女の幽霊
ここから一人称です。
真里の話しを聞き終え、最初に口を開いたのは樹だった。
「そんなことが……」
深刻そうな声色とは裏腹に、樹は興味深そうに眼の奥を光らせる。記事のネタになると判断したのだろう。
悩ましそうに口元に手を添えるのは、樹が内心、話を食い物にしているときの癖だった。咲鳥はそれを見てから、真里に質問する。
「つまりは、第三校舎に行ったことで、女の幽霊に憑りつかれたってことですか」
「そうなるのかな。やっぱり、幽霊を怒らせたせい?」
朝陽は不思議そうに尋ねる。
「お友達には、そういう不吉なことは起こってないんスよね?」
真里は首を振る。
「うん。理由は分からないけど、私だけみたい」
真里は、樹に詰め寄るように続ける。
「これも変な話でしょ。なんで私だけなの?」
樹は困ったように笑い、シャープペンシルを頭に突きたてる。
「今はどうも、はっきりしたことは分かりませんね。僕に数日いただけませんか。ちょっと調べたいことがあるので」
「調べるって何を?」
真里がたずねると、樹は濁して答えた。
「まあ、いろいろですよ。その手の話に詳しい知り合いがいるので、その人に相談してみます。もしかしたら、女の霊をお祓いしてくれるかもしれません」
最後の言葉に、真里の表情に明るみが灯る。微かな希望にすがるような目だった。
「お祓いをしてくれるってほんとう?」
「はい。とりあえず、今日はここまでにしましょう」
「わたし、お金とかあんまりないよ」
「まさか、先輩に払わせたりしませんよ。それに、たぶんですけど、お金はどうにかしてくれそうですし」
樹が笑みを浮かべると、真里は安堵したように息をはく。
「ありがとう。聞いてもらってよかった。お祓いの件、お願いね!」
物事を考えすぎない性分なのか、ただ明るく振舞おうとしているだけなのか、先ほどの落ち込んでいた様子が嘘のように、真里は元気な笑みを浮かべた。
真里はスマホを見て、立ち上がる。
「そろそろ帰るね。あんまり遅くなるといけないし、みんなも付き合ってくれてありがとう」
真里は美術室を見渡して、最後に咲鳥たちを見た。そして、何もなかったかのように教室を出て行った。真里の立ち去る足音を聞いてから、樹は浮ついた様子で再び口を開く。
「思ったよりも手ごたえのある依頼を受けたかもしれないな。年に一度、生徒の中の誰かがひとり死ぬ、か……」
朝陽も口を開く。
「その噂なら俺も聞いたことあるけど、そんなに有名な話しでもないよな。だいたい、死んだ生徒なんて聞いたことないしさ」
朝陽の言う通り、身近で亡くなった生徒の話を聞いたことがなかった。仮にもし、真里の言っていることが事実だとして、その真偽を調べることも、解決を図ることも容易ではないだろう。咲鳥は何気なく窓の外を見る。いつの間にか木にとまっていたカラスはいなくなっていた。
「さて、というわけで、そこをなんとかよろしくね。さとり」
樹はにわかに言って、調子よくグッドサインを向けてきた。
「なにが?」
何をよろしくされたのか首を傾げる。長い咲鳥の黒髪が右肩を流れた。
「お祓いの件だよ」
「え、知り合いの人がいるって……」
「だから、咲鳥のことだよ。さとり、こういう話に詳しいだろ。咲鳥は神社の巫女だし、お祓いもできる。ほら、嘘は言ってない」
あまりの大っぴらな態度に、咲鳥の開いた口もふさがらなかった。
「いけしゃあしゃあと!」
思わず声に出してしまったかと口元を抑えるが、どうやら咲鳥ではなく、朝陽が言ったようだった。
「オマエ、記者つうより詐欺師だな。先輩はたぶん、その手の専門家を想像してるんじゃねえの」
「知り合いが大人だなんて言ってないだろ。先輩が勘違いしただけだよ」
「いやまあ、そうだけども。つうか、神和ってお祓いできるの?」
朝陽はくるりと咲鳥の方を見る。
「まぁ、家の手伝いで依頼を受けることがあるから」
「マジか、すげぇ!」
樹の件はもうどうでもいいようで、朝陽はお祓いという言葉に興味を示した。
「朝陽くんが期待するようなことはしないと思うよ。先輩に憑いている霊を祓うだけなら、今すぐにでもできるしね」
「えっ、道具とか使わないの?」
「まぁ、道具を使ったほうが見栄えはいいけどね」
「おお、案外、夢のないこと言うんだな!」
朝陽はよく通る声で笑った。
「テレビのイメージと違うけど、普通にすごくね?」
「そうかな」
こうして真っ向から褒められたことがなかったので、咲鳥は慣れない気持ちではにかむ。
朝陽が咲鳥たちの集まりに参加するようになったのは、樹が書いた学校新聞を読んだことがきっかけだ。新聞の一トピックを担当した樹は、カメレオンの特性について数行にまとめた。それが朝陽には真新しく感じたらしく、樹に興味を持ったのだ。
だから、こういうオカルトともとれる話題に乗ってくれるとは思っていなかった。
「巫女って何するの?」
「神社の管理や、掃除、祈願とかいろいろかな。依頼が来たときは、相談者の話も聞くしね」
「へぇ! それじゃあ、もっと変な話も聞いたことあるわけだ!」
「どうだろうね」
咲鳥は、朝陽の質問に上機嫌に答えていく。楽しそうな空間で、樹だけは考え込むように二人を眺めていた。そして、浮かべていた愛想笑いを消して、顔をさめざめと青くしていく。
「なぁ」
樹の呼びかけに、咲鳥と朝陽は横にいる樹を見る。
「あのさ……」
次の言葉を待ってみるが、樹はなかなかその先を言わなかった。朝陽はしびれを切らせて問いかける。
「どうした黒田?」
樹はゆっくりとメガネをかけなおす。これは、樹が不安なときにする動作だった。
「咲鳥はさっき、今すぐにでも霊を祓えるって言っていたよな?」
「それがどうしたんだよ」
「いやだからさ……」
樹は、意を決して言った。
「それって、この場に、その女の霊がいるってこと?」
朝陽の視線が樹から咲鳥に移る。二人の視線を注がれてなお、咲鳥は何も言わなかった。
美術室に静寂がおとずれる。虫の声ひとつ聞こえない、嫌な静けさが小箱のような教室に充満した。
朝陽は必死に考えた末「はは、まさか……」と笑う。
咲鳥はまだ、答えようとしない。木にとまっていたカラスと同じような黒い目で、二人を見つめるだけだった。
気を紛らわせるように、まさかなと、樹と朝陽は互いに見合う。
そのとき、教室を照らす白いチューブ電球が点滅しだした。パチパチと、電球特有の独特な音をたてて、不規則な点滅を繰り返す。
三人の顔がそれぞれ、闇に浮かんでは消えた。陰影をつけた人間の顔は、それだけで現実感がない。樹と朝陽は、互いの顔を見るのもやめた。
「……あれだろ、しばらく使ってなかったから」
うつむいた朝陽が言う。すると、ピタ、ピタ、ピタッと、水が滴る音が、耳奥で反響するように響いた。朝陽は外を見るが、雨は降っていない。
咲鳥はおもむろにカバンを手にもつ。
「気づいてなかったんだ。朝陽くんが意見ボックスを持ってきたときから、ずっと後ろにいたのに」
兄からのラインを確認した咲鳥は、またねと言って教室を出る。
あの日の夜は眠れなかったと朝陽から聞いたのは、次の日のことだった。