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さとり  作者: 紫木さくま
7/18

黒いアザ

「あれ、帰ってたんだ」

 階段を上っていく弟を見つけ、金子真里はアイス片手に「おかえり」と言葉をかけた。

「あ、ああ、ただいま」

 どことなく挙動不審な弟の直人は、参考書を閉じると足早に階段をかけていく。

「なにあいつ」

 真里はリビングのソファに座り、テレビをつけると食べかけのアイスをくわえる。視聴途中だったドラマを眺めながら、ぼんやりと先ほどの弟のことを考えた。

 ハッとしてドラマをとめる。直也が持っていた本に見覚えがあった。いつものように参考書を読んでいるものかと思ったが、あれは樹から見せられた本に違いなかった。不思議と印象的な本だったのでよく覚えている。

 真里は、直也がなぜ樹の本を持っているのかを不思議に思う。本を貸し借りするような仲ではないだろうし、どうも先ほどの直人の挙動不審な態度が引っかかった。

 念のため樹に話を聞いておこうとスマホを取る。そして、樹に電話をかけた。

「あっ、黒田くん? 電話してごめん。ちょっと気になることがあってさ」






 咲鳥たちは金子真里の家を目指して走る。金子直也が樹の本を持っていたと、真里から連絡が入ったのだ。

「なんで金子が本を持ってんだよ!」

 先頭を切って走る朝陽が叫ぶ。

「犯人、だからじゃ、ない、のか……」

「おい頑張れよ黒田! まだ少ししか走ってないだろ!」

 樹の息は絶え絶えだった。体力が無いのは昔から変わらない。

「神和、こっちの道であってる?」

 朝陽が聞く。

「あってるよ」

 直也の家は最寄りのコンビニからそれほど遠くないところにある。以前、直也の家の近くまで行ったことがあった。

「神和って、黒田より体力あるんだな」

 朝陽は、咲鳥の後ろを必死についてきている樹を見る。疲れているのか、朝陽の言葉を悔しく思っているのか、樹は苦渋の表情を浮かべていた。

「たしかに…それは、認めるよ……! でも、咲鳥の体育の定評は2だ!」

「なんでお前が知ってんだよ」

「なんでそのこと言っちゃうの……」

 今まで家族と樹にしか言ったことがないのに、すんなりとバラされる。口外はしないと約束したにもかかわらず、樹は己のプライドの方が大切らしかった。

「樹くんだって3だったじゃない」

 ついそんな言葉が口からもれる。

「な、なんで咲鳥が知って……⁉」

 意趣返しのつもりだった。自分を基準に樹の成績を想像したに過ぎないのだが、どうやら本当に定評が3だったらしい。

「お前、自分だって自慢できる成績してないのに、よく人の成績いえたな」

 反論のしようもなく樹は黙る。そして、わざとらしく話題を変えた。

「とにかくだ……本のことについては、わかった……」

 交差点に差し掛かり、咲鳥は右に曲がれと指示を出す。朝陽が右折し、咲鳥と樹もそれに続いた。

 朝陽の息も上がり始める。

「ハァ、三人の生徒が本を使ったってことは、とりあえず決まりでいいと思う。俺の犯人説は証拠があるわけじゃないし、何とも言えないけどな」

 樹は眼鏡をポケットにしまうと、大きく腕を振って咲鳥のとなりに並んだ。そして、大きく息を吸って、それを吐き出すように言った。

「いい点はついていると思うよ。理屈は……通ってる……!」

増岡令奈をのぞく、残りの二人の被害者生徒が第三校舎へ行った確証はないが、呪いの本が出回りでもしない限り、都合よく三人の生徒にあの本が渡るとは考えにくい。もし本が学校で出回れば当然うわさもつくだろう。

その噂がないということは、呪いの本は生徒間で移動していないことになる。呪いの本を独占している人物がいるのは間違いなかった。第三校舎へ被害者生徒を導き、呪いの本を渡らせた犯人がいる。

「三人の生徒をあの本に誘導した人物はいると思う。直感、もあるけど」

咲鳥は一息に言い切った。

「ハハッ」

 樹が笑う。

「いいじゃないか直感。昔から咲鳥の直感はあたる」

 ロクでもないことばかりね。樹はまた笑った。朝陽が振り返る。

「急な神和ディス?」

「まさか。不幸探しは記者の本分だろ」

「不幸っつうか、まあ、たしかにロクでもないか」

 咲鳥は走る足を緩めた。その様子に気づいた朝陽と樹も足を止める。そして、咲鳥の視線の先の家を見上げた。空は曇り、今にも雨が降り出しそうだ。

「金子直也、まさか彼が……信じ難いけどね……」

 樹が想像する金子直也という生徒像は、咲鳥の知る直也とさほど変わらないだろう。咲鳥も直也が犯人だなんて信じられないし、信じているわけじゃない。自分の目で確かめるまでは、直也を信じていようと思っている。

