逃げるタイミングはもうない
翌日、俺とアンジェラ、携帯に入った妹とともに天樹会に赴いた。応接間に通された俺らは会長である樹神さんを待つことになる。
アンジェラは珍しく緊張した面持ちでただでさえ小さい体躯を縮こませていた。彼女にしてみれば上司にあたる人に呼び出されたようなものだろう。好き勝手やっていたところのお呼び出しとなれば、そりゃあ緊張の一つもしよう。
ノックの音がした。
過剰反応したアンジェラが聞こえた瞬間、バネでも仕込んでいたかのように背筋が勢いよく伸びる。
しかし、入ってきたのは樹神さんではなく北御門だったため、その背は空気が抜けたビニール人形のようにへなへなと丸まっていった。
「やあ、三刀さん。それに君も。今お茶持ってきて貰うように手配したから少し待っててね」
そう言って北御門はソファに腰かける。会長である樹神さんと親しそうにしてるからおそらく若くして天樹会の幹部なのだろう。俺も人を顎でこき使ってみたいが、そういう柄じゃない。きっと自分でやった方が早いなら自分でやってしまうのだろう。そして、自分でやって、部下を恐縮させるのだろう。
「北御門は天樹会じゃどういう立場なんだ?」
「一般信者には幹部ということで誤魔化してるけど、実際は外部協力員で派遣されてるみたいな感じかな。まあ、小さい頃から天樹会で育ってきたから下手な会員よりも会員らしいよ」
同じ会社に出向され過ぎて、もはや元の会社よりも出向先に馴染んでしまった社員のようなことを言った。つまり、元となった派遣元があるわけで、それは一体なんなのだろうか。
その疑問にはアンジェラが答える。
「北御門は退魔師なのよ。代々続くね」
その回答に北御門が補足を付け足す。
「退魔師と言っても現代じゃ戦うことなんてほとんどないけどね」
まだ、樹神さんが来なさそうなので話を続ける。
「二人は顔見知りだったのか?」
それにはアンジェラが答えた。
「互いに顔を知ってるぐらいで話したことはないわ」
「それじゃ話すのは今日が初めてか?」
「いいえ。以前、刀向けられたことがあるわね」
あの時か、と理解する。
俺が公園でアンジェラから勧誘を受けた時のことだ。あの後は樹神さんがすぐに現れて、アンジェラが去ったから二人はまともな会話をしていない。今思えばアンジェラは顔を立てると言っていたが単に気まずくて逃げただけであった。それっぽく言っていたため誤魔化されたことに今更気付く。
アンジェラに目を遣ると、俺だけに聞こえるよう小さな声で「秘密ね」と口にした。
「北御門はよく刀を向けた相手と同席しようと思ったな。気まずくはないのか?」
「退魔師って国営ヤクザみたいなものだから、割り切ってるかなぁ。拘束した妖怪と話が合っちゃて困るみたいなことあったりもしたしね」
さらっと妖怪に対して武力行使経験があることを言うあたり、随分現実離れしたところまで辿り着いてしまったなと思ってしまう。つい一か月ほど前まで妖怪、精霊なんてものは空想上のものでしかなかった。今ではそれに囲まれて、もとい半神同士の喧嘩を見守ったり、妖怪を捕まえる退魔師と雑談したり、そいつらが行う会議をセッティングしたりしている。
妹起点のはずが、なし崩し的に俺を中心に回っている気がする。
俺自身は元々単なる怠惰でシオミン推しな大学生のはずなのだが。
「お、もう集まっとるやん」
樹神さんが応接間に入ってくる。
いや待て、俺。元々アンジェラがいればいいだけの会議だ。俺はもしかすると必要ないのかもしれない。
「俺は不要ですよね」
そう言って席を立とうとする。
するとアンジェラに袖を掴まれ、北御門も止めるために慌てて立ち上がり、樹神さんには呆れ顔をされた。
「アホちゃうか。君がおらんかったら進む話も進まへんで」
どうやら俺が巻き込まれること前提のようだった。