目覚めたウェアウルフ
見廻りから戻って来たノクスさんとヴェア兄さんは、長老猫さんの話しの最中に入れなかったのか、難しい表情で戸口に座っていた。
エルさんの知らせを聞くと、皆で大慌てで医務室に走って行った。
医務室の開いたままの扉の中の様子に、思わず立ち止まってしまう。
部屋の隅に置かれたベッドには縮こまるように身体を丸め、ひたすら毛布を握りしめ怯えて瞬きすら出来ずに震えている姿があったのだ。
エルフの魔族研究者で治療にも当たってくれた、イーレさんの優しいなだめるような声も耳に入らないようだった。
そうした様子には全く構わずに長老猫さんが入って行った。私達は更に怯えさせない為にも、戸口で控えている事にしたが、内心は『長老猫さん強!』と思った。
時々それは、スパルタだよ~って思うんだけど……この位でないと皆をまとめていけないのかも。
「……目が覚めて良かったの……起きたばかりで混乱しておるのじゃろう……」
「……ケットシー⁉ もしや………ア…アストラ様ですか?」
少年は長老猫さんを目にした途端に、毛布を跳ねのけ身を乗り出すようにして見つめた。
「確かに、わしがアストラじゃ……しかし、ぬしとは会った事は…無かったと思うのじゃが?」
「エ…エルブ兄様に聞いていたとおりの御姿です!」
「エルブじゃと? もしや……」
ウェアウルフの少年はベッドから飛び降りると、長老猫さんの前にひざまずくようにして縋った。
「アストラ様……エルブ兄様を助けてください! 僕を逃がすのがやっとで……僕は魔王様を起こしに行かなきゃいけなかったのに……こんな時に、また間違えるなんて……」
少年は目を真っ赤にしながら何度も首を振った。
「異世界からの召喚が邪魔されてしまい……エルブ兄様も捕まってしまって………魔王様の元に一緒に行って頂けませんか? 僕は……ウェアウルフなのに…いっつも迷ってしまって……」
私は呆然としながら一歩、医務室の中に入った。シリウスのシッポが私の足に絡みつく。
「今………異世界からの召喚って言われましたか?」
長老猫さんが身を硬くしたまま徐ろに私とシリウスを振り返ると、少し苦しげな表情でじっと見つめてきた。私は呆然と、その瞳を見返すばかりだった。
暫くすると小さく頷き、手招きする。もしや長老猫さんは何か思い出したのかな…………
「……どうやら、召喚したのは……エルブかもしれんな………すまんかったの、ポン………」
長老猫さんは一つ、ため息をつくと少年に向き直った。
「紹介しよう……異世界勇者のポン殿と、一緒に戻って来たシリウスじゃ」
私とシリウスの姿をまじまじと見ると少年は息を飲んだ。そして突然、号泣しだした……張り詰めていたものが、やっと緩んだのだろうか。
「……よ、良かった……勇者様が御無事で………これで兄様達も助かる…………」
皆は少年が泣きじゃくるままに落ち着くのを待った。私も気持ちや頭を鎮め、整理する必要があったし……
私は下唇を噛むとフラフラと医務室前の部屋に向かった。シリウスも私の足にシッポを絡めたままついて来る。
私は何か気懸かりがある時、お菓子作りをする癖がある。
運動する者、お酒を飲む者、映画やドラマを一気見する者、人それぞれだと思うが私にとっての一種のストレス解消法だ。
私だけかもしれないけれど料理は多少、気を抜いていてもリカバリー出来る。でも、お菓子作りは集中していないと、固すぎたり膨らまなかったりと大抵は失敗するのだ。
だからこそ頭を空にする事が出来るみたいで、数時間がかりで何種類も作り続ける事もあったし、作り過ぎては学校や職場に持って行ったものだった。
しかし今は試作室に籠もるわけにもいかない……ほとんど無意識のうちに、料理や菓子を変性させていく。さしずめ脳内のデフラグかな?
シリウスは黙ってついて来ると椅子に腰掛け、テーブルに頬杖をついた。
ケットシーやクーシー達が心配そうに代るがわる部屋を覗き込み、声をかけるのだが結局は諦めて、廊下のいたる所で寝そべってしまった事にも気付かず変性していく。
隊長さんやメーアさんが何度も覗き込んでは、医務室と部屋の間を行ったり来たりしているのにも気付かず、ひたすら出していく。
呼ばれて来た古竜お爺ちゃんが覗き込んで声を掛けてきても、構わず変性させていく……いや、意識の隅ではみな気付いてましたよ?
シリウスも微かにヒゲを震わせるだけで、いっさい反応しない。
我に返るとテーブルまで増設して部屋中に、びっしりと料理が並んでいた……ちゃんと扉の端から順に前菜にスープ、メインディッシュにデザートとエリアを分けて出してた。
思った程パニックしてなかったな………偉いぞ、私!
シリウスもグシグシと顔を擦ると、ようやく自分を避けて置かれた料理の数々に気がついたようだったが何も言わずに、ゆっくり息を吐き出した。
「…あの子……もう落着いたかな?」
私は医務室に目をやると、人数分の蜂蜜入りのホットミルクを出すと盆に乗せて医務室に引き返した。
「熱いので気を付けて飲んでくださいね……」
まだ、しゃくり上げているウェアウルフの少年と長老猫さんに手渡し、隊長さんが用意してくれていた椅子に腰掛けた。
「……ああ…美味しい………」少年は鼻を啜り上げると、ゆっくりホットミルクを飲みはじめた。
だいぶ落着いたようだ。飲みながらも部屋中に視線を走らせている姿に、子供で可愛らしい見た目とはいえ、どこか野性味があり、さすが狼族だけの事はあると思った。
部屋の灯りに赤毛の癖毛と緑色の瞳が煌めき、頬には赤みが戻りはじめている。
今は着替えてすっかり身綺麗になり、怪我の傷痕もほとんど分からない程だった。
「出来たら……事の起こりから話して頂けたら、有り難いのですが……」
少年は頷くと暫し考え、徐ろに話し出した。
「…どこから話せば良いのか………僕の父はウェアウルフの内乱で亡くなり、魔王様が諌めてくださったのです……母は僕を産むとそのまま亡くなったそうです。以来、姉のクラルスが親代わりに育ててくれました………」




