駆け出す
エラの送迎以外は商店街と職業斡旋所しか知らない私。
貴族で学生だった時はもっぱら貴族街にしか行かなかったので、ソフィアと共にウォーレンさんに実地で地図を叩き込まれることになった。まあ、叩き込まれると言っても紳士なウォーレンさんなので取引相手の商会の場所を案内しつつ、どんな商会か説明を丁寧にしてくれる。
午後はエラの迎え時間までの青空授業だ。
ちなみにつぎはぎではないワンピースを新調した。タスタット商会再始動するにあたり、お使い程度でもつぎはぎ服はいただけない。ということで街歩きに馴染み、悪目立ちもしないワンピースである。
「今日のところはここまでにしましょう。だいぶ歩きましたがお疲れではありませんか」
「平気です、と言いたいところですが少々疲れました」
「私も少しだけ」
エラの送迎でだいぶ歩いていたつもりだったが全然足りなかった。ウォーレンさんは私たちに合わせた速度で歩いてくれたので、予定していたより授業は進まなかっただろう。申し訳ない。
あ、ソフィアの頬が少し赤い。何か飲み物を持ってくるべきだったな。
「では、そこのカフェでひと休みいたしましょう」
「「え」」
「エラ様の迎えまで時間はありますし、この歳になると水分補給も大事らしいので、お付き合いいただきたいのですがよろしいでしょうか」
とにこりとするウォーレンさん。なんとなんと、さすが紳士。
「エルマーの話では、最近『センチャ』と言う緑色のお茶がメニューに加わったそうですよ」
「えっ」
「緑色、ですか?……どんな味か想像できません」
「でしょう。エルマーも飲んではいないようなので、三人で試してみましょう」
「まあ……ウォーレンさんはそんな冒険をしないと思っていました」
「これでも商人の端くれですから、若い頃はお嬢様方の三倍は色々と食べたり食べさせられていましたよ」
「まあ!そんなに食べるウォーレンさんも想像できません、ふふふ」
『センチャ』に驚いている間にウォーレンさんとソフィアは和やかに会話を続ける。
えー、ほんとに『煎茶』……?
「お姉様、行ってみたいです」
「そ、そうね、私も試してみたいわ」
「では参りましょう」
カフェのドアを開けて押さえ、ナチュラルに私達を店内へ促すウォーレンさん。素敵。店員さんもすかさず空いている席に案内してくれた。
店内は女性客が多く、でも雰囲気はキャイキャイしておらず、しっとり穏やかだ。一人で来てもゆったり落ち着けそうである。へー。
メニューから『センチャ』と、ソフィアと私にはウォーレンさんが『本日のケーキ』を頼んでくれた。
久しぶりに煎茶と聞いたので和菓子を期待してしまったがないものはしょうがない。それに前世日本の食事事情は和洋折衷どころか常に世界万博だったし。いまさらだわ。
「ウォーレンさんも甘いものをいかがですか」
「毎日お嬢様方が焼いてくださるお菓子で充分ですので」
「お、お粗末様です……」
プロの作った物の方が絶対美味しいのに。……あ。
「もしかして、手持ちが足りませんか?」
恐る恐るこっそり聞くと、ウォーレンさんは小さく噴いた。
「ご心配なく、充分に持ってますよ、ふふっ」
「し、失礼しました」
「いえ。話によると『センチャ』は少々苦いらしく、女性はデザートを一緒に頼んだ方が良いそうです」
「なるほど」
ということは抹茶かな?
海外のものの名称や調理方法が正しく伝わらないことも多いし、どんな様子で出てくるかと思っていたら、紅茶のようにカップとソーサーで出てきた。湯呑みと急須じゃなかったのは残念。
本日のケーキは果物が乗ったタルト。うわ美味しそう!
しかし。
「う……わぁ……本当に……緑……ですね……」
「想定以上に濃い色です……」
「……」
お抹茶ではなかったが、濃いめの緑茶だった。どうりでポットがないわけだ。
……苦そう……うん、これは苦いな、きっと。ウォーレンさんすら慄いているし、ソフィアは声も出ない。
でも久しぶりの香りに、いただきますとさっそく手に取り一口飲む。
「……ふっ、ふふっ、少々どころじゃないくらい苦いです」
苦いと言いながら笑う私を困惑顔で見つめる二人。
「夢で飲んでいたお茶に似ています」
「え!」
ソフィアとウォーレンさんの目が丸くなる。
「夢ではもっと薄い色で、これよりはさっぱり飲めました」
「夢の中の飲み物……そういう事って、あるのですね……」
そうして口をつけたソフィアは、目を白黒させ急いでハンカチを取り出して口を押さえ、そしてなぜか笑いだした。
「ふふっ、私が淹れるより苦くて渋い飲み物があるなんて、ふふふ!自信になりそうです」
今度はウォーレンさんと私が笑った。お店の人に見つからないように小さく。
そして、フルーツタルトを美味しくいただきながらどうにか飲み切り、カフェを出る。
「あ、センチャも茶葉はここで買えるのでしょうか」
「おそらく購入できます。ただ、輸入品なので少量になるかと」
せっかくなので家でも飲みたいと思ったけど、そういえば輸入品でした。お高いよね。
「そっか輸入品……ではまた今度にします」
「今購入されても大丈夫ですよ。次ではなくなっているかもしれませんし」
人気が出れば次に来たときに安くなっているかもしれないが、ウォーレンさんはどうやらそこまでのお茶ではないと判断した様子。確かにあれじゃ砂糖やミルクを入れたとしてもネルもアンも飲めないだろうなあ。
……ん〜……よし、お言葉に甘えて今買ってしまおう。
と思った時、少し遠くからソフィアの「おねえさま〜!」という叫び声が。
「え」
治安が良くなってきたとはいえ、護衛さんがいない今、何かあった時にとにかく大声を出すというのが私たちの共通認識になっている。
以前元父親に拐われた時、予測していても声は出なかった。
恐怖で声が出ない。だが、声が出たとしても危険度は変わらないか、むしろ上がってしまう。
それでも、助ける早さが段違いだ。
声さえ出れば。
前より増えた見回りの騎士か自警団員に届く。または、聞いた誰かが助けを呼んでくれる。
『だから、いつも使う呼びやすい単語でいいのよ』
お母様のその教えに、妹たちの警戒文言は『おねえさま(ねーさま)』に固定された。なぜだ。
「ソフィアっ!?」
そばにいたはずなのに。
日常では呼ばれても叫ばれるはずのない単語。
ザッと声の方を振り向くと、何人かの通行人もそちらを見ていた。
「ソフィアっ!」
駆け出す。




