死者の館事件②
……突如動き出した跳ね橋。毎日決まった時間に閉じるのか。いや、そうでないのはヤースさんの慌てっぷりから察する事が出来る。つまり異常事態なのだ。
「ヤースさん、跳ね橋はどこで操作しているのですか?」
そんな私の言葉に、はっとしたようにヤースさんが目を見開いて。
「そうです! 跳ね橋の操作は侯爵のお部屋でしか行えないのです。いつの間にかお戻りになられたのでしょうか」
「とにかく行ってみるしかねえだろ」
ヤースさんとコラント青年が慌てて階段を上る。その後を追う私。侯爵の部屋は二階の一番奥手、一際重厚な扉のそれで。
「なんだね? 騒がしいようだが」
「あら、跳ね橋が閉じたのかしら」
どうやら二階は家族それぞれの部屋になっているようで、騒ぎを聞き付けた面々がわらわらと集まってくる。そんな中、侯爵の部屋の扉に手を掛けたコラント青年の声が響いた。
「ちっ、閉まってやがる。内側から閂が掛かってるのか? おい、じいさん、居るんなら開けてくれ!」
ドンドン、と扉に拳を打ち付けるコラント青年。だが中からの反応は無い。
「ヤース君、これは一体どういう事かね? 父上は我々とすれ違いに出掛けたのではなかったのかね。戻っているなら私に報告してくれないと困る」
「ユーゼフ様、私も気が付きませんでした。玄関を通れば私が気付く筈なのですが……」
ふむ、立派なカイゼル髭を蓄えたこの人物が侯爵の長男、ユーゼフ・ボルドヴィンその人か。マスターの話では、確か彼自身も男爵の位にあった筈。
「もういい。コラント君、扉は開かないのだね? 中に父上の気配はあるか?」
片手でカイゼル髭を弄びながら、ユーゼフ氏が尋ねる。
「伯父さん、それが……呼んでも返事はねえし、何より中に人が居るような感じがしねえんだ」
「あら、閂が掛かってるなら誰か居る筈じゃない? お父様がお倒れになっていたら大変じゃない。ヤース、何とかならないの?」
おそらく甲高い声でヤースさんに詰め寄るこの女性がカテリナさんだろう。聞いていた歳とも合致しそうだ。
「カテリナ様、内側から閂が下りていればどうにもなりません。しかし中の様子は心配でございます。ユーゼフ様、扉を破壊しても宜しいでしょうか?」
侯爵不在の今、この中で決定権を持つのがユーゼフ氏なのだろう。氏は腕を組み僅かに逡巡した後、仕方なしと縦に首を振った。
斧を取って参ります。そう言って走り出すヤースさんを私は制して。
「あの、私なら閂だけを壊す事が出来ると思いますが」
「本当ですか! でしたら、是非」
はい、と私。私はマスターから力の伝わり方を叩き込まれた。確か物理とか何とか……それがこんなところで役に立つとは。
「閂にだけ力が加わるように押せばいいのです」
それに元々斧で壊すつもりだったのだ。失敗して扉が傷付いても責められはしまい。侯爵の身に何かあれば私達の仕事も無くなってしまう。一刻も早く部屋の中を確認しなければならないのは私も同じなのだ。
「いきます! 少し離れて下さい」
衆人見守る中、扉に触れる。閂はこの辺りかな。こんな時マスターなら魔法で簡単に問題を解決してしまうのだろうが、私にはそこまでの術はない。
だから半ば力ずくで押し通ろうというのだが……
「ん? ずいぶん頑丈だなぁ」
手応えは確かに感じる。だが、あと一歩……ええい、面倒だ! そりゃ!
