その後のアシエール国
ポン達がアシエール城のバルコニーから飛び出して行くと、ロブスト皇太子は我に返った。
「……あの方が噂の異世界勇者なのだろうか……ほとんど私と歳も変わらないように見えたが………」
「……王は、どうされたのでしよう? まるで恐ろしいものでも見たように怯えられて……」後ろに控えていたオンラード将軍が王を訝しげに見やっている。
ロブスト皇太子は侍医の診察が終わるのを黙って見守っていた。
「……申し上げにくいのですが御身体には特に異変は御座いません……この症状は恐らく精神錯乱の一種かと思われます」
「……回復は?」
「それは何とも申し上げられませぬ……今は、ゆっくり御休み頂いて様子を見るより他は……ただ回復されましても、暫くは御公務は御控え頂かねばなりません」
「……父王様を頼みます」侍医が辞去するのを見送りながらも内心は複雑な思いだった……
あれ程の覚悟も蓋を開けてみれば肩透かしを食う形となり、心のやりようがない……
ロブスト皇太子は目を瞑ると、ため息をついた……今は、やるべき事をやるだけ、この機を逃してはならぬ。
「閣議の準備を!」ロブスト皇太子は玉座を一瞥すると部屋を出て侍従に施錠させると、閣議の間に別の執務室を用意させた……まるで全てを一新するのだと誰の目にもわかるように。
ロブスト皇太子は、この数日の全てが魔法のようだったと何度思い返しても思う。
先ず閣議において王の病状を侍医から報告させ執務代行を宣言すると満場一致で受入れられた……数人の大臣からは反対があるものと思っていたが……
これは、まだよい……よほど大臣達も圧政に疲弊していたのだろう……
しかし閣議の最中にフォートリュス国から和平交渉の使節が訪れると、やはり満場一致で可決したのだ。
あれ程、戦争強硬派や王の顔色ばかり伺っていた者達までが賛成するとは……
幾人かの大臣は和平条約締結後に次の代の者に家督を譲り引退するとまで言い出した時には、内心ただ事ではないと思いながらも承諾した。
もとより、いずれどうにかせねばならない者ばかり、策を弄する手間まで省けてしまった……
ポンとシリウスがアシエール国王に詰寄った時、茶器を下げるため侍女がまだ部屋の隅に居たのだが誰も気がつかなかった……
この侍女が気難しい王に長年仕えられたのも、必要の無い時は気配を消す……ようは空気と同化する術を心得ていたためで、シリウスすら存在に気が付いていても無意識のうちにスルーしていたのだ。
侍女は急いで皇后に自分の見聞きした一部始終を報告した。
アシエール国が今まで国として保ってきたのも、この皇后の力による部分も少なからずあったのだ。
王に代わり末端の者達にまで目を配り手を打ってきた事で城中の者達からの信頼は計り知れなかった。
しかし人の口には戸は立てられない……その日の内に城中に知れ渡っただけでなく、大臣を始め諸侯にも直ぐに広がり城下にまで、あっと言う間に噂は広がっていった。
『異世界勇者様によって王が錯乱させられた』
『異世界勇者様が王を罰し、魔法国に向かった』
『異世界勇者様はケットシーだけではなくエルフ族と古竜まで従えている』
『ロブスト皇太子殿下が勇者様から国を託された』
『皇太子殿下こそ選ばれし王だ』
どんな噂でも、噂は噂を呼び、どんどん変化していくものだ……
噂の中で大臣や諸侯を震撼させたのは『勇者様は国王だけでなく魔法国も御免しにならず、関わった全ての者を粛清する』というものだった。
身に覚えのある者は『次は自分だ!』と思ったのも仕方のない事だったかもしれない……王は部屋に籠もったまま誰にも会おうとはせず、己で進退を決めるしかなかった……命あってのものだねだ。
そうした顛末など、ロブスト皇太子も皇后も此時は知る由もなかったのだ。
城下の民も一般の村人を連行していくのを目撃するに至って、いよいよ自国に失望し『この国は、もう終わりだ』と思い他国へ逃げ出す用意を始める者が多数だったのだが、噂を聞いて『もう少しだけ頑張ってみよう』と、荷ほどきを始めた。
ポンとシリウスが王に会ったのは、僅か数分の出き事だった……しかし、その数分でアシエール国は根底から変化する事となった。
「折り好くフェデルタ三世王は国境付近の視察に訪れておりました。和平に応じられますなら三日後には参れると申しておりますが」
「もちろん異論は、ありません!」
それからは取り急ぎ調印式の準備に入り、大臣達や、その後継者に侍従達も最近では見たことない程の働きぶりだった。
フェデルタ王が到着するまでに全ての準備が整った……本来なら数週間は掛かるのが、たった数日の間にだ。
