2 直線で迷子にはならない
外に出かけることなかったからそれだけは楽しみ。
付き人選考会の日、生まれてから今まで王宮へは行ったことがなかったので、ぼくは両親についてきてもらうことになった。
ぼくたちが留守のあいだ家や畑は、隣に住んでいる家族が見てくれるらしい。
出発間際に隣の家族含めたくさんの人から声をかけられ、ぼくは恥ずかしさで顔が上げられなかった。
両親とぼくはまず住んでいる町から汽車に乗って城下町へ向かうことにした。
この国の汽車は風の道を辿って走るため、ノンストップで走り続けている。
止まらない汽車にどうやって乗り込むのかというと、通りがかったタイミングで飛び乗るというなんともワイルドな乗車方法だった。
汽車待ちをしていると、ぼくたちの隣に近所に住む90歳のおばあちゃんが杖をつきながらやってきた。
この日は薬をもらうため病院に行くらしく、汽車が来るとぼくたちは同時にぴょんと飛び乗った。
まだうまく風読みができないぼくは、どたんと汽車の床に尻もちをつきながらなんとか乗り込んだが、そんなぼくの隣でおばあちゃんは風に包まれながら軽やかに着地を決めてみせた。
「ほっほっほ。まぁ焦らなくても坊っちゃんは大丈夫だよ」
おばあちゃんはそうぼくに言って、空いている席を探しに車内の奥へと消えていった。
さっきのぼくの何を見て大丈夫だなんて言うんだろう……。
後から続いて乗車した両親とぼくは、空いている4人がけのボックス席を見つけそこに腰掛けた。
車内販売のお弁当を買ってもらい、空からの景色を眺めて過ごす時間に、すっかり乗車の時の失敗は忘れてぼくは汽車の旅を楽しんだ。
城下町へ着くと、車掌のアナウンスが入り、僕たちはまたタイミングを見計らって汽車から飛び降りた。
今度は何とか尻もちをつかずに地面に着地できたので、ぼくはほっと息を吐き出した。
そして汽車は止まることなく、さらに先にある街へと見えない道を走り、すぐにその姿は見えなくなった。
ここから王宮までの道のりは直線で、道中には市場があるらしい。それもぼくたちの住む町とは違い、大勢の人が行き来して活気を帯びているんだ。と父が教えてくれた。
初めて見る大規模な市場に、ぼくの首が忙しなく動くのも仕方のないことだった。
屋台にはぼくの見たことがないものが所狭しと並んでいる。七色に発光するフルーツに鳴き声が聴こえる動物の絵画。さらには膨らみ続けるパンなんてものもあった。われないのかな? と見ていたら、店員たちが5人がかりでパンをちぎり続けて大きくなりすぎないようにしていた。ちぎられたパンの方は膨らまないらしく、それをお客さんに渡している。
試験の時間まではまだ余裕があったので、ぼくたちはゆっくりと不思議な屋台を見物しながら進んだ。
暫く歩くと真横からとても甘くて美味しそうな匂いがして、ぼくは足を止めた。
その屋台には1枚の厚みが10cmはあるだろうふんわりとしたパンケーキが並んでいた。看板には“空気のような食感!”と書かれていて、さらに興味がそそられる。
甘いものが大好物なぼくは両親にせがもうとして辺りを見回したが、2人の姿はない。どうやらぼくが立ち止まったことに気が付かず先へ進んでしまったようだ。
2人とはぐれてしまったとはいえ目的地はわかっているので、このまままっすぐ進めば必ずどこかで出会うだろう。
楽観的なぼくは特に不安はなかったが、目の前のパンケーキはどうしても食べてみたかった。しかし無一文のためその場に立ち尽くしてしまう。
あわよくば両親が戻ってきてはくれないかと期待するが、少し経っても残念ながら現れない。
そろそろ諦めるしかないと思ったところで、ぼくの隣に背の高い男性がやって来た。
「これください」
ぼくが喉から手が出るほど欲しいパンケーキを颯爽と現れて注文した男を、ちらりと横目で観察する。
彼は20代前半くらいの若い男で、黒髪短髪にがっしりとした体格、きりっとした眉毛がかっこよかった。
そんな彼が店の店主からパンケーキを受け取り、その場でフォークで器用に一口大に切り分けてパンケーキを頬張った。
静かに長く咀嚼を続けるので、ぼくは思わず男の方に視線を向けてじっと見守った。
「うまいな」
ようやく口を開いたかと思うと真顔を一切崩さずそう呟いた。
うまいならうまそうなら顔をしろよ。とジト目で彼を見ていたら、急に男は俺の方へぎゅるんと顔を向けてきた。
視線が絡み合う。
男の表情はパンケーキを咀嚼していたときと変わらず無表情だ。まるでロボットのような男だとぼくは思った。
「良い天気ですね」
まさか初対面の男にそんな話題を振られるとは思わなかったぼくは、ぽかんと口を開け返事もすることができなかった。
何もリアクションを返さないぼくに、男は首を上半身ごと軽く横に倒しながら不思議そうにしながらも、さらに声をかけてきた。
「君、迷子? 迷惑でなければ一緒に親御さん探そうか?」
その言葉に完全にぼくが幼い子どもだと思われていることに気がついた。かああと頬が熱くなるのを感じる。
ぼくはすぐにぶんぶんと頭を左右に思い切り振り、迷子ではないことを告げた。
「そうか。すまない、余計なお世話だったな。ではおれは用事があるからもう行くな」
男は謝罪を述べたあと、ぴょんとその場で軽くジャンプをした。
するとそのまま風の道に乗り、屋台の上まで身体が浮く。そしてもう一度宙に浮いたまま足を蹴ると、あっという間に男の姿は遠のいて見えなくなった。
「坊っちゃん。はいよ、お待たせ」
男の飛んでいった方向の空をぼうっと眺めていたぼくに、パンケーキ屋の店主が紙皿を渡してきた。
その上にはぼくが食べてみたかったふんわりふくらんだパンケーキが乗っている。
「さっき飛んでった兄ちゃんが代金を置いてったよ。坊やに渡してくれってな」
ウィンクをしながら店主が男の粋な計らいをぼくに説明してくれた。
見知らぬ男から何故かパンケーキを奢られたぼくは、店主に返品することもできず素直に好意に甘えることにした。
念願のパンケーキを一口サイズに切り分けて口へ運ぶ。
舌の上に乗ったそれは歯で押し潰そうとしたが、歯ごたえというものを与える前に溶けていった。
後には生地の甘みが口いっぱいに残っているだけだ。
この不思議な食感が気に入ったぼくは、咀嚼しながら屋台を離れ、両親と再会すべく、目的地へ進むことにした。
ここまでお読みいただきありがとうございました!