地を転がり、アルクスのそばへと辿り着く。

「くかかっ、てめえもまだまだ戦い慣れてねえな」

「ちっ、屑が」

 ダリノアが呟き、エレステが手を動かす。二つの剣でディードの体を斬り裂こうと試みるが、地面擦れ擦れに横一閃、ディードの反撃がエレステの足を襲う。

「っ」

 攻撃が届く前に、エレステはその場から転移し、攻撃範囲外へと逃れる。

 結果的に、ディードはアルクスの目隠しを取ることに成功した。

「すまない、油断した」

「油断じゃねえだろ」

 否定される。高揚しているが、戦況を冷静に分析し、ディードは深く息を吐く。

「あの若いの、クロスと同じだぞ」

「……父さんと?」

「俺の渾身の一撃をいとも簡単に受け流しやがった。……つまりは、そういうこった」

 クロスと同じ、とディードは口にする。それが意味することは、絶体絶命を示す。

「……エレステはオレと同じだ」

「へえ、通りでな」

 ダリノアとエレステの姿を視界に捉えつつ、ディードは大剣を構え直す。

「エレステが転移魔術師で、ダリノアが……」

 アルクスも剣を掴むが、肩の傷が深い。この状態で敵二人を相手にするのは自殺行為だった。

 しかし、ディードは呟く。

「腕は未熟だが、いずれ強大な敵になるぜ。今ここで確実に殺すべきだ」

「ああ、そうしないと……くっ」

 表情を歪めるが、それでも剣を握る。痛みを堪えて立ち上がり、息を整えた。

「……だから、アルクス」

 ぽつりと、隣から声が響く。横に視線を移すと、アルクスはディードと目が合った。

「転移して、お前だけ逃げろ」

「えっ」

 今、何を言ったのか。アルクスは、思わず聞き返す。

「聞こえなかったのか? 手負いのお前がいると、満足に戦えねえって言ってんだ」

「いや、でも!」

「……でも、じゃねえだろ」

 限りなく低く、有無を言わさぬ声色で、ディードが声をぶつける。

「足手まといは要らねえ。だからさっさとトットルに伝えてこい」

 ディードの言い分はもっともだ。たとえここにアルクスが残ったとしても、まともに戦うこともできない。それならばと、転移魔術を扱い、ニジガ城を脱出し、オオミ村に逃げるが最善の一手と言えるだろう。そして、同じく元英雄のトットルや、ニジガとオオミの兵士達を引き連れて、ニジガ城に攻め入る方が利口であった。

