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エルブ、クラルスとの出逢い

 ウェアウルフの姫であるクラルスは、まだ幼い弟が眠りにつくと、そっと城を抜け出した。たとえ僅かな時間でも、夜の森を散歩するのが唯一の息抜きだったのだ。


 その日は、いつもより月が大きく見える暖かい夜で、お気に入りの一つである森の奥で上弦の月の光を一身に浴びていた。


 まだ変身するには月齢があった。今は満月の前後、五日程しか変身出来ない。


 自分の意思で自在に変身するのは、もう少し大人になってからだ。


 クラルス自身まだ幼いと言える年頃だったのだ。たて続けに両親を亡くし、悲嘆にくれたくても許されなかった。


 残された小さな弟と一族の為に、気丈に振る舞う日々だった。


 草藪の中に、ぽつんと開けた地面に力無くぼんやりと座り込む。月灯を浴びて、やっと心の中が凪いでくれた。




 ふと気付くと目の前の藪が揺れ、ゆっくりと少年が出て来た。


 本来なら直ぐに警戒せねばならないのに、ただ呆然と見つめてしまった。


 少年は髪が月灯に照らされ光輪のように輝き、どこかこの世の者には見えなかったのだ。もしかしたら話しに聞いた、ゴーストになりたての者なのかもしれない……


 少年も、また目を見開いたまま立ち尽くした。これ程に美しい者を見るのは初めてだと思ったのだ。 


 地面に触れる事も構わずに長い銀髪を垂らし背を丸めて座る姿に、辺り一面が月光で光り輝き眩い程だ。


「……()()迷子?」少年は引き寄せられるように近付くと驚かさないように、そっと声をかけた。どこか下げた肩が淋し気で儚く、今にも消えてしまいそうに見えたのだ。




 クラルスは微笑んだ。どうやら、この世の者のようだ……


「私は迷子ではありませんよ……どちらからいらしたのだでしょう? どちらのお家ですか?」


 少年の品の良い物腰と衣服も高価そうで、それなりの家名の出だと思ったのだ。


「僕は魔王様と父に連れられ此方まで来たのですが……それは見事な蝶の群れに会いまして……追い掛けないわけにいかないでしょう? そうしたら……」


「それは……確かに追い掛けないわけにいかないですね……」どちらからともなく笑いあった。


「明日、魔王様の視察が訪れると伺っていました……もしや宰相様の?」


「そうです! ご存知でしたか………失礼しました……エルブと申します」


「私はクラルス……ウェアウルフの長をしております……」


 エルブは父から聞いていた事を思い出した……僕とほとんど年が変わらないのに重責を担っている姫だそうだ。


「まだ幼いのに優秀な長です」宰相である父が、とても褒めていたのを思い出した。


「父君の元まで御送り致しますね……」微笑んでいた眼差しが困ったようにひそめられた。


「…ただ私と会った事は御内密に……」


「どうして?」


 クラルスは苦笑した。「……実は、こっそり城を抜け出して来たのです」


「それは僕もよくやります! 貴方の事は誰にも言いません……二人だけの秘密です!」


 エルブとクラルスは年頃も近く直ぐに打ち解けると、明日の晩も此処で会う約束をした。


 暫く話し込み、クラルスに野営地の近くまで送ってもらい別れた。




 翌日、エルブは魔王と父である宰相に連れられウェアウルフの城に向かった。


 ウェアウルフの城は堅牢な石造りで、外敵に対してというより狼に変身した時のために頑丈に作られているようだった。


 謁見の間でのクラルスは昨夜の事が夢だったのでは無いかと思う程に、凛としていた……岩を切り出して造られたような無骨な印象の玉座に背筋を伸ばして座り、臣下達に目を配る様には稚さなど微塵も無かった。


 魔王や宰相に臆する事なく堂々とした物腰に冷静な発言、エルブも宰相の後ろに静かに控えながら、我が事のように内心は誇らしさでいっぱいになった。


 ただ一度だけ視線が合い、それだけで約束は守られているのだと感じられた。


 お互いに窮屈な立場は嫌という程わかる。だからこそ、どこか共犯者めいた関係が………何より秘密の約束が心を浮きたたせる。どちらも夜が待ち遠しいような、今が永遠に続いて欲しいような、自分でもよく分からないフワフワとした気持ちだった。


