最終電車
最終電車にこれといったドラマは無い。強いて言うなら、ドラマのエンドロールたちが席に座り、つり革に掴まっている。赤い顔の若者や、いびきをかくサラリーマンが、今日なにをしていたのか語るまでもない。まして毎日眺めていれば、退屈な景色でしかなかった。私が乗る上り電車は人もまばらで、ある程度は情緒を感じられるのかもしれない。しかし到着したターミナル駅は、この車両が引き返して成り代わる、下りの最終電車を待つ人々でごった返している。そうなれば、ただの通勤ラッシュと相違無い。最終電車といえども、突然見知らぬ駅に連れて行かれたり、奇妙な車掌や乗客と会話する羽目にはならない。最終電車のドラマなど幻想だ。あるいは座席で眠る物語たちの夢である。
遠く離れた異国の情報を扱う私の業務は、深夜から始まる。明け方に休憩と食事をとり、昼過ぎの空いた車両で自宅に帰る。車窓から見える景色は目に痛い。疲れた頭に、白昼の景色は情報量が多すぎる。これがあの下りの最終電車であれば、車窓を眺めても暗闇が広がり、反射する己の顔を見つめながら物思いに耽ることもできるのだろう。理解はするが、嘲笑を誘う。能天気な話だ。そうして誰も、何も見ていない。
今日もまた、上りの最終電車で一日を始める。いつも通り、酔いつぶれた若者が座席を占拠し、サラリーマンは白い顔でスマートフォンを眺めている。ターミナル駅で入れ違いに乗り込んだ乗客たちは、未だ立ち上がらない若者を避けて、静かな争いを一瞬で決着させる。座席を勝ち取った者の安堵と優越感、立ち尽くすことになった者の苛立ちが、車両の外まで漏れだしている。何のドラマも無い、陳腐な光景だ。誰も、今日が特別な一日になることを知らない。昨日までがそうであったように、今日も同じで、明日もまた繰り返すものであると、無意識に信じている。
私は知っている。この車両が、本当の最終電車になることを。今日の明け方、この一帯は無に帰す。遠く離れた異国のミサイルが、すべてを燃やし尽くす。必要な犠牲として、この街は選ばれた。せめて苦しまないように、多くの人が目覚める前の時間が設定された。私は自分が得た情報を、何も知らない彼らに伝えることができない。私は変わらず、一日を始めなければならない。これまでずっとそのように働いてきた。これからも変わらない。発車のベルが鳴る。消えていく物語を見送って、私は遠い街へ移動するため、別の最終電車に乗り込んだ。