 だが、理解はしても行動に移すのは難しい。

「ディードは……どうするんだよ」

 たった一人でこの場に残り、ダリノアとエレステの相手をするのは、それこそ死ぬ為に残るようなものだ。そんな無謀なことは、決して許してはならない。

 それでも、そんな状況下に置かれているとしても、ディードは口角を上げる。

「……忘れたか、アルクス? この俺の役目は、今も昔もお前を守ることだけだ」

 ディードとトットルには、役目がある。それは、仲間と交わした大切なものだ。

「こんなところで死なせはしねえよ。クロスと約束したからな」

 一歩、ダリノアが距離を詰める。

 緊迫した空気が辺りを包み、アルクスは口の中が渇くのを感じた。

「行け、アルクス=クレプスクルム。そして必ず生き延びろ」

 もう、何を言っても変わらない。少しだけ長く瞼を閉じ、アルクスは思考を定める。

「すぐ戻る」

 だから死ぬな、とは言わずに、アルクスはディードの背を軽く叩いた。一秒後、

「――ッ!? ……ふんっ、逃げたか」

 ダリノアが、つまらなそうに呟く。その言葉を向けた相手は、ディードのそばから姿を消していた。転移魔術によって、アルクスはニジガ城から抜け出したのだ。

「仲間を置いて逃げるとはな、奴も屑だったか」

「馬鹿か、てめえ」

 無事、アルクスが転移したのを見届けると、ディードは大剣を手に構え直す。

「……お、おいっ、奴は何処に消えた! 貴様一人で大丈夫なのかっ!」

 地を這い、ディードの足にしがみ付くのは、クルデリックだ。

「邪魔だ、てめえは一人で逃げとけ」

「ぎゃふっ」

 足で蹴り、クルデリックは苦悶の表情を浮かべる。生け捕り対象のクルデリックは、すぐに殺されるようなことはない。故に、守りながらではなく、全力で戦うことが可能だ。

 その過程で、ニジガ城から逃げることも不可能ではない。

「あいつの手前、本気の俺を見せるのは躊躇ってたが……」

 力の差がありすぎると、アルクスが絶望するかもしれない。ディードは、そう考えていた。

 そして今、心配事をする必要がなくなった。

「今はてめえらしかいねえからな。手加減はしねえぜ」

 ふう、と息を吐く。と同時に、地を駆けた。

「ぐっ、速い……ッ」

 転移魔術を使ったわけではない。単に、ディードの動きが速すぎるのだ。

「エレステッ」

「分かってる」

 ダリノアの声に反応し、エレステが転移する。背後を取るつもりだ。

 しかしその動きも全て予測済みだった。

「甘えんだよっ」

 瞬時に判断し、後方を蹴る。

 転移移動し終えたばかりのエレステの体が蹴り飛ばされ、地を滑りうずくまる。

「っ、……うっ」

 フラフラと上体を起こし、ディードの姿を視認する。

 が、次の瞬間、目の前にダリノアの体が吹っ飛んできた。

「ダリノア、……怪我は?」

「くそっ、見れば分かるだろう」

 ほんの僅かな攻防を経て、ダリノアはディードの腕の良さを再認識する。だがすぐに立ち上がり、ダリノアは再び剣を構えた。

「これが、元英雄の力か」

 一方のエレステは、先の一撃が足に響き、まだ膝をついていた。

 視線を外し、ダリノアはフォルミと目を合わせる。元英雄を相手に苦戦しているが、焦った様子はない。ダリノアとエレステが、ディードを殺すことができると思っているのだ。

「エレステ、貴様の命が要る」

「分かったわ」

 とここで、ダリノアが口を動かす。

 その命に従うのが当然だと言わんばかりの表情で、エレステは頷いた。

「削れ」

 二言目。それを合図に、エレステの体が転移する。

「上かっ」

 転移後の気配を察知し、ディードは頭上目掛けて大剣を突く。

「――あ、ぐっ」

 見事、大剣はエレステの体を突き刺した。

 血を吐き、苦痛に満ちた顔を見せるエレステだが、その瞳は輝きを失ってはいない。

 そして気付いた。エレステが囮役だということに。

「――死ね、老害がっ」

 転移魔術の仕組みを、ディードは知っていた。否、正確には、転移魔術師のエレステと、ダリノアのみが可能とする戦い方を知っているのに、忘れていた。

「……ぐ、がっ」

 エレステの体を突き刺した時、ディードは確かにダリノアの位置を把握していた。エレステの転移と同時に駆け出したとしても、難なく対応することができると思い込んでいた。

 その結果、ディードはダリノアの剣に体を貫かれていた。

「この痛みは初めてか、元英雄?」

 何故、逆側にダリノアがいるのか。転移魔術師が転移可能なのは、無生物に限られる。故に、ダリノアを転移させることは不可能のはずなのだ。

 けれども、ディードは例外を知る。それを理解していたにも関わらず、忘れていたのだ。

「て、転、……移、しゃ……」

 意識が朦朧となる。瞼が重く、鈍い痛みが全身を支配していく。

