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迷い  作者: 川奈そら
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帰還

黒い色調の高級MPVが静かなエンジン音を停止させて、あたりを一層の静けさが覆った。

ドアを開けて外に立つと暗闇に浮かび上がる館が見えてくる。車のドアを閉じる低い音がして、私も慌ててドアを閉めた。

ここに来るのは久しぶりだ。私にとっては40年前の今日、あいちゃんを追いかけて学歩とゆうきと真珠ちゃんの4人でこの館に入った。1968年に行く3人を見送り、あいちゃんと美代子先生とともに永遠とも言える時間、3人を待っていた。待っていた大半の時間はあいちゃんと同じく美代子先生に記憶を消去してもらった。人の精神、とくに子供の精神では耐えられないからだ。

「行こう」

学歩が、物怖じすることなくずかずかと突き進む。私は慌てて後を追う。美代子先生が後に続く。

この日をどんなに待ち望んでいたことか、私は、自然と歩調が早くなった。


しばらくすると正面の扉が勢いよく放たれて大きな音と共に、2人の人影が飛び出してきた。ゆうきたちだ。

すると、館から低いうなる様な地鳴り音が聞こえ始め、崩れ始める予兆を感じさせた。

館は魔女からのエネルギーの供給を絶たれ、建てられてから150年の時間経過のつけが一気に押し寄せようとしていた。

「ここは危ない。とりあえず館から離れよう」

学歩の一言で状況を察して、急いでここから離れようとする。

「香帆?、美代子さんまで」

ゆうきが私と美代子先生をみて呆けた表情をみせる。

学歩の顔をみてゆうきが言う。

「もしかして学歩兄ちゃん?」

「おっさんになったとでも言いたいんだろう。つもる話はあとだ。急ぐぞ」

館から少し離れた場所で、みんなで最後の館の姿を見つめていた。

館の根底から低い地鳴りの様な音が轟きわたり、それは次第に大きな轟音となって私の身体全体を震わせる。

些細な亀裂が館の基礎部分に走り、静かな音を立てて放射状に広がる亀裂はまるで蜘蛛の巣を思わせる。

やがて亀裂からささやく摩擦音が聞こえ始め、石の塊がガタガタと揺れ始めた。低い地鳴り音が増す中、2階からくだけた石が次々と転がり落ち、重い響きを立てて壁の下部を蝕み始めた。

1階の壁が次々にばらばらと崩れ落ち、石が散り散りに落下するたび大きな音があたりに響き渡る。館を支えていた大きな梁が垂れ下がり、支えていた石板に引っ張られるように大きな音を立てて折れ、最後の抵抗もむなしく1階のみならず2階部分も崩れ落ちた。


