「その節はお世話になりました」
さらに一月が過ぎ、『妻不足』を理由にお医者もびっくりな早さで回復したお義父様が退院。エルマーさんもどうにか許可をもらい、ウォーレンさんが二人を連れて帰ってきた。
「わはは! 話には聞いていたが本当に商会の面影がないな!」
すっかり作業場所として落ち着いてしまった玄関ホールの様子にお義父様は大笑い。エルマーさんは苦笑。
私、お母様、ソフィアの目が泳ぐ。
エラはお義父様に抱きつき、ネルとアンが私とソフィアの後ろで様子を伺っている。お見舞いには一緒に行って顔合わせ済みだけど、まだ慣れないようだ。
ちなみにエラは今日だけ学園を休んだ。
お義父様が退院するのに合わせて作業場の片付けをするはずが、なぜかウォーレンさんにそのままでと止められた。内職も依頼を受け続けてかまわないとも。
……まあ、この惨状を社長に確認させたいのだろう。
その報告は誘拐された時に話したままだが、救出された後もお義父様からもエルマーさんからも特に何も責められなかった。
ウォーレンさんからも詳しく伝えられているだろうし、退院に合わせてとうとう引導を渡されるのだろうと、かなり緊張していたのだが。なんで大笑い?
「へえ!これがローザの刺繍か……見事だ」
「は〜!」
じっくりとお母様の刺繍を見つめるお義父様とエルマーさん。
確かに、職業斡旋所からもお母様への依頼が固定されつつある。いわゆるリピーターだ。テーブルカバーへの刺繍から最近は子供服や手袋への刺繍も増えた。大人服は専門業者に睨まれると困るので受け付けていない。テーブルカバーやカーテンはソフィアもお母様と二人で刺し、少しずつソフィアの任される面積が増えてきた。
「ゾーイお嬢様のかけはぎも秀逸ですよ」
と、ウォーレンさんが手に持っていたコートをなぜか羽織る。
……あれ?なんか見たことあるような?
「あ!」
「その節はお世話になりました」
煙草の焼け焦げ部分をかけはぎしたコートはウォーレンさんのだったのか……
「このコートは父から譲られたものなのですが、酔っ払った上司が勝手に着て出掛け、そこに酔っ払った同僚がうっかり煙草の灰を落としてくれたものだったのです。さすがに穴の開いた上着は着られませんから仕舞っておいたのですが、修理に出して本当に良かった。まさかゾーイお嬢様が直されたとは思いもしませんでしたが。ふふ」
ウォーレンさんが穴のあった部分をそっと撫でる。その向こうでお義父様とエルマーさんが「すみませんでしたー!」と腰を折った。
あぁ、酔っ払った上司と同僚……なるほど。
「それはそうと、ローザたちにこんな特技があったとはさっぱり知らなかった。どうする、タスタット商会の新規事業として立ち上げるか?」
お義父様が太っ腹なことを言う。しかし。
お母様の視線に、首を横に振った。
「いえ。刺繍市場は飽和状態と聞いています。それに私たちの腕では細々としたものにしかならないでしょう。それでも……私たちのこさえた借金の返済になるならば続けさせてほしいです」
わずかな収入で返し切るのに何十年かかるんだという話だが、従業員が戻って来たら私たちは商会では邪魔でしかない。
お義父様のお母様への溺愛ぶりからお母様はここにいても大事にされるだろう。エラもすっかり懐いたし。
しかし私とソフィアはかなりエラに辛く当たっていたので、きっと従業員たちには許されない。
それに、ネルとアンのこともある。
連れてきたのは私だし、お義父様に二人の世話をしてくれなんてとても言えない。
斡旋所経由で、どこかの孤児院で私たちごと受け入れてくれないか探しているがなかなか見つからない。どこも食料事情が厳しいようだ。
住み込みで女子供4人を受け入れてくれるところも娼館以外に今のところ無し。娼館……娼館かぁ。
身売りになるとしても、私一人にしてもらおう。前世で大学生の時には彼氏がいたから経験はあるし、なんとかなる……いや、する。ソフィアにはさせたくない。
お母様の実家の男爵家に頼るのも、お母様のことがあっていまいち人道的信用に欠けるんだよな……
こういう時に頼れる友だちがいないのが我ながら悲しい。商店街の奥さんたちとは仲良くなったが、それはまた別な話だろう。
「借金?」
なぜかお義父様がぽかんとした。
え、なんで?言ったよね?
ウォーレンさんからも詳しく聞いてるはずだよね?
「わ、私たちが勝手に商会の事業を弄った借金です」
くぅ、説明するのがいたたまれない。
「ああそうだった。ウォーレン、帳簿は」
「こちらに」
お義父様たちはやっと執務室に入っていった。
それを見届けて、私は椅子にもたれかかった。
頑張れ私。追い出されるにしても、せめて住み家が見つかるまではここに置いてもらえるように交渉よ。