 ディードは、一人一人とは戦ったことがあるが、二人揃って相手にしたことはなかった。

 その経験差が、ディードに敗北を与えた。

「喋るな、すぐ死ね」

 地に倒れ、喉元に剣を突き立てられる。声を発することもできず、霞む視界の先に光を失う。

 抵抗することはできない。自分は、このまま死ぬのだろう、と。

 瞼が閉じ、視界が暗闇に染まる。そんな中でも、ディードはゆっくりと思い返す。

 共に戦い、命を懸けあった仲間達のことを。

 クロス、ヘレナ、トットル。

 そして、ニジガ城の城主アルクスを……。

「……見て、笑ってるわ」

 ディードの顔を見て、苦痛に息を吐きながらもエレステが呟く。

 血を流しながらも口元を緩め、ディードは微笑んでいた。

 シュウク大陸統一を成し遂げ、英雄の一人としてウィタモルス歴にその名を刻んだ英雄。

 剣士ディードの、最期であった……。


     ※


 ニジガ城から三度の転移を繰り返し、オオミ村へと逃げ戻ったアルクスは、村の中に姿を見せると同時に倒れ込んだ。

「と、殿ッ、一体何がッ!?」

 兵士の一人が異変に気づき、アルクスの許へと駆け寄る。異変はすぐに村人達にも伝わり、続々と集まり始めた。

「……え、アル……アルクス? ねえっ、アルクスッ!!」

 重傷を負ったアルクスの姿に、エリサが声を張り上げる。

 意識はあるが、肩の痛みは広がり続けていた。

「下がりなさい」

 とそこに、聞き慣れた声が届く。トットルだ。

「……と、……無事で、よかっ、……たぞ」

「それは私の台詞ですよ、アルクス」

 肩の傷口に杖の先端部を当て、意識を集中させる。長めの呪文を唱え始めた。

 これは、癒しの魔術だ。蓄積された疲労を取ることはできないが、傷口を塞ぐことが可能だ。

「……っ、ふぅ、……ぅ」

 徐々にではあるが、傷口が塞がっていく。それに伴い苦痛が和らぎ、アルクスが息を吐いた。

(みな)は村の奥に隠れていなさい」

 事の重大さに、トットルは既に気付いている。しかしながら、ニジガ城の民やオオミ村の人々が、アルクスの口から直接聞くのは、時期尚早だ。

「エリサ、貴女もですよ」

「でもっ、だって!」

「戻りなさい」

 冷静に、けれども冷酷に、トットルが言い捨てる。

 それ以上何も言い返さず、エリサはアルクスの許を離れていった。

「……さあ、起き上がれますか」

 肩を貸し、トットルはアルクスの上体を起こす。

 傷口は塞がったが、体力が戻るには時間が必要だ。

「すまない、トットル」

 礼を言い、アルクスは何度も呼吸を繰り返す。

 少しずつ落ち着きを取り戻し、トットルの顔を確認すると、アルクスは下唇を噛んだ。

「ニジガ城で何があったのです」

 その問いかけに、言葉を詰まらせる。言いたくはないが、言わなければならないことだ。

「……ニジガ城は、既に敵の手に落ちていた」

 更に、と付け加え、アルクスは言葉を続ける。

「セボ国は、ガサ国の奴らと手を組んでいる。敵の中にガサ国の部隊長がいたんだ」

「やはりでしたか」

 予想が的中し、事態は常に悪化し続けていることを理解する。

 次いで、トットルは先を促す。

「ディードの姿が見えませんが」

「ッ」

 思い出す。別れ際にディードが告げた言葉が、アルクスの胸を締め付けていく。

「……敵の中に、転移魔術師がいた」

「転移魔術師が?」

「ああ。……肩に傷を負ったオレを、ディードが囮になって逃がしてくれたんだ……」

 言い終え、足をガクガクさせながらもアルクスは立ち上がる。

「ディードを助けに行かないと」

「アルクス」

 地を擦り、アルクスは足を前に出す。トットルと兵士達を引き連れ、ニジガ城に戻る為に、アルクスはオオミ村に一時退却したのだ。

「クルデリックは、死んだのですか」

「いや、生きてる。捕虜になっていた」

「……なるほど。では貴方を行かせるわけにはいきませんね」

 アルクスの考えは、トットルも重々承知である。ただ、それを許すわけにはいかない。

「トットル、お前の助けが必要なんだ。早くしないとディードが死ぬかもしれない」

「ええ。ですからなおのこと、私達はここに残らなければなりません」

 そう言って、視線を移す。トットルの瞳の先に映るのは、アルクスが守るべき民の姿だ。

「ディード一人を助けに行く代わりに、彼等を危険な目に遭わせるおつもりですか」

 兵士を率いてニジガ城へと向かえば、オオミ村の守りは手薄になる。

 更に言えば、クルデリックが捕虜になっていたということはつまり、オオミ村の場所が特定されていたとしても不思議ではない。ダイエン草原側とニジガ城側、二手から挟み撃ちとなり、オオミ村は危機的な状況へと向かうことになる。それ故、今は守りに徹するべきなのだ。