やっと再会できた。あの子たちには一瞬だが私たちには永遠とも思えた。伝えたいことがたくさんある。

私は、ゆうきに抱えられていたあいちゃんを優しく受け取る。

「香帆姉ちゃん」

あいちゃんが私を見て嬉しそうに両手を伸ばす。

「香帆ちゃん冷たくて気持ちいい」

真珠を見ると両ひざを地面についてなんだか苦しそうだ。ゆうきも心配そうにしている。

「真珠どうした」とゆうきが言う。

私も「大丈夫」と覗き込み、真珠と目があったとたん、真珠に魔女特有のノイズを感じ取った。

「先生、真珠が」

美代子先生が私の呼びかけに異変に気づいた。車で待っていた遥さんが異変に気づいてやってくるのがみえた。

「姉さんを感じる」

「「え!」」

「お兄ちゃん、ごめんなさい。どうしても真奈さんの事ほっとけなくてあの時手をのばしてしまったの」

「どうして、そんな……」

「なんでだろう。やっぱり育ててくれた恩かな」

真奈は力なく微笑んだ。刹那、真奈から首の力が抜け意識を失った。

「真珠!」

ゆうきの悲鳴とも絶叫とも取れる声が静かだった夜の闇に響く。

「まみ」

遥さんが真珠を見て狼狽して、それを見た先生が遥さんに駆け寄った。

ゆうきが遥さんをみて気色ばむ。

「なんでお前がいるんだよ」

「ゆうき、親に向かってその言い草はなに」

「まあまあ」

学歩が手振りを交えて仲裁に入る。

「それについては、車の中でおいおいな。とりあえず真珠ちゃんを病院に運ぼう」

学歩に相槌を打とうとしたとき、低くうなるエンジン音が遠くで聞こえた。気になってエンジン音のする方を見ると、昼間見かけた車と同じ車種が遠ざかって行くのが見えた。夜の闇に溶け込むように、静かに去っていく。 胸の奥で何かが騒ぐのを感じた。どうしてこんな場所に? 偶然なのか、まさか・・・。 頭の中が混乱する。昼間見かけた外国人のことを思い出した。話すべきだろうか。でも、どう説明すればいい?そもそも、私の勘違いかもしれない。 学歩も車に気づいたようだ。しかし、ちらりと見ただけで、特に気にする様子もない。

「どうした」

「ううん、なんでもない」


 *


少し癖のある無造作に束ねた琥珀色の長い髪が、冬の夜空に輝く星屑のようにきらめく。高級な生地で仕立てられたスーツに身を包んだその姿は、周囲の自然と不思議な調和を見せていた。束ねそこなった前髪が、時折吹く強い風に揺れる。深い青の瞳と高い鼻梁が特徴的な顔立ちは、どこか異国の血を感じさせた。

その瞳には、高台下の館を睥睨する冷徹な視線と、どこか物憂げな影が同居していた。クラウディオ・ロッシ・ヴェスプッチ。世にも珍しい男性の魔女―彼自身は「錬金術師」を名乗っているが―の姿がそこにあった。

青のクーペがクラウディオのいる高台に夜の静寂を破り近づいてくる。ヘッドライトの光が彼を照らし出すと、車はスピードを落とし、道路脇に停車した。最後の雄たけびを上げると、低く心地よいエンジン音がピタリと止まり、再び静寂があたりを支配する。

ドアが開き、肩まである黒髪の長い女性が姿をあらわした。妖艶な雰囲気を漂わせる彼女は、クラウディオの方へゆっくりと歩み寄る。

彼女が優雅に首を左右に振ると、その動きに合わせるように髪が舞い、まるで生き物のようにゆらめいた。その瞬間、黒髪は金色に輝き始め、身体はしなやかに伸びていく。まるで、蝶がさなぎから羽化するように、彼女は新たな姿へと生まれ変わっていった。

「クラウディオ様。ご報告致します」

クラウディオは声の主に、ちらりと視線を向け、また直ぐに館のある方に視線を戻す。

「イザベルか。聞こう」

「館は倒壊し、子供がひとり倒れて車に担ぎ込まれているところまで確認しました。」

「遅かったか」

イザベルは、普段余り感情を表に出さない主の言葉に少し戸惑った表情をみせる。

「あの者たちが、スキルを手に入れたのは間違いありません。心が読めない者が下りましたので」

「そうか」

さきほどとは打って変わって、感情など微塵も感じさせなかった。

「先ほど報告した子供の中から2つのせめぎ合う意識を読み取りました。クラウディオ様がお探しの者やも知れません」

クラウディオはイザベルに振り返り、冷たい視線を向ける。

「新しく得たスキルか」

「左様にございます」

「しばらく様子見だな。戻るぞ」

「はい、クラウディオ様」


 *


病院に到着すると、遥さんは即座に行動を開始した。彼女の指示で看護師たちが素早く動き、特別な病室が確保された。そして、彼女の電話一本で協力的な医師が駆けつけてきた。

その医師は日野秀樹。西ケ花記念病院に長年勤める信頼できる人物だ。今日はちょうど当直だったらしく、幸運にも迅速に対応してくれた。

この病院には、表向きには見えない重要な使命がある。美代子先生、遥さん、そして俊一さんの尽力によって設立された西ケ花記念病院は、実は魔女病患者の保護と治療を目的としているのだ。多くの看護師や医師たちは、魔女病と診断された血縁者を持つ。彼らは政府の魔女病患者への扱いに不満を抱き、この密かな組織を形成した。日野先生もまた、病院の隠された目的に共感し、開業当初から協力を惜しまない一人だった。