 どちらも公務が楽しいなどと初めて思ったのだ。






 魔王城に勤めるのは種族、性別に年齢に経験などはいっさい問わない。しかし種族の数や生息環境、特徴や縄張りなど多義にわたり色々と難しい。新人には思いもよらない事も多く、激務になるから覚悟しておくようにと言われる。 


 そうした事情はエルブが歩き始める頃から、更に厳しいものになっていった。


 エルブは穏やかで優しく利発な子供だった……ただ独立心が強いのか、はたまた好奇心が強いのか何処へでも一人で行ってしまうのだ。


「遊びに行って来ます!」 


「…少々お待ち下さい……今お供の用意を致します」侍従が振り向い時には、もう一人で城を出ている。


 何度も言い聞かせ、その都度それは良い返事が返ってくるのだ。そうエルブは素直で優しい。誰かの手を煩わせようなどとは考えもしない、ただ自分はまだ保護されるべき幼子だとは思っていなかったのだ。


「忙しいでしょう? 僕一人で大丈夫だから! お仕事頑張ってね~」言葉を返す前に、もう見失ってしまうのだ。何事も一人でやるものと思っている。


 飛べるようになると更に付いて行くのが難しくなった。もはや一日がエルブの探索で終わってしまうのだ。幼子とは思えぬ魔力と行動力だった。


 侍従達には魔王城での仕事が分からない……捜索や監視をしたくて城勤めを望んだのではないのに、と。


 魔王と宰相に懇願し、ようやく連れ歩いてもらえる事になった。御二人なら何処に居ても直ぐに見つけ出せたのだ。


 魔王と宰相の不在の間は皆『一日でも早く御戻りください』と祈らずにはいられなかった。


 また好奇心ゆえに、しばしば侍従達を驚かせていた。様々な()()を拾って持ち帰る。


 おかげで侍従達は大抵の事には諦めと共に対処する全てを身につける……そうでないと城勤めは出来ないのだ。


 そうした周りの大人達の事情などエルブは全く気付いてもいなかった。




 公務を終え魔王と共に戻って行った後も、エルブは何度もクラルスに会いに行った。


 ウェアウルフの郷の視察後、直ぐに魔王と宰相が眠りにつき自分の方が自由がきいたのもあるが……侍従達には見失うのは日常だったのだ。何処に行っているかは誰も知らない。


 エルブは、ただ会いたかった。会えば会う程、また会いたくなる。


 距離も種族の違いも二人にとっては些細な事だった。


 クラルスにとっても心を許せる、かけがえのない存在だったのだ。


 ウェアウルフと吸血族には古い確執があった事を知った時も、会わないという選択肢だけは無かった。


 二人で両種族の架け橋になれば良いと誓いあった。


 結婚を考えたのも自然な流れだった。


 どれだけ反対されようと、時間をかけて納得してもらうつもりだった。ただ、ひたすら希望を抱いていたのだ。






 ウェアウルフの郷に結婚の申し込みに行く前に、まずは魔王城の臣下達に承諾してもらわねばと閣議の席で話した。


 当初は予想したとおり全員が反対したが根気よく説得していった。


 エルブは臣下達を信じていたのだ。最悪、拗れても魔王と父である宰相は賛成してくれるだろうと思っていた。



 魔族は長命な種族程、子が出来難い。


 魔王が『お前の子なら、さぞ可愛いだろうな』と言った為に、それは大変な思いをして漸く出来た子なのだと父から聞かされた……母は出産時に亡くなったそうだ。


 ようやく産まれたエルブに宰相や魔王のみならず、臣下達も我が子のように可愛いがった。


 そのエルブが長年に渡り密かに育んできた思いに、結局は折れた。


「……魔王様と宰相様が起きて来れたら婚礼を挙げましょう」どのみち魔王と宰相が反対するとも思えなかったのだ。


 これでウェアウルフの郷に挨拶に向かえる。




 エルブの侍従のフェリクスとは、幼い頃に出会った。いつものように一人歩きの時にコボルトの群に襲われそうになった所を助けてくれたのだ。