王族達、大臣達そしてリトス姫も正装でフェデルタ王を出迎えた。
「ロブスト皇太子殿下、やっと御会い出来ましたな」
「フェデルタ三世王様……私も御会い出来るのを楽しみにしておりました」
二人は初対面とは思えない程に打ち解け、滞りなく和平の調印を行った。
「もう報告は受けられましたかな? 幸い魔法国も鎮圧され、オルデン王子も無事だという事です」
「それは、まことですか? こちらに報告は未だのようです……」
「ケットシーの長老の孫娘殿が勇者様達に同行しておりましてな、念話で報告がありました」見ると王の傍らに三匹のケットシーが立っていた。
「オルデンが御世話になりました。ありがとうございます」初めて見るケットシー達は愛くるしいのに凛としている。
「王子が無事で何よりでしたな」
「調印も終わった事ですし、オルデン王子には一度、報告を兼ねて戻ってもらうとするかの?」王が傍らの真白いケットシーを見やる。
「……フムッ明日には、こちらに向かうと言うております」それまで傍らで大人しく控えていた若い灰色のケットシーが「お爺…長老様! ポンちゃんにキスルンルン飴も頼んでよ~」
「もちろんじゃ! 安心しとれ」
「ワハ、ハ、ハ驚かれたであろう? 勇者様は錬金術で異世界料理を色々と出してくださるのだが、どれも素晴らしくてな! ケットシー達も大好物なのだよ!」
「こちらにもバーベキューコンロを送るとしよう!」
「ありがとうございます! 今から楽しみです」
王は異世界料理の話をするとリトス姫を見つめた。
「リトス! 元気そうで何よりじゃ! お前にも早く食べさせてやりたいの……」
リトス姫は涙ぐむと思わず父王の元に歩み寄った。
「母上も早く顔が見たいと言っていたぞ。一緒に戻ろう!」
その言葉を聞いた瞬間ロブスト皇太子は身を硬くした。
「…父上……私は、もう少し居ります……」
「何故じゃ? もう無理をしなくてよいのだぞ?」
「無理ではありませぬ……こちらに参ってから、ロブスト皇太子殿下が影に日向に護ってくださいました……今度は私が御護りしたいのです」
「恩に報いたいという事か? それなら、わしが幾らでも返す……安心して帰りなさい! 母上も、わしもどれ程会いたかった事か!」
「……父上、私は…」
その時、リトス姫の行く先々に常に居た小鳥が飛んで来て、後から大柄な黒白のケットシーがバルコニーから入って来た。
ケットシーの頭の上に小鳥がとまり耳元をついばむように突いている、肩にはどこか見覚えのあるリスが乗り、バルコニーの手すりに大鴉がとまった。
「おお! ボーよ……今まで、すまんかったの〜」長老猫と護衛のラークが駆け寄り、デューは嬉しそうにボーに飛びついている。
フェデルタ王もボーに片膝をつくと「ボー殿……ずっと、リトスを護ってくださり感謝致す」
小鳥がさえずり何度も首を傾げては、またさえずるとケットシーのボーが低く笑い声を上げた。
「……ボー殿の使い魔だったのですか⁉」ロブスト皇太子は驚きながらも合点がいった……どうりでよく見かけた訳だ。
「使い魔じゃないよ? うちの子達だよ~」
「人の目には不思議じゃろう? この子らは魔力を持たぬ普通の鳥やリスじゃよ、ボーが保護して育てたのじゃ」
「うちの子達は僕のお手伝いをしてくれてたんだよ……ここだと僕は余程でない限り城の中に入るわけにいかなかったしね」
「それより……」ボーは少し困ったように王を見上げた。
「うちの子が言うには……王よ……それ以上は野暮というものらしいよ?」
「……まさか…?」
「………うん、そのまさかなのね」
フェデルタ王は父親の顔に戻り、思わず唸る。
ロブスト皇太子は、さっとフェデルタ王の前に跪いた。
「どうか、リトス姫を私にください!」ロブスト皇太子は深々と頭を下げた。
リトス姫は頬を染め目を輝かせている。
フェデルタ王は、バチンッと己の額を叩くと「………今すぐには、やらんぞ!………皇太子が十八歳になるまでは待ちなさい……」
「もちろんです! 御許しくださり、ありがとうございます!」
「父上! ありがとうございます」そのまま二人は手を取り合い微笑んでいる。
「……大切な私の宝だ、頼むぞ!」フェデルタ王は肩を落したが、長老猫が王の脚を叩いて元気付ける。
「二重の祝い事じゃぞ! 喜ばれよ……なかなか良い王子らしいぞ?」
フェデルタ王は余程ショックだったのか、笑顔が引きつっていたが、アシエール国側は大歓びで二人を祝福している。
小鳥と大鴉は一声さえずると飛びたっていった。




