10 同居開始
机の上に力なく突っ伏して、長い青髪のせいで浜辺に打ち上げられたクラゲのようになってしまっている男に、いくらかトーンの高い声で露骨なご機嫌取りのセリフを紡ぐ。
「ほらほら、私は大丈夫ですから、気を取り直して下さいよ。
そうだ、名前決めましたよ、名前。ねっ」
「名前……」
私の言葉に反応し、ほんの僅かに顔を上げて、ションボリした表情のまま上目遣いでチラ見してくる美貌の青年。
ほぉん。
こりゃまた、あっざといなぁーっ。
うっかり頭撫でてやりたくなるから止めなさい、ソレ。
もう大人なんでしょうが。
そんな、私よりデッカい図体して、恥ずかしいぞ?
おおん?
「フェリクスでどうでしょう?
どこか遠い国で、確か幸運を意味する言葉だったと思います。
伴侶の件は置いといて、これから先、貴方には幸せになって貰いたいので」
「……幸運?」
「そうですよ。
わざわざ辛いばっかりの人生を送らせるために、三年前、貴方を助けたわけじゃあないんですから」
だから、私にフられても短慮は起こさないで、ちゃんと生きてください頼むから。
不穏な思惑に気付いてて、言外に牽制してるってことまで彼が察してくれるかは分からないけど……これで、少しは考え直してくれないもんかねぇ。
「リレイジア……貴女は優しすぎる……」
「えぇ?」
何を言い出すかと思えば。
大体、アンタは私という女を買いかぶりすぎてんだよ。
本当に優しい人間だったら、そもそも不遇と分かってる少年を、自己保身のためにリリースしないからね。
「妻問いが厭わしければ、貴女はもっと僕を冷酷に突き放すべきだ。
いっそ、その手にかけてくれたっていい。
僕は喜んでソレを受け入れるだろう」
「そんな極端な」
出来るなら、とっくに殺ってるわ。
ともすれば、生まれてから一度も会ってない実の両親より、情を傾けてる可能性があるぐらいなのに。
「無闇に慈悲をかけては、執着が深まるばかりか、付け込まれる隙となりかねない」
YOUがそれを言っちゃう?
「例えば、望み通り僕が幸せになるにはリレイジアの存在が不可欠だと、そう迫れば、貴女は頷いてくれるのか?」
「……いや、勘弁してくださいよ」
「あぁ、分かっている。
形だけではなく、心を欲するからこそ、今の僕に強引な手段など取れるはずもない。
だが、執着が煮詰まり過ぎれば……おそらく、その限りではないだろう」
色んな意味で物騒なことしか言わない口だな。
あいにく、それで熱烈に愛されてる素敵とか思うような、狂った感性は持ってないんだが。
「先祖返りは心の欠けた者が多い、ってヤツですか?」
「そうだな。
リレイジアを想うたび、僕はこの身に流れる魔物の血の存在を痛切に感じさせられるよ」
何か一人で、すっごい深刻そうな顔してる。
てか、全く想像つかないんだけど、実際に限界を迎えたら、どういうアレになる予定なの?
私、性的な意味で押し倒されたりするの?
この絶世の美男子が?
顔も体も歪んでる上に結構マッシヴな醜女を相手に?
絵面サイテーじゃない?
それで、アレか。
だからこそ、改めて断られたら、その後は暴走しない内に自死すべきだと、そう思い込んでるってぇワケだ?
うんうん、なるほど。そっか、そっか。
……クッソ重たっ。
「えーと、アピールするのに明らかにマイナス点になるようなことって、隠そうとは思わないものですかね、普通は」
実は、私に愛されるのは無理と確信してて、むしろ、殺してもらうのが真の目的、とか……そういった独り善がりな本音はありませんよね?
「本気で形振り構わぬならば、それが賢いやり方なのだろうな。
だが、沈黙を選んだ結果、万が一にも貴女が傷付くようなことがあれば……僕は、僕を赦せない」
「仮に、警戒させたせいで、愛される可能性がなくなっても?」
「………………そうだ」
うっわ。
フェリクスさんってば、質問の直後、小刻みに震え出した自身の腕を素早く掴んで、血が出るぐらい強く握り込んじゃってるんですけどぉーっ。
めちゃめちゃ苦渋の選択なんじゃないですかー、やだーっ。
何で、こんなヘビィな子に育っちゃったかな。
やっぱ、環境が悪かったんだよ。環境が。
周りの大人皆が彼を正常に可愛がってたら、ちゃんと健全な精神が育まれてたよ。
世界を恨むような子供時代を送った今でさえ、これだけ理性的に己を律しているんだからさぁ。
きっとヤンデレるどころか、スパダリになってたって。
もったいないこと、この上なし!
