死ぬ気で生きた末路
またもや雑念が頭をよぎる。
取り留めのないそれらはあっちからこっち、こっちからあっちへと目まぐるしく形が変わっていく。他愛もないことばかりの頭の中。そこにふと影のことがよぎった。
どうすれば制御できるのか。
そんなことを考えた。
アンジェラは心に穴を空けた。ならその穴を塞げばいいらしいが、それでは力すら使えなくなる。ゆえに穴を開けたまま、制御できるようにしなければならない。
そんな方法があるのか。
あるものとして模索するしかないのが先駆者の辛いところだ。もっとも邪馬台国の先駆者は失敗したらしいが。
また考える。
心の穴とはどういうものなのだろう。
暇というものは恐ろしい。普段は抑えられる好奇心を抑えられなくなるのだから。
心を燃やすのと似た要領で心の輪郭を探す。水に沈んだガラス細工を探すように手探りで形を思い描く。感触を得た歪なそれを撫で回し、ついに心の穴に触れた。
――穴とはなんぞや。
それを考えておくべきだった。
身体に穴が空けばどうなるか。
当然、血が流れる。
つまり、穴とは傷口なのだ。
触れれば悪化するし、痛みも伴うものである。傷口が大きくなるのも当然だ。
悶えるほどの痛みが襲い来る。
身体は前のめりに倒れ、胸を抑え、痛みに耐える。
耐える中、心の奥底から込み上がるものを感じる。
影が表出し始めた。
隣で樹神さんが何か言っている。
耳鳴りで全く聞こえない。
どうにかしなければならない。
俺だけの力で。
表出した腕の一本が俺の首に手をかける。
息ができない。
それは懐かしさを感じる苦しみであった。
同じものを過去に味わっていた。
忘れかけていた、思い出したくもない過去を引きずり出された。
地獄のような中学時代。リンチされ、闇討ちで仕返した暴力で埋め尽くされたあの頃。馬乗りで首を絞められたことがあった。あの時と同じ苦しみだった。
当時は何を思って生きていたのだろう。
汐見に出会う頃には心は酷く摩耗していた。そう思えば心が悲鳴をあげていてもおかしくない。だが当時、そういった記憶はなかった。
思い至る。
心を殺していたんだ。
痛い。苦しい。心がそう声をあげる前に自ら心を殺し、声をあげる余地を潰していた。
触れた心が歪なのはひしゃげた末の形だったのだろう。
同じことをすればいい。
あの頃よりも上手く。
傷が残らないように心を殺せばいい。
真綿で締め付けるようにゆっくりと、流れを止めるように。
途端、影が糧を失い、形を液に落としていく。
同時に心が静かになっていく不思議な感覚に陥る。
人によっては穏やかとでも言うだろう。
人によっては退屈とでも言うだろう。
人によっては虚無とで言うだろう。
理性はあるのに感情というものが失せた。
水清ければ魚棲まず。
尋常の人がしてはいけない在り方であろう。
樹神さんの師匠が残した「心穏やかに」とはこういう意味なのだろう。心を押し殺し、無味乾燥の世界で生きること。さすれば心が荒れることはない。心を殺すという記載をしなかったのはきっとどこかで発狂するからであろう。だからそういう環境に身を置くことが望ましいとしたのだ。
この状態はいつ手元を間違えて心を握りつぶしてしまうかもしれないのだから。
「樹神さん、無我ではないですがこれで問題ないですか?」
樹神さんは一度俺の胸に手を置いて、心の中を覗いてから悩ましげな顔をする。
「それは影が溢れてどうしようもない時だけ使うようにしとき。他の方法ないか考えてみるわ」
危うい方法なのはお見通しなのだろう。
「お願いします」
「影が出なさそうなの見計らってその状態解き。戻れんようやったらこれで叩いて引き戻すから覚悟しいや」
空を切る警策が、今までで一番鋭い音を響かせた。