4.え?勇者さん?確かに魔王もしておりますが?
「え?勇者さん?・・・はい、確かに魔王もしておりますが?何の御用でしょう?」
お昼休み中の静かな悪役配給株式会社のオフィス、私はたった一人でお弁当を食べていたのだが、突然奥のスタジオから若い役者さんが出てきて勇者と名乗り、魔王はお前かと尋ねてきたので、私は正直に答えた。
今日の私は声の録音だけを頼まれて来ているので、悪役眉毛でも無いし、海老茶のスーツも紫のマントも身に付けてはいない。
思えば、このオフィスで他の役者さんと会うのは初めてだ。陸上選手のような雰囲気の若者は手には抜き身の模造刀を持ち、鎖帷子と胸当てを身に着けた、如何にも非現実的ないで立ちをしている。本物の役者さんかその卵といった所だろうか。なんだか眩しい。
「初めまして、善村と申します。どうぞこちらへお座りください。お茶でもお出ししましょう。」
美容師さんの言葉を思い出しながら、笑顔の対応をする。近所のコンビニでもバイトの女学生に普通の対応をしてもらえるようになる必殺技だ。
役者さんは変な顔をしながらOA椅子に座り、窓の外を眺めてから、ステンレス魔法瓶から注いだ母の淹れた日本茶を一口飲むと静かに涙を流した。
「なんてこった・・・なんてこった。」
初めての仕事で期待が高まり過ぎていた所に、あまりに安普請な楽屋裏で幻滅させてしまったのだろうか。
確かに、若者のいで立ちはお金がかかっている。金属に見える部分は本当に鉄でてきているみたいで、私が着たことのある灰色の塩化ビニール製の小道具とは天地の差だ。ブーツやベルトも本革をくたびれるまで使いこなしたような加工が施されている。凄い。
この役者さんは中身もいで立ちも、そして撮影する場所も「本物」なのだろう。投資家向けの動くポンチ絵―それも悪役限定―を作るこの場所には不似合い過ぎる。
「お茶請けも如何でしょう?」
自分用に買ってきた栗饅頭をそっと出すと、若者は震える手で包みを剥がし、リスかネズミのように少しずつ食べ始めた。少しは落ち着いたようなので、ここは本物の撮影現場では無いことや、自分も本物の役者では無い事を説明する。
血糖値も上がって来たのか、若者の真っ白だった顔に赤みが戻ってきた。そして変な事を言う。
「あの、今日は何年の何月何日でしょう?」
「え?ああ、撮影日を間違えたのかもしれないのですね。今日は4月の15日ですよ。」
「あの、年は?」
「え?XX年ですよね?」
私は壁のカレンダーを見る。良かった、まだボケは始まっていないようだ。振り返ると若者は壁掛け時計を睨みつけている。はて?
「あの、ちょっと来てもらえますか?」
一瞬目を閉じた後、若者がすっくと立って言う。どちらへ行くのかと尋ねると、奥の扉を指さす。
「練習ですか?私が誰かと一緒に撮影する事になったとは聞いていませんが・・・」
「来ていただければ良いのです。・・・いえ、私の練習に付き合って頂きたい。魔王の衣装も身に着けて頂けると有難いのですが。」
「魔王と言っても・・・色々やりましたから、何の魔王でしょう。角兜?紫マント?」
「鉄の冠の姿でした。魔王モリウスです。」
「ああ、鉄の輪を頭に乗せた・・・死の定めを乱すのがどうとか言う。」
「お願いします!時間が無いのです。」
お茶を飲む時間はあるのにせっかちな事だが、若い時は自分もこうだったかもしれない。
「はい、ええと輪っかはこの棚に・・・ありましたね。服はこっちの”魔王2番”のだぶだぶの頭巾付きコートと。羽織るだけなのは楽で良いですね。」
頭からすっぽりとコートを羽織り、衣装係さんがサークレットと呼んでいた樹脂製の輪っかをかぶると、眉毛以外は先月撮影した魔王モリウスの出来上がりだ。
「早く、こちらへ!」
引きずられるように奥の扉を抜け、さらに撮影機材の脇を通り、暗幕をめくる。
「え?機材搬入口から外に出るのですか?」
私の問いに若者が振り向く、暗い室内にギラギラとその双眸が輝いた。
「来てください。魔王モリウス、貴方には責任がある。」
彼は私の腕を掴み、有無を言わせぬ迫力で暗幕の向こうに私を引きずり込んだ。