「しかしねぇ、実際のところ難しいですよ」
「何がだ?」
「幸運なんて名を付ける程度には嫌ってない相手を、伴侶にはちょっと、ってだけで血も涙もない対応取らなきゃいけないっていうのが」
「……リレイジア」
「ちなみに、長旅で疲れてる今日ぐらい、夕飯たっぷり食わせて、温かい風呂にも入らせて、久しぶりにマトモな寝床で休ませてやろうってつもりでいるんですけど」
「リレイジア」
メッチャ深いため息吐くじゃん。
「聞き分けのない子どもを見るような目、止めてくれません?
私、こんなでも君よりお姉さんなんだぞっ?」
「っリレイジア……これ以上、僕を狂わせるな。
我が身が可愛いのなら」
うわ、コイツやべぇ。
絶対に気持ち悪いと思って、指差しつつ小首を傾げてブリっこ声を出してやったら、一気に顔面丸ごと真っ赤にして悶えちゃってんだけど。
カジモ○系女子相手に正気か。
あ、いや、正気ではないのか。
改めて、恐ろしい男だな、キミは。
「私がどうこうっていうか……貴方も、あんまり思い詰めない方がいいんじゃないですか?
何がなんでも我慢しないとなんて抑圧かけるから、余計に心労が溜まって悪化が早まるんですよ。
深刻にならずに、適当にいきましょ適当に。
そしたら、大抵のことは意外と何とかなりますって」
「……呆れた楽観主義だな、貴女は」
そんな頭抱えて唸ってないで、健康で文化的な人権ある生活を送って、正常な精神を宿そうや。
もう完全に性癖として定着してしまった可能性については、ちょっと気が付かないフリでお願いしゃっす。おっす。
「あっ、そうだ。
今から私、少々一方的に言いたいこと言わせていただきますけど……フェリクスが近所で暮らすと決まったからには、先住民として注意すべき事項が沢山ありましてね?」
「え?」
「本格的に森で活動を始められる前に、最低限でも指導を受けてもらわないと、なぁなぁにして後で困るのは私の方なんです。
であるからしてぇ、こちらの挙動一つ一つにいちいち過剰反応してないで、しっかり森のルールを頭に叩き込んでいただきたく、ついては、その延長としての本日の宿泊を提案したものであり、他意なき事実をまずはよくご理解いただいた上で、積極的な協力姿勢を……」
「……まだ許してくれるのか?」
「はぁ? 何の話ですか?」
人がしゃべってる途中でしょうが、お行儀の悪い。
そんな、いかにも驚愕みたいな目をして、どうしたっていうの。
お姉さん、エスパーじゃないから、きちんと説明してくれないと分からないぞっ?
おえっ、自爆。
「己を律せず貴女に触れた僕が……リレイジアにとって、ただ危険な存在である僕が、まだこの森に暮らすことを許してくれるのか?」
えっ。
キミ、未だにそのネタ引っ張ってたの?
たった一回、つい手ぇ握っちゃったってぐらいで、大げさだな。
「あー……まぁ、はい。そうですね?」
だって、今このままダメって言って帰したら、アンタ死ぬでしょうが。
黙ってたって知ってるんだよ、こっちは。
伊達にあの世は見てねぇのよ。
そんな心の傷になりそうな展開、私ゃまっぴら御免だからね。
あっ、こら。
止めなさい、潤んだ眼差しを私に向けるのは。
そっちの思うような理由で許可を出してるワケじゃないんだって。
余計な罪悪感を背負いたくないだけだから、ガチで。
「大体ねぇ、フェリクスは魔物の血ってヤツに怯えすぎなんですよ。
うっかり不埒な行いをしようものなら即座に投げ飛ばしてあげますから、貴方は安心して普段通りの自分で居りゃあいいんです。
じゃなきゃ、伴侶にするもしないも判断つかないでしょうが?」
「リレイジア……っ」
まぁ、伴侶云々はあんまり本気で考えてないけど。
辛気臭いツラした美形に連日纏わりつかれるとか、想像だけで鬱陶しいじゃん。
……って、キミは何を恋する乙女みたいな惚けた表情を晒しているんだ。
顔の造形が良いから無駄に似合うじゃないか。
これ絵画とかになったら、すごい高値で売れそうだな。
「好きだ、結婚しよう今すぐ」
「おい。トチ狂ってんなよ、青二才」
普段通りにって、それ明け透けに思考を垂れ流せっていう意味じゃないですからね!?
