1節9項 里の異変 その3
あぁ、イライラする。あんな奴ら、早く殺してしまいたいのに。
奴は何を考えている。人間を引き取り、あまつさえ俺から遠ざけて。名前も、これだけ時間が経ってまだ一部しか取れていない。
しかし今、男の方は寝込んで倒れているらしい。今なら名前を聞き出せるかもしれない。殺せるなら殺してしまってもいい。
そろそろ我慢の限界だった。鬱憤が爆発しそうだった。何かしていなければ、到底この気分は治まらなかった。やはり耐えるのは性に合わない。
しかし迂闊に動いてしまえば、すぐにでも俺は奴に殺される。
そういう取り決めだった。生き延びるためには、耐えなければいけない。けれど、それはようやく終わりそうだった。
いつもながら寂れた里の道を、ひとり歩いていく。
「すみません、お見舞いに来ましたー!誰かいらっしゃいませんかー!」
しんと、奴の家は静まり返っている。返事が返ってくるような様子はない。
……はて、おかしい。少なくとも、女の方は家に戻ったはずだ。
と、後ろから物音がした。振り向くと、男の方が立っていた。
「あぁ、フウさん。もう出歩いて大丈夫なのですか?」
折角の好機だったのに。逃したか?
しかし、何やら様子がおかしい。黙って、俺の方をじっと見る。
「先ほど、しずくさんにお見舞いを渡したのですが、お食べになりましたでしょうか」
ピクリとも動かず、そう、まるで睨むようにこちらを見る。
「あの……」
「もういい」
「はい……?」
「少女に呪いを変えたのはお前だな」
「……」
「お前が“呪鬼”だ」
………………ふふ。
そこまで知っているのなら、もう全部ばれテイルダロウ。
「どうやってそれを知ッタ?」
「……」
「それにホカノ二人はドウシタ?アイツは、ガルナは?」
それを聞くト、男は苦虫ヲ噛み潰したヨウニ顔を歪めた。
「……まさか、殺シタのカ?」
否定は返ってコナい。……ふふ、本当に?
「……仕方が無かった」
押シ殺しタヨウな声デソウ言った。
今、何ト言ッタ?
「ふフ。あはは」
仕方、ナカッタ?トイウコトハ、殺シタ訳カ?
「あは、あはは、あはははははハハハハハハハ!!!」
笑イガ零レル。
「ハハ!アレダケ世話二ナッタノニ!殺シタノカ!」
「黙れ」
「アハハハハ!!ヤッパリ人間ㇵ醜イナァ!!面白イ!!」
ソイツハ黙ッテ剣ヲ構エル。血デ濡レタ剣ヲ。
ハァ。オ陰デ、里ノ障害ハナクナッタ。ヤット自由ダ。残ルハ、コノ雑魚ダケ。
ドウセ最後ダ。セイゼイイタブッテ遊ボウカ。
*
血で濡れた剣を構える。
「イヒ!アハハ!アハ、アハハ!アハハハハハハ!!」
耳障りな音が鼓膜を震わせる。
自分からは仕掛けず、ただ奴の出方を待った。奇襲でやれるのならやっておきたかったが、そうは出来ない事情があった。
ゴウと、耳元で風が鳴る。咄嗟に傾けた頭の横を、太い腕が突き抜けていた。
速い、これで隠居中かよ!腐っても元冒険者、身体能力は格段に高い。
剣を振ると、奴は体を退いてかわす。まぁ避けられた。奴が腕や足を振るい、時に剣で受け、かわし、牽制しながら立ち回る。
奴は素手、俺は剣、けれど状況は拮抗していた。相手が丸腰で本当に助かった。
そのまま避け続ける。ひたすら避けるしか手は無い。
やがて、
「オ前ウザイナ」
奴は、苛立ちを露わに言い捨てる。
「イイヤ、モウ死ネ」
奴が腕を前に構えた。来る。
奴の口から、まるで意味の捉えられない言語が漏れ出る。“フウ”とだけ聞き取れた。
ぶわりと、奴から白い霧が噴き出す。それはこっちに向かってきて——
っまずい!これで発動するのか!避けようにも追尾してくる。剣で斬っても払えなかった。
そして、穢れたその霧は、俺の体を捉え、染み込んだ。肌が粟立つ。大量に埃を吸いこんだような、排水溝に顔を突っ込んだような、おびただしいほどの不快感が全身を襲う。
永遠のように思えた一瞬の後、しかしそれは俺の体の後ろへと通り抜けていった。進路をひるがえし奴の元へ戻って行く。
「ナッ!?」
奴の身体を白い霧が纏う。
「ガァァアアアッ!!」
その霧は全て奴の体へと吸い込まれ、染み込んでいく。今度は通り抜けていかなかった。どうやら、上手くいったらしい。
“呪い返り”。不発した呪いは、発動者にそのまま返る。これをずっと狙ってひたすらに避けていたのだが、まさか俺の方に飛んでくるとは思わなかった。
体を通り抜けた時は生きた心地がしなかった。
奴はその場にうずくまり、苦しみ、のたうち回る。そして霧に押し出されるように、小さな姿が飛び出した。穢れた白は、跳び出た体の方に全て移り、操り糸が切れたスティルがその場に倒れる。
薄汚れた灰色の布切れ、くりぬかれ落ち窪んだ目と口らしき三つの穴。穴の向こうはどこまでも暗く、先がない。
あれこそが“呪鬼”の正体。スティルに憑りつき、少女らの姿を歪めたこの里の異変、その元凶。