遥さんが用意した部屋に全員が集まると、緊張感が漂う中、美代子先生が口を開いた。

「私の見立てでは、姉さんは真珠ちゃんの生命維持を補助していると思われます。姉さんにとって、真珠ちゃんの死は自分の死と同義。だからこそ、全てを投げうって内側から治療しているのでしょう」

その言葉を聞きながら、私は遥さんの冷静な態度に驚いた。自分の娘のことなのに、この落ち着きはすごい。

美代子先生は日野先生に意見を求めた。

日野先生は眉をひそめながら答えた。

「真珠ちゃんを診察しましたが、状況は複雑です。瞳孔が開いているのに自発呼吸がある。刺激への反応がないなど、外見上はほぼ脳死に近い状態です。通常なら、MRIで脳の損傷を確認することが最優先ですが…」

美代子先生が即座に遮った。

「MRIのような強力な磁場は危険です。真珠ちゃんの中にいる姉さんが消えてしまう可能性がある。そうなれば、真珠ちゃんの命を繋ぐことができなくなるかもしれません」

ゆうきが不安そうに尋ねた。

「真珠を目覚めさせることはできないの?」

美代子先生は慎重に言葉を選びながら答えた。

「私が姉さんの治療を手伝えば、2、3日で回復するかもしれない。でも…」

彼女は一瞬躊躇した。

「真珠ちゃんが目覚めるとは限らないの。最悪の場合、姉さんの人格が目覚めるかもしれない」

ゆうきの表情が曇った。美代子先生は続けた。

「注意すべきは、真珠ちゃんに取り憑いた姉さんがどんな存在なのか、私たちにはわからないということ。もし、あの狂気に満ちた姉さんが目覚めたら…」

彼女は言葉を飲み込んだ。

「この町を中心に、世界が崩壊する恐れすらあるのよ」

ゆうきの顔が青ざめた。つい先ほど経験した恐怖が蘇ったのだろう。

「でも、そんなの許せない!」

ゆうきが叫んだ。

「真奈さんを、あの化け物を、妹の体の中に放っておくわけにはいかない!どうにかして追い出さないと!」

日野先生が諭すように言った。

「ゆうき君、落ち着いて。強引な行動は真珠ちゃんを危険にさらすかもしれない」

美代子先生が静かに、しかし強い決意を込めて語り始めた。

「真珠ちゃんの命を何より優先します。今の状態を可能な限り維持するのが、現状ではベストだと思うの」

遥さんが条件を出した。

「美代子さんか香帆のどちらかが常に付き添ってほしい。何かあった時、二人のどちらかがいてくれれば安心できる」

美代子先生が頷いた。

「私が付き添うわ。そして、真珠ちゃんが目覚めるまでの間に、私たち全員で対策を考えなければならない」

「万が一の戦闘に備えるってことか?」ゆうきが尋ねた。

「そう」美代子先生は私を見た。

「香帆、あなたがキーマンよ。努力次第で強力な魔法を手に入れられる。頑張るのよ」

その言葉に、私は身が引き締まる思いがした。みんなを守る。そう思っていたことが現実になろうとすると、不思議と身体が固くなるのを感じた。

「いつ目覚めると思われますか?」日野先生が尋ねた。

美代子先生は少し考えてから答えた。

「姉さんは生体の扱いが苦手だったから、真珠ちゃんの脳を回復させるまで時間がかかると思う。2年から4年くらいかしら」

ゆうきが決意を込めて言った。

「俺も頑張るよ。美代子さんにもらったこの力を使いこなせるようになって見せる」

彼の表情には、新たな目標を見出した安堵感が浮かんでいた。

美代子先生は優しく微笑んだ。

「ええ、期待してるわ」


*


西ケ花記念病院の周囲に、異様な緊張感が漂っていた。夜の闇を切り裂くように、数台のパトカーが建物を包囲し、その赤色灯が狂ったように回転していた。光と影が無秩序に交錯し、周辺のビルの冷たい壁面を不吉に染め上げる様は、まるで非現実的な光景のようだった。

「何があったん?」

「救急車が突っ込んだらしい。そのあと走り去ったってよ」

物見高い野次馬たちの囁きが、恐怖と興奮に満ちた声となって広がっていく。彼らは瞬く間に通りを埋め尽くし、その数は刻一刻と増えていった。重苦しい空気の中に、不安と好奇心が渦巻いていた。

