なんでボロアパートに
その日、俺は大学の講堂内であるニュース動画を友人に見せられていた。
「なんだ、これ……」
それは見る人の不安を掻き立てるような、少女の自画像だった。
画面越しにも拘らず、その少女の絶望的な表情を見ただけで心を鷲掴みにされ、途端に悲哀の感情が押し寄せてくる。
出口の見えない暗闇で足掻続け、その暗闇をどうにかわかってほしい、助けてほしい――そんな作者の思いがひしひしと伝わってくるものだった。
『この絵はどういった想いで描いたんでしょうか?』
『……家族の団欒』
『えぇ、それはその……?』
『誕生日、みんなが集まる、賑やか……』
『ですが、タイトルは嘆きの――』
『……どうしてかしら』
だというのに動画の中の作者は、そんなことをのたまっていた。
なんだか妙にチグハグなやり取りが、やたらと印象的だ。
絵のタイトルは【嘆きの少女】というらしい。
なるほど、もっともだと思う。
『鬼才西園涼華、NY個展で3億円!』
画面上にはそんなテロップが流れ、先日の個展の様子が伝えられている。
3億か……その想像もしない金額に、とある記憶が蘇ってしまって両手を強く握ってしまっていた。
彼女は関係ないのに――
そう言い聞かせ、自分の中に湧き上がる感情を必死に抑え込む。
画面は再びインタビューへと切り替わった。
『この作品の、希望の火が消えて女の子が絶望的な表情になっているところ、そこがまさに訴えてくるものがあります!』
『それ、ケーキの火を消してるだけ……』
『……こ、こうして幾重にも折り重なり絡まりあう悲しみが表現されて――』
『ただのモンブラン。私の好物……』
『こ、このようにクールでありながらお茶目な一面も彼女の魅力の1つで、作品にもいい影響をもたらすのかもしれませんね!』
そこでようやく、彼女の全身が映し出され、ハッと息を飲む。
くるりと波を巻いたようなセミロングの黒髪と猫目が特に印象的で、肌は白く、その顔立ちは恐ろしく整っている。
少し狼狽えてしまっているインタビューアーとは違い、受け答えしている西園涼華の表情は曇らず、1度も緩まない。緊張している様子はクールというより、彼女自身が絶望しているかの様に見えた。
ともかく、人目を惹く容姿であるのは確かだった。
12月半ばを過ぎた寒い講堂内は、その彼女の大きなニュースに、いつにない盛り上がりを見せている。
「なんかすごいね、この絵」
「高校生がこんなの描けるなんてな……」
「絵のことよくわからないけど、なんかこれはすごく引き込まれて悲しくなっちゃう」
「涼華ちゃんか、ファンになりそう。他の作品は……」
周りからは絵についてと彼女についての発言が飛び交う。
「凄いよねこの子の絵! 3億円だって! しかもまだ高校生の女の子なんだって! 凄い美少女! ねっ、ねっ?」
俺に動画を見せていたバイト友達の北川さんは、はしゃぎながら同意を求めてくる。
「……あぁ、そうだな」
もう一度、彼女の画像を目にしてみる。
その顔はどこか、人形の様に寒々としたものを俺に連想させ――
彼女の受け答えからは――入院してる――を思い起こさせ――
どうしても結び付けてしまうのか……
俺はまるで首を絞められているような息苦しさを覚え、目を逸らした。
「ねっ、絵もそうだけど、作者の涼華ちゃんもすっごく可愛いくて面白い子よね」
「興味ないな……」
「行人?」
なんだか心をざわつかされた俺は、机に突っ伏して目を閉じる。
だが、彼女の絵と彼女の表情が脳裏に焼き付き離れてはくれなかった。
何か妙な胸騒ぎがした。
☆☆☆
この日の大学は、どこもかしこも西園涼華の話題ばかり。
授業の合間に彼女の絵はどの段階で譲渡されたことになり、法的な権利が発生するのかと教授でさえ話題に出すほどだ
――まったく、大した有名人だ。
そんな事を思いながら、アパートへの坂道をかじかむ手に息を吹きかけながら登って行く。
俺が入居し、ついでに管理人もしているボロアパート『かえで壮』
祖父から頼まれて、そのまま管理人を引き継いだ。
管理人の手当だけではいろいろ賄えないので、他にいくつかバイトを掛け持ちしている。
子供たちが集まっているのか、アパートへ近づくにつれてその元気な声が聴こえてきた。
「うわっ~、へったくそ」
「お姉ちゃんの絵、変」
アパートの庭は前の管理人《俺の祖父》の意向で、出入りが自由で1本の楓の木とその近くに休めるようにベンチも置かれている。ボール遊びもここでは禁止していないので、よく近所の子供が遊びにきたり、季節によっては花見などで人が集まってきたりする。
「あいつら、また来てるのかよ。うるさ――――――――え?」
思わず目を見開き、わが目を疑ってしまった。
それくらいあり得ない光景が目の前に広がっていた。
ベンチに座り込んだ女の子がクロッキー帳にスケッチしていて、子供たちは彼女を囲み、何やらはやし立てられている。
彼女はパーティーか何かに着るような淡い紺色のカクテルドレス姿で、その恰好はどうしたって目立ってしまう。
非現実的で何事かと思ってしまう光景だがしかし、少女が子供たちに囲まれて絵を描いている様子は1枚の絵画であるかのように幻想じみていて、それが余計に頭を混乱させてしまった。
そしてなにより、その女の子というのが――
「西園涼華……」
今まさに噂の渦中の女の子だったからだ。
「……やっぱり、うまく描けない」
白い息を吐き、西園涼華は動かしていたその手を静かに止めた。