それぞれの思い
エルフの郷と呼ばれる事が多いが、エルフ自身は“露の谷”ラヴィスタウと呼んでいる。深い森に囲まれ豊かな水をたたえている霧深い国だ。
ラヴィスタウの家々は樹や岩に擬態しているように見える奇妙な造りで、二番目の召喚者で稀代の建築家でもあるパンセの作だ。
中でも最高傑作と言われるのがエルフ城だ。滝と岩壁に樹齢一万年ともいわれる巨木に半透明の貴石を合わせた造りで、見る方向によってまったく違う趣きがある。最上階から地階までだと、有に小高い丘位の高低差があった。
エルフ王スクトウムは脇を滝の水が落ちていくバルコニーに出ると、青みがかった銀髪を風になびかせ夕焼けに染まる樹海を見渡した。
王の後方奥、玉座の後ろの壁には大きな戦斧が二本交差して掛けられている。
スクトウム王は背は高いが繊細で優しげな風貌だが、この戦斧は王の物だ。
かつて海のエルフからの要請により戦いに参戦したのも、今では伝説のように語られている。しかし長い平和な時のうちに、どれだけ文官のような物腰になろうとも未だに根の部分は武人のままだった。
今では相手となるのも、万年雪を頂いた山々から時折降りてくる魔獣位のものだった。それも魔王ダールによって救われたルクスペイが、魔族国から戻って来るまでの話だ。
隣接する人族の国フォートリュスには何と言ってもケットシーがいる。このラヴィスタウにおいて危険といえるものは無く、皆が研究や音楽や絵画など己の興味の赴くままに没頭しており何とも長い長い平和な時を過ごしてきた。
スクトウム王が新たな異世界召喚者の存在を知ったのは、頻発する地震の調査にニクスを派遣した事によってだ。
ラヴィスタウが直接、揺れたわけではない。だが無性に気になった。魔力の揺らぎと共に久しく感じていなかった気配がするような、何とも落ち着かない感覚があったのだ。
古竜の目覚め、聞いて納得した。道理でどこか懐かしささえ感じたわけだ。相変わらず周りを一切、気にしないのが最古の竜の王らしいともいえる。
異世界召喚者と古竜の目覚めの報告があってからは怒涛の毎日だった。
報告では、華奢な異国の幼い少女と年若いケットシー。しかし実際は成人しているという。
人族ならば子の一人や二人居てもおかしくない年齢だそうだ。
何故にケットシーが異世界に行って帰って来れたのかも不思議だ。召喚者不明の中どちらも、よく生き残れたものだと思った。
それ以降の報告はひっきりなしに入るものの、異世界の料理の感想が日を追う毎に増えていくのは何とも言い難い。
業を煮やしてメーアをはじめ研究者を送ったが、やはりというか誰もが報告の半分は異世界の料理の事ばかりに天を仰いだ。
護衛として動向したクーシーからの報告も似たようなものだった。日を追う毎に料理や菓子の話ばかりで何のために派遣したのか分からない程だ。
常日頃から独断単独行動ばかりの問題児ヴェアは自治領に行ってからは、クーシーが変わったかのよう召喚者に従っていると聞いた。いや、あれは元より食い意地が張っていた。ヴェアを満足させられるだけの料理とは、たいしたものなのかもしれないが。
だがその噂を聞き自治領に行きたがる者が跡を絶たず、思わず頭をかかえたくなった。
しかし考えようによっては、それだけ召喚者が無害な者なのかもしれないとも考えた。
そうした中で嬉しい誤算はヴェアが独断行動するのはいつもの事だったが、思いの外ケットシーだけでなく人族の兵やエルフとも絆を結び連携が取れているようだというものだった。変われば変わるものだ。
フォートリュスの王は歴代の王の中でも切れ者だと聞いていたとおり、初動も早く秘中の騎士達を付けたという。ケットシーの長老アストラを通じて人族との連携の打診を受け、スクトウム王はいち早く協定に踏み切る事にした。
