美少女はボロアパートに通ってくる
4畳半の部屋と狭い台所だけの空間は、ヒーターをつければすぐに温まる。
さすがに放っておくわけにはいかなかった。
気を失った時は驚いたけど、呼吸も安定しているし熱もない。
そこまで心配はいらないだろ。
「……んんっ?」
「起きたか、ならとっとと出ていってくれ」
ベッドで横になっていた西園涼香は小一時間後に目を覚ました。
何度か瞬きをして、この状況を必死に把握している。
「……あの、これ」
「誤解すんなよ。あんな所で倒れられてたらこっちが迷惑するんだよ。そんだけだからな」
「……っ!? ……あのっ……その」
「言っとくが、やましい事なんかしてないからな」
「……ちがう……ごめん……なさい」
無表情だが、自分の行動に少なからず悪気は感じているようだ。
ぶつくさ文句を言いながら、体が暖まるように紅茶を入れてやった。
なにかしていないと、間が持たなかったのも理由だ。
「これを飲んだら、帰れ」
湯気が上がるダージリンをじっと見つめ、何度も飲もうとしては口を引っ込める。
どうやら相当の猫舌みたいだ。
俺が半分くらい飲んだ後、ようやく最初の一口をつけた。
カフェのオーナーからいただいた高級な茶葉はお気に召したのか、のどが渇いていたのか結構勢いよく飲んだ。
その様子を横目で観察しながら、彼女がこのアパートにこだわる理由を追求するべきかと考え、やはり面倒ごとはごめんだと大方結論を出したときだ。
「……あの……」
西園涼香は何か話をしようとして、言葉をつかえる。
昼間の拒絶した態度を受けて、俺と話をすることに少し怯えてしまっているのかもしれない。
「どうしてこのアパートにそこまでこだわるんだよ?」
また今日みたいなことが繰り返されたら――
それでも関わりたくない気持ちから、結果的にボソッとつぶやいてしまった。
「……ここは……」
俺の顔を見ては頭を下げ何度も言い淀み、彼女はなぜかクロッキー帳を手に取る。
挟んでいた何かの絵を見てから、スイッチを入れたみたいに熱意のこもった目で一心不乱に鉛筆を動かし始めた。
そのこすれる音だけが、狭い室内に響く。
ここに住みたい。
その理由を一生懸命にその絵に込めているようにも思える――
いや、それよりも自分の存在を表現するための手段として絵を描いている感じか――
俺にはそんなふうに映った。
とても邪魔だて出来る雰囲気ではなく、出来上がるまでは黙っているしかなかった。
「な、なんだよ、別に俺に見せなくたって……」
「……全然、だめ……」
俺に意見を求めるように描いたそれをあきらめにも似た様子で手渡してくる。
出来上がった絵を見つめた彼女は大いに落胆の色が見えた。
だが、手に取ったそれは――
さっと描いたはずなのに、俺に衝撃を与える。
よく庭に来る女の子のスケッチ絵だった。
やはり彼女の絵は世間で評価される通りだ。
でも――
いつも笑顔の女の子はどこか寂しい、悲しい気持ちの波に押しつぶされそうな表情をしている。
それは俺にとっては言い表せない息苦しさを覚えるもので――
「……俺はこの絵は気に入らない」
「っ!?」
俺の口から自然と出た偽りのない言葉、それは西園涼華には衝撃だったようで目を見開き口元を覆った。
西園涼香にとって絵を描くということが、言葉よりも自分を表現する手段だとしたら、落ち込むのもうなづける。
「あくまで俺個人が気に入らないって意味だ」
「……うん」
「だ、だからそんなに落ち込まなくても」
「……やっぱり……そうっ」
「いや、わざわざ傷つけようとか、そういうんじゃなくて」
「この出会いにっ……感謝」
「はっ?!」
ショックを与えてしまったかと思い、慌てて取り繕うとした俺に、彼女はその瞳を燃やしさらに自分の意思をより固めたようにも見えた。
俺を見るその視線がやけに熱を帯びていて、さっと逃れるしかなかった。
☆☆☆
西園涼華のニュースが世を騒がせてから、数日が経過していた。
この日も近所の子供たちは庭に来て元気いっぱいに遊んでいる。
俺はうっとおしく思いながらも、怪我がないように目を光らせそれを見守っていた。
ここまでは特別変わらない、このアパートでの俺のいつもの日常だ。
違いがあるとすれば――
「……いいお天気」
もはやここは自分のいるべき場所とでも言うように、何くわぬ顔で今日も西園涼華は現れる。
「おねえちゃん、おせーぞ」
「きょうもきびしくいくからね」
出入り自由の庭なので、彼女だけに出て行けとは言えない。
それにこのガキどもは西園涼華の味方を決め込んでおり、多勢に無勢で困ったことになっていた。
ベンチにクロッキー帳を広げ、子供たちをスケッチっしていく西園涼華。
短時間でさっと描き上げると、まずはそれを俺に見せて意見を求めてくる。
「……ダメだ、俺には気に入らない」
その言葉を聞いて、彼女は落胆するどころかさらにやる気を漲らせたような目になる。
俺のダメ出ししたそれを子供たちは好きなように手直しし、その様子を西園涼華はいつも真剣な目で追っている。
まさかこんなボロアパートに世間を騒がせている有名人が通っているとは思いもしないだろう。