「この世界……ウィタモルスにおいて、私が認めた男は三人しかおりません。貴方と、貴方の父クロス、そしてディードです」

 単純にディードは強い。剣術では右に出る者はいない。クロスでさえも歯が立たないほどだ。

「その男が、一人で切り抜けられると思ったからこそ、貴方を逃がしたのです。ですから信じましょう。そして帰りを待つのです」

 手負いのままでは、ニジガ城に戻っても返り討ちに遭うだけだ。トットルや兵士達を連れて行くとなると、今度はオオミ村が危険な目に遭う。となれば、信じる他に道はない。

 元英雄が、敵を返り討ちにすることを信じるのだ。

「……兵士達に伝える。村を守り抜けと」

「御意に」

 トットルの肩を借り、アルクスは村の奥へと歩く。

 城主の無事を確かめたいのだろう、皆一様に顔を覗かせ、アルクスの様子を窺っていた。

 命により、兵士達がアルクスの許へと集う。その中には、エリサの姿もあった。

「オオミ村は、ニジガ城へと続く道沿いにある。今後、更に敵の勢いが増し、危険と隣り合わせになるかもしれない。……だが、言わせてほしい」

 元英雄のトットルがついているとはいえ、無傷で終えることはないと思わなければならない。

 現に、元英雄のディードと共にニジガ城へと向かったアルクスは、敵の手から城を奪還することはおろか、重傷を負って逃げ戻ってきた。敵の戦力を見誤り、己の実力を過信し過ぎていたのが原因だ。

「……死ぬな。絶対に」

 重く、心の奥底に響かせるかのように、その台詞を兵士達へと贈る。

「そして、必ず守り抜け」

 二度目の命が、ニジガ城の城主アルクスから下される。

 その台詞を合図に、兵士達は再び武器を天へと掲げるのであった。


     ※


 手負いのアルクスと、元英雄のトットル。加えて、九十兵力足らず。多勢に無勢、このままでは、オオミ村は敵の手に落ちるだろう。そんな現状を打破する為に、アルクスは一つの決断を下さなければならない。

「……もう、見つかったか」

 村の外の通路が、騒がしさを増している。これまでは素通りされていたが、場所を特定されたのだろう。敵兵がぞくぞくと姿を現し始めていた。

「そろそろ、私も戦いの場に出ないとなりませんね」

 傷の手当てを再開していたが、悠長にしている暇はない。アルクスが手負いの今、トットルが指揮を執る必要があった。しかし、

「……アルクス、何処に行くおつもりですか」

「決まってるだろ、戦場だ」

 オオミ村の手前は、既に双方入り乱れる戦場と化していた。時が経てば経つほど、後手後手に回ることになる。だからこそ、アルクスは実行に移すことを決めた。

「皆が命懸けで戦っているんだ……」

「……だから、命を削ると?」

「ああ、その通りだ」

 ――命を削る。その言葉の真意を知る者は少ない。

 だが、アルクスとトットルは、その重みを知る。

 言葉通りに命を削る行為であることを理解していた。

「行こう、皆が待ってる」

「……やはり、貴方はクロスとヘレナの息子ですね」

 笑みを浮かべるトットルは、アルクスと共に戦場へと向かう。セボ国とヒシガソノギ国の兵士が押し寄せ、危機的状況を現していた。

「アルクスッ、そんな体で危ないよ!」

 エリサが腕を引っ張る。危険な目に遭わせたくはないのだろう。

「みんなで逃げた方がいいって! 今すぐキガナ国に避難しようよっ」

「案ずるな」

 目を向ける。ただそれだけで、トットルがエリサの手を取り距離を保つ。

「……なにする気なの?」

 怒声が鳴り止まぬ戦渦に、アルクスは己だけの切り札を所持していた。

 その手札を切るには、少しばかしの勇気と、長きに亘る時間を要する。

「この瞬間が訪れるのを、本当はずっと待っていたのかもしれないな」

 一人呟き、息を吐く。母ヘレナがそうしたように、アルクスもまた、同様の運命を辿るのだ。

「之より、時空干渉肉体転移魔術を行使する」

 ――時空干渉肉体転移魔術。それこそが、アルクスが持つ切り札だ。

「ね、ねえっ、トットル? アルクスは何をしようとしてるの?」

「……切っても切れぬ縁を持つ者を、呼び寄せる儀式と言えばいいでしょうかね」

 アルクスは、転移魔術師だ。魔力を操り魔術を扱う魔術師とは根底から異なり、術者の寿命を代償に転移魔術を扱うことができる。それは、対象の大小に関わらず、一度の転移で一秒間、寿命が縮まっていく。但し、転移魔術には制限がある。生物を転移させることができないのだ。

