「「 ううーううっ!? 」」
「あれ?」
微かだが急に男性の声がし、振り向くと部屋の隅の暗がりに誰かがいた。すぐさまお母様が私とソフィアの前に出た。
お母様の背中越しに向こうを見ても、ランプの光が届かず、そしてまだ暗がりに慣れていない目には誰がいるかわからない。
それでもソフィアを今入ってきたばかりの扉の方へ行けと促し、二人でじりじりと後退する。お母様は誰かの方を向いたままその場を動かない。
「奥様……?」
え?
「あ?……ローザ、だと……?」
え!?
「「 ううーううっ!? 」」
言語化できなかったが、私は「お義父様!?」と叫び、お母様は「旦那様!?」と言ったはず。
とても掠れていたが、お母様にも聞き取れたのならお義父様の声だ。
暗がりから一人、フラフラしらながこちらにきた。
「うわ、本当に奥様だ……お嬢様たちまで……」
明かりに照らされたのはお義父様の右腕、一緒に行方不明になった秘書、エルマーさんだった。たぶん。
たぶんというのは、いつもオールバックにしていた髪は伸びてぼさぼさ、無精髭も伸び放題、服は私たちのつぎはぎワンピースよりよれよれで、珍しい赤目じゃなければエルマーさんとは判別不能である。
しかも両手首には鉄枷。私たちとは違い、体の前に手はあるがどっちがいいかなんて比べようがない。
そして、お義父様と同世代だったはずのエルマーさんは別人に見えるくらいくたびれていた。
ガチャン
「あ、しまった、ここまでだった。奥様、とりあえず口の物を外しますので、こちらまでいらしてください」
エルマーさんの左の足首にも鉄枷がついていて、そこから鎖がのびている。どうやら暗がりのどこかに繋がっているようだ。
「くちのもの……?……おい……ローザに触れたらみてろよ……」
「難しい注文をつけるなよ。まあ奥様の声が聞きたくないというならこのままにしておくが?」
暗がりからは掠れて弱々しいお義父様の声がし、エルマーさんも掠れながら返事をしている。二人の様子は仕事中のものしか知らなかったので、ざっくばらんさに驚く。
「……おい……本物のローザなのか……?」
「それを確かめるんだ、ちょっと黙ってろ。すみません奥様、風呂もろくに入っていない状態ですが我慢してください」
お母様は私たちを振り返りひとつ頷くとエルマーさんのもとに移動。エルマーさんに背を向けるとすぐに猿轡が床に落ちた。
「ふぅ……エルマーさんありがとうございます。縄もお願いできますか?」
「ローザ……!」
「旦那様……!」
ああ!お母様の声だ!
「お待ちください……ってきついなこれ。女性の柔肌に何やってんだあの野郎」
「おい、ローザに傷をつけるなよ」
「旦那様、今は非常事態ですわ」
「そうそう、女性がいつまでも後ろ手に縛られてるなんて良くない。くそ、枷が邪魔だな」
「後ろ手!?」
「モーリス黙れ気が散る。奥様、すみませんが多少擦れますよ」
「構いません」
「やめろエルマー!」
「旦那様、擦り傷などすぐに治りますわ」
「ローザ、擦り傷だろうと傷は傷だ」
「過保護が過ぎるわアホか。よし解けた!」
「ありがとうございます!」
縄で赤くなった手首を少し撫でたお母様はすぐさま私を自由にしてくれた。
「ソフィア!よく頑張った!」
ソフィアの猿轡を私が、お母様が手首の縄を解く。
「お姉様ぁ、お母様ぁ、うああぁっ!」
抱きしめ合う私とソフィアを同時に抱きしめたお母様は、すぐに離れると柱に掛けられていた小さなランプを外し、部屋の中央へと移動。灯りに照らされたお義父様は壁にぐったりと寄りかかっていた。
「旦那様……よく、生きて……」
「おお……ローザ……」
エルマーさん以上にくたびれた様子のお義父様。離れていても目の下の隈がペイントのように真っ黒なのが見える。頬もこけて、とても無事の範疇とは思えない見た目だが、生きていてくれて本当に良かった。
しかし、お母様はエルマーさんにその場にとどまるよう手で制された。ん?
「奥様、旦那様をお引き受けください」
「はい?」
「説明不足で申しわけありませんが、旦那様の限界はとうに超えていまして、そろそろ命にかかわっています」
「毒を盛られたのですか!?」
「似たようなものです。ただ対処方法はわかっていて、解毒方法はそう難しい事ではありません」
「ど、どうすれば!?」
「なに、夫婦であれば普通の事でございます」
「えええ??」
「お嬢様方と私はこちらの部屋におりますので、旦那様の気が済むまでお願いします。さ、ゾーイ様、ソフィア様、どうぞこちらに」
何を言われているのかよくわからないまましゃくりあげているソフィアを支えて移動してると、お義父様の息遣いがものすごく荒くなってきた。お母様を見つめる目つきがなんだかおかしい。
「やべ……!」
エルマーさんが鎖を鳴らしながらお母様からランプを奪い、私とソフィアを隣の部屋に続く扉を開けて押し込み、自身も入り扉を閉めた。だが鎖の分が引っ掛かりきれいに閉まらない。
部屋と言われたが三畳程度の広さで、ウォークインクローゼットまたは広めの物置きだろうか。隅には壺が置いてある。そしてこのアンモニア的な匂い。
「すみませんお嬢様方、実はここトイレでして……」
あ、やっぱり。
「でも同じ空間にいるよりはいいと思いますのでしばらく我慢をお願いします」
いまいちエルマーさんの言わんとする事がわからない。ソフィアと寄り添いながらどこから何を聞いたものか考えがまとまらない。
それを察してくれたエルマーさんは床に座ると、私たちにも座るよう促した。
「えーと、この屋敷に漂っているこの甘ったるい匂いは中毒性の高い媚薬で、ある程度発散しないと死ぬ確率の高い新薬です。そして解毒方法は性行為です」
その意味を理解した私とソフィアはすぐさまエルマーさんから離れた。
「あ、大丈夫ですよ。俺、昔っから商売女にしか興味ないので」
エルマーさん、今の状況で『大丈夫』かはビミョーです……




