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そして彼女は越してくる

寝て起きたばかりなこともあり、この状況を把握するのに少し時間を要した。


「……」

「……」


 互いに沈黙したまま妙な空気が流れる。

 そんな何とも言えない空気を破ったのは――

食欲を完全に回復した、俺の腹の音だった。


 恥ずかしいが、でもそのおかげで冷静になれた自分がいる。

 西園の方はそれを聞き、慌てたようにお皿を準備しだす。


「……これ、どうぞ」


 俺の前に湯気が上がるスープ皿が出てきた。

 トマトや玉ねぎの野菜と生姜の匂いがほんのりと香る。

 唾液が自然と出てきてしまう。


「悪い、食べさせてもらう」


 一口体内に入れただけで、ポカポカしてくる。

 味付けも申し分ない。ていうか、美味しい。


 西園はなぜか正座して、俺の食べる様子を観察している。

 料理の感想くらい言うのが筋かと思い、


「温まるし、うまいよ」

「……よかった」

「自分で食べないのか?」

「……いいの?」

「あの鍋いっぱいに作ったのなら、俺一人じゃ無理だ」


 鍋に入った残りの量を想像したのだろう、自分の分をよそってきて静かに食べ始めるのかと思いきや……

 空になった俺の分までお替わりをよそってくる。


 気遣いは出来る。

 料理もうまい、絵もうまい。

 そして美少女。


 そんな三大高スペックともいえる属性を持っている有名人が、なんでこのボロアパートにいるのかという謎。


 今だって俺はこの目の前の子が苦手だ。

 でも――気遣いに始まり、看病もしてくれて……

 さすがに最初の時のようにあれだけ邪険に出来るほど、嫌な奴でもないみたいだ。


「……飴、ありがとう……」


 少しだけ自分の気持ちの整理ができた。

 感謝の気持ちもあった。

 ちょうど2人で鍋のスープも飲み干した時で、よくわからないけどここだと思った。

 だから、それを言葉で伝える。


 そんな簡単なことがようやくできた。


「……うん。喉、痛いの、きつい」

「そうだな。でもあんな」


 西園はすうっと立ち上がり、すぐに冷蔵庫から何かを出して戻ってくる。


「……デザート。食べれば、明日は元気。これも」


 渡されたのは健康祈願のお守り。

 テーブルの上に置かれた箱にはモンブランがあり、その箱が1つや2つではなかった。


「俺、こんなに食えねえぞ」

「……大丈夫、私、食べる」


 まさか、昼間出掛けていたのは、お守りを買いに行ったのとモンブラン探し。

 なんだそのモンブラン最強説は……


 ここまでされると、簡単に無下にも出来ない。

 この子の場合、計算してやっているわけじゃないんだろうけど。


 俺が風邪でぶっ倒れたから看病する。

 風邪に罹りにくくなるためにお守りを上げる。

 モンブランはすべての病気の万能薬。


 おそらくそんな行動心理で、そこにはこの子が体験した風邪を引いた時の過去が関係してるんだろ。


 小さいころ、西園が風邪を引いたときこの子の親御さんは看病してくれたのかな?


「あれ、これ俺のバイト先のやつだろ」

「……それ、一番?」


 モンブランの美味しい点、最強なところを解説しつつ食べ始めた。

 仕方ないので、またも高級な茶葉の紅茶を入れてやる。


 お腹は割といっぱいだった。

 昼間ぶっ倒れるくらいの体調だったのに、意外とモンブラン食べられる。

 でもそのおかげで、喉が渇き大事に、大事にとっておいた紅茶の茶葉はなくなってしまったが。


「あ、ありがとな」

「……モンブラン、好きに?」

「いや、モンブランの話じゃなく、昼間も看病して、今料理作ってくれたろ」

「……これ、よくなったら……見て」


 たぶん、そこに打算とかそんな駆け引きはない。

 ただただ、意見を必要としてる。

 必死なんだ。


 熱く1つのことに取り組む、その燃えるような意志の強い猫目の瞳。


 わかってる。そんなの最初からわかってた。


 西園涼華は俺の苦手なタイプだ。

 妹の存在を否が応でも思い出し、後悔の念にさらされる。

 でも、それは俺の勝手。この子が何も悪いわけじゃない。


「……ごめんなさい。じゃあ」


 下を向いて両手を握りしめた俺に、また何か言われると思ったのか西園は静かに立ち上がる。


 いいのか、ここまでしてもらって何も返さなくて――


『お兄ちゃん、優しいから』


 妹のその言葉を思い出し、また目頭が一気に熱くなる。

 それと同時に自然と言葉は出てきていた。


「待ってくれ……絵は見るよ」

「……ほんと?」

「俺はそんなに薄情な人間にはなりたくない」


 今日描いたというその絵は――

俺とその周りに子供たちが庭でベンチを組み立てているものだった。


 思わず声を出してしまいそうになる。

 俺の心の中を読まれているんじゃないかと錯覚を起こした。


 悲しい表情だ。

 周りの子供たちの心配する顔も鏡に映っているかのように描かれている。


「よく描けてる。これは、気に入らなくはない。俺はいつもこんなだからな」

「……」

「だけど、これじゃないだろ。描きたいのは?」


 例の嘆きの少女。

 子供たちをモデルに描いている毎日のスケッチ。

 そして、今日の作品――


 共通点があるし、ここに来ての彼女の発言からなんとなくは気づいている。


「……うん」

「俺は絵の専門家じゃないし、どこまで協力できるか、お前が思い描いてるそれの手助けができるのかはわからない。でも、それでも見てほしいっていうのなら、協力はしてやる。だから頑張れ」

「……はいっ」


 彼女の頬から一筋の涙が零れ落ちる。

 それは彼女を邪険にしてきた俺に後悔と決意を与えるには十分だった。



 馬鹿だなあ、俺は――




 翌日になると、体調はすっかり良くなりいつものように掃除をしていると……


 数台のトラックがアパート前に次々と停車していく。


「なんだ、なんだぁ?」


 思わず言葉が口から飛び出すくらい驚いていると――

 1台から降ろす荷物の量が1つや2つじゃなく、どんどん段ボールの箱で玄関先が埋め尽くされていく。


 しばし呆然としてしまい声もかけられないくらいだった。


「すいません、こちらが伝票になります」

「あっ、あの、ここ今俺しか住んでないんですけど……何かの悪戯かもしれません。大量に注文したものもない」


 伝票を受け取り、疑問を口にし、持って帰ってもらおうとしていた。

 だが、差出人の名前を見て思わず顔を覆う。


 西園涼華。

 そこにはそう記されていたのだ。



「おはよう」


 このままじゃアパート内に入れないと思い、段ボールを整理しているとどこか晴れ晴れとした声を掛けられる。

 この荷物を差し出した本人は何食わぬ顔で挨拶してきた。


 俺は絵を見てやると言ったのに、どう受け取ったのか――



 越してきやがった!

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