焼きそばパンのお供にはお茶を
あぁ、なんて暇なんだろうか。時間を持て余しすぎていつか、誰にかはわからないけど僕の時間を取られてしまうのではないだろうか。もし、そうなったら僕はどうなるのだろう、死ぬんだろうか。まぁ別にどうでもいいけど。
現在、僕は学校らしき建物の屋上で四方を取り囲むフェンスにもたれかかるようにして座っている。天気は快晴と晴れの間ぐらいだろうか。真上に上っている太陽の日差しが雲に邪魔されることなく細めている目に容赦なく入ってくる。ちぎれた導線みたいにくるくるした髪がまぶたをくすぐってイラつく。
噴水のように沸くイラつきを抑えるように右手に持っていた焼きそばパンを口に運ぶと僕の髪みたいにちぢれた焼きそばが僕の来ている紺のジャージに落ちる。それを徐に取り、横に置いてあった、よーいこらしょ茶を飲む。やっぱりお茶はうまい。
心の平穏を取り戻した僕はようやく自分の置かれた現状を把握しようとする。
そこに至るまでおよそ三十分間掛かった。亀の足に接着剤を塗って歩かせるのと同じぐらい遅い。
そんなことよりここは一体何処なのだろう。部活に入っていない僕はいわゆる帰宅部なのだが、昨日学校から帰った後いつもどおり、ご飯を食べて風呂に入ってきっちり十二時に寝たのだが、そこから記憶が風邪を患ったときぐらいにおよそ三十分前に飛ぶ。寝ていたらいつのまにかどこか知らない屋上で昼飯を食べているという状況に陥ることはよくあるのだろうか。少なくとも同級生からは一度も聞いた覚えはない。いやいつのまにか記憶がどこかへいっているぐらいなのだから、それも忘れている可能性はある。
しかしひとつだけ分かることがある。遠目にだが僅かに白ゴマを振りかけたような富士山がうっすら見えるということだ。何回もテレビや雑誌で見たのだから間違いない。
僕の心が洗濯機を回しているみたいに戸惑いを浮かべている。
きっと疲れているんだろうな。そうに違いない。とりあえず僕は他の問題を解決することにした。
まず今は何時なのか。これは直ぐにわかった。神様が光り輝いてるかのように太陽が真上にあったから正午頃だろう。
次に学校に行かなくても良いのか。自身の頼りない記憶によると昨日が金曜日で中学校の宿題を週末分たくさんやったから、半日しか寝ていなければおそらく今日は土曜日で休みである。
そもそも自分が誰か覚えているかどうか。現在長野県に在住していて十四歳の中学ニ年生である。名前は……何だろう。名前の記憶をドライバーをで無理やり刺してそこだけぽっかりと穴があいたみたいに名前だけ覚えていない。日常が退屈で妄想を良くしていて、でも家庭環境も悪くなく、学校でも普通の生徒だったとか、確実に覚えている。名前を忘れているだけで不思議と自分が自分じゃないみたいな、どこか俯瞰的な感じがある。
現状整理した僕は、まだ半分以上残っていた焼きそばパンをよっこらしょ茶で流し込み立ち上がって全てリセットするかのように伸びをした。そうすると何故だが気分が落ち着いた。
そのためか僕はとてもとても不思議なことに気がついた。ここには下に降りる場所がない。
フェンス越しに下を覗くと吸い込まれそうな程の高さで思わず、恐怖に身震いしてしまった。
ここにはフェンスと平らなコンクリートの地面しかない。
僕は再び現実逃避をすることにした。
僕は生まれてから善行も悪行も行った記憶はない。ただ流れに身を任せていただけだったから。
それがいけなかったのだろうか。だから神様が試練的な意味でこんな状況に押しやったのだろうか。
僕は決心した。もし神様に会うことがあったのならば、そこが天国地獄であれ焼きそばパンを窒息する程詰め込んで、お茶を思いっきりぶっかけてやろう、と。
その直後雷鳴のような轟音がなり響いて鼓膜が破れそうになった、と同時にコンクリートの冷たい地面にバランスを崩して倒れ込んだ。下半身を反射的にみると右足が消滅していた。太ももからバッサリと。
それは人工的なものでなくいうなれば超常的な何かのちから。傷口とみられるところは完全に塞がっており、不思議とそこの痛みはないがただ倒れ込んだ時に手をついたので関節のところが赤くなっていた。
僕は寝転んだ状態のまま呆然としていた。すると、頬に冷たさを感じた。手で拭うと濡れていて、始めは雨でも降ってきたのかと思ったがぽろぽろと滴り落ちてくる水滴を肌で感じて気づいた。泣いているのだと。