「何にせよ、金子くんに聞いてみるのが一番はやそう」

咲鳥はインターフォンを押した。


―ピンポン


インターフォンから声がしてすぐにドアが開いた。真里が顔を出して間髪せずに咲鳥が聞いた。

「ご連絡、ありがとうございます。金子くんはどちらに?」

「え、えっと、やっぱり何か問題があった?」

 真里は困惑しつつも、咲鳥たちを家に入れた。

「直也はいま部屋だけど、うちのがマズいことしちゃったかな?」

「いえ、僕が本を失くしてしまったんです。金子くんはそれを拾ってくれたんだと思います。今すぐに本が必要なので、急いで押しかけてしまいました。ご迷惑をおかけます」

 樹はとっさに嘘をついた。真里はホッとして言う。

「そう、それならいいんだけど」

 真里は階段に足をかける。

「ちょっと待ってて。直也を呼んでくるから」

 階段を上がった真里が、直也の部屋を叩く音が下まで聞こえてくる。

「なおやー、黒田くんたちが来てるよー」

 真里はさらに何度かドアを叩く。しかし、直也が反応を返すことはなかった。真里は首をひねる。

「ちょっと! 音楽でも聴いてるの!」

 咲鳥は階段を駆け上がり、声を張る真里のとなりに立つ。真里は咲鳥を一瞥すると、扉の前を咲鳥に譲った。

「反応がないみたい」

「私からもいいですか」

「いいけど。直也のやつ、本当にどうしたんだろう」

 咲鳥は真里と同じように扉を叩いた。

「金子くん、聞こえてる? 神和です」

 出て来る様子がないのでドアノブを回してみる。部屋には鍵がかかっており、本人が中にいるのは間違いなかった。

 中で何かをしている。咲鳥は直感的にそう思った。

「開けて金子くん。本を持っているなら、返してほしいの」

切羽詰まった咲鳥の様子に、真里は階段を上がってきた樹と朝陽を振り

返る。

「ごめん、普段ならすぐに出て来るんだけど……」

「いえ」

 樹は眼鏡のテンプルを抑えて、小さな声でそう返した。

 朝陽が咲鳥のとなりに来ると、不安げに聞いた。

「なあ、なんで金子、出て来ないんだよ」

咲鳥はドアノブをガチャガチャと回したまま、朝陽の問いに答えなかった。

沈黙の中、金属音だけが響く。誰しもがこのままの状態が続くと思っていた。

こうしていても仕方がないと、樹が咲鳥の肩に手を置こうとした瞬間、部屋の中から物音が響いた。


―バタバタバタ


何かがカーペットの上に落ちる音だった。乱雑な音は、咲鳥だけでなく、樹や朝陽、真里にも胸騒ぎを覚えさせる。

「な、直也? ねぇ、どうしたの?」

 真里が問うが、尚も反応が返ってくることは無い。

「真里先輩」

扉を見つめたまま、咲鳥はおもむろに真里を呼ぶ。真里はハッと視線を咲鳥に向ける。

「扉を壊します」

「……え?」

 咲鳥が振り返った。

「壊れた扉については弁償します」

それだけ言うと、咲鳥は躊躇せずに扉に体を叩きつけた。ドン、ドン、ドンと力いっぱいに扉に体当たりする。びくともしない扉と、咲鳥の唐突な行動に朝陽は咲鳥を止めた。

「おい、やめろって」

 咲鳥は睨むようにして朝陽を見上げた。しかし、鋭い目つきもすぐにいつもの優しい眼差しに変わる。

「でも……」

 咲鳥は痛む肩を抑える。とても嫌な感じがする、それを伝えようとしたところで、朝陽が自分の制服の袖をめくった。

「こういうのは俺の仕事だろ」

 朝陽は咲鳥をドアの前からどかせると、勢いよく扉に体当たりをした。ドゴン! という音とともに扉が開く。

 咲鳥たちはなだれ込むように部屋へと入った。瞬間、咲鳥の長い黒髪が後ろへなびく。季節を前借したような夏の香りと、ミストのような雨の冷たさが咲鳥たちを打ちつけた。

「あっ……」

 直也の大きく見開かれた瞳と目が合う。その瞬間 、直也の体が引き寄せられて窓辺のベッドを乗り越えた。

「金子くん!」

 咲鳥はとっさに直也の体にしがみついた。全開になった窓から、直也の体が今にも外に落ちてしまいそうだった。

「何してるの直也!」

 真里が叫ぶ。直也は肩の根元から右腕を窓の外に伸ばしていた。まさか自殺でもするつもりかと真里は思った。

 カーテンがまるで生きているように激しくばたつき、窓から流れ込む雨は咲鳥たちの体を激しく叩きつける。嵐のような天気の激昂をものともせず、直也の体は徐々に外へと導かれた。

