切通之写生
猫と坂道を歩いている。何故だかとても気持ちが良い。たぶんこれは「ちょうどよい坂道」なのかなと思う。急過ぎず、長過ぎず、ただまっすぐ伸びて、どこへ向かえば良いのかを道の方が教えてくれる、そんな坂道だ。右手には土手が屹て左手には灰白い石塀が伸びるけれども、青い空が高く抜けているので少しも閉塞感がない。誰かが踏み締めた土の上を歩く安心感と、もうじき坂が終わり高台の上に出るという期待感。気持ちが良いのはそういうことなんだろうなあなんて考えながら歩いていると、どうやら顔に出ていたらしい。 ずいぶんと楽しそうですね旦那。 ええ、どうも歩いているだけで楽しくなってしまいます。不思議なことですね。ああ、匂いが良いのかな。土の匂いや香り。でもそういうものだけではないなあ。
「このあたりの道は最近崖を拓いて作ったものなんです。切通というやつでしてね」
「ははぁ、それで右も左も壁のようなつくりなのですね」
「ええ、いま私たちが歩いてるこの場所もちょっと前までは土の中でした。ですからまだ、ここいらは土の気が濃いんです。旦那はきっとそれに当てられてるんでしょうな」
ふむん。
「あちらの土手は拓かれる前の崖が残っているんですが、こっちの塀の向こう側は侯爵様のお屋敷らしいですよ。雲の上の方ですから私なんかにゃ縁もゆかりもないことですが」
「へぇ」
どうにも恥ずかしいことを言った。口にしてからそのことに気がついたものだけれど、猫はまるで気にも留めないようで、それが一層恥ずかしく思える。僕は面映ゆさに目も合わせられず、ただ前を向けばそこには坂道がある。ああ、これは安心なのだ。ただ歩いて行けば、ただ進んで行けば、いずれ辿り着く場所がある。一歩一歩を踏みしめて、近づく未来がある。
この坂を上りきったら、そこには何があるんだろうなあ。それを考えて歩くのも楽しいことですね。 振り返って見たらどうですかい?旦那がこれまで歩いてきた道程が、一望できるかもしれません。 ああ!ああ!それはいいですね。是非共目にしたいものです。
僕は余程浮かれた顔をしていたのだろう。そういう人を見るような目で猫は僕を見て、それからぷふぅと、少し不思議に笑った。
「こりゃまた本当に、ずいぶん楽しそうですねえ旦那」
「ええ、そりゃあ楽しいですよもちろん」
涼やかな風が吹き寄せて、道路と土手と塀の間に日差しが細く長い影を落とす。猫に促されるまでもなく、僕らは歩き続けた。
岸田劉生の「切通之写生」は日本の近代美術に大きな影響を与えた絵として、美術の教科書に載るぐらいに有名な絵です。僕が美術の教科書を最後に読んだのはかれこれ30年以上前の話ですが、多分いまでも載ってるのだろうなと思います。いまこの絵は竹橋の東京国立近代美術館でかなりいい場所に展示されているのですが、初めて見たときはいまと違って、展示室の片隅にぽつんと置かれたものでした。随分小さな絵だなあと感じたのを覚えています。小さな絵なのに大きな影響を与えたこと、大きな影響を与えたものが小さな絵であること。そのことに深く感じ入り、やはり実物を見ることでしか得られない感覚はあるなと、思わされたものです。そういう、何か感覚が広がる感動をお話に出来たら良いなあと思い、このエピソードを書きました。なおこの絵の正式なタイトルは「道路と土手と塀」というやや情緒に乏しいものなのですが、それは本文に混ぜ込んでいます。