しかし無いものはしようがない
「はあああぁ……」
「どうしたゾーイちゃん? でっかいため息ついて」
「あぁ、八百屋の店長さん……すみません、お見苦しいところをお見せしてしまいました」
肉屋の前で試食の準備をしていると、今日はどんな野菜が肉と一緒におすすめになるかと見に来るようになった八百屋の店長にため息を聞かれてしまった。
いかん!人様のお店の前でため息なんて!しっかりしろ私!
「明日の休日に我が家に来客があるのですが、気が重くて……」
でもちょっとだけ愚痴らせて。肉屋は全く関係ないと言っておかないと、肉屋の店主が悪く思われちゃう。
「なんだい、借金取りかい?」
借金取りの方が気が楽だったなぁ。でもネタとしては丁度いいので苦笑いで誤魔化す。
我が家の事は市場のみなさんはだいたい察している。なんたってエラはここに買い物に来ていたのだ。つぎはぎの服の美少女なんて目立つしかない。
八百屋の店長さんのようなオッチャンたちは、贅沢三昧から借金返済に生活を変えたうちの事情をなんとなく知っているようで、私が市場に通い出した頃はいつも微妙な空気だった。仕方ないけど腹はすく。毎日財布と品物とにらめっこしている私を憐れんでくれたのか、少しずつ絆されてくれた。
だけど、跡継ぎである若い男衆は、私らがエラを苛めていた事をまだ怒っている。淡い恋心を寄せていたエラが来なくなって、代わりに私のようなモブ女ではそりゃ怒るだろう。
ごめんなさいね。ははは。
でもまあ塩対応だけど、お客としてはちゃんと相手してくれるので困らない。
オバチャンたちはオッチャンたちと似ていたけど、肉屋前で試食を始めてからは主婦の会話が増えた。やっぱどの時代でも夕飯の献立って悩むんだなぁ。
さて。
鉄板も温まったことだし、焼きますよ~!
焼き肉のタレがあればきっともっと客を呼べるのに。醤油味が恋しい。しかし無いものはしようがない。
金物屋で半球の蓋を安くしてもらい、それを使った鶏の蒸し焼きです!砂糖と塩で浸けたハム味! キャベツの千切りも一緒に蓋の中へ。焼きの匂いが少ないけれど、蒸し焼きの肉の柔らかさが今日の売り!
仕上げに粗挽きの胡椒をかける。結果的に少しお高いのだけど、たまの贅沢。それをこれまたパン屋から譲ってもらったパンに挟んで周りを囲む皆に渡す。集まる人数が増えたから、試食用もだんだんと小さくなって申し訳ない。でも試食だし。
ふと、小さい手が出された。
うす汚れたその手をたどると、服がぼろぼろで髪もぼさぼさで、目だけがぎらぎらと試食のパンを見ていた。
……ああ……
これも普通の世界。
目の当たりにすると、前世がどれだけ豊かだったか思い知る。
それでも足りなくて、ニュースで悲惨な事件がたくさんあって、私が、恵まれていただけなのだと思い知る。
足りなくてごめんね。
それを言えない。
助けられないのなら、このパンを渡さない方がいいのかもしれない。
それも、できない。
だって目の前にいるから。