スクトウム王にとっても二番目の召喚者パンセの末路には、未だにじくじたる思いがあった。
アシエール国はともかく、フォートリュスならば共に立ち向かえるだろうと判断したのだ。
まだポン自治領と呼ばれるよりも早くから、ラヴィスタウとフォートリュスにケットシーとクーシーの合同訓練が始まった。
ヴェアとケットシーのボー、メーアとケットシーのレオンの連携により大きな可能性に気付いた王達は毎週訓練を開催させた。その中で種族を越えて気の合う者同士で組む事を推奨したのだ。
この計画には自発性が大切だった。
クーシーというのは見た目から一般の犬のように従順だと思われがちだが、その実は頑固で誇りたく納得出来ない事にはてこでも動かない。なかなか従わせるのも骨がおれる。もしかするとケットシーの方が、まだ扱いやすいかもしれない。
だからこそ時間をかけ馴染ませ、命令ではなく気の合う者が出来るまで訓練は続けられた。
人とエルフだけなら、そもそも連携以前に顔をあわすのも難しかっただろう。
しかし間にケットシーとクーシーが入る事で、場はたちまち和んでしまう。直ぐに彼らの利発さや可愛いさや念話の便利さに、何より時間停止付きポシェットと異世界料理に驚き感動したのだ。時期に幾つもチームが出来た。
フォートリュス王から合同訓練所にバーベキューコンロなる物が送られ、更に士気が上がった。
幸いな事に魔族国のサキュバスによる内乱は、召喚者とダールによっていち早く終息した。
ルクスペイとネブラが新しい鎧のために、自治領へ向かった。
報告では近くトニトルス宰相の息子とウェアウルフの姫の婚姻の儀があるだろうという。程なくメーアからは婚礼衣装と共に自治領への転移陣設置の協力要請も入った。
実は魔族国には、ダールやルクスペイのために秘かに転移陣が設置してある。
転移陣を設置するには膨大な魔力がいる。しかし自治領に設置する利便性を考えると、魔族国側の転移陣を廃止してでもやらないわけにもいかないだろう。
ただ魔族国に婚礼の習慣があったなど聞いた事がない。 此度は宰相の息子とウェアウルフの姫だからだろうか。
スクトウム王は玉座に戻ると侍従を呼んだ。
長老猫アストラが強固にエルブと共に魔族国に向かう事にポンが驚いた顔をしていたが、いつものようにノラリクラリと押し通した。
これから魔族国にはケットシーもクーシーもフォートリュスからも、多くの者が訪れる事になる。そのための拠点を作りたい。だが急いだ一番の理由はポンとシリウスだった。
ポンが起きている間はシリウスも側を離れないので、まだ安心だ。あの二人は、お互いに過保護な所がある。
心配なのは、ポンが寝てしまってからなのだ。
シリウスが転移したのは子猫の時分であり、どうも考え方は異世界の方が基準になっている節がある。おまけに元々の質が、好奇心が強く行動力もあり度胸もすわっている。責任感もあり、ポンの騎士のつもりではとさえ思わされる。
今はまだ何も問題は起こってないが、何かあった時に果たして自分が頭を下げただけで済むだろうか? 何とも心保たない心境になる。
出来るうちに何とか速やかに、この大陸を平定しポンとシリウスのサポート体制を作らねばならないと思ったのだ。さすがにのんびりしている場合ではないだろう。
今まで第二、第三の召喚者の最後は伝説の類として誰も本気にはしていなかった。しかし魔王ダールによって真実であり、更には今後起こり得る事なのだと誰もが理解した。
ポンに最後が訪れる時はシリウスと共に、恐らくこの大陸も道連れになるだろう。
ポンが寝落ちしている間、何度となく各国間で話し合われた。まさにポンとシリウスが心穏やかに過ごせる事こそが、真の平和にも繋がるのだ。