 同じ年頃の友達がいなかったエルブにとっては、幼馴染みのような存在だった。


 フェリクスはサキュバスとオーガのハーフだった。母はフェリクスを産むと、郷に預けたきり戻っては来なかった。


 サキュバスは物心がつく頃には夢魔として夢の中に入れる。


 しかしフェリクスには出来なかった……そのためサキュバスでは無いと、父のオーガの郷にやられた。 


 オーガの郷では同じ年頃の児よりも身体が小さくて、ひ弱だとイジメられ居場所が無かった……郷を抜け出し彷徨っていた時にエルブに出逢ったのだ。


 そのせいか分からないがフェリクスの髪の色も瞳の色も、たびたび変わってしまう。


 エルブは心と連動しているのではとも考えたが確かめる方法までは思い付かず、そのうちに変化する事に慣れてしまった。



 クラルスの事は、フェリクスにさえ話していなかった……元々、誰かに相談や報告をするという発想がなかったのだ。フェリクスやクラルスに出会うまで大人の中だけで育ってきたのだ。


 フェリクスは暫く黙って考え込んでいたが顔を上げると一つ、ため息をついただけだった。それで事は済んだと思っていたのだ。



 結婚の申し込みのためにウェアウルフの郷に向かった。


 エルブには、この先の計画やクラルスとの生活などで頭の中がいっぱいだった。まさに地に足がつかない、夢見心地の状態だった。


 ウェアウルフ達も最初は反対したが結局、折れてくれた。


 宰相の息子との婚姻のメリットの大きさを取ったのだ。


 二人は晴れやかな気持ちだった、直に魔王と宰相も起きてくるだろう……かれこれ千年近く経つのだから。今回はずいぶん長い眠りだった。




 その夜も、いつものように二人の秘密の場所に向かった。例え結婚の許しを貰っても、この場所は特別なのだ……二人にとっては大切な場所だった。


 草藪を抜け月灯に照らされた草地を見ると、中央に見慣れない石舞台があった。


 エルブは怪訝に思いながらも一歩、二歩と近付き……息を飲むと一気に駆け寄った。


 降りそそぐ月光の中で、石舞台の上にはクラルスがうずくまっていた。狼の耳と尾は出ているが、変身の途中で止まってしまったような姿だった。


 助け起こそうと手を伸ばすが弾かれてしまう。強力な結界が張られていた……手が痺れるなど初めての事だった。


「無駄ですよ、その結界は誰にも破れません……」


「フェリクス? 何故この場所を知っている?」


「……いつもの気まぐれだと思って放おっていたのに……結婚?」


「フェリクス…悪い冗談はやめておくれ……お前らしくもない」


「冗談? バッカじゃないの! 俺が冗談なんて言った事ないでしょうが!」


 フェリクスは普段は私と言っていたのに、今は俺と言った……何より穏やかで控えめだった眼差しが、見た事もない蔑むような目に変わっている。


「……お前…本当にフェリクスなのか?」


 フェリクスはさも可笑しそうに笑いだした。今は髪も瞳も燃えるような朱だ。


「お前の大切な姫を取り戻せるかな? 見ものだね?」


 エルブはフェリクスの嬌笑にも構わず石舞台の周りを探り続けた。


 クラルスは微かに呼吸しているのだけは分かったが、意識があるかまでは分からない。


 知っている呪文を片っ端から試し、何度も触れようとする。触れる度に弾かれ、痛みは増していくばかりだった。


 魔族一の吸血族の治癒力をもってしても、手も身体も血塗れのままになった……もはや半狂乱で体当たりする。


 その姿を見て、やっと気がおさまったのか、フェリクスは二人を置いて何処に行ってしまった。


 一人取り残され、エルブは生まれて初めて誰かに頼ろうと思った。


「クラルス………助けを呼んで来るから待っていて!」


 エルブはウェアウルフの城に向かって走って行った。







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