太陽もだんだんと沈んできて、三時ぐらいの方向で静かに輝いていた。冷気を含んだ風が体温を奪い寒くなってきた。風を切る音が鼓膜をいやに刺激するようだ。
無意味に焼きそばパンの袋と空になったペットボトルを弄ぶ。袋の擦れる音とプラスチックの乾いた音だけが鳴る。そうしているといろんなことがあって精神的に疲れたのか急に眠気が襲ってきた。抗う理由もないので眠気に従ってゆっくりと意識を沈めていく。
目を覚ますと既に日は沈みきっており、月が姿を見せている。起きた直後、一瞬夢オチを期待したけれど、周りを見渡しても変化はない。相変わらず緑色のフェンスが囲んでいるだけだし袋とペットボトルの残骸が残っているのみだ。
もしこれがゲームならこの空間からの脱出の手がかりを探すところかな。といってもここには本当にそれらしいものは何もない。コンクリートに埋まっている可能性はあるがどうしようもないのでそれは考えないものとする。
思い返すと僕の人生薄っぺらかったな。まずたった十四年しか生きていない。自分の家に呼ぶほど仲のいい友達が出来たこともないし、最初は犬猿の仲だったのが冒険や事件を通して親密になっていき、恋に落ちる、みたいなふわふわな出来事なんて以ての外だ。それに僕は帰宅部だから仲間と団結して練習に励むみたいな熱い思い出もない。特に趣味もない僕はなんてつまらない人間なんだろうか。
それはこんな摩訶不思議な状況が原因だったのか、月光が照らすこの世界に酔っていたからなのか、今になっても理解し難いが僕は片足という不安定な体勢でフェンスを蛇のようによじ登り、落ちた。恐怖は無かった。目を閉じていたからよくわからなかったがビュンビュンと風を切る音がまとわりついてゴンという衝撃音を受けて僕の意識は途絶えた。優しい声が聞こえた気がした。
目を開けると昼の光が頭をくらくらさせた。そこはまたもやあの閉鎖された場所だった。
一瞬何が起きたのか理解できなかったが既にこの場所に誘拐されるといったことが起きているので理解するのを諦めた。
飛び降りた記憶はあれど心は落ち着いている。今はその時からどのくらい経った時なのだろう。
その疑問はすぐに解決した。足元に空のはずの焼きそばパンとよっこらしょ茶があったからだ。それに右足も何もなかったかのように元に戻っている。それですぐに分かった。始めにここで目覚めたときに時間をさかのぼっているのだと。
僕は自分がその考えに驚かないことに驚いていた。孤独に慣れるように色々なことがありすぎて感覚が慣れてしまったのだろか。
僕はあの時から意識的に考えないようにしていたことを今ならいけるかも、と思った。
神に対して焼きそばパン口に詰め込んでお茶をぶっかけてやる、そう言った直後に右足の消滅が起こった。都合のいいときだけ神頼みしていた存在が本当にいるんだろうか。もしまたあの時みたいなことを思ったら、そう考えると恐ろしくて胃が痛くなった。
時間をさかのぼってから二日経った昼頃。事態はほとんど進展していない。強いて言えば、小さなペットが出来た。友達というのは数センチほどの小さな生き物のことだ。あの後顔を俯かせていたら見たことのない生き物がいたので試しに焼きそばパンのパンの部分をあげるとその黒い体を揺らして嬉しそうに食べたのだ。それ以降その生き物をクロと名づけた。簡単で覚えやすくて良い。
それにしてもお腹が空きすぎてクロを食べてしまいそうなほどだ。食料は昨日の夜に食べ終わった。
クロは焼きそばパンをの切れ端をお腹の中に収め終わるとトコトコと歩いて僕の肩に乗ってそのままそこが定位置となっている。始めは気に留めていなかったが時が経つうちに一人の時よりも安心感に身を包まれた。
愛着が湧いたのでクロを手の甲に乗せ、犬みたくお手と言ってみたら簡単にちぎれそうなほど小さい手を前に出したので感動した。僕の両親はペット嫌いだったのでペットを飼ったのことがなく、クラスメイトからそういう話を聞くと羨ましがってたのだ。
そしていま、躾みたいなことをして遊んでたが飽きたので新しいことをしようと思案していたのだ。
僕は二日経て、むしろこの状況を精一杯楽しもうとしていた。
踊る、踊る、華麗に踊る。クロもゆらゆらして可愛い。