そのためにも、先ずエルブとクラルスの結婚を進めてしまうために宰相共々、魔族国に向かったのだった。
魔王ダールからも「この世界に馴染めるかが第一の関門なのだ」と聞いている。
ダール自身も召喚者の一人として自負しているそうだ。
「何より信頼出来る側近達と、生に疲れず飽きず罪悪感を持たずに眠りに就く事が大切だ」と話していた。到底ケットシーやクーシーだけで護りきれるはずもなければ、護れると思うのもおこがましいだろう。
ローザが魔族研究者になろうと思ったのは、幼い頃に聞いたウェアウルフの話がきっかけだった。
満月の光の下で大きく逞しい狼の姿に変身するというのにワクワクし、いつか会ってみたいと強く願っていた。
ラヴィスタウにいるクーシーも大好きだったが、人型から狼になるというのが不思議でならない。
だからこそ半ば強引に魔族研究者で薬師でもあるイーレにくっついて来た。
兄のオルドが召喚術の研究者になったのは、ラヴィスタウの城の全容を知って召喚者に興味を持ったのがきっかけだった。研究のきっかけなど、意外と些細な事だったりするものだ。
だからアウレアに会った時は、拍子抜けしてしまった。
初めて目にしたウェアウルフは、痩せた小さな身体を震わせながら項垂れていた。自治領に来てからは、すっかり異世界料理に夢中だったとはいえ放っておけなかった。
「お姉さん達を救い出すんでしょう? だったら、いっぱい食べて力を付けなきゃ。ほんとうに異世界の料理ってどれを食べても、すっごく美味しいの!」
次々に料理を差し出すと最初は戸惑っていたが、ローザの飾らない態度に緊張がほぐれ食べられるようになった。
陰では、二人とも底なし胃袋と恐れられていたと後から知った時は大笑いしてしまった。
魔族が襲って来ると聞いた時も、「アウレアさんと食堂は守る!」って皆で誓い合った。
でも、いざオークに襲われると思うように攻撃魔術が出せなくて焦った。ずっと平和なラヴィスタウにいて基本魔術として習っていても使った事がなかったのだ。
『やられる!』って思った瞬間、目の前が真っ赤になった。一瞬でオークを投げ飛ばして、見上げる程に大きな狼が立ちはだかるようにして目の前に立っていた。全身の毛が燃え上がる焔のような赤毛に、直ぐにはアウレアだとは気付かなかった。
直ぐに銀色のウェアウルフが横に飛び込んで来て、嬉しそうに跳ね出してクラルスだと気付いた。月夜でなくても変身出来るとは本には書いていなかったが、ローザにとって最高の日となった。
戦闘が終わり人型に戻っても、アウレアは元の倍はあるのではないかと思う程に背が伸びていた。しかし目が合うと、はにかんだ瞳が変わっていない事に無性にホッとした。
漸く長年の夢が叶っただけでも、感謝している。何よりすっかり大きくなっても、話せば変わらないままなのが嬉しかった。
「魔族国の婚礼はどんな感じなんですか?」
最初はポン様の何気ない言葉から始まった。
聞けば異世界では結婚式なるものを行うのだとか。こちらでは王族でもない限り行う事はない。せいぜい料理を持ち寄り、飲んだり踊ったりする位だ。
シリウス様が異世界の結婚式の風景を幾つか見せてくれたのだけれど、あの魔法ってどうなっているんだろう? まるで目の前で行われているようだった。それに式自体も色々なやり方があるらしい。
私もメーアさんも、すっかり目を奪われてしまった。すっごく綺麗だし楽しそうだ。ポン様が少し困った顔をされていたけど、お祝いをする事に皆すごく乗り気だった。
これから結婚式の準備をすると考えただけで、ワクワクする。魔王様とポン様が居れば出来ない事など無いだろうし、大成功間違いなしだ。




