出会い②
「いいですか、皆さん。魔法というのはこうやって使うのです」
それは敵陣の真っ只中だった。前方は勿論、右を向いても左を向いても敵ばかり、マスターの率いる少数の部隊は敵の大本営の前に孤立していた。しかも少ない味方の更に半分は私達見習い騎士、これまさしく絶体絶命というやつで。
「敵が散ると面倒なので、まずは一か所に集めます。炎柱防壁!」
刹那、炎の柱が壁を作るように地面から湧き立つ。そして私は確かに見たのだ。掲げられたマスターのその長い手が指し示す先、空に咲いた幾輪もの美しい魔法陣を。
「これで敵は逃げ場を失いました。でも良く見て下さい、左側が開いてますね。それではいきます。蒸気爆散!」
まただ、また複数の魔法陣。魔法を唱えると魔法陣が浮き上がる事は知っている。だが一つの魔法に魔法陣は一つ。複数の魔法を同時に使う事が出来るなんて私は聞いた事が無かった。それにこの魔法陣、今まで私が目にしたどんな魔法陣よりもそれは美しかった。
一方でその魔法の効果は絶大だった。密集する大本営の中心、おそらく敵大将がいるであろう辺りが轟音と共に一瞬で吹き飛んだのだ。
「これで終わり、と。後は騎士団に任せましょう」
一体何が起こったのか。ぽかんと口を開きぼんやりと戦場を眺める私達にマスターが言い放つ。するとそれがまるで合図だったかのように、どこからともなく姿を現した味方の別部隊が、炎の壁の隙間から逃げ出す敵兵に襲い掛かった。先程マスターが言っていたのはこの為の穴だったのだ。
騎士団による残敵の掃討。それはもはや戦闘と呼べる代物では無かった。一方的な虐殺。そう、これはマスターの圧倒的な火力を頼った一網打尽作戦。絶体絶命だったのは私達ではなく、マスターに睨まれた敵軍だったのだ。
「皆さん、魔法の使い方はわかりましたか?」
くるりと踵を返したマスターが静かな声で私達に問う。その問いに私は答える。
「わかりません」
そう、わかる筈が無い。私がこれまで見てきた魔法とは根本的に何かが違う。初歩的な魔法でさえ、見習いの私達には覚束ないのにわかる筈が無いじゃないか。
「そうですね、わからないでしょう。しかしですよ、魔法というのは誰かに教わるものではないのです。悶絶小僧、習わぬ経を読む。剣の技術もまた同じです。誰かに教わるのではない。見て学び、そして鍛錬を重ね、それを自分のものにしてゆくのです」
そういう事か。私達はもはや学校の生徒ではないのだ。自分で自分を鍛える、うん、なんとなくだけど言いたい事はわかる。どうして小僧が悶絶しているのか、という事以外は。
「皆さんは空いている時間に剣を振りましたか? 休憩中に魔法を唱えましたか? 言った筈です、自分の事は自分でやる、と。私に何か期待しましたか? 私に教われば剣の腕が上達すると。魔法が上手く使えるようになると。もしそんな考えでいるのなら、今直ぐ王国騎士になるのを諦めなさい。命のやり取りをするこの世界は厳しい。だから自ら学びなさい、いいですね」
それは私にとって、正しく目から鱗だった。
その後、北部辺境軍の侵攻作戦を成功させたマスターは、王都へ帰っていった。
やがて、見習い騎士としての実地研修を終えた私も、王都へと戻る事となる。
私に騎士としての心構えを教えてくれた教官、サゴマイザー・栖川と名乗ったその男にもう一度会える。私はあの日から毎日欠かさず剣を振り、魔法の鍛練に励んでいた。
その甲斐あって、現地指揮官に誉められる程、私の騎士としての実力は確かなものとなっていた。王都に戻って騎士になる為の試験を受ければ間違いなく合格する、と同期のシーアも太鼓判を押した。
だから、会ってあの時のお礼を言う。可能であれば彼に師事したい。その時の私はそんな事を想いながら、胸をときめかせていた。
しかし、その想いは実現しなかった。
「ん? サゴマイザー……ああ、あの男か。あの男なら王国軍を辞めたよ。北方辺境から戻ってすぐだったかな。伝説か何か知らんが、勝手なものだよ、全く」
王都に戻った私に、人事部の男はそう言ったのだ。
「その……それではサゴマイザーさんは今何処にいらっしゃるのですか?」
「うん? 詳しくは知らんが、まだ王都にはいるみたいだな」
結局、その場でマスターの居場所を知る事は出来なかった。王国軍の人間も、その居場所を知らなかったからだ。
それでも私は諦めきれずに、王都で情報を集めた。そして……
……そして、遂に辿り着いたのだ。ここ、何でも屋『角角鹿鹿亭』に。
報酬次第で何でも仕事を引き受ける凄腕の魔法師がいる。
王都の人々から聞いた情報を元に、恐る恐る訪ねたこの場所に、はたしてマスターは居た。今のようにソファーに深く沈み、眠たそうな瞳を擦りながら。
「教官! いえ、サゴマイザー参謀長殿。私を……」
――――弟子にして下さい!
言いたい事は他にも沢山あった。どうして軍を辞めたのか? こんなところで何をやっているのか? だけど最初に口を突いたのは、その言葉だった。
「ええと、ああ、君は確か北方辺境の……」
そう言ってマスターは目元に笑みを浮かべる。
「ノエル君と言いましたか。さっそくですが、私は既に教官でも参謀長でもありません。ここにやって来たという事は、私が王国軍に所属していない事も知っているのでしょう? それで私の弟子になりたいとはどういう了見なのですか? 君は確か王国騎士になりたいのではなかったのですか?」
そうだった。私の夢は王国騎士になる事。そしてその夢は間も無く叶おうとしている。だけど……
「私は、そう、私は王国騎士になりたいと思っていました。けれど今は教官からもっと沢山の事を学びたいと思っています。ですから、私を弟子にして下さい!」
あの日、マスターの魔法を見て以来、私は……
「それは困りましたね。私は弟子はとらない主義なのですが……ふむ、鍛練は怠っていない、か。騎士になる実力は既に備えているという訳ですか」
言ってマスターは俄に目を細める。
「王国軍を辞める覚悟はありますか? もし君にその覚悟があるのなら、私のところで社員として働くというのはどうでしょう。今の君の給金くらいは払えますから、後は君の頑張り次第です」
社員というのがどういうものなのかわからない。だけどここで教官のお手伝いをするという事なのだろう、とその時の私はそう思った。そして……
「はい! お願いします、教官!」
二つ返事で、その申し出を受けたのだった。
「ふふ、先程も言いましたが、私はもう君の教官ではありませんよ。そうですねぇ……社長、というのも堅苦しいし……そうだ、店主というのはどうでしょう。『角角鹿鹿亭』というんですが、この店の主という意味です」
「マスター……わかりました、マスター。よろしくお願いします、マスター!」
マスター。何度か口に出すと、その言葉が妙にしっくりくるようにも思えた。マスター、私のマスター。
そうして私は、王国軍を辞めた。