出会い①
……はふぅ。
今日何度目だろうか、私の口から溜息が漏れる。窓の外は太陽がさんさんと輝く好天、本当だったら今頃は戦場でマスターの活躍を間近で眺めていられる筈だったのに。くそぅ、この朗らかな陽気が憎い!
「ノエル君、何をぼんやりしているのですか? 手が止まっていますよ」
いけない、掃除の最中でどうやら私はぼんやりしていたようだ。しかしそう言うマスターだって今にも崩れそうな姿勢でソファーに沈み、眠そうに本を読んでいるだけじゃないか。つまり私達はとっても暇なのだ。
「うん? ノエル君は掃除をしているのですから暇って事は無いでしょう。一日の仕事は掃除から始まる。丁寧に掃除をする事によってオフィスだけでなく身も心も綺麗になるのです。基本を疎かにしてはいけませんよ」
それはわかっている。わかってはいるがどうにもやるせない。それに掃除が終わったところでどうせお客の一人も来ないのだ。マスターお手製の紅茶を淹れて、私も本を読みながら日がな一日を過ごす。来客の為に用意したお茶菓子は全部私とマスターの口の中だ。どうせなら魔法の一つも教えてくれればいいのに。
「マスターは退屈ではないのですか? いかにも眠そうな顔をしてますけど」
私は手を動かしながら尋ねる。
「それは心の持ちようですよ、ノエル君。退屈だと思うから退屈なんです。世界は常に驚きに満ち、そして人生は短い。ぼうっとしてる暇なんてないんですよ」
なるほど、そういうものか。言ってる事はよくわからないが、まあそういう事なんだろう。マスターは今この瞬間にも新しい発見をして新しい喜びを見出している。流石は私のマスターだ。マスターは暇ではないらしい。
「ん? 私は暇ですよ。人間万事最高に暇。何か面白い事はないですか? と、その前に紅茶を一杯所望します」
何だ、やっぱり暇なんじゃないか! それも最高に暇って。
「はいはい、今淹れますからもう少しお待ちを」
「はい、は一回」
キッチンに向かう私の背中に、マスターの声が小さく届いた。
丁度二年程前になるだろうか、私はここノースターテ王国で見習い騎士として北部辺境軍に配属されていた。将来は王国騎士として部隊を率いる一応はエリートコース。その為の訓練が課され、時に一兵卒として戦場に赴く。そんな日々を過ごしていた。
尤も当時の私は王国騎士に憧れを抱いていたし、その為には実戦がなによりで、その境遇には満足していた。辺境とはいえ、同期の中では戦場に出るのも早かったしね。
そんな折、北部辺境軍に大規模な敵地侵攻作戦が提案され、その為に王都エルブランドから新任の指揮官が派遣されてきた。それが私のマスター、サゴマイザー・栖川その人だった。
「ねぇねぇ、ノエル。今度の教官、王都では有名な凄腕魔導士なんですって。それにまだ若くてしかもイケメン!」
「どっから聞いてきたのよ、シーア。凄腕ってのはまあそうなんでしょうけど、イケメンかどうかなんてわからないじゃない。もう会ったの?」
「ふふ、噂よ、噂。まだ会ってないわ」
そう言って私達見習い騎士は新しく赴任する教官について、あれやこれやと期待に胸を膨らませていた。私としては顔はともかく優秀な魔導士というのは有難かった。騎士にも魔法の素養は必要である。だけどこの辺境軍にはこれまで初歩的な魔法を扱える者しか在籍していなかったのだ。
「ええ、私が北部辺境軍参謀本部参謀長として赴任しましたサゴマイザー・栖川です。作戦行動の合間に皆さんに教育指導を行いますので宜しくお願いします」
そう言ったマスターは、なるほどシーアが言った通り整った顔立ちをしていた。細身の長身で手足がすらりと長い。やや彫りの深い顔に吸い込まれそうな黒い瞳、そしてその目と同じく黒い髪は短く後ろに撫でつけられている。総じて言うと、まあイケメンの部類に入れてやっても良い。