 ただ、そんな中でも唯一、命ある者を転移することができる。それが、術者本人である。

 己の肉体に限り、転移魔術を行使し、肉体ごと転移することが可能なのだ。

 故に、転移魔術師は神出鬼没だ。目の前にいたかと思えば、瞬き一つで別の場所へと移動し、更に次の瞬間には山を一つ越えた先に転移することができる。

 ただの魔術師とは比べ物にならないほどの力を持ち、国同士が争うほどの火種となり、戦争時には是が非でも味方に引き入れたい存在として認識されていた。

 だが、現存する転移魔術師は、十にも満たない。

 故に、此処ウィタモルスにおいて、何者にも代えることのできない稀有な扱いを受けている。

 ――そして、時を同じく稀有な存在として生きる者がいる。

「オレ達が生きるウィタモルスの他に、この世には幾つもの世界が存在する。それらは一つの線であり、独自の時間軸を確立している。……だが、」

 アルクスは続ける。

 精神を統一し、これまでに経験したことが無いほどに、時の流れを彷徨い続ける。

「……オレは、世界線に干渉することができる」

 大切なものを守る為に、命を懸けて戦う。その覚悟は常に持っているつもりだった。

 けれどもそれは、その先を知らないからこそ言えることだ。

 今のアルクスは、命を削る覚悟を持つ。転移魔術を扱うことで、己の寿命を縮めても構わないと決めたのだ。それも一秒では終わらない。何度も何度も転移を繰り返すわけではないが、決して一秒で終わることはない。それが傍にいる限り、常に命は削り取られていく。

「今此処に、オレは行使する」

 時空干渉肉体転移魔術は、通常の転移魔術とは異なる。転移魔術の中でも、禁忌とされた魔術だ。そう、それは――……、

「――……出でよ、召喚者(・・・)ッ」

 言葉が紡がれる。

 一つの言葉に意志を告げ、意思を求める。

「――眩しっ」

 恐らくは、その場にいた全ての人間が、瞼を閉じたことだろう。温かさを含んだ光が、オオミ村全体を包み込み、エリサは思わず声を出す。

 次第に光が集束し、手足を止めていた兵士達は、ゆっくりと瞼を開ける。そして、光の中心へと目を向けた。

「――……?」

 中心部には、アルクスが立っている。先ほどと変わらぬ表情で、覚悟を決めたかのように瞳を燃やしていた。だが、異変が一つ。

「……貴方の名前は」

 傍らには、見慣れない服装の女性が弓と荷物を手に座っていた。別の世界線では、セーラー服と呼ばれる服だが、勿論、此処にいる誰もが初めて目にする。

 ぱちぱちと瞼を動かし、目を合わせる。無垢で純真な、真っ直ぐな瞳だ。

「アルクス。……ニジガ城の城主、アルクス=クレプスクルムだ」

 名を告げる。その行為に、此処にいる誰もが疑問を感じたはずだ。

 しかしながら、時は刻一刻と過ぎていく。のんびりと構える時間はないのだ。

「そう、貴方が」

 すっくと立ち上がり、女性はアルクスの手を握る。

 柔らかく微笑んだかと思うと、おもむろに顔を近付けた。そして、

佐屋(さや)

 唇を震わせ、確かに伝える。

 己の名を囁くと同時に、その女性――佐屋は、踵を上げ、アルクスと唇を重ね合わせた。

「――ッ!!」

 突然のことに、アルクスは目を見開く。

 初対面の女性に、いきなりキスをされたのだから当然だ。

「なっ、……なっ」

 薄桃色に染まる佐屋の唇が、ゆっくりと離れていく。

 名残惜しそうに、佐屋は指で唇をなぞると、更に一言、

「忘れないで」

 と付け加え、もう一度微笑むのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