やっぱ天使なんじゃなかろうか?
ふと見ると、ネルとアンはソフィアとお母様のスカートに張り付いていた。
うあ、しまった。大人男性のケンカなんて怖いよね、と思ったのだが、ケンカが気になるのか二人は階下をじっと見ている。そんな二人の目線に合わせてしゃがむと、ネルが手を伸ばしてきたので抱きしめた。震えてはいないようだが。
「怖いからお部屋に行こうね」
「ううん、たたかれないならいい」
ネルの言葉に背すじが冷えた。
すかさずエラが私の隣にしゃがむ。
「お父様も皆もネルとアンを叩いたりしないわ。あれはね、ケンカだけど、お父様たちのお仕事なの」
ネルだけでなく私たちもエラの言う意味がわからず首をかしげた。そこへウォーレンさんが苦笑とも呆れともいえない表情で教えてくれた。
「ああやって喧嘩になってしまいますが、経営について本音が出やすいのですよ。先代がそうでしたので直す機会のないまま今に至ります。再婚を機に止めてみたのですが、まあ……ストレスで足並みが乱れました」
そこへ社長行方不明事件発生。遺体が見つからないために商会では誘拐事件に切り替えて外回りのついでに情報を集めたが驚くほど拾えない。身代金を要求されることもなく焦りばかりがつのり、後妻の無駄な買い物とひどい経営手腕にさらに苛々する日々。
ウォーレンさんは説明しながら小さく息を吐いた。
「うっかりでも、奥様たちに危害を加えてしまうわけにはいきませんでしたので、出張と休暇を兼ねて外に出しました」
出張と休暇……辞めたんじゃなかったんだ。
「その費用は奥様たちの失敗した取り引き額に上乗せしました」
ええっ!?
ガン見すると、ウォーレンさんは黒い苦笑を浮かべていた。
「エラ様への態度もさすがに腹に据えかねましたし、経営については素人には余計な事をせずに大人しくしていただきたかったので」
あああああ黒歴史ぃ……
「少し反省していただければとは思いましたが……」
あぁ、ウォーレンさんが苦虫を噛み潰したような顔で遠くを見ている。土下座トラウマ植えつけてごめんなさい……
「その後は、ふふっ、長生きすると本当に色々な事に遭遇しますね」
ウォーレンさんはネルとアンのそばに膝をつくと、二人の頭を優しく撫でた。
「なので、実はゾーイお嬢様が想定さなっているよりも商会の負債は少ないのです」
え。ええええぇ……
「従業員は揃いましたし、下働きをせずともいいのですよ」
にこりと微笑むウォーレンさんから全然圧を感じないので嘘ではないのだろう。商会のために下働きをするのは罰であり恩返しでもあったが、もうひとつ理由がある。
「いいえ、あの、予定通りお願いします。ネルとアンにできることを教えたいので」
もちろん、ネルとアンに今の私と同じ事はまだ無理だ。ただ、一緒に連れ歩くことで、これから先のネルとアンのツテを作りたい。そして生活に困らない、のは不確実だが、お手伝いで小遣い稼ぎができる程度の技術を教えたい。
私たちが何らかの理由でそばにいられなくなっても、人らしく生きていけるように。
そこまではお義父様には言わなかった。だって他人の面倒をみている場合じゃないし、まずは私が仕事を覚えなきゃならない。
勢いだったとはいえ、ネルとアンを連れてきたのは私だ。
彼女たちの見本の一つにならなければならない。
「……わかりました。ふふふ。では、ゾーイお嬢様方もアレに慣れてくださいね」
見極めるように私を見つめてきたウォーレンさんは、表情を和らげると階下の騒動を指さした。
……まだやってる。元気だなあ。
「あ。あの、お怪我の手当てをするのに包帯が足りないかもしれません」
ソフィアが思い出したように言うと、ウォーレンさんは必要ないと声に出して笑った。珍しい!
「ははは!ソフィアお嬢様はお優しい」
シーツの端切れを包帯の体で薬箱に入れているが、家族の人数分すらないのだ。まだシーツはいくつか残っているから、もしもの時はそれを裂こう。さすがに男の喧嘩で無傷はないだろう。
必要ないわけない、と思ったんだけど。
「あんなに大騒ぎしてますが揃いも揃って腕っぷしはへなちょこです。精々鼻血か鬱血か突き指ですよ。包帯を使うくらいやり合えるなら、そもそも誘拐されずに逃げ切れたでしょうね」
そうなの?
「一発ならきっと奥様が一番お強いでしょう」
……それも、どうだろう……お母様、照れるところじゃないですよ。
「オーレじいもケガしたの?」
ネルがウォーレンさんを見上げた。『ウォーレン』と発音しにくいようで、アンとともに『オーレじい』と呼ばせてもらっている。最初は『オーレさん』だったのだが、ウォーレンさんが他人行儀と少々しょんぼりしてしまったので変更。アンも言いやすいようなのでそのまま定着した。
ネルとアンがウォーレンさんに構ってもらっている様子はまじで、おじいちゃんと孫である。エラの時も思ったが、ウォーレンさんて子どもに優しい。
正直めっちゃ癒やされる。ソフィアとエラが二人の世話をしている様子とはまた違う癒し。あれは絶対マイナスイオンが出てる。あの空気売れないかなぁと思ってしまうほどだ。
ウォーレンさんはネルに微笑むと「私は教育担当でしたので殴り合いはしませんでしたよ」と説明した。
…………うん……なんか……スパルタ……っぽいよね……睨まれると震えたもんなぁ……
そしてウォーレンさんの予言通り、お義父様たちの
怪我は包帯を使うほどではなかった。そしてあの騒動の中で方針が決まったのか、それぞれに動き出した。鼻血の出ていない人は身なりを簡単に整えると「んじゃ、行ってきます〜」と外に出て行く。早い。
鼻血を抑えたエルマーさんとお義父様はウォーレンさんを呼ぶと残った人たちと打ち合わせを始めた。
……独特な社風だなぁ。
エラを見ると視線に気づいたエラが微笑んだ。
うはあ!眩しい!
この環境の中、よくぞ荒くれ者にならずに育ったなぁ。
やっぱ天使なんじゃなかろうか?