あと、その口ほどに物を言う目も、うるさいから黙らせてくれます?
はぁー、倦怠感……。
そりゃあ、まぁ、ね?
私だって、彼を恋愛的な意味で好きになる見込みについて、ゼロとまでは言わないよ?
容姿も変化して、少年時代がチラつくことも滅多にないし。
ていうか、逆にその立派すぎるナリでまだ十七歳って事実が恐ろしすぎるんだけど。
プラス方向に十歳ぐらい年齢詐称してない?
配下のモンスターたちの反応がなかったら、絶対少年のお兄さんか何かと勘違いしてたぞ?
ま、そんなワケで、まず異性として見ることは一応、意識して切り替えれば出来ると思う。
ただ、やっぱ、恋ばっかりはね……努力して何とかなるモノとは違うし。
逆に同情だけでいいなら、私は多分、今からでもフェリクスに大泣きしながら抱きつかれて「僕だって幸せになってみたい」とか「貴女がいないと呼吸の仕方も分からないんだ」とか必死に懇願されたら断れない気はしている。
可哀想に可哀想にって、きっと抱き返してポンポンヨシヨシしてしまう。
そのまま慰めで大人な関係にだってなってしまうかもしれない。
ただし、それは一生対等な夫婦にはなれない歪んだルートだ。
バッドエンドその3、誤り過ぎた母性とかタイトルがつくに違いない。
だからこそ、当の本人はこんな風に、私に甘える形での迫り方は絶対して来ないだろう。
じゃなきゃ、最低限は鍛えてきただの、今の自分を見ろだの言わないって。
この稀有な美青年は、いっそ私に頼られるぐらいの存在になりたいと思っている、はず。
そして、私は彼のそういったヤンデレに堕ちきれない尽くし気質のせいで、いまいち非情になりきれないワケだね。
うん。完璧な自己分析。
考えれば考えるほど、嫌な予感が深まっちゃう。
これまでの話を総合するに、とりあえず、ご近所さんになって、その内に彼が素の私に幻滅して執着が消えて、それで死なずにどこかに去って、ついでに遠くの知らない場所で勝手に幸せになってくれるのが、一番穏便に済む結末なんじゃないかな。
いわば、トゥルーエンドってやつね。
ぜひ、目指したい。
でも、フェリクスの盲目っぷりヤバいし、難易度高いかなぁコレは。
たかだかゲームシステムに収まる程、現実ってのは単純なモンじゃあないし。
例え、同じシチュエーションに置かれたとしても、リアルというだけで、エンドの数は十倍にも百倍にも増えてしまうだろう。
とはいえ、迷惑だから夢から醒めろって、わざわざフェリクスに酷いことするのも違うんだよ。
離れては貰いたいけど、あくまで嫌われたくないのが本音のところ。
縛りが多くて、八方ふさがりだ。
参ったね、こりゃ。
しばらくすれば、美青年の気も落ち着いたようだったので、私は、これからのご近所生活について具体的な話し合いを進めようとした。
……んだけど、これがまぁ、出るわ出るわ、自分を痛めつけるのが目的のような、杜撰な計画の数々が。
小屋らしい小屋を建てる気はなくて、棺桶程度の木箱を作って、その寝床を樹上に設置して拠点にすつるもりだった、とか?
実は、生肉が食べられるから、日々狩りに出て毎食それだけで済ませようと思ってた、とか?
水分にしても、近くの川に流れてるのをそのまま飲むつもりだった、とか?
風呂も洗濯ももちろん、その川で全部済ます予定で。
トイレはもう、したくなったら都度その場で、適当な近くの葉を千切って拭う、とか。
エトセトラ、エトセトラ。
も、バッッッカじゃないの!?
そんなもん人間様の暮らしと認めねぇーーーーから!
先祖返りの自分の体なら耐えられるじゃねぇ、今そういう話はしていない!
お前は何を目指してるんだよ!
その辺の動物だって、もうちょい計画的に生きてるわ!
なんなら、配下モンスター達の方が明らかに文化的な生活送ってるわ!
よっくもまぁ、そんな体たらくで口説くだの何だのと堂々宣言できたもんだな!?