「ナゼッ!!ドオシテッ!!」
そして、その体を穢れた白が侵食していく。
「残念だが、俺の名はフウじゃないんでな」
“フウ”は、あくまでしずくが付けた渾名だ。本名に“フウ”の音は無い。ガルナに“フウ”と紹介され、適当に流したのが役に立つとは思わなかった。
あの小さな体、呪いで弱体した状態なら、今の俺でも倒せるはず。もう容赦はしなくていい。剣を向ける。
「ヨコセッ!!ナヲヨコセッ!!オマエノホントウノナヲッ!!」
「誰が教えるかよ」
……中々に素早い。剣を振るう度、その体が滑り抜ける。斬っても斬っても、舞い散るのはほんの切れ端だけである。中心が捉えられない。
「ハハ!ハハハ!アハハハハハ!!」
耳障りな声が頭に響く。
「オマエモ!ミチヅレ!!」
……どこか、身体の動きが鈍っていた。
奴の言葉に自分の体を見ると、燃え尽きるように、身体の端から白化していっていた。城に覆われた部位は、力が入らない。
呪いを躱しきれていなかった。不完全にも、発動していたようだ。
これは確か即死の呪い、不発のせいか進行速度こそ遅いものの、呪いは確実に体が蝕んでいく。
……まずい、奴を早くし止めなくては。体は鈍るばかりで、致命打が当たる様子はない。
しかし、呪いが進行しているのは奴も同じだ。そのぼろきれも穢れた白に侵食され、奴もまた、徐々に動きが鈍っていく。
俺が力尽きるのが先か、奴がくたばるのが先か。そして、このままでは、たとえ先に奴を倒せたとしても、俺は呪いで死ぬだろう。
「加勢する!」
「っガルナ!お前!」
俺と入れ替わるようにしてガルナが奴へと近づく。
「フウ君!」
「出てくるなっ!」
大きな本を抱え、しずくが姿を現した。
*
「何をやってる」
間に合った……か?
ガルナの家で目を覚ますと、周りにしずくは居らず、急いで遺跡へと走りガルナを呼びに来たところだった。
けれど様子がおかしい。遺跡の暗闇の中、振り返ったガルナは鬼気迫る勢いだった。
部屋の中央に、ぼんやりとした白い塊があり、その前にしずくが立っている。
「……ま、待ってフウ君!」
なにか、状況が動いたのだ。しずくが何か、もしかしたら目の前のそれかもしれないが、見てはいけない何かを見つけ、それにガルナが気づいた。
先に、確認しなければいけないことは一つ。
「一つだけ聞く。ガルナ、お前は……俺たちの味方か?」
しばらくの沈黙を挟み、そして彼は、重たげに口を開いた。
「……味方じゃない」
剣に添えた手に力が入る。一挙一動を見逃さないよう気を張り詰める。
「……だが」
ガルナは続けた。
「敵でも、ない」
そう言い切った。
……はぁ。ひとまずの警戒を解く。
「しずく、とりあえずこっちに来い」
ガルナの様子を見ながら、その前を通り過ぎ傍に来る。ガルナは、それを眺めるだけだった。
「説明してもらうぞ、“黄鬼”ガルナ」
その単語に、ガルナはピクリと眉が反応する。
「……説明する義理は、あるカ?」
「無ければ無理やりにでも」
「フウ君?」
「冗談だ。戦うつもりはないが……まぁ、自衛の為の情報くらいは聞かせてもらうぞ」
剣を鞘に納める。
「……何故剣を手放す?味方じゃないと、言ったはずダ」
「敵でもないんだろ。それに言っただろ。お前にやられるなら、最初の夜にやられてる筈だって」
「あの時とは状況が違う」
「かもな。だとしても、お前は俺たちに危害を加えてこない。多分な」
「……何故ダ?」
ガルナは厳しい表情を保ったまま、懐疑的な目を向けてくる。
「ま、世話になったからな」
「今にも斬りかかりそうだった癖に」
しずくが口を挟む。
「……まぁ、そりゃ、お前が襲われてるように見えたし」
「ガルナは手ぶらだったし、警戒しなくても大丈夫だったよ」
「お前の軽い頭なら素手でも潰されるだろ」
「なにおう?」
「それに……お前も怯えてたし」
「……そりゃ、ガルナがホラーみたいな登場の仕方がするし」
「オイ!」
ガルナが声を荒げ叫んだ。
「何を気を緩めてんダ!オイラは本当に……オマエらを、襲うつもりで、殺すつもりで!ここに来タ!」
「んー、まぁ、大丈夫なんじゃないかなぁ」
「だ、大丈夫って……!そんなわけ無いダロ!」
しずくは、ガルナとは対照的に、静かに返す。
「大丈夫だよ。現にガルナは、私たちを殺さなかったわけでしょ?今までずっと、そのチャンスはいくらでもあった。けど、そうしなかった」
「それ、は……」
「しずくが大丈夫っていうんなら、まぁ大丈夫なんだろ」
色々言ったが、俺の判断基準は実はそれだけだった。しずくが気を許した相手である。彼女は人を見る目だけは確かである。
そのやり方で、今まで失敗したことも無かったから。
「話せよガルナ。“蚕の少女”を見て、大体の事情は把握してる。この里で何が起こった事か、お前が何を知っているのか、全部話してみろ」