新入社員はちびっ娘!?
「うわぁ、人がいっぱい!」
王都にあって繁華街に近いとはいえ、普段は閑散とした通りに人、人、人。窓から見えるその異様な景色に、私は思わず感嘆を洩らす。
「何を呑気な事を言っているんですか。もうすぐその沢山の人がここに押し寄せてくるのですよ」
言いながら優雅にカップを持ち上げるマスター。そう、王国中の猛者を集めたようなあの集団が向かっているのは、ここ角々鹿々亭なのだ。
先日からのお気に入り、ラベンダーさんから貰った紅茶の甘い香りが鼻腔を擽り。
「わかってますよぅ。マスターも早く準備をしてください!」
私は春の陽気に言葉を重ねた。
先のヴェスパニアの一件でマスターの名が世界に轟き、仕事の依頼が殺到……という訳ではない。
つまりここに集まった彼ら彼女らは客ではないのだ。
「どうぞ、順番にお入り下さい」
私の呼び掛けにガチャリと入り口が開く。
「あ! 押さないで下さい! 一人ずつ案内しますから!」
一斉に中へ入ろうとする者達を魔法で押し返し、ドアを閉める。ふぅ、順番にと言ってるのに、とんだ魔法の無駄遣いだよ。
それにしてもこんなに多くの人が集まるなんて思いもしなかった。マスターが社員を募集しますと言った時には、はぁそうですかと深く考えてなかったけど、なんだか大変な事になってしまった。
私とマスター、ただ二人の角々鹿々亭。しかし先のヴェスパニア暴走の一件で、私がかの地の鉱山採掘権を主張したばかりに、北方の国々の様子を常に監視しておく必要がでてきた。
力を弱めたヴェスパニアを鉱山ごと諸国から護らなくてはならなくなったのだ。
そこで、営業所というのをヴェスパニア領内に置くらしいのだが……
「ええと、ジャスパーさん、でしたか。魔法がお得意だということですね?」
「はい、それはもう! この王国で私より魔法を上手く扱える者はおりますまい」
私の問いに自信満々の様子で返すジャスパーさん。それを聞いたマスターの瞳がキラリと光る。
「おお、それは素晴らしい! じっくり話を聞かなくてはいけませんね。ノエル君、紅茶のおかわりを。ジャスパーさんも如何です? ふむ、では三杯分ですね。面倒なので魔法を使っていいですよ」
そう言ってにこり微笑むマスター。私は座ったままでポットにお湯を入れ、カップに注ぐ。
それにしても珍しい。普段は掃除や家事炊事に魔法を使うことを禁じられているのに。
「それではジャスパーさん、どのような魔法を使えるのか見せて頂けますか?」
軽く紅茶に口をつけたマスターが魔法の実演を促す。王国随一という魔法の腕前に私も胸をときめかせたのだが……
「……」
「ん? どうしたのです? 魔法がお得意なのでしょう? どんな魔法でもかまいません。ノエル君がやったみたいに紅茶を淹れてみますか?」
「あ、あ、いや、今日はどうにも調子が悪いようです。私はこれで失礼します」
そう言って、すっと立ち上がったジャスパーさんは、そのまま入り口を出ていってしまった。
「……帰っちゃいましたね、マスター。どうしたんでしょう。紅茶が口に合わなかったのかな」
「ふふ、どうしたんでしょうねぇ。まあ仕方ない、次にいきましょう」
それからも続々と応募者がやってくる。華麗なステップを踏む者、力自慢、弓の名手、王国騎士さらには未来が見えるという占い師まで。
そして皆その自慢の腕を披露するのだが、どうもマスターの眼にはかなわなかったようだ。
いや、そりゃそうだよ。力自慢といっても私に腕相撲で勝てないし、占い師に至ってはちっぽけな魔力が駄々漏れでインチキがすぐにバレちゃうし。
「うふふ、みんなノエル君の力に怯えて逃げるように帰っていきましたねえ。ほどほどにして下さいよ」
言ってクスクスと笑うマスター。なんだか私が悪いみたいじゃないか。言われた通りに振る舞っているだけなのに。
ぷんすか!
「まあまあ、ノエル君そう怒らないで下さい。君の実力を知らないで甘くみた彼らが悪いのですから。これだけ多くの応募者が集まったのは……」
なんでもマスターが言うには、今回社員を募集するにあたって、私の給金を目安として公開したらしいのだ。
確かに私の給金は見習い騎士時代の同期と比べても多い。いや、その上司と比べてもちょっぴり多い気もする。先日のヴェスパニアの一件でも特別ボーナスを貰ったし……
……あれ? あんまり使わないから気にもしなかったけど、私の給金ってめちゃくちゃ多いんじゃ!?
「そんなことはないですよ。私は仕事に見合った給金を渡しているだけですから。今日集まった人達は同じだけの給金を受け取る資格がなかったというだけです」
ふぅん、そんなものか。こんな小娘でもたくさんの給金が貰えるんだからと、たくさんの人が集まったというわけだ。
「でも……困りましたね、人手が足りないのは本当ですから。優秀な人物がいれば是非、と思ったのですが」
そう、気がつけばあれだけいた人達がすっかりいなくなっていた。
「力不足だったとはいえ、王国でも名の通った方々もちらほらいましたからね。そんな彼らが顔を青くして出ていったものですから、自信のない者はこの入り口を潜ることなく退散していったのでしょう」
そう言って、残念そうに肩を竦めるマスター。私が入り口の扉を開けて顔を出すと、あれほどひしめき合っていた行列は跡形もなく消え去っていた。
「うう、マスター、誰も居なくなってしまいましたね」
「そうじゃな、ということは我が採用ということじゃな」
!?
誰も居ないはずの空間から突如聴こえる声! もちろんマスターの声ではない。
「ま、マスター! 変な声が聴こえます!」
「変な声とはなんじゃ! ほれ、我はここぞ!」
確かに声が聴こえる。でもぐるりと首を回してみても誰も居ないのだけど……
「むむ、何処を見ておる、小娘! それにそこな小娘はともかく、お主は見えておるであろう、ダンディボーイ!」
「ふふ、魔力は感じますが、見えてはいませんよ」
魔力? 私には何も感じないけど。
「むきぃ! それは見えとるのと同じじゃ! ほれ、小娘も、下じゃ、下!」
下? うわっ! 居た! 小さい、それに……可愛い!
私が視線を足元に落とすと、そこにはお人形のような可愛らしい女の子が。
「ふん、ようやく我に気付いたか、小娘よ。ほれ、早く案内せい!」
女の子のくるくる捩れた金髪がふわりと揺れ。
「マスター! 居ました! 女の子です。迷子かしら」
「ええぃ、誰が迷子じゃ。何とか言うてやれ、ダンディボーイ」
再びむきぃ、と頬を膨らませる女の子にマスターが笑う。
「ふふ、そうですね、そろそろいいでしょう。どうぞこちらへ、お嬢さん」
「お前にお嬢さんと呼ばれる筋合いはないが、まあよい。雇い主の前では大人しくせんとな。我はラスブランカ……」
ラスブランカ・ギュスターヴィア。まきまきの金髪を揺らして、彼女はそう名乗った。
「ま、マスター。雇い主とはどういうことでしょう?」
「ん? お主らは社員とやらを募集しておったのではないのか? それとも先ほどの有象無象どもと同じように……」
腕試しでもしてみるか? とラスブランカ。
「いいえ、やめておきましょう。今のノエル君ではちょっと荷が重い」
「今の、じゃと? そこな小娘はそれほどの器かえ」
その言葉にマスターは無言で頷いた、ように見えた。そして、ともかくと口を開き。
「あなたがうちで働いてくれるのなら私としても安心でします。ですが、あなたのほうはそれでいいのですか? 正直なところあなたの一族を雇えるほどの大金は用意できないのですが」
「何を今更じゃの。小娘と同じくらいの給金で構わん。金などいくらあっても邪魔なだけぞ。それよりも我の望みは一つ」
わかっておろう? とラスブランカ。マスターが用意できないくらいの大金っていったいどれほどだろう? それに彼女の言うこともさっぱりわからないんだけど。
「なるほど、今回の募集はもとよりそのつもりでした。お互いの利益が合致したというわけですね。わかりました、それではギュスターヴィア嬢、あなたにヴェスパニアの営業所赴任をお願いしましょう」
「うむ、任せるのじゃ」
こうしてあっという間にラスブランカの採用が決まった。どうやらマスターは魔法兵器を失って隣国の脅威に晒されたヴェスパニアに営業所という名の拠点を設けるつもりだったらしい。
そしてそこの人員を募集していたというわけだ。
「それでマスター。彼女はいったい何者なんですか?」
今の私ではとても敵わないとマスターは言う。魔力だろうか、それとも何か特別な能力を持っているのだろうか。この人形のような女の子が……
そんな私にマスターが微笑みとともに口を開いて。
「そうですねえ。彼女は……」
見た目の通り、可愛らしい女の子ですよ。
そう言って、楽しそうに笑った。