私は、もっとこう、小屋を建てる場所とか、それに適した木の群生地とか、道具が不足するなら貸出やシェアも大丈夫だとか、あと、なるべく早々にボスであることを明かして縄張りを案内するついでに双方向に紹介することで不幸な事故が起きないようにしたり、互いに都合のいい訪問時間を決めたり、一から開墾するのは大変だから私の使ってる畑を更に広げて共同で野菜を育てるのもいいんじゃないかとか……そういう、色々を、話し合うつもりだったんだよ!
バカぁ!
何度も拳で叩いてしまって、罪のない机には悪いことをした。
ホントごめんね、ヒビとか入ってないよね?
さすがに、内心を全部そのまま吐露なんてことはしていない。
大人だもの。
ただ、さんざっぱら怒り狂って説教かましてる内に、最低限のですます口調すらどっか行ってたよね。
ていうか、フェリクスあの野郎、すまないと謝罪しつつ、妙にニヤニヤしてくれやがって。
何を喜んでいるんだとヒートアップしてしまったけど、完全に逆効果になってたし。
構われたくて大人にちょっかいかける幼児の心理と一緒でしょ、アレ。
怒りでも何でも、相手が自分を見てくれたら、とにかく嬉しいってヤツ。
で、私の立腹理由も、根っこは彼を心配する気持ちから来てるもので、彼もそれを分かってたから、余計に真顔ではいられなかった、と。
アホらしい。
それで、我を忘れて頭火山を爆発させた結果…………自分でも謎な流れで、二人暮らしすることになっちゃたし。
この家で。
そうだよ、真のバカはこの私だよッ!
想いに応える予定もないくせに、自分のことを好いてる男と同居って有り得ないでしょ!?
そんな思わせぶりクソビッチ女、脳みそにフォークぶっ刺されても文句も言えないよォ!
ぐおぉぉおおお!
いっそ殺せぇーーーーーーーーーーっ!
今日だけで、いったい何人分の墓穴を掘りまくってるんだよぉぉぉぉ!
プロ墓穴職人かって、もう、朝が早そうだなぁオイぃ!
バカバカバカぁ! バカの連続核弾頭っ!
なぁにが「お前のような真正ドМ野郎を森に放てるか!」だよ、私!
何様だよ!
ボス様だよぉ!
つよいぞウホホーっ!
もちろん、美青年は反対した。
四六時中一緒にいるのは、さすがにマズいと。
少年の頃とは違うのだと。
私もそう思う。
この状況で襲われて、そんなつもりなかったなんてキレる方が頭おかしい。
健康な肉体を持つ若い男に、汚いとはいえ無防備な女体をチラつかせて、ひたすら連日我慢を強いるとか、正に鬼の所業。
マジで何やってんだ、私。
泣きたい。
別に、前世それなりに相手はいたし、今世でも貞操自体には全然重きを置いてないから、物の弾みでフェリクスに食われたところで、そう気にしやしないけど。
それに伴い発生するであろうアレやコレやの問題が面倒臭いから嫌なんだよ、すごく。
長年努力を積み重ね作り上げてきた私の平穏が、たった一度の過ちでガラッガラに崩れちゃうの悲しすぎるでしょ。
ただ、じゃあ、改めて一人で何とかしろって彼を家から放り出すのも、心情的に難しいっていうか。
私が怒り狂う元になった、あの人間性を全力で投げ捨てまくったゴミクソ生活を実際に送られかねないんだもの。
いくら美形でも、そんな畜生以下に成り果てた男に縄張りウロつかれるとか、心底ゾッとするわ。
ここは地獄の一丁目か。
ホント戻るも進むも、崖っぷちサバイバルだよ。
まったく一体全体、どうして私がこんなにも悩まされなきゃあいけないんだろうね?
神の奇跡みたいな絶世の美男子のくせに、なにゆえ森暮らしの醜女なんぞに惚れてしまったのか。
あぁ、不吉の子が云々っていう、下劣な因習のせいだったね。
愛情どころか、ちょっとした優しさにすら飢えてたんじゃあ、仕方がないね。
ははっ。
世の中、理不尽だらけだ。
……頭痛してきた。
「その、リレイジア?