歌う、歌う、音程なんて考えずにただ歌う。クロも体を上下させて歌っているのだろうか。
叫ぶ、叫ぶ、心をむき出しにして思いのままに叫ぶ。クロも肩の上で回っている。
叫び終わるとクロも疲れたか、静止している。今までの不満、不安、すべて吐き出せたようで楽しかった。クラスメイトのみんながバカみたいに友達同士ではしゃいでいるのを初めて理解したような気がした。もはやクロはペットではないそれ以上である。
とても一方的な関係だけど、今日、人生で初めて友達が出来た気がした。もしも元の世界に戻れたらなにか変わる。頼りないその直感が今は心地よかった。
その時、青の絵の具を水で薄めたみたいな空を覆っていた雲を貫いて光が僕らを照らした。円の中に様々な図形が入り交じっている魔法陣みたいなものが下のコンクリートに一瞬浮かびあがったと思うと意識がまたもや携帯の電源を切るようにブチッと切れた。
気づくと僕は自分の部屋のベッドで寝ていた。カーテンを締め切っている為に朝なのか夜なのか判別がつかない。そこでジリリジリリと空気が振動した。
部屋に鳴り響くスマホのアラームを止めると土曜日の午前七時を表していた。
水玉の掛け布団を思いっきりはがして十畳ほどの部屋から出る。二十段程の階段を下ると向かって右に洗面台とお風呂、その奥にトイレと素朴な玄関があり、左側にリビングにつながっている扉がある。
その扉を開けると、いつもの風景が視界に広がった。
部屋の奥に窓がありそれに沿ってテレビが置かれている。右側には散らかったテーブルとソファー、左側には楕円形の食卓があり、手前に台所がある。
置かれているデジタル時計は先ほどより数分経っているだけ。
少しの間呆然としていたが、あることを思い出して肩の上を見た。
クロがいない。もしかして夢なのか。初日の混乱や、屋上から飛び降りた出来事、それにクロの存在はなかったことなのだろうか。そんな訳が無い。乾いた冷たいコンクリートの感触、燦然と輝く太陽、身を凍らせるような風、はっきりと覚えている。
それに右足が消滅した時のあの絶望感は思い出すだけで肝が縮む。
僕は虚無感をこの体の奥に押し込むようにソファーに寝転がり学校の図書館で借りた本を読んで自分を一時的に忘れた。
そうしていると不意にピンポーンとインターホンが僕の意識をこの世界に引き戻す。カーテンの開かれた窓が茜色に染まっている。インターホン越しにお母さんの姿が見えた。汗臭い玄関の鍵を開けると、ありがとうと言いながら入ってきた。
「これ、今食べる? 食べないんだったら冷蔵庫に入れといて」
お母さんの手から何か軽いものが入っているビニール袋を受け取ってリビングに移動しながら中身を見る。中には僕の好物のショートケーキが一ピース入っていた。
「何これ?」
「あんた、今日誕生日じゃない。もしかして忘れてたの?」
「あ、うん」
そうだ、最近山の日になり祝日になったが大抵夏休み中だからあまり嬉しくない悩みがある今日は僕の誕生日である。
ありがとう、と呟いて食卓までケーキを持って行く。その直後、ガチャりと玄関の扉が開く音がして、お父さんがリビングに入ってきた。その手には大きな袋があった。
「おかえり、お前のためにケーキ買ってきたぞ、ってあれ、もうあるのか」
「あら、お父さんも買ってきたの?しかもホールケーキだし」
お母さんがやってしまった、というような表情をして言った。
「僕、全部食べるから別にいい」
「えっ、全部?」
両親が声を揃えて言った。
その夜、お兄ちゃんを寄せ付けず一人でショートケーキを完食した。生クリームで甘いはずなのに、なぜだかしょっぱい気がした。
お風呂にはいるために服を脱いでいると、ズボンのポケットから焼きそばパンの袋が出てきた。
それを見たら涙が止まらなかった。まるで、ジグゾーパズルのピースが欠けた状態だったのが、いきなり欠けているピースをはめられたみたいだった。
それ以来焼きそばパンのお供にはお茶が常になっている。いかなる時でもそうなのでクラスメイトから訊かれた事があったけど、口を濁した。でもそのことがきっかけでそのクラスメイトにはあの出来事を話した。まだ友達と呼べる関係ではないけど、いつかクロにもう一度あることができたら紹介できる関係にしておきたいと思っている。