 咲鳥の力だけでは足りず、朝陽、真里、樹と直也の体を引っ張る。しかし、直也の体はびくともしなかった。直也が抵抗したり、暴れたりしているわけじゃない。直也は両サイドから引っ張られている縄のように動かないのだ。力の均衡もすぐに崩れ、じわじわと直也の体は窓を乗り出していく。

雨に打たれながらも、咲鳥はなんとかまぶたを開ける。咲鳥には、どうしてこんなことが起きてしまったのか、その原因がはっきりと見えていた。直也の腕の先、黒い何かが、見覚えのある不気味な笑みを浮かべていた。

「っ!」

さながら死神のつもりでいる黒い影に、咲鳥は直也を引き止める腕の力を強めた。増岡令奈の姿が脳裏に浮かび、直也は絶対に連れて行かせないと影を睨む。

「さ、咲鳥!」

 直也を覆いかぶさるように身を乗り出した咲鳥に樹が叫ぶ。咲鳥は引っ張られている直也の右腕を掴んだ。そして、その先の影を正面から見据える。

 影が消えうせるよう、咲鳥は強く念じる。すると、影はいっそう形を大きくし、咲鳥に抵抗した。影は直也よりも先に、咲鳥を飲み込もうと侵食してくる。

咲鳥の目の前はモザイクがかかり、火鉢に腕を突っ込んだように皮膚に痛みが走った。影と咲鳥の攻防は、打ち寄せる波のように満ち引きを繰り返す。咲鳥が影を拒絶するように、影もまた咲鳥を激しく拒絶した。

 その様子を見ていた直也は、影に飲み込まれそうになっている咲鳥に叫ぶ。

「か、神和さん!」

 咲鳥の耳に届いた直也の声は恐怖で満ち、その芯の柔さが伝わってくる。直也は残された最後の力で神和の名を呼んだのだ。

影は苦悶の表情をしながらも、直也から手を離さない。咲鳥は、直也の腕を掴む影の手を鷲のように掴む。そして、渾身の力を込めて引きはがした。紙吹雪が舞うように影は散乱して、ほとんどの形を一瞬にして失った。

その瞬間、断末魔のような悲鳴が響き渡る。それは、直也だけでなく樹や朝陽、真里たちも聞こえたようだった。その叫びから感じられる猛獣の最後の執念は、直接骨に響いいてくるようで腹を恐怖でくすぶるような声だった。

虫の大群が綻ぶように影が消えていく。そのうち残った影は霧散していき、直也の腕は完全に解放された。

直也の体がふわりと浮く。窓から乗り出した半身が、重力のまま下に落ちた。

「うわぁ!」

 直也と咲鳥の声が重なり、ふたりの体は勢いよく後ろに引かれる。直也と咲鳥はベッドに倒れ込み、樹と朝陽と真里はベッドから転げ落ちた。

 体を打ち付ける音がして、皆がその場で静止する。何が起きたのか、咲鳥以外は何も理解できずに、全員がしばらく放心した。荒れ果てた部屋で、レースカーテンだけがゆらゆらと揺れている。

「あっぶねぇ……!」

朝陽の声が静寂をやぶり、止まった時間が動き出す。あまりに間の抜けた声だった。

「つうか、尻が痛いんだけど!」

腰を打った、腕を打ったと騒ぐ朝陽を見て、危機は脱したのだと咲鳥は胸をなでおろす。直也の無事な姿を確かめて、間に合ったのだと実感がわいた。

「大丈夫、金子くん」

 咲鳥は立ち上がり、呆然とする直也に手を差し伸べる。直也は右腕をあげようとして顔をしかめた。どうやら右肩を脱臼しているようだった。

「直也!」

 真里は体勢を立て直すと、咲鳥の横から直也を抱きしめる。

「よかった、よかった……!」

 直也と真里を横目に、咲鳥は机に置かれた本を手に取った。そして、散乱した部屋を見わたし目を細める。儀式に使ったのであろう道具が確かめられた。

 すすり泣く真里に抱かれたまま、直也はそんな咲鳥の様子をおずおずと見ていた。咲鳥と目が合うと、直也は青白い顔をさらに青くさせる。咲鳥が口を開くのを見て、直也は目をつむった。

「金子くん、病院へ行ったほうがいい」

 咲鳥がそう言うと、直也は唖然として表情で頭をあげた。本のことを責められると覚悟していたが、咲鳥の言葉は予想とは違うものだった。

「肩が外れているようだし、それがいい」

 樹はそう言うと立ち上がり、スマホを取った。

「病院まで、歩くと少し遠いですね」

 真里は直也に心配そうに声をかけた。

「大丈夫? 立てる?」

 直也は声を絞り出すように言った。

「ごめん、なさい………」

 直也は顔を伏せる。何に対して謝っているのか、咲鳥にはよくわかった。真里は眉を顰めて直也に問う。

「ほんとうに、どうしてこんなこと……」

 咲鳥は直也のそばに来ると、直也の右腕の袖をめくり上げる。真里から小さな悲鳴があがった。

 直也の腕には、手形のアザがくっきりと残っていた。


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