やはり、僕と生活を共にするなど、貴女の名誉のためにも避けるべきかと思うのだが」
何が名誉だ。
森暮らしの孤独な野生児に、そんなモンあってたまるか。
「お黙り、不心得者。
今のアンタに発言権など、蟻の毛先ほどもないと知りなさい」
「えぇ……?」
「大体からして、自分一人ろくすっぽ大事に出来ない男が、女を幸せにしようなんぞ笑止千万な話で……っとぉ。
んんっ。悪い、言い過ぎた。
アンタは、周りの大人たちの心無い仕打ちにも負けず、ちゃんと良い男に育ってる。
八つ当たりで扱き下ろされていい人間じゃない。ごめん」
グダグダ考え事に没頭しながら話したもんだから、言葉が脳みそを介さずに出ていってしまった。
醜女、反省。
「えっ、あ、あぁ……いや、あの、僕こそ、すまない。
貴女に多大な迷惑を掛けている自覚はある」
そんなションボリするもんじゃないよ。
最初の頃の押しの強さはどこに行ったの。
私を手に入れるために、地位も名も何もかも捨ててきちゃったんでしょうが。
「そう縮こまらず、堂々していなさい。
アンタをこの家に受け入れると決めたのは、あくまで私だ。
提案者に責任を押し付けてるようじゃあ、道理に悖るってもんよ」
まぁ、心の中で愚痴るぐらいは許して欲しいところだけどね。
「うん……リレイジアはいつも堂々としているな」
どういう意味の苦笑いかな、ソレは?
「偉そうで幻滅でもしたと?」
だとしたら、問題も一斉解決するんだけどね。
「いいや……眩しいのだ、とても。
新しい姿を知るたび、僕は光の乙女に魅了される。
その強い輝きから、一瞬たりと目を逸らせなくなってしまう。
……困ったものだ」
だったら微笑んでないで、ちゃんと困った顔しろ!
ふざけやがって!
お前またアレだろ、ただ思ったことそのまんま言ってるだけのアレだろ。
この無自覚殺し文句製造機っ。
いちいち動揺させられるだけ悔しいわい。
「とにかくっ!
すでに決まったことを穿り返すより、今後についての建設的な話し合いをしよう。
どうすれば、お互いにより我慢少なく暮らせるかって辺りを特に……。
あっ、でも、そろそろ本格的に陽が落ちそうだし、先に夕飯の支度をしたいかな」
「話し合いについては、了承した。
僕も浮かれるばかりでなく、意識を切り替えなければな。
……ところで、何か手伝えることは?」
「いいから、いいから。
今日ぐらい、ゆっくり座っておきなさいって。
アンタ、故郷を捨ててから、ここまで野宿続きだったんでしょう?」
「特段、疲れを感じているわけでもない。
気遣いは不要だ」
「じゃあ、言い方を変えよう。
今回は速度重視で作るから、料理に不慣れな人間は手出し禁止で」
ズボラな生肉喰らいは、大人しくしててください。
しかし、いくら魔物の血が混ざってたって、寄生虫とか大丈夫なもんなのかね?
「……ならば、仕方がない。
だが、何かあれば言ってくれ、いつでも助ける」
「あー、はいはい」
オヤツを奪われた犬みたいな悲愴な顔をするんじゃないよ。
出来上がったら配膳でも頼んでやるから、ステイだ、ステイ。
まったく調子の狂う。
食後は家事分担的な話もしっかりして、そこでキミの出来ることの範囲が判明すれば、明日からは精々扱き使ってやるさ。
そして、十数分後。
食器の収納場所を当たり前のように覚えていたフェリクスは、いちいち感慨深くソレらを眺めながら、私の指示通りに皿やカトラリーを取り出していた。
過去に私が教えたことは全部覚えていて、ついでに大半の作業は習得済みらしい。
軽く予想はしていたけれど、実際に三年も前の記憶を執念深く所持している事実に、少しだけゾッとした。
テーブルに物が揃えば、美青年は神に食前の祈りを捧げて、木製スプーンを手に取り、最初にミルクコンソメスープをすくって、ゆっくりと喉に流し込む。
「あぁ、美味い。温かい。
ようやく帰ってきたのだな、僕は……」
小さくそう呟いた彼は、僅かに震える左手で自身の口元を覆った。
そして、間もなく伏せられた睫毛の隙間から真珠のような涙を一粒零したあと、それを親指ひとつで拭って、無言で食事を再開する。
私は、目の前で繰り広げられる何もかもについて、ただひたすら見て見ぬふりをしていた。
正直、ツッコミを入れたい箇所は多々あったが、さすがに今日はもう、これ以上墓穴を掘りたくはなかった。