バキッ……バキバキッ。
やがて私の力の籠った一撃に、扉の裏で何かが壊れる音がして。
「やったか! 中はどうなっている?」
「ええ、ユーゼフさん。今扉を開きます」
そうして部屋の中になだれ込む私達。ぐるり部屋の中を見渡し……はたしてそこに侯爵の姿は無かった。
「誰も……いないですね」
「そんな訳ねぇだろ! 閂は中からしか掛けられないんだ」
「だが確かに父上の姿は見当たらぬ。隠れる場所も無し、そもそもそんな悪戯をする父上でもなかろう」
それはユーゼフ氏の言う通りだろう。脅迫状の事もあるし、私としては侯爵の身が心配だ。
「だったらどうやって! じいさんはこの部屋から煙みたいに消えちまったっていうのか?」
一方でコラント青年の言う事もわかる。力を込めた私が一番よくわかっているが、確かに扉に閂は掛かっていた。そしてもう一つ気になるところがある。
「あの、これは何でしょう? 壊れているように見えますが」
魔道具だろうか。壁際に取り付けられた魔法陣が描かれた箱……が壊されている。
「おお! これは跳ね橋を上げ下げする為の装置でございます。ああ、叩き割られております。これでは跳ね橋を再び下ろす事は出来ません」
という事は……
「ヤース! それはここから出られないという事じゃないの!」
何とかしなさい、と耳に響く声で捲し立てるカテリナさん。確かに入り口からは出られないという事なのだが……
「あの、カテリナさん。ほら、あそこに窓がありますよ。あ! 侯爵はそこから飛び降りたのではないでしょうか」
ふふん、我ながら頭が冴えてる! 下を覗いてみると、跳んで降りられない高さではない。
「何を馬鹿な事を言っているのかね。こんなところから飛び降りる事が出来るわけなかろう。怪我だけでは済まないよ、君」
「そ、そうだぞ。つまらねえ事言いやがって!」
あれ? 皆が若干引いてるような。こんな高さで怪我なんてしないよ、大袈裟だなぁ、もう。
「とにかく父上もおらず、この館に閉じ込められたとなると、対策を練らねばならぬな。ヤース、皆を一階に集めてくれ。そこで対応を考えよう」
侯爵が不在の今、ここぞとばかりに長男のユーゼフ氏がリーダーシップを発揮する。但し私の窓から出るという案はすげなくスルーされたようなのだけど。
そうして一階の広間にはボルドヴィン侯爵を除く、一族全員が集まったのだが……
「何だ、これは!」
テーブルに拳を叩きつけたユーゼフ氏の怒号が響く。原因はそのテーブルに置かれた一枚の紙切れだった。
――――一族皆殺し。死者の亡霊より。
なるほど、この館にちなんで死者の亡霊か。悪戯……にしては度が過ぎている。
「俺が二階に上がるまではそんなもん無かったぜ」
「だから私はこんな物騒なところ、来たくなかったのよ!」
「タナトス、お前の仕業じゃあるまいな」
「まさか。僕は先程ヤースさんに呼ばれるまで部屋にいましたよ、兄さん」
「マリア、それにルアとリア、お前達も知らないのだな?」
場に緊張が高まる中、そう言って一堂をぐるり見渡すユーゼフ氏。マリアというのは彼の奥さんで、ルアとリアは娘なのだろう。似ているから双子かも知れない。
そして彼女らを含め、ユーゼフ氏の問いにその場の全員が首を横に振る。
その時だった。
ドゴォォォン!
「きゃあ!」
「何だ! いったい」
それは地面を揺るがす程の爆発音で。
「おい! 厨房が燃えているぞ」
「すぐに火の手が迫ってくるわ」
こだまする悲痛な叫び。逃げ場が無いのだから仕方がない。でも慌てないで欲しい。
「落ち着いて下さい、皆さん。これくらいの炎ならどうという事はありません。私が直ぐに消火しますから、とにかく落ち着いて」
こういう場面では混乱こそが最悪の事態を招く。という訳で、急いで火を消さなきゃだね。
「い、一瞬で火が消えちまった」
そう言って目を丸くしたのはコラント青年だ。私はかつてマスターから炎の燃える仕組みを教わった。それがわかっていれば魔法で火を消すなんてお茶の子さいさい、へそで茶を沸かすより簡単だった。
「マスターがよく言ってたのよね、へそで茶を沸かすって。何でへそかはわからないけど……っと、皆さん、見て下さい。こんなものがありました」
炎が消えた部屋、そこに残っていたのは魔法陣が描かれた所謂魔道具というやつだ。その焦げ具合からこれが火元なのは間違いない。そして。
「皆さん、これで犯人がわかります」
私はそう声高に宣言したのだった。