病院の正面は悲惨な光景を呈していた。まるで爆弾が落とされたかのように、エントランスのガラスが粉々に砕け散り、鋭い破片が月明かりに照らされて不気味に輝いていた。

私は、その喧騒を横目に見ながら、病室へと足を進める。

ナースステーションの前を通り過ぎた時、思わず足を止めた。そこでは、厳しい表情の刑事らしき男性が、青ざめた看護師たちから必死に情報を引き出そうとしていた。看護師の額に巻かれた真っ白な包帯が、事態の深刻さを物語っていた。

病室への通路には、黄色い規制線が張り巡らされ、緊張した面持ちの警官たちが厳重な警戒を続けていた。その鋭い眼差しは、部外者を寄せ付けない威圧感に満ちていた。

混沌とした状況の中、私は必死に周囲を見回した。そこで、警官たちに囲まれながらも毅然とした態度で事情聴取に応じる日野先生の姿を見つけた。先生も私達に気づいたようで、疲労の色濃い表情に一瞬の安堵が浮かび、小さく手を上げて合図をくれた。

日野先生は警官に何か簡潔に伝え、深々と頭を下げた警官の傍らを通り過ぎ、私達の元へと急ぎ足で近づいてきた。

「美代子さん。こちらへ」

日野先生が美代子先生の耳元で囁くように言った。

私たちは日野先生の案内で、普段は理事たちが利用する静寂な一室へと足を踏み入れた。扉が閉まる音とともに、外の喧騒が遮断され、新たな緊張感が部屋に満ちていった。

そこには、遥さんとゆうきが悲痛な面持ちで座っていた。

私たちを見ると遥さんが立ち上がって迎えてくれた。

「なんでこんな事が」

強いと思っていた遥さんから漏れた言葉に私は息をのんだ。

「遥さん、ごめんなさい。してやられたわ」

美代子先生は、遥さんに東京でおこった出来事を話して聞かせた。

「その魔女は頼まれたって言ってたのね。誰に頼まれたのかしら」

「わからないわ」

「警察にはすでに提供していますが、見ていただきたいものがあります。」

と言って、日野先生が応接ソファの窓際に設置された大型モニターに向かい、リモコンを手に取った。

設置されたパソコンを慣れた手つきで操作し、いくつかのフォルダを開けた先でファイルを開くと、動画が画面いっぱいに写った。

「連れ去られた時刻の防犯映像です。院内の監視カメラが事件の一部始終を捉えていました。みなさんにも確認してもらいたい」

モニターに映し出されたのは、通いなれた廊下を映しだしていた。映像が指し示す時刻は午前0時40分ぐらいか、突如、激しい衝撃音が響き、廊下がグラグラと揺れる。瞬間、場面が切り替わり映像は病院の待合室を映した。そこには場違いな救急車と、煙と粉塵が舞い上がる中、救急隊員に扮した数人の人物が素早く車から降りストレッチャーを運び出すすがたが写っていた。ガードマンが制止にかかるが、ストレッチャーの前を歩く男に問答無用に蹴散らされたいた。

その後の展開に、部屋にいる全員が息を呑む。救急隊員たちは、混乱に乗じて迷うことなく真珠の病室へと向かう。

「どうして...真珠の部屋がわかったの?」

遥さんが震える声で問いかけます。

映像は続きます。救急隊員たちが真珠をストレッチャーに移し替え、素早く脱出していく様子が映し出されます。その一連の動きには無駄がなく、まるで綿密に計画されたかのようでした。

日野先生が重い口を開く。

「この映像を見る限り...病院内に協力者がいたとしか考えられません。内部の詳細な情報なしには、あそこまでスムーズな行動は不可能です」


部屋に重苦しい沈黙が流れ、信頼していた仲間の中に、裏切り者がいるという事実に。

遥さんがかすれるような声で言った。

「犯人を突き止めなければ。そして、真珠を取り戻さなければならない」

美代子先生が遥さんに諭すように言う。

「内部の協力者を探すにしても、今は誰を信用していいのか分からない状況です。真珠ちゃんを取り戻すためにも、冷静に、そして慎重に事態を見極めていきましょう」

その時、美代子先生のスマートフォンが鳴る。


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