「私が担当するのは戦術論、実戦魔法技術、それに一般教養です」
その言葉に私の期待もぐんと膨らむ。魔法技術を教えてもらえるのは嬉しい。だが、一般教養とは……
「皆さんにお尋ねしますが、あなた達はこれから王国騎士になろうという候補生ですね。では騎士にとって一番大切な事は何でしょうか」
しかしその一般教養が曲者だった。
「はい、そこのあなた、どうですか?」
「剣の腕、でしょうか」
少し照れたようにシーアが答える。なるほどそれもあるかも知れない。魔法も必要ではあるが、騎士は剣の技術があってこそだ。だけど一番大切な事となると私の答えは違う。それらの技術も大切だが、王国騎士として国を守る、その強い意志こそが最も求められる事なのではないだろうか。
「剣の腕、なるほどなるほど、違います。ではそちらのあなた、ノエルさんでしたか。ふむふむ、国を守る意志、なるほど心ですね。はい、違います」
しかしマスターは私達の答えをいとも簡単にばっさりと切り捨てた。言葉使いこそ丁寧だが、言っている事は容赦無い。
「あなた達にとって最も大切な事、それは時間を守るという事です。いいですか、時間を守る。皆が時間通りに動いて初めて良好な人間関係というものが生まれるのです。これからは皆きちんと五分前行動を心掛けて下さい」
時間を守る…… そんなの当たり前の事ではないのかしら。確かにそれは大事な事、しかし一番というなら他にもありそうなものだけど。
「流石は一流の魔導士様、言う事が違いますね!」
ふと隣に目をやると、シーアがその大きな瞳を爛々と輝かせ頷いている。そうか? そんなに凄い事を言ったか?
「ノエルは聞いて無かったの! これはきっと戦いをする上ではとっても大事な事なんだわ。皆が予定通りに動かないと戦略も戦術もあったものではないのですわ! うっ、痛っ」
興奮するシーアにマスターから圧縮空気が飛ぶ。
「無駄口を叩かないでもらえますか。シーアさん、それにノエルさん」
ほら、私まで巻き沿いを喰らったじゃないか、シーアの馬鹿。早々に目を付けられたらどうするの、もう!
「いいですか、皆さん。人の話はちゃんと聞く。ご飯は残さず食べる。自分の事は自分でやる。そして時間を守る。それらが出来て初めて立派な王国騎士になるのです」
マスターはそう言って胸を張り、まるで名言を残したかの様な顔でその目を細めた。いや、待て。それで立派な騎士になれるのならこの国はもう騎士で溢れ返っている筈だ。それともこんな幼年学校の生徒でも出来る当たり前の事を、この国の大人は守れないのだろうか。解せぬ。
「いいですか、皆さん。今日は掃除の心得をお話します。掃除というのはただそこにあるものを磨くだけでなく、皆さんの心を磨く鏡なのです。自分の身の回りすら綺麗に出来ない者に騎士は務まりません。昔の偉い人はこう言いました。掃除から始めよ。これはまず掃除をせよという意味で……」
と、こんな具合にマスターの有難い話が数日の間続いた。最初のうちこそ目を輝かせてうっとりとその美声に酔い痴れていた見習い騎士達だったが、毎日繰り返される説法の様な話に皆次第にうつらうつらと船を漕ぐ様になっていった。そしてその度、マスターの圧縮空気が飛んだ。
「ノエル、あの教官きっと私達に何も教えないつもりよ。だってそうじゃない、毎日しょうもない話を聞いたって私達一向に強くなれないわ!」
そう言って休み時間に愚痴を零すシーア。しかし彼女の言う事も尤もだった。説法の間にランニングをしたり筋トレをしたり、基礎体力作りのトレーニングはあったものの、剣を振ったり魔法を教えてもらったりという事は無かった。
本当は魔法の腕も大した事ないんじゃないのか。いつしか私達の間にそんな空気さえ流れるようになっていた。それが一変したのは北部辺境軍に於いて侵攻作戦が開始され、マスターの魔法を初めて目の当たりにしたその時だった。