取り乱さずによく耐えた
馬車はどれくらい走ったのか、振動がなくなったので目的地に着いたのだろう。微かに聞こえた「よっ」という男の声とともに急に不安定になる体。
ううう、どこに運ばれるか知らないけど、お母様とソフィアと同じところでありますように!
耳を澄ませるとドアの開閉音が間隔をあけて二回。会話は特になく、私を運んでいるのは子爵と馭者だろう。次の展開に不安になると同時に床に降ろされ、「おらよっ」という馭者の声とともに転がされると織り物から出された。
暗闇に慣らされた目にはかなり眩しい。眇めながらも周りを見ると、何もない部屋のようだ。
転がされたせいで平衡感覚が少々狂っている間に子爵がロープで私の両手首を後ろで結び、馭者は薄汚れた布で私に猿轡を噛ませた。足が自由なままなのが、逆に何をされるのかという恐怖で体が強張る。
お母様とソフィアはどこだろう。どうやってリオさんを呼ぼう。
もしもの時は思っているより声が出ないって本当だった。震えを隠すだけで精一杯だ。
内心はかなり焦っていたが、子爵たちは私に構わず部屋を出て行った。一枚扉を開けたままにしたということは、お母様とソフィアもここに運ばれてくる……?
前世で八畳くらいだろう広さの部屋は、高い位置に小さな窓がひとつ。柱は細いが壁は白の漆喰で、私の体当たりではビクともしなさそう。今開いているドアだけが出入り口。置き去りにされた私を包んだ織り物が広げられている以外に何も物がない。何もないのに埃臭い。
使われていない部屋?子爵家の屋敷にこんな部屋あったっけ……?
拐われたとしたら、買い手がつく前の保管場所として子爵の屋敷に向かうと思ったんだけどな。私が育った屋敷の敷地には物置小屋が併設された使用人の寮しかなく、木造でもっと質素な造りだった。
うーん、知らない場所か……三人でうまく逃げられるかな……
それにしても、なんか臭い。
織り物の泥が乾いたような匂いで麻痺してるかもしれないが、埃臭さの他に、微かに甘ったるい匂いがする。窓は閉められているから開いている扉から漂って来ているんだろう。香水の瓶でも割ったのだろうか。
そんな事を考えていると、子爵と馭者が織り物を抱えて入ってきた。床に降ろすと、子爵は私のそばに来て小型のナイフを突きつけ、馭者が織り物を広げる。織り物からお母様が現れた。
「大人しくしておけよ、ゾーイに傷がつくぞ」
唇を噛み締めたお母様の両手首を馭者が縛り、猿轡を噛ませる。そしてまた二人は出て行った。扉が開いたままなので、ソフィアも連れてくるのだろう。っていうか、連れて来なかったら自力で縄を解いて助けに行かなきゃ。
お母様の姿を見て安心したので、後ろで縛られた手首を動かしてみる。う、痛いし全然動かない。やばい。
「ううぅ」
お母様が何か言ったようだ。目が合うと首を横に振ったお母様は危なげなく立ち上がるとすぐにそばにやって来た。
「痛めるからやめなさい、ソフィアが来るまで静かに」
小さな声で囁かれた言葉は意外にもはっきりと聞き取れた。……お母様が器用すぎる件……!
でもその安心感から、隣に座ったお母様に寄り掛かる。ソフィアもここに来ますように……!
扉の向こうから近づいてくる二人分の足音にホッとした。
子爵は織り物を降ろすとまた私のそばに立ち、ナイフを出した。馭者が広げた織り物からはソフィアが転がり出た。良かった……!
ナイフを突き付けられた私を青い顔で見つめながら、ソフィアも大人しく馭者に両手首を縛られ、猿轡をされた。
それを確認したらしい子爵が扉の前に移動したのに、馭者はソフィアのそばに立ったままだ。
「さあ部屋を移動するぞ。最後の親子の時間を楽しむんだな」
私は見た。子爵が喋っている時、馭者がソフィアを立たせるために脇に差し入れた手がソフィアの胸をしっかりと揉んだのを。
アイツ!!!
途端に力の満ちた体はスクっと立ち上がった。
その勢いと鼻息に何を感じたのか、馭者は焦ったようにソフィアから私のそばにやって来た。すかさずお母様がソフィアに寄り添う。
ズカズカと子爵に近づき睨みつける。前世とも合わせて一番の目力を発揮。
しかし子爵は鼻を鳴らして一蹴し何もなかったように歩きだす。
二人並んで少し余裕がある程度の幅しかない廊下を進む子爵について行く。柱のランプは所々しか灯っておらず、廊下は薄暗い。子爵について階段を降りると、あの甘ったるい匂いが強まった。
明かりが増えたはずなのに上の階と変わらない薄暗い廊下をさらに進む。等間隔に廊下の左右に扉がある。途中に通り過ぎた扉からはうめき声のようなものが聞こえたが、声だけでは男か女か判別が難しい。……人だよね?
そして子爵は突き当りの扉の前で止まった。鍵の束を出し、ひとつだけ金色に見える鍵を挿し込む。
「最後の団欒を楽しむがいい」
馭者に肩を押されてたたらを踏みながらその薄暗い部屋に入ると、一層匂いが強くなった。踏ん張ったところで背中にソフィアが当たったらしい。二人で床に倒れ込んでしまった。
「ううっ!?」
「ふん。大人しくなった頃にまた来る」
お母様が非難したが、子爵と馭者は扉を閉めた。ご丁寧にもガチャリと鍵の音を響かせて。
そして遠ざかっていく足音。
「ソフィア、ゾーイ」
「うぅ……」
お母様がすぐそばまで来てくれたがどうにもならず、どうにか自力で上体を起こし、ソフィアを見つめる。
「……ふ……ぅっ……」
ソフィアの目にみるみる涙が溜まり、溢れた。
抱きしめたいのに両手は後ろから外せない。ソフィアの肩に額を乗せると、ソフィアも私の肩に顔をつけた。
知らない男から急に胸を触られるなんて、なんという恐怖だろう。取り乱さずによく耐えた。
ああ、今、ソフィアを抱きしめたいのに。
とりあえず、どうにかしてあの野郎の両手は潰ス。




