……なんで?
来客の予定はないのに馬車が表に止まった音がし、玄関ドアがノックされた。
今度は誰が来たのかと窓からこそりと覗くと、そこにはお母様の元夫の子爵が立っていた。一人で。
子爵の紋が入った馬車には、必ずいるはずの馭者がいない。
すぐソフィアにネルとアンを静かに二階に連れて行かせ、そのまま隠れているように言う。そして二階で作業しているお母様を呼んでもらう。その間に執務室に鍵が掛かっている事を確認し、お母様が階段を降り始めたのを確認してから「はいはい!ただいま〜!」と声を張り上げ、わざと音を立てて玄関ドアを少しだけ開けた。
「はいお待たせしまし、あら、お父様?」
「……ゾーイか?この短期間で随分とみすぼらしくなったな」
私をひと目見て顰めっ面になったお父様。あんたこそ浮気後の服のセンスの酷さは変わらずのようで。そして言葉選びのセンスもな。
「離縁したとはいえ、実の娘にかける言葉ではありませんね」
お母様が私を庇うように場所を代わってくれた。わー、お母様の平坦な口調を久しぶりに聞いたー。
確かにお父様には構ってもらった記憶は少ないけれど、ここまで見下されてはいなかったと思うんだよね……ストレスが無くなって記憶が美化されたのかしら?
「お前もみすぼらしくなったな、ローズ」
離縁したとはいえ元妻にかける言葉じゃねーぞコラ。そして人妻にかける言葉でもねーわ。
しばらく会わない内にデリカシーがマイナスに振り切ったわね、お父様。
ひとつひとつは仕立ての良い服は組み合わせが有り得ないことになっている。明らかに見下している表情と相まって、色々とダメ出ししたくなってきた。
「そんな事を言うために元妻の嫁ぎ先にいらしたのですか」
「ははは、嫁ぎ先の商会の主人が行方不明とはお前はやはり疫病神だな。我が家は今の妻のおかげで持ち直したぞ」
……うわぁ。
「そうですか。それは良うございました。用件はそれだけでしょうか」
反応薄く淡々と話すお母様に顔を顰めると、お父様はさらににやりとした。
「先行きが不安であろう元妻に良い話を持って来たんだが?」
お母様の纏う空気がヒヤリとした。
「……供も付けずに、あなたおひとりで、ですか?」
「それだけ上手い話と思っていい」
怪しさ満点だよーっ!
馭者はうちの周りを探っているのかと思ったら、お父様はひとりで来たのか。いやまあ外については護衛さんに任せた方が騒ぎにならないし、お父様が帰る時にチェックすればいい。
だけど。
「ヴォネリア国からの輸入品を扱ってみないか。休業中とはいえここは商会だ。体裁は整うだろう」
「……お気遣いありがとうございます。どんな品物を扱うかお聞きしても?」
「織り物だ。まあ、他にも何かあればついでに持って来てもらうが。どうだ?」
「織り物でしたらイングリアス国は需要が高いですからね。堅い商いができそうですわ。それにしても、いつからそんな事を始めていらっしゃったのですか?」
「お前と別れてからだな」
「あら。それなのにお話を持って来てくださるなんて、お優しいことですわね」
「はっはっは。どうだ乗るか?」
「そうですわね。詳しくお話を聞かせていただきたいです」
えええ!?お母様!?
「でも、今は仕上げなければならない内職があるので、週末に時間をくださいませ。私がお屋敷にお伺いしてもよろしいでしょうか」
元両親のやり取りがどんどん進んでいく。正直、この二人がこんなに会話を交わしているところを初めて見たので呆気に取られていた。
お父様の言う「織り物の他」がめっちゃ気になるけど、お母様がめっちゃ食いついていて、どこで止めたらいいかわからない。足が震えだした。
今、お茶を淹れに台所に行けと言われても歩いたら転ぶ。
「週末?」
「ええ。内職とはいえ最後の仕事はきちんと済ませたいので」
「ふん、まあいい。では週末にいくつか商品を持って来よう」
「ありがとうございます。では契約はその時に」
「ははは!話が早いな!女主人のつもりか!まあ俺の下でせいぜい稼ぐといい」
最後になぜかねっとりとした視線をお母様と私に向けて、お父様は去って行った。玄関扉を開けただけの見送りをしたお母様が振り返った時、私はとうとうへたり込んでしまった。慌てて駆け寄ってきたお母様に抱きついた。
「こ、こわかった……!」
お母様はふふっと笑うと抱きしめ返してくれた。
「あらあら、あんな男よりよほど恐ろしい御方とお茶を過ごしているのに」
王妃様とは全然ジャンル違うし!
我が父親ながら初めて感じるこの怖さは何なのだろうか。それになにより。
「お母様がどんどん話を進めてしまうからですが」
震えが落ち着いたので恨みがましく見上げる。作戦はガンガンいこうぜじゃなかったよね?
それでもお母様はにっこりと微笑んだ。
「うふふ。王妃様とウォーレンさんに連絡を」
……なんで?




