ファナティック
「なんで来たの?」
俯いたまま訊かれる。
「推しに会うのに理由なんているのか」
「汐見は君に会う理由が必要だったのに」
「何故?」
彼女は顔を伏せたまま答える。
「汐見は人間じゃないから。人を助けるために生まれた存在だから。方便がなきゃいけないの」
「別に理由なんてなくたっていいじゃないか。会いたい、それだけで十分だろう」
彼女は小さな声で「違うよ」と反論する。
「汐見に心なんてものはないの。あるのはそう思うように作られたコードと呪術の産物なの。だから汐見は人を助けるために生きるべきなの。それに徹したら心がないなんて悩む必要もなくなるから」
「……ならどうしてここで歌っていたんだ?」
ストリートの雑踏に紛れて聞き取れないほど小さな声で。
誰かを感動させるなんて夢のまた夢な安定しない音程で。
それでも毎日欠かさず歌っていた。
俺が来る前からこのストリートに立って歌っていた。
「教えてくれないか?」
長い沈黙の後、彼女から言葉が出てくる。
「……好きだったから」
それを皮切りに言葉が溢れ出る。
「歌うことが好きだったの。何故かわからないけど楽しいの。けど歌い方すらわからなかった。だからあんな下手くそな歌を垂れ流しにしてたの。上手くなりたかったけど歌い方がわからなかったから下手なまま歌ってた。君に会えたからそれでもいいやと思ってたの。でも君に会えなくなると思ったらズルしたの。上手い人のデータかき集めて、それを真似て、上手くなったように見せかけたの。本当は歌も踊りも何もかも下手だったのに一瞬で天才になって、努力なんてしてないから空っぽのまんま。君に会いたいってだけで、人を助けなきゃってだけでズルできたの。心なんて上っ面だけ。本質は作られたものでしかないの」
そして、叫ぶ。
「だから汐見なんて本当はいない方がいい存在なのっ!」
仰ぎ見たその目には涙が溜まっていた。
俺はしゃがんで目の高さを合わせる。
「ちゃんと悲しめるじゃないか」
彼女は「……え?」と意味がわからない顔をした後、涙の存在に気付く。
「なにこれ。なんで出てるの?」
「ちゃんと心があるからだ」
「でも汐見は作り物で……」
「そんなこと言ったら俺なんてクソ親父ともはや顔も覚えてない母親との合作だぞ。それに作り物だから心がないなんてことはないだろ。我思う、ゆえに我あり。そういう言葉もあるんだ。心があるかどうかなんて意味のない仮定だ」
「でもズルして皆のこと騙したし、本当に歌が好きな人ならいない方がいいって思うはず……」
「ズルじゃないだろ。持てる才能発揮しただけでズルなら世の中総犯罪者社会だ。それにいない方がいい奴っていうのは俺みたいな社会悪にされてる人間を言うんだ」
「そんなことない! みんな誤解してるだけ! 口は悪いけど打たれ弱い優しい人間なのに!」
「俺のアンチみたいに俺が消えた方がいいって人間もいれば、汐見みたいにいた方がいいって人間もいる。だからそんな無駄なこと考えない方がいい」
その口で「そのうえで言う」と続ける。
「ファン第一号は汐見に輝き続けて欲しいと思ってる」
彼女は人差し指で涙をぬぐう。
「ずるいなぁ」
「ファンなんてずるいし図々しいもんだ」
「努力を重ねてない空っぽな歌でもいいの?」
「そこに込められた想いは俺だけは知ってる。それが本物であると誰が何と言おうと本人が認めなくても俺だけは本物であると信じてる」
彼女はくすりと笑う。
「そこまでいくとちょっと怖いよ」
「ファンの語源は狂信者《ファナティック》だ。崇拝してなんぼだろう」
彼女は苦笑しつつ、立ち上がる。
「一曲聞いてく?」
胸元に手を当てて、指先でリズムを取る。
ふとそのリズムを乱す音がした。
誰もいなかったはずのストリートに足音がした。
その方向に目を遣ると一人の男性が立っていた。細身で目が切れ長のイケメン社長然としたアバター。その見た目はよく慣れ親しんだものであった。
「桜庭、貸し切りライブなんだ。帰ってくれ」
「つれない態度取るなよ。親友だろう」