逃げるのが最適解
人生におけるプラスとマイナスは最終的にプラマイゼロになると誰かが言った。ならばここ最近、色々なことが起きてしまっているくせに碌なプラスがない俺の私生活にはいずれ大きなプラスが訪れるはずである。
バイト中にそんなことを言って久しぶりに出勤した桜庭にシオミンのプラチナチケットを催促したのだが「ここだけの話、エネミーが出るかもってことでライブスケジュール見直しされてるっぽいぞ」とマイナス方向な業界裏話を教えてくれた。
「うちのチームもエネミーが出た場合、配信をどうするかってマニュアルできたしな」
「大変だな」
「二回もエネミーと相対して生き残って、陰謀論の中心にされた人間よりは大変じゃないけどな」
電脳でのエネミー騒動後、関係各所から事情聴取を受けた。その事情聴取で、俺が先日あった大会でエネミーを打ち倒した者だと知られてしまった。隠すつもりもないため、ばれてしまっても問題はなかったはずだった。問題なのは、それを知った誰かが守秘義務違反を行い、あっという間に俺が世界の敵扱いになってしまったことだった。
そりゃあもう凄い設定のオンパレードだ。
なんでも俺は世界を裏から支配する組織の次期総帥、その組織で開発していたのがエネミー。世界を救ったという箔をつけるためにエネミーをわざと逃し、俺に打ち倒させる。これで俺は名実ともに英雄になり、次期総帥になれるらしい。ちなみにエネミーが自らの意思で逃げだして、この組織を明るみにさせるという目的があるパターンもある。どちらの展開でも妹と桜庭は、組織の息がかかった手駒扱いだ。
リアルの情報は漏れていないのが不幸中の幸いだろう。
「次期総帥がこんなところでバイトなんてするはずがないのにな」
呆れた顔をした俺に桜庭は言う。
「地下に組織の秘密基地があるのかもな」
「あってたまるかそんなもの」
世界の敵になってしまったことで、その象徴たる量産型アバターは日本に存在する電脳ではほとんど見ないものになってしまった。たまに見ても危ない人扱いで周囲から人が逃げていく。たまに近づいてくるのは狩り目的の輩のみだ。
量産型アバターで電脳に入り辛くなってしまい大変迷惑している。
「プラマイゼロっていうなら今宝くじ買えば当たるかもな」
桜庭の提案に俺は乾いた笑いが漏れる。
「知ってるかマイナスというものはそう簡単にプラスに覆らないからマイナスなんだ」
そう言った俺の視線の先には来店したモデルくんがキョロキョロと回りを見渡している姿があった。
モデルくんは俺の姿を見つけると早歩きで向かってくる。
「やあ。また来たよ」
心無い「いらっしゃいませ」で返すと桜庭が肘で突っついてくる。
「大学の有名人じゃねえか。なんで知り合いなんだよ」
小声で訊いてきたので小声で返す。
「知らねえよ。向こうから話しかけてきたんだよ」
目の前で行われるひそひそ話に、モデルくんは嫌な顔もせず「いいなぁ。僕もそういうのができる仲の友人が欲しいよ」と羨ましがられた。
桜庭が目を丸くする。
「いや、あんたは友人多いだろ」
「男子はみんな一歩引くし、女性はめちゃくちゃ踏み込んでくるから、一緒にいる人はいるけど丁度いい距離感の友人っていなくてさ」
「顔が良い奴も顔が良いなりの苦労してるんだな」
「わかってくれて嬉しいよ」
「でもどうしてこいつなんだ。こいつ以上にマシな選択肢なんていくらでもあっただろ」
「僕と違って自分に自信がありそうなところかな。僕って自信ないから」
「いや、こいつのそれは社会不適合者なだけだぞ」
俺をさし置いて、俺を褒めたり悪口を言ったりするこの場はなんなんだろうか。
「でも話しかける勇気は最初はなかったんだ。でも話しかける理由ができたからこの前から勇気振り絞ってみたんだ。だけど、まったく相手にされてなくて心が折れそうだったよ」
桜庭が「理由ってなんだ?」と問う。
モデルくんは人の良さそうな笑みを浮かべる。
「宗教法人天樹会。会長が君に会いたいって言ってるんだ」
純粋な善意からくる宗教勧誘。
大学生活の中でマルチネットワーク勧誘、反社会的勢力への勧誘と並ぶ三大断らねばならない勧誘の一つであった。