4 英雄と愚か者
本気の人たちの中でわざと手を抜くって逆に目立つ。
騒がしい場内をラップは咳払い1つで黙らせた。
「では実技試験の内容を発表する。諸君らには風読みレースを行ってもらう。コースを紹介しよう。着いてきたまえ」
ラップに促され全員で窓際に移動した。
窓の外には広大な中庭が見え、その空中にはフラッグが3本、一定の距離を保って設置されている。
「まずこちらのバルコニーからスタートし、庭園上空に設置した3つのポイントをタッチする。そのままターンしてここへ戻ってくる時間を競ってもらう」
思ったよりも単純な試験に、周りから安堵の息が聞こえてくる。
確かにこれなら年齢による知識のハンデや技術を問わず誰でも受けることはできるだろう。
さらにラップは話を続けた。
「この試験からは風読みのセンスや判断力を審査材料として見させてもらうが、シルリヤ様はただ優秀な者などは求めていない。タイムが遅くても気にするな。“風が愛した者を俺も愛そう”……シルリヤ様のお言葉だ」
風が誰かを愛するとはどういう意味なんだろう? あまりにも抽象的な言葉にぼくは狼狽えた。
風を読むことには個人差がある。それに長けている人のことを指すのであればタイムが遅くなることはあり得ない。
「それでは15分後に1人ずつ始めたいと思う。各自準備にあたってくれ」
意図をまだ掴めずにいても時間は進んでいく。
ぼくはワインドと準備運動を行い、スタート地点であるバルコニーからコースを確認した。
「この距離なら2、3分くらいはかかるだろうな」
ポイントとして立てられた3本のフラッグを、ワインドが宙でなぞりながらそうこぼすと、他の受験者たちが訝しげにワインドを見つめた。
(おいおいどう見ても5分はかかるだろ)
(あいつ図体からしてただもんじゃねぇよ、一体何者だ?)
受験者がこそこそと話す声を盗み聞き、同意見なぼくもこっそりと頷いた。
開始時間丁度になるとラップがまた戻ってきた。
「それではこれから試験を始めたいと思う。呼ばれたものはスタート地点に来いーー1番、ワインド」
「お。オレからか……では行ってくる」
1番に呼ばれたワインドは全く臆することなく、ぼくに微笑みかけてスタート地点のバルコニーへ向かった。
「よし。では、ブザーが鳴ったらスタートしてくれ。ポイントに立ててあるフラッグは少しでも触れれば発光する仕組みなのでそこまで強く叩かなくても大丈夫だ」
「わかった」
ラップは手に持っていた機械のボタンに親指をあて、「よーい」と言ったあとにその指を勢い良くボタンに押し込んだ。
ブォーーン、と独特な低い音が響くと同時にワインドが1歩空中へ踏み出した。
次の瞬間、第1ポイントのフラッグに黄色い光が灯った。そしてワインドであろう影ははすでに第2ポイントへと向かっている。
その素早さに受験者だけではなく、ジャッジをする側のラップでさえも驚きの表情を隠せなかった。
ぼくだって市場の時に彼の凄さは知っていたはずなのに、改めてワインドのずば抜けた才能に呼吸をすることも忘れただただ魅入ってしまった。
その間にワインドは最後のフラッグも発光させてまたバルコニーへと帰ってきた。
ワインドがゴールするとラップの隣にホログラムでタイムが投影された。
「ワインド……1分16秒……」
「う、嘘だろ……」
驚きのタイムに誰かの口から自然と言葉が漏れ出る。
というより、ワインドがさっき目測で2、3分って言った癖にその半分の時間でゴールするなんて! もしかしてあれって嫌味?!
「ふぅ」
一瞬で会場のスーパースターとなったワインドが涼しい顔をしてぼくの隣に帰ってきた。
「強い風もなかったから走りやすくてラッキーだったよ」
確実に運だけではないが、ワインドの言葉の中には嫌味成分などは1%も混ざっておらず、これが彼にとっての当たり前なのだと認識する。
正直めちゃくちゃかっこよい。
これ、もう付き人はワインドで決定で良いじゃん。
「では、続いて」
気を取り直してラップが次に名前を呼んだのはぼくだった。
まさかの2番手にぼくはその場で固まってしまう。
「おお、出番だな……緊張する時は深呼吸してみたらどうだ?」
ワインドの提案に乗りぼくは深く深呼吸をした。
彼の励ましがぼくの背中を押してくれる。
でも、ごめんなさい。ぼくは今から最低なことをします。
「よし、位置についたな。それでは始めるぞ」
先ほどと同じようにブザーがなりスタートの合図が切られた。
ぼくはそろりと風の道へ足を乗せた。
会場がざわめく。
それもそうだ。ぼくがただやる気なく空中をゆっくり歩いているからだ。
1つ目のフラッグをゆっくりとタッチする。
そして次のフラッグを目指している途中で運悪く強風が吹いた。
「あっ」
ぼくの身体は風に煽られ、風の道から足を踏み外して落ちそうになる。
この高さから落ちてしまうと、受け身をとれたとしても大怪我を負うことになるだろう。
その時、ラッキーなことにぼくを支えるように反対からまた大きな風が優しく吹いた。
身体が持ち上げられている間に安定のとれる足場を探してぼくはなんとか空中にとどまることができた。
ようやくゴールのラインを越えて戻ってくると、周りのぼくを見る目はひどいものだった。
まず1番近くにいるラップの顔が恐い。般若のような表情で直視できない。
「貴様……いや、やる気のないものにかける言葉はない。結果が出るまで外で頭を冷やしていろ」
ラップに言われた通りぼくは出口に向かった。
途中口々に他の受験者がぼくを非難する声が聞こえてきた。
「あいつ何しにここへ来たんだ?」
「ガキが……王の付き人なりたいやつがどれほどいたと思ってんだ」
作戦通り……作戦通りではあるので誰に何を言われても特にショックは受けていないんだけれど、ぼくはどうしてもワインドの方へだけは顔を向けることができなかった。
ぼくのことも応援してくれた人に不真面目な姿を見せることは、知らない人達から罵倒を受けることより何よりも心苦しかったからだ。
ぼくが歩いている間にも試験は進んでいく。
ラップの次の挑戦者を呼ぶ声や、受験者たちが発する声援に押し出されるように、ぼくはそっと廊下へと逃げ出した。
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