プロローグ
「ブギィィィィ!」
眼の前には、醜いゴブリンが口に泡を溜めながら咆哮している。目を背けたくなる映像に、まるでヘッドアップディスプレイに映るように数式が重なって見えている。
5-(-8)
簡単な正負の減法。その難易度がヤツの魔物としてのレベルと=(イコール)であることは、これまでの経験からわかっている。頭の中で減法を加法になおす。
5+(+8)
思考をトレースするかのように、ヘッドアップディスプレイの数式は変形された。その瞬間、持っていた杖から緑色の閃光がゴブリンに向かって伸びた。緑の閃光はバッドステータスを付加するときの特徴だ。その緑の閃光を浴びたゴブリンは、電力の供給がなくなったテレビのように、ピタッと動きを止める。解へのアプローチが正しいときに発動する数術。
「クリアグリーン」
そう独りごちるまで、時間にすると3秒ほどだろうか。そして、解への最後の思考に入る。
5+(+8)
=13
ヘッドアップディスプレイが13を映した、その瞬間。杖から幾筋もの槍のような赤い閃光がゴブリン目がけて駆けていき、突き刺さる。動きを止めていたゴブリンは、断末魔の叫びも許されぬうちに白い光の粒になって消えていった。解が正しいときに発動する数術。
「グングニル」
解へのアプローチが丁寧であればあるほど、解に辿り着いたときの術は強くなる。ただし、術者が高い数学の能力を持っているほど、アプローチを省略しても術の強さは変わらない。極端な話、現実の世界で数学のドクターレベルの者なら、いきなり13と思考してもグングニルあるいは、もっと高威力の術がだせるというわけだ。今、カイが扱うことのできる攻撃数術の最高位がグングニルだ。もっとも、ゴブリン相手ならもっと低位の攻撃数術でもよいのだが、万が一その攻撃数術で仕留められなかったときは、肉弾戦に持ち込まなければいけない。弱って虫の息であるゴブリンではあるが、気に入っている杖が汚れる方が精神的ダメージが高い。だからカイは、一人で戦闘を行うときには、扱う数術でもっとも高位のものが自動発動されるように設定していた。
ヘッドアップディスプレイには、先程倒したゴブリンに応じた経験値が表示されている。ゴブリンが消えた後には、少し大きめのビー玉のようなものが転がっている。ゴブリンオーブだ。この世界では、魔物を倒すとその力を投射したオーブが残される。このオーブを利用して、水や火や魔力などをつくることができる。火力から電気をつくるように。
カイはそのオーブを拾いあげ、魔力を帯びた腰の革袋(幾何学模様がデザインされていて気に入っている)に入れた。その日、28個目になるオーブは、他のそれと触れあることなく革袋に吸い込まれる。魔力で中が異空間になっているからだ。
空を見上げると、太陽が低い位置にまで落ちてきている。
「やれやれ、そろそろ帰ろうか」
モンゴルのような広い平原に一人。沈みつつある太陽に向けて、カイはまた独りごちる。
「リホーム」
RPG系のゲームによくある帰還用の呪文を唱える。白い光に包まれたカイの姿は、もう平原から消えていた。