魔法兵器攻略戦①
「はふ、この紅茶は美味しいですね、マスター」
「ふむ、そうですね」
「今日も仕事の依頼はありませんか」
「ふむ、そうですね」
「……代官よ、お主も悪よのぅ」
「ふむ、そうですね」
はて? 何やらマスターの様子がおかしい。普段なら私が紅茶の話をすると食い付いてくるマスターなのに、今日はどこか上の空。
ちなみに最後のはマスターが教えてくれた時代劇というやつの一節だ。この後悪代官は正義のヒーローに成敗される。
「どうしたんですか、マスター? どこか具合でも悪いのですか?」
巷では咳の病が流行っているという。それとも仕事が無さ過ぎて悩んでいるのだろうか。
しかしそんな私の心配にマスターは、何でもありませんよ、と一言。直ぐにまたぼんやりと窓の外に視線を移した。
ふぅむ、こういう暇な時こそ魔法を教えてもらおうと思ったのに残念だ。せっかく二つの魔法の同時発動が出来るようになったのになぁ。
「ノエル君、私はこれから出掛けます。今日は少し早いですが、ノエル君も上がっていいですよ」
徐に立ち上がったマスターが私に告げる。見るともう帰り支度を始めており。
「マスター、仕事ですか? 私も行きましょうか?」
「それには及びませんよ、ノエル君。仕事とはいっても半分は私の趣味みたいなものですから。後の戸締まりだけはきちんとお願いしますね」
そう言ってそそくさと出ていってしまった。
マスターの様子を気にしながら帰る準備をしていると、来客を告げるベルが鳴る。
「はぁい、いらっしゃいませ」
「相変わらず元気ね、ノエル。あら? 今日は教官はいないのかしら?」
聞き慣れた声で颯爽と扉を開けたのは、王国見習い騎士時代の同期、シーアだった。マスターの事を未だに教官と呼ぶ彼女は、私の営業スマイルを無視して奥に目をやり。
「まあいいわ。久しぶりにノエルに会いたかっただけだから」
そう言うと彼女は躊躇無く来客用のソファーに腰を下ろした。久しぶりと言っても、つい十日程前にやってきたばかりなのだけど。
「ちょっと待ってね、今紅茶を淹れるわ」
私がそう言うと満足そうに頷くシーア。彼女はここで飲む紅茶を大層気に入っている。
「でもノエル、今日はただ紅茶を飲みにきただけじゃないのよ」
私がカップを置くと言い訳するように首を振る彼女。別に私は何も言ってないんだけどなぁ。
「それでシーア、何か用があったの?」
「ええ、用という訳じゃないんだけど、騎士団の出兵が決まったのよ。それでしばらく帰ってこれないから挨拶をしておこうと思ってね」
そうか、それは寂しくなる。見習い時代は訓練をよくサボっていた彼女も、今や立派な王国騎士だ。出兵という言葉に少しだけ羨ましさも感じる。
「教官でも居れば戦いも楽なんだけどなぁ」
なんでも今度の出兵は大規模な遠征になるらしい。北の小国が勢いづいて勢力を拡大しているという話は噂に聞いていたが、どうやらその討伐に向かうという事だった。
それを聞くと少し心配になる。
「なに、大丈夫よ。今度の戦では件の小国、ヴェスパニア王国の被害に遭った国々が盟約を結んだの。連合軍ってわけ。数も圧倒的にこちらが多い。だから負けないわ」
それなら良かったが。でもどうしてヴェスパニアはそんな暴挙に出たのだろう。手当たり次第に喧嘩を売ればいずれこうなる事はわかっていた筈。どうにも解せない。
「それよりも、ここにノエル一人っていうのも珍しいわね。お店を任せてもらえるようになったのかしら?」
うぅん、どうなんだろう。マスターは早く帰るようにと言っていたが、これは信頼されているという事なのかしら。ちょっと違うような。
「少し様子がおかしかったの。なんだかぼんやりして、急に出ていっちゃったから……」
「それは怪しいわね!」
私の言葉にぎらりと目を輝かせるシーア。はて? 何が怪しいんだろう。
「怪しい、怪しいわよ。ノエルに内緒でこそこそと出ていく。これは……女、ね」
別に私が聞かなかっただけで内緒でもないし、こそこそもしていなかったけれど……女、と言われれば気になってしまう。
そういえばマスター、その手の浮いた話は聞かないなあ。確か独身だという事だけど……
「ノエルという者がありながら他の女に手を出すなんて、案外酷い男だわ」
黙ってしまった私にシーアが追い討ちを掛ける。わ、私はそんなんじゃないけど。
「これはちゃんと問い詰めた方がいいわよ、ノエル。その女と、どっちを取るのかはっきりさせないと!」
なんだかシーアの中では既に物語が出来上がっているようで。
「そうね、まずは現場を押さえないとね。ノエル、そういうの得意でしょ? この間も言ってたわよね、探……偵、だっけ」
「あは、そんな大袈裟な事しなくてもいいわよ。それにマスターが女性と会っていたって私には関係ないんだから」
そう、私には関係無い。関係無いけど……気にはなる。
「シーアはこれから出兵でしょ。そっちの方が大変だよ。私の方はいいからさ、戦いに集中しないと」
これ以上シーアのお喋りに付き合っていると、話がややこしくなってしまう。そう思った私は早々に切り上げた。
「そうね、私の方は心配ないけど……準備もしなきゃいけないし、そろそろ行くわ。せっかく面白そうなところだったのに」
そう言ってシーアが席を立つ。最後に面白そうと聴こえた気がしたが……まあ、いいか。
そして数日後、再び早めに仕事を切り上げたマスターが足早に店を出る。
「行ってらっしゃい。私も直ぐに帰ります」
そうして手早く片付けを済ませた私は……こっそりとマスターの後を追った。
だって気になるんだもの、シーアがあんな事言うから。いや、仕事が終わったのだから私が何をしていても自由な筈。たまたま私の帰る方向がマスターの行き先と同じだっただけで……って、私の家は反対方向だけど。
と、頭の中でぐるぐるとつまらない事を考えていると、そこはいつしか王都の繁華街で。
「おかしいな、真っ直ぐに行けば繁華街はすぐなのに。随分遠回りをして……」
途中で何処かに寄った様子もない。もしかして尾行を気にしているのかしら。だとしたら少し気をつけなければ。
尾行のコツは気配を消す事。行動にも注意しなくてはならないが、マスターの場合は特に魔力に気を配る必要がある。これ以上近付けば私の魔力に気付かれてしまうだろう。
かといって完全に魔力を消してしまうのもまずい。通常存在する筈の魔素、それが全く無くなってしまった時の違和感、そういうものにマスターは凄く敏感なのだ。
「まあ、そんな違和感を感じる事が出来るのは、マスターくらいのものなんだけどね」
かく言う私もマスターの側にいるせいか、それを感じる事が出来るようになった。実は今回の尾行も、遠くからマスターの気配を追ったのだ。
強力な魔力では無く、綺麗に消された魔力の跡を。そうでなければとっくに見失っている。
「私が追っているとわかればもっと自然に隠れる筈だから」
――――まだ気付かれてはいないのだ。
やがてするりと繁華街を抜け、裏通り、また裏通りへと進む。道行く人の数も徐々に少なくなり。
「あ、あんな細いところに入っていく!」
それは所謂路地裏というような場所で。私は一層の注意でもって後を追う。
そして視界に映るマスターの後ろ姿。しかしそこには……
「女の人だ……」
そこには、綺麗な黒髪を肩まで伸ばした白い顔の美しい女性が、マスターと向かい合うように、にっこりと微笑んでいたのだった。