2.さあ初仕事だ!
「さあ初仕事だ!」
一般に毎日が日曜日などといいうのは夢の様に嬉しい事なのだろうが、さすがに口座通帳とにらめっこをしながらでは嬉しくもなんともない。今日はそんな嬉しくない日々に束の間の休息が与えられる記念すべき労働日だ。
久しぶりにワイシャツの袖に腕を通し、ネクタイの埃を払って首に巻く。できれば昨日の内に千円床屋(税別)にも行っておきたかったのだが、鈴木さん曰く「髪型は当日セットしますので、床屋などには行かないでくださいね。あ!特に眉毛は剃ったり切ったりしないでください。できれば髭も2、3日は・・・」等と色々注文があったので我慢している。個人的には職務質問を避ける為にも身綺麗にしておきたいのだが、風邪を引いた時の為にと買っておいたマスクを付けて誤魔化そう。
母に声を掛け、家を出る。目に眩しい朝日に喜びを覚える。私はまだお世間様に必要とされているのだ。それから健康とバス代節約の為に駅まで歩く。駅に着いてから、ここ暫くの半端仕事と違い交通費が支給される事を思い出したが、嬉しい事が増えたと思い気にしないことにした、まあ本当に支給されば、の話ではあるが。
指定場所は人通りのあまり無いビル街、立ち並ぶビルの玄関口を見るに何やら官公庁の外郭団体が多い場所らしい。耐震補強された年季の入ったビルに入り、エレベーターで4階まで上がると、そこには本当に「悪役配給株式会社」と書かれたドアがあった。
ネクタイが曲がっていないか確認し、手に持っていた上着を羽織ってからドアに近づくと、勝手にドアの方が開き、中から鈴木さんが出てきた。
「お待ちしていました!どうぞ中へお入りください。」
「わざわざ有難うございます。」
礼を言って中に入る。手前の方は普通のオフィスだが、パソコンや書類よりも撮影機材や小道具類と思しきものや、演劇に使うような衣装類が目立つ。奥の方には写真館にあるような撮影場所があり、さらに奥には3つのドアが並んでいる。
それからは、目が回るような忙しさに押し流された。
整髪料やらピンセットやらで念入りに眉毛をいじくられ、鈴木さんと美容師さんの短くも激しい議論の末に無精髭は綺麗さっぱり剃り落された。
その後も衣装について鈴木さんと衣装係さんのこれまた激しい議論があり、衣装替えがあり・・・どうやら、ここまで手間暇掛けるのなら詐欺に遭っているのでは無いのかもしれない。
「ああ、善村さん、感動的です。お願いしてよかった。」
鈴木さんの言葉に今まで私を弄繰り回していた人達が何度も頷く。美容師さんなどハンカチで涙を拭いている。怖がられて泣かれたことはあるが、家族以外の人に歓喜の表情で泣かれたのは初めてだ。
そんなに「感動的」なのかと鏡を見せてもらうと、そこにはぎょっとする程凄みのある男が映っていた。一体何処の犯罪組織の親分だろう、もしかしたら週刊誌で黒幕とかフィクサー等と報道されているのはこんな男なのではなかろうか。
「段取り八部。ここまでくればあと少しです。」
私が、長年自分自身に言い聞かせてきた言い訳も、現実逃避の自己弁護も、すべて剥ぎ取られてしまったような悪役然とした外見にショックを受け茫然としている内に、私はオフィスの奥にあったドアの向こうの薄暗い撮影スタジオに連れ込まれた。
そして言われるままの姿勢で椅子に座り、指示されたセリフを言わされて・・・気が付いた時には全てが終わっていた。
最後に、もう一度美容師さんのお世話になり、元の顔に戻してもらう。気のせいかこのオフィスに入る前より悪・・・怖くなくなったような気がするのでそう言うと、美容師さんは嬉しそうに礼を言って「今の善村さんの様に笑顔でおられれば、怖いと思う人なんていませんよ。」と言ってくれた。心にも無い事だと分かっていても嬉しい、これだけでもこの仕事を受けた価値があるだろう。
「今日はありがとうございました。些少ではありますが日当となります。」
鈴木さんが今日のお給金を持って来たので、自分の個人番号と交換する。凄い、時給換算なら半端仕事の4~5倍位だ。おまけに交通費は別だし・・・バス代まで入っている。
・・・今日は久しぶりに母の好物を買って帰ろう。