1節12項 その涙の理由は その1
「ねぇ、お父さんはいつかえってくるの?」
「さぁねぇ」
「お父さんにはいつあえる?」
「さぁのぉ」
幾度も尋ねていくうちに気づいた。祖父母の言葉の裏に、ひどく悲しげな気持ちが宿っている。
「ねぇ、お父さんは、ほんとはどこにいったの?しってるんでしょ?」
「……そうさねぇ」
「おじいさん、やめなさい」
ようやく祖父が別の答えを返そうとして、祖母が止めた。
「いんや、いつまでも知らずに待っているというのも、悲しい話じゃろう」
「そうは言いますが、おじいさん」
「しん……じゃったの?」
膨らんだ不安が、抑えきれない気持ちが、涙となって目じりからあふれてくる。
私のお父さんは、冒険者だった。強くてカッコいいお父さんだった。
いつ居なくなるかも分からないと聞いていたから、帰ってくるたびにいっぱい喜んで、別れるときにはいっぱい泣いて、そして待っているときにはいっぱいお父さんの事を聞いた。
そして、今回は、いつもよりいっぱい、待っていた。
「マユちゃん、よく聞きなさい」
お爺ちゃんは、静かな声で告げる。
「お父さんはね、魔物になったんじゃ」
「まもの……?」
魔物とは、お父さんがいつも戦っている相手だ。
「お父さんも、悪い人に、なっちゃったの……?」
「いいや、魔物になったってお父さんは変わらない、良い魔物さ。じゃが……魔物と言うのは、竜脈の側を離れられん。お父さんは竜脈に気に入られて、捕まってしまったんじゃ。だから、こっちには戻ってこれないんじゃ」
「じゃあ……じゃあ、マユがあいにいく!」
「だめじゃ。今のお前には危険すぎる」
「でも……」
「心配なさんな。お父さんは、魔物の隠れ里とかいうところで、仲間と一緒に暮らすと言っていた。きっと、あっちでうまくやっておる」
「あえないの?」
「少なくとも今は、だめじゃな」
お父さんに会いたい。
その気持ちが抑えられなくなった時、私は街を飛び出した。
不安はすぐさま大きくなって、私の気持ちの大半を覆った。楽しい気持ちなんてすぐにしぼんだ。でも、一度動き出した足は、後ろには向かなかった。
私は隠れ里の場所なんて知らなかった。私はこの街しか知らなくて、だから、外に出さえすれば、街の外に居るというお父さんに会えるんじゃないかって思っていた。
隠れ里どころか、人間すら見つからなかった。
人のいない森の中を、途方に暮れて歩いていく。戻るという選択肢は頭の中に無かった。
どれくらい経っただろうか。とっくに日は暮れた。足が痛い。
「……あ」
森の中に明かりが見えた。引き寄せられるように向かう。
そして、大きな狼に会った。橙の明かりが、その白っぽい毛皮を照らす。
「……あっ、あっ」
狼は、悪い魔物だ。お父さんが自慢気に、狼と戦った事を話してくれたことを覚えている。恐怖に頭が真っ白になる。
「ナニモノダ」
「え……?」
その魔物は、なんと人の言葉を喋った。
「お父さんを……お父さんを、探しに」
「……」
その魔物は、私を襲いもせず、深く考え込んでいるようだった。私を食べないのだろうか。暗闇だし、狼だし、何を考えているかは分からなかった。
「ツイテコイ」
「え?」
「ヘンナモノガウロツイテイル」
あなたではなくて?私でもないのかな。
「イイカラコイ」
不思議と、恐怖は消えていた。
「マユはね、マユっていうの。あなたは?」
「マ……ユ……?」
彼は途端、凍り付いたように私を凝視した。彼の首に掲げた灯りが、ちょうど私の顔を照らしたくらいだった。
「どうしたの?」
「……」
もしかして私を食べたくなった?狼人間とか言う、満月の夜に豹変する魔物のお話を思い出した。
「……?」
「……イヤ、ナンデモナイ」
うん?私の顔に、何か変なものでもついていただろうか。
彼に連れられた先にあったのは、遺跡だった。
「ココデマッテイロ、マユ」
「どうして?」
「イマハアブナイ。カクレテイ——」
「ィヒヒヒ!!」
薄気味悪い笑い声が聞こえた。同時に、白い靄のようなものが飛んできて、私を包み、染み込んでいく。
「ナッ!オイ、マユ!!マユ!!ダイジョウブカ!!」
途端に、きもちわるい眠気が押し寄せる。まぶたが開けていられない。その場に座り込む。
「ィヒヒ!!ダイジョウブカー?」
「キサマァッ!!」
彼が、それに立ちはだかるように、私の前に立った。ついに座っても居られず、彼の胴体に顔を埋めるように倒れこむ。
そして、肌をくすぐるふんわりとしたその毛皮から、懐かしい匂いがした。
その瞬間に悟った。全てが分かったわけではない、不意に襲った白い靄も、気持ち悪い眠気も、知らない声も、分からなかったが。
そうか、そうだったんだ——。
まぶたを開く。入ってくる光の強さに、思わず目を細める。
そして思い出す。ついさっき……ついさっきなのだろうか?長い間、とても長い間、眠っていたような気分だ。とにかく、目を閉じる直前の事を、思い出した。
それは、長い間眠っていた私が見た夢の一つと、もしかしたら間違えたかもしれないと、不安になる。
けれど夢じゃなかった。目を覚ましても、その温かい毛皮は、懐かしい匂いは、私を守るように包んでいた。姿かたちは変わっても、間違えようもない。
「お父さん……!」
ただその温もりに抱き着いて、喜